「逃げろ!!」
流雫が叫んだ。しかしその声が届く前に、爆発音に似た銃声が響く。周囲の時間が一瞬止まった。緑の服の男の腕付近から煙が上がり、背振の顔がそれに向く。それこそが狙いだった。
 二度目の銃声。文字通り銃口が煙を噴くと、背振自慢のオートクチュールのスーツに血が滲む。数秒前まで覇気に満ちていた男は、一転して薄れる意識と戦っていた。ここで気を失えば、間違い無く死ぬと判っている。
 男はバックパックを、捕まえようと駆け寄る数人に向かって放り投げる。それは1人の男に当たり、その瞬間爆音を伴って炸裂した。
「くっ!!」
流雫は咄嗟に澪の前に出ると顔を腕でガードする。一瞬熱風を感じたが、それだけで済んだ。しかし、数人が吹き飛ばされ、地面に叩き付けられる。
「誰が黒幕だ……」
と流雫は呟きながら、黒いショルダーバッグから銃を手にする。
 ……背振すら粛清したい人物がいる。だとすれば、思い付く限りは1人。
「小城……?」
と澪は呟き、流雫に続いて銃を取り出した。
 小城と背振は、半ば蜜月だったハズだ。いや、蜜月に見えていただけだとすれば……?
「……背振を消したいのは、小城とツヴァイベルク……?」
と流雫は言った。
 ヴァイスヴォルフが言っていた通りなら、双方に面識が有る。そして裏で背振やヴァイスヴォルフが邪魔になった。
 ヴァイスヴォルフもアリス失脚を画策していたが、あくまで平穏裏に、自然な形での実現を目指していた。しかし、ツヴァイベルクはそれより早い失脚を目論んだ。マルグリットの即位を阻止するために。
「ヴァイスヴォルフを口止めしたのは、背振じゃない……?」
その流雫の言葉に、澪は問う。
「どう云うこと?」
その瞬間、男が2人に目を向ける。手にするのは背振を撃った銃。
「……あの男も……小城の刺客……?」
そう言った流雫と澪は、視界の端で互いの瞳を捉えると、すぐさま左右に跳ぶ。1秒前まで2人がいた場所に銃弾が飛んだ。
 「違法銃……」
と澪は言う。
 ハンドガンベースではあるが、護身用として出回っているものとは明らかに違う形状をしている。分解しただけで違法となるが、人を殺す目的を持って改造したのか、もしくは……。
 「……小城の関与を隠すために、背振が新宿に出て行ったのなら……」
その言葉に
「何のために?」
と問う澪。流雫は答えた。
「アリスのクローンも、小城と大臣である父の取り決めが後押しになったんだ。背振が囮になり、小城の関与を隠すことができれば、小城を失うクローン事業の行く末を気にしなくて済む」
 背振の演説で、流雫が何よりも気になったのは、父親を意識しているような言葉が多かったことだ。
 大臣である父親の理念を受け継ぐ。そして極秘裏に始まったヒトクローン計画も成功させる。その頑なな決意は、背振と云う名字が持つ呪縛のように思える。背振だけではない、プリィのように聖女の可能性を何らかの形で持つ者も全て、そうなのだ。
「……全ては父親のために……?」
と言った澪に、流雫は
「そうとしか思えない」
と答える。
 父親の功績を護るためには、小城も護らなければならない。だから背振は、汚れ役を引き受けるしかなかった。
 不意に空が暗くなる。昨日と同じだ。何時雨に襲われるか判らない。早く結着を付けたい、そう思った流雫は地面を蹴る。
「死ね!」
男は流雫に銃を向ける。しかし左右に動く身体に照準を合わせられない。苛立つ男が引き金を引く、しかし煙を伴う銃声が決着を付けることはできない。
「澪!」
流雫の声がイヤフォン越しに聞こえる。それに呼応する少女は、引き金を引いた。
 2発の小さな銃声と同時に、男の腕から銃が引き剥がされる。小径の銃弾を手首に2発受け、歯を食い縛りながら呻く。
「ぐぅっ……!」
その声を、爆発音が掻き消した。
 落とした銃がコンクリートに衝突した瞬間、銃身が爆発し、飛び出した銃弾が男の胸部を貫いた。
「がほぉっ!!」
断末魔の声を上げた男はその場に倒れ、身体を痙攣させるが、数十秒後には動かなくなる。
 「流雫っ……!」
顔を引き攣らせる澪の隣に駆け寄った流雫は、華奢な身体を抱き寄せ
「澪は悪くない」
とだけ言った。
 それは、澪も判っている。しかし、犯人と云えど目の前で人が死ぬことに耐性は無い。
「……暴発した……」
澪の言葉に、流雫は
「……自作銃……」
と続く。
 銃に関する設計図と3Dモデリングのスキルが有れば、金属の3Dプリントで銃を作成することはできる。ただ、やはりそれだけの設備は、裏で協力者がいれば不可能ではない。だとすると、やはり小城が背後にいるのか……?

