ヴァイスヴォルフが、トラッカーを仕掛けられていた。完全に予想外の出来事だが、アリシアに伝える時間は無い。詩応は
「救急車が来るまで、アタシがつく!」
と言い、銃を持ったまま周囲を見回す。アルスが銃を持てない以上、今ヴァイスヴォルフを直接護れるのは彼女だけだ。
 詩応の視界に怪しい影は無い、但し今の瞬間は。ボーイッシュな少女は警戒を緩めない。
 白昼堂々、しかも割と近距離からの犯行。近くにグルがいないと思う方が難しい。
「……何処にいる……?」
詩応は呟く。
 アルスはヴァイスヴォルフに呼び掛けず、ただ地面に寝かせたまま唇を噛む。
 ……誰が、トラッカーをヴァイスヴォルフに持たせたのか。プリィのそれと同時に用意されたのなら、怪しいのは絞られる。
 しかし、完全にツヴァイベルクの仕業だとして、半ば蜜月のハズの2人に何の因果が有る?有るとするなら、それは想像しうる限り一つだけ。
「……マルグリットの即位すら、奴は認めないのか……?」
アルスは呟き、数十秒前とは真逆の行動に出た。スマートフォンを耳に当てる。
 「ツヴァイベルクに娘は?」
通話時間のカウントが始まった瞬間に聞こえた母国語に、束の間の二度寝からの寝起きだった恋人の少女は
「いきなり何!?」
と問う。
「ヴァイスヴォルフが撃たれた」
「はい!?」
恋人の答えに、アリシアは耳を疑った。次から次へと、本当に日本は厄介な国だと思ったが、それは後回し。慌てて椅子に座り、PCの電源を入れる。
 「ネックレスのトラッカーで居場所を監視されていた。仕組むとすれば、ダンケルクの連中しかいないだろ?」
その言葉に、赤毛を手櫛で掻きながらPCのキーボードを叩くアリシアは
「ツヴァイベルクとヴァイスヴォルフの間に、マルグリットの即位を巡って確執が有ったとでも言うの?」
と問う。
「マルグリットの即位を認めないのは、ツヴァイベルクの娘を即位させたいから。そう思っただけだ」
そう答えるアルスに、アリシアは
「……いるわ」
と言った。
 画面に映し出されるのは、最も信頼できるソースからの情報だった。チャットAIなど足下にも及ばない。流石は我が父、リシャール。
 「ハイリッヒ・ツヴァイベルク。アタシたちと同世代で、住んでるのは父親がいるダンケルク」
「まさか、北部教会の聖女候補か?」
「そうじゃないけど、どうにかして座に就かせたいハズよ。反対する因子は全て排除してね」
「ムッシュ・エピュラシオンらしい」
と感心してみせるアルスに、アリシアは言った。
「……待って」
「どうした?」
「アデルの使用人、彼女に差し向けたのはツヴァイベルク」
アリシアは画面を見ながら言う。
「何!?」
「アデルの即位と同時にね。失脚後の今でも、アデルと一緒にストラスブールにいるわ」
そう言ったアリシアに、アルスは言った。
 「マルティネスの一件を機に、アデルの心中を察したと暴走して、ツヴァイベルクを殺そうとしたのか?」
「ツヴァイベルクが関与していると、最初から知っていた……!?」
「だから黒幕を殺そうとした」
「速報レベルだけど、命に別状は無いらしいわ」
と言ったアリシアに、救急車の音が近付いてくるのが判ったアルスは
「……そうか……」
と言う。
 ……アルスにとって流雫は、誰より自慢できるフレンド。その彼から盗んだのは推理力。色々話すうちに、自然と自分のものになっていった。
 アルスは、1万キロ離れた恋人との通話から辿り着いた答えを口にした。あたかも流雫が憑依したかのように。
「……ツヴァイベルク襲撃は、用意周到に練られていた。ヴァイスヴォルフの襲撃まで含めてな」

 ヴァイスヴォルフの動きを察知したツヴァイベルクは、自分を襲撃するよう使用人に指示した。現場やタイミング、そして刺す場所も全て。例えば、腕を狙うが、あたかも脇腹を刺そうとして外したかのように見せ掛ける。
 そうすれば、教団は混乱の火種となったアリスを今度こそ失脚させ、代わりに新たな聖女を即位させる必要に迫られる。そこでハイリッヒを推し、即位させる。そのためには、マルグリットに勝たなければならない。
 ヴァイスヴォルフは当然、マルグリットを推す。目的は違えど、アデルも同じだ。その聖女候補に揺さぶりを掛けるべく、ツヴァイベルクは日本で交遊が有るモンジュ・セフリにコンタクトした。
 そして今……セフリは成功の手応えを掴んでいるだろう。ただ一つ、テネイベールと同じオッドアイをした少年と、彼を慕う3人が居合わせていたと云う誤算を除いては。

 「全員容赦しないからな……」
アルスは呟く。色々言いたいことは有るが、母国フランスに泥を塗った時点で、アルスにとっては罪人だ。
 救急隊員が駆け付け、ヴァイスヴォルフを担架に乗せる。アルスは
「シノ」
とボーイッシュな少女に顔を向け、言った。
「俺も追う」
銃は持てないが、だからと安全地帯にいるよりは、少しでも流雫の力になりたい。
「アリシア、また連絡する」
「ルージェエールの守護の下に」
そう言って通話を切ったアリシアは、
「ありがと、パパ。大好きだよ」
と打った後で、新しく知った名をノートの端に書く。ドイツ語で聖なる、と云う意味だ。
 「血塗られても、聖女は聖域なのかしら。ソレイエドールが嘆いてるわね」
と呟き、少女は椅子から立ち上がった。

