朝一、信者に緊急の招集メールが届いた。渋谷の大教会にて緊急集会を開き、教団の未来についての重大発表を行う。来場するように、とのことだ。それにはモンドリヒトと署名が入っていた。
「……動き出したか……」
と詩応は呟く。それに反応したのは同室のアルスだった。日本語は判らないが、何か有ったことだけは想像できる。
 流雫とアルスはホテルでもよかったが、ほぼ連日それも如何なものか、と思った澪が、半ば強制的に家に泊めさせたのだ。母の美雪は寧ろ歓迎した。
 アルスは詩応の希望で同室になった。ルーツが同じ教団の信者同士、話したいことが有ったからだ。それは澪の部屋だった。
 その部屋の主は、リビングで流雫と一夜を明かすことにした。流石に客人をリビングで、と云うワケにはいかない。流雫も客人ではあるのだが、恋人だから例外だ。尤も、夫婦のようだと2人から揶揄われたが。
 キッチンを借りた流雫が蕎麦粉の生地を練る隣で、澪はコーヒーを淹れる。先にリビングへ下りたアルスは、
「集会、本国に生配信する気だな」
と言った。正午からだから、フランスは5時か。生配信、それは公開処刑と同義だ。
「ハイリッヒの即位を最高の形で演出したいワケか……」
と流雫はフランス語で続く。
 ……ハイリッヒのことはよく知らない。ただ、即位に値するとしても、経緯が経緯だけに認めるワケにはいかない。
 とは云え、流雫は単なる部外者だ。口を挟むことはできないし、ただ全てを見守ることしかできない。
 流雫は生地をフライパンに流す。この間だけは、何もかも忘れていられる。

 流雫特製ガレットを平らげた4人が2組の男女に別れたのは、渋谷駅でのことだった。
 今日に限っては、信者しか入れないようになっている。詩応だけは中に通されたが、アルスは入口近くで不測の事態に備えるしかない。2人は、もう1組がやっているように、スマートフォンを通話状態にする。
 流雫と澪は、渋谷駅前に残ることにした。それはアルスの提案によるものだった。
 10人ほどの集団が持つ縦長の幟には、背振と名前が印刷されている。演説の準備なのか。ただ、文殊が代わりに登壇するだろう。大臣である父は昨夜倒れたが、退院したと云う話も無い。
 時間が重なったことは単なる偶然なのだろう。しかし、もしそうでないとするなら、この演説に時間を合わせたのか。
 それならば寧ろ、2人は駅前で背振を見張っているべきだ。フランス人の少年は、そう思っていた。これから教会で起きることと無関係とは思えない。
 ハチ公広場の端にアンプが置かれると、数十人の支持者が集まってくる。流雫と澪は、トーキョーアタック慰霊碑の前に立つ。この広場の全てが見渡せるからだ。
 予定の時間から2分だけ遅れて、演説が始まった。背振は、父の容態が依然不安定な中で、その理念を継ぐことが自分の任務であることを強調している。
 その言葉に耳を傾ける2人は、それに共感できる部分を見出すことはできなかった。
 背振は、視界の端に昨日の不敬な高校生を捉える。特に日本人らしくない見た目の男で、そうだと判った。
 改心して支持する気にでもなったのか。今なら昨日の非礼を水に流してやってもいい。背振はそう思いながら、口調を強めた。
 ……クローンを認めない太陽騎士団の上層部と、クローンを活用したい背振。理念は相反するが、金や利権が絡み双方がウィンウィンになるのならば手を組む。
 そう云う連中に弄ばれた聖女や医者、名前すら蹂躙された女神、その全てを救いたい。祖国の色を纏ったオッドアイの主とその恋人は、その思いを抱えている。
 通話状態でリンクした2人は、互いの死角をカバーしつつ、微かな異変を探そうとしていた。何かが起きるとすれば、微かな違和感や異変が前兆として有るハズだからだ。