 「お前は……!?」
と突然ドイツ語が聞こえる。流雫と澪はその方向に目を向ける。何と言っているかは判らないが、その見た目から目の前の男こそモンドだと判る。
「聖女アリスの身を案じて、僕が代わりに持ってる」
と流雫はフランス語で答える。
「身を案じてだと?」
「アリスは僕のフレンドだ。クローンだったとしても、殺されるワケにはいかない」
と流雫は言った。
 誰一人、死んでいい人などいない。未熟故の綺麗事でしかなくても、流雫はそれが正しいと思い続ける。
「アリスは何処だ!?」
「教えるワケにはいかない」
流雫は答える。破壊の女神を連想させるオッドアイの主は、今のモンドにとって駆逐しなければならない。
「ならば吐かせるまでだ」
と言ったモンドは、銃を手にする。日本人以外で持つのは違法だが、背振が秘密裏に貸し与えたのだ。ただ、あくまで護身用であって、脅迫するためではない。
 「流雫……!」
澪は咄嗟に銃を構える。先に銃口を向ければ、相手に正当防衛を成立させる。それは判っていても、今のモンドには流雫さえ粛清する意志が見て取れる。死なせるワケにはいかない。
「それが答えか……」
と言った流雫の背後から
「澪!流雫!」
と、惨劇の渦中に声が響く。
「詩応さん!!」
「伏見さん!!」
と反応する2人の向かい側で、
「お前は……!」
とドイツ人が声を上げる。先刻大教会で会った少女が、此処まで追っていた。
 「アタシは2人の味方……手を出すな」
と英語で言った詩応は2人の前に立つ。
「伏見さん、澪を頼む」
とだけ言い、流雫は地面を蹴った。詩応は誰より澪ファーストで動く、だから任せていられる。

 近寄ってくるシルバーヘアの少年を睨む側近を、背振は軽く手を挙げて制した。
「お前……」
と弱々しく呼ぶ背振に、流雫は一つだけ問う。
「……全ての元凶は小城なのか?」
「……そうだ……」
とだけ答える。どうせ助からないと諦めている、だからそう開き直っている。
 流雫にとっては、その一言で十分だった。本当に戦い、思惑を破壊すべき敵が漸く明確になった。
 背振に背を向け、右手首のブレスレットにキスを交わす流雫。同時に澪も、左手首のブレスレットにキスする。
 ……アリスが死んでも、クローン事業には影響が無い。三養基のデータさえ有ればよかったからだ。そして未成年で絶命しても、事故や暗殺と云う不測の事態であれば、プロジェクトは成功したことになる。成長時の不具合が原因ではないからだ。
 後はデータを死守したがる三養基を粛清し、思い通りの展開にする……そう画策していたのだろう。だが、その思惑は崩壊している。それどころか、自分の関与が疑われている。
 全てが水泡に帰さないように、全ての障害を排除するだけだ。もし小城がそう思っているのならば、誰を標的にしたって不思議ではない。
 「……思惑は、必ず壊す」
とだけ言った言葉に、背振が一瞬だけ表情を緩めたことは、流雫は知らない。
 背振の名を呼ぶ声が背後から聞こえる。流雫は聞こえないフリをして、唇に隠れた歯を軋ませた。勝手に抱えそうになる悲しみに抵抗するかのように。