 「ヴァイスヴォルフが撃たれたわ!新宿駅の新南!」
澪はスマートフォンを耳に当てて走る。
 一言だけ伝えた相手は父親。すぐに誰かが駆け付けるだろう。それまで、カーキ色のシャツを着た男を見失わないように。そう思いながら走る少女に背中を見せる流雫は、少しずつ犯人との距離を縮めていく。
 トラッカーを持っていた自分を狙おうとしていたが、外した……のではなく、最初からヴァイスヴォルフを狙う気だったとするなら、追っているあの男は……。
「……背振の刺客……?」
流雫は呟き、イヤフォン越しに澪とリンクさせる。
「奴の背後に背振がいる!」
「そうだと思ったわ!」
澪は言った。
 流雫は足が遅い、と言ってもそれは、元陸上部でスプリンターだった詩応と比べればの話だ。細い身体に隠し持つ筋肉が、その能力を最大限発揮する。
「三養基を殺したのは背振。小城に功績を手にさせるために」
「その裏に、ツヴァイベルクも……!?」
「否定できない」
と答える流雫は、銃のスライドを引く。何時撃ってきても、反撃できるように。澪もそれに続く。
 ツヴァイベルクが、背振と小城にトラッカーの情報を教え、プリィを監視させると同時に、背振に三養基の襲撃を指示した。目的は、小城の功績とアリスへの揺さぶり。
 自分の存在がプリィを殺したとなると、アリスは間違い無く病むからだ。気丈な振る舞いが、彼女の先天的な強さではなく、聖女と云う立場によって武装されたものでしかないのは、アリスと話して判った。
 「アリスが病んで、自ら聖女の座を退くのを望んだ」
「でもそれじゃプリィが……」
「だからプリィは、必ず殺さなければいけなかった。そうすれば、次の聖女を最初から決めることになる」
「そこでマルグリットを選出させようと……」
澪の言葉に、流雫は続く。
 「そう。でもあの時、僕と澪が空港に居合わせたから……」
「最初から、歯車がズレた……」
と言った澪は、不意に空が暗くなったことに気付いた。雲の塊に太陽が遮られる。その厚さはこの季節特有の……。
「流雫……来るわよ……」
澪がそう言った瞬間、2人の顔で滴が弾ける。それは数秒でデッキのタイルを濡らし、雑踏すら掻き消す程の音を立てる。
 突然のスコール。線状の大粒の雨に打たれながらも、流雫は足を緩めない。靴のグリップを武器に、スピードが落ちた犯人との距離を少し縮める。
 ……今までもそうだった。他人が苦手な環境を得意にしなければ勝てないことを、流雫は誰よりも知っている。だから、雨の日に生まれた少年は、本来足枷のハズの雨を味方に付ける。
 男が振り向きざまに、銃を流雫に向ける。しかし靴が滑り、高校生2人から大きく外れた方向へ銃弾を飛ばした。
「4……」
と呟く澪は、ブレスレットにキスしながら男から目線を外さない。雨に苦戦し、表情に焦燥感が浮かび上がるのが、ダークブラウンの瞳に映る。
 流雫は足枷と思わない雨。だが、カーキ色のシャツを濡らす男にとっては、この上無い足枷。
「当たれ!!」
銃を構え直す男の手元で火薬が爆ぜる。しかし、銃弾は手摺に弾かれ金属音を立てるだけだ。
 微動だにしない流雫の視界の端に、遠くを走る2人が映った。アルスと詩応。……それなら。
「何故撃った?」
と流雫は問う。
 信仰と帰依の前には、理性は無力。五月蠅いの一言すら期待していない。しかし、犯人を挟み撃ちしようとするだろう2人が自分たちに近寄る、それまでの足止めができれば。
「ヒーロー気取りが……!」
男は叫びながら、引き金を引く。しかし標的には当たらない。
「2……」
澪は呟く。ただ、残り2発が怖い。たった1発当たっただけで死ぬ。そして、偶然でも当たる可能性が有るからだ。
 ……僕はヒーローほど強くないし、気高くもない。生き延びたいだけの悪魔だ。流雫はそう思っている。しかし、悪魔が勝ってはいけないルールは、この現実世界には無い。
「お前こそ、ヒーロー気取りじゃないか!」
と叫ぶ流雫に向けられた銃口から放たれる銃弾は、顔1つ分外れて流雫の脇を飛ぶ。しかし、標的はそれでも怯まない。
 恐怖心が麻痺しているのか、絶対に当たらないと思っているのか。アンバーとライトブルーのオッドアイに宿る絶対的な自信に、男は恐怖すら覚える。
 「背振が背後にいるの!?」
と澪は問いながら、流雫の隣で銃を構える。ダークブラウンの瞳が捉える男は、銃を落としながら慌てて踵を返す。
 引っ切り無しに列車が走るNR線、その跨線橋から反対側へ逃げようとする男。しかし反対側から走ってくる男女は、自分を見ても退かない。
「退けぇぇ!!」
と叫ぶ男に2人が視界を開かせたのは、衝突する1秒前。しかし足に痛みを感じると同時に、その視界が地面を捉えた。
「うわぁぁっ!!」
と声を上げると同時に、水飛沫を上げて倒れる男の後ろ首と腰に激痛が走る。
「誰の命令だ?吐け!!」
そう声を張り上げたのは詩応だった。