 アリスは、急遽仕立て直された聖女の装束に身を包む。肩が気になるが、ケープで隠れているからあまり問題ではない、と思っている。
「私は聖女……」
と呟く。数日前の来日以降、何度口にしたかも判らない。
 聖女として、大きな任務を果たす。それが、ソレイエドールをルーツとする教団に対して、今果たすべきこと。
 「行きましょう、聖女アリス」
とセバスが言い、聖女の手を取った。
 黒い車に数分だけ揺られ、アリスは大教会に着いた。すぐに特別室に通されると、そこにはモンドリヒトがいた。2回ほど顔を合わせたことが有るが、それだけだ。
「聖女アリス・メスィドール。今日までご苦労だった。禁断の存在だったことは残念だ」
と言ったモンドに、アリスは
「クローンを認めない教団の理念に、従うだけのことです」
と言葉を返し、机の上に置かれた宣誓書に目を通す。今日の発表の証拠として、効力を持つ。
 アリスは、次期聖女にハイリッヒ・ツヴァイベルクと書き、最後に自分の名前を署名する。左肩が不自由なアリスの代わりに、セバスが手早く宣誓書を折り畳み、モンドに渡す。
「……最後まで立派だった。聖女アリス」
そのドイツ語に、フランス語で
「私は聖女ですから」
と返したアリスは、セバスの前を歩いて礼拝堂のドアを開けた。

 アリスが礼拝堂に現れた瞬間、最前列の左端に立つ詩応は
「始まる」
とだけ、イヤフォン越しにアルスに伝える。満員の礼拝堂は、それだけアリスの去就についての関心の高さを窺わせるが、予想に反して静かだ。
 配信のためのカメラが目立つ中、アリスは視界の端に詩応を見つける。しかし、すぐに目線を逸らした。
 原稿用のタブレットなど必要無い。アリスは頭に浮かぶ言葉を紡ぐ。
 「……私は今日で聖女を退くにあたり、次期聖女を指名します。ハイリッヒ・ツヴァイベルク。司祭リター・ツヴァイベルクの長女は、誰よりも我らが太陽騎士団の聖女に相応しい存在」
その言葉に、モンドは口角を上げた。
 アリスの宣言の後、宣誓書を読み上げるだけだ。それが事実上の勝利宣言になる。
 詩応は流麗な日本語で宣言する聖女を、ただ見つめている。そして、イヤフォンマイクを通じてアルスに聞かせる。
 フランス人の少年は、教会のフェンスに寄り掛かりながら、イヤフォン越しの宣言に目を閉じる。日本語は判らないが、何を話そうとしているのかは何となく判る。
 「彼はモンドリヒト・ツヴァイベルク。ハイリッヒの兄で、今回のために来日しました」
その聖女の紹介で、モンドに全ての目が向く。アリスの正体が禁断の存在である分、妹に対する期待は大きい。そのことを、兄として誰より感じ取っている。
 「女神ソレイエドールを信じる全ての者に、勝利の祝福を。それが、私の最後の祈りです」
と言い残し、祭壇を下りるアリス。詩応とは2メートルしか離れていない。
 代わりに登壇したモンドは、宣誓書をスーツから取り出す。
 ……フランス人以外の聖女は初めてのこと。そして、初めて地方教会の聖女候補以外から聖女を輩出した一家として、その名は栄光の頂に鎮座する。
 「信者諸君、私がモンドリヒト・ツヴァイベルクだ。緊急集会に集まって頂き、光栄だ」
その言葉を皮切りに、英語のスピーチが始まる。教団の理念の下に在る自分について語り、妹について語り、そしてクローンについて否定的に語ったモンドは、最後に宣誓書を開く。
 フランス語で書かれた文字を英語で読む、勝利者となる男。眼前のオーディエンスの脳に、勝利宣言となる自分の声を焼き付かせる。
「この書を以て、私はハイリッヒ・ツヴァイベルクを次期聖女に指名することを宣誓する」
と声を弾ませて読み上げるモンドは、最下段に目を移す。最後に署名された名前を口にすれば、アリスの聖職は終焉を迎える。
 だが……壇上で全ての注目を惹き付ける顔が引き攣る。勝利を宣言するための、最後の一言が出てこない。ただ文字を言葉にするだけなのに、口にすれば全てが台無しになるのだ。
 礼拝堂は異様な光景に包まれる。
 詩応とアリスの目が合う。互いの視線に、光が見えた。

 イヤフォン越しに、モンドの声が詰まった。その瞬間、全ての風向きが変わるのを感じる。
 アルスは目を開け、詩応とテレパシーでリンクしているかのように、声を重ねた。モンドが口にしたがらないのは、断罪の剣と化した少女の名前。
「プリィ・フリュクティドール」