2人の刑事を情報量で困惑させた日仏の少年少女6人は、取調から解放された後で、渋谷に向かった。トーキョーアタックの慰霊碑前で、二手に分かれる。詩応とアルス、そして残り4人。
 日本での太陽騎士団のお膝元だが、大教会までは歩いて10分。
「……着いた」
と詩応が言う。何時見ても、荘厳な建物だ。アルスはスマートフォンをポケットに入れ、それに続く。
「これが日本の本部か」
「そう。……行こう」
と英語で言った詩応は、先に足を踏み出した。

 渋谷の教会に突撃する、そう言い出したのはアルスだった。このままだと何も進展しない。だからイチかバチか賭けることにした。
 詩応は元から信者だから、教会に入るハードルは低い。しかし、問題はアルスだ。
「シノは別として、アルスは門前払いされるわ」
とプリィは言ったが、彼はそれも端から承知だった。
 詩応はアリス相手でも物怖じせず、先日同様対等に戦える。だが、情報量ではアルスの右に出る者はいない。何かの時にはサポートできると思っていた。
 流雫と澪は、プリィやセバスと駅前に残った。このカップルは互いに銃を持っているし、何しろコンビネーションは最高を誇る。だから2人の護衛には、誰よりも適していた。

 大教会は、基本的に自由に出入りができる。礼拝堂で出迎えたのは、ブルーのドレスに白いケープを羽織る少女だった。まるで、2人が出向くのを知っていたかのように。その不意打ちに、2人の息が一瞬止まる。
 「……血の旅団……!!」
その第一声に反応したのは詩応だった。
「アタシが連れて来ました。大事な話が有ります、聖女アリス・メスィドール」
「邪教は今すぐ立ち去りなさい、アルス・プリュヴィオーズ」
「そう云うワケにはいきません」
と、詩応は引き下がらない。それに続くように、アルスは言った。
「聖女アリス。パリ中央教会、プリィ・フリュクティドールの遺伝子から生み出されたクローン……」
その言葉は、強烈な一撃となって聖女に襲い掛かる。何故そのことを知っているのか?
 「……不敬にも限度が」
「それだけじゃない。セバスチャン・メスィドールもセバスチャン・フリュクティドールのクローン。そして、ドクター・サクラ・ミヤキが、2人のデータをサン・ドニから持ち出した」
「セバスがセブの代わりに、ミヤキを追って日本に行き、何故かプリィがそれに続き、聖女アリスとセブは慌てて後を追った。シノが聞いた講演も、恐らくは来日の口実として急遽組んだに過ぎない」
と畳み掛けるアルスは、あくまでも平静を装う聖女の、透き通った蒼い瞳を睨み、問うた。
「お前の教団の中枢で、何が起きてる?」
 「……邪教に答える必要が有るとでも」
「有ります」
と、アルスの援護射撃をしたのは詩応だった。
「事と次第によっては、教団に対する風向きが大きく変わります。それも、猛烈な逆風に」
「アタシは、殉教者シア・フシミの妹。憧れ、目標だった姉が信仰していたこの太陽騎士団を、生涯信仰したい。だからこそ、この件から目を背けるワケにはいかない」
その言葉に、アルスは思い出す。そのボーイッシュな見た目と性格で忘れがちだが、本来詩応は神頼みが多い少女だと。
 敬虔な信者らしいが、姉に対する愛情と、その裏返しのコンプレックスに囚われ続けている……。それがアルスの、詩応に対して常に抱える印象だった。
 「シノ、まさか貴女が血の旅団と手を組むとはね。失望したわ」
「失望も何も、端から疫病神扱いじゃないのか?空港でシノと俺が会った瞬間から」
とアルスが言い返す。
 「そもそも、お前にとって疫病神は俺だろ?西部で太陽騎士団が劣勢、その元凶だからな」
「私はシノに言ってる。黙りなさい」
と、アリスが苛立ちを露わにしたまま制する。詩応は言った。
「アタシは、彼と手を組んだこと、間違っているとは思っていません。貴女がアタシにどれだけ失望しても、アタシはアルスの味方です」
その言葉は、アリスを更に苛立たせる。これほどに自分に立ち向かう存在は初めてだからだ。
 ……血の旅団の傀儡に堕落した、可哀想なシノを改心させたい。それが聖女としての役目。アルスを目の前に、屈してはならない戦い。
 「……シノがいたからこそ、お前らは日本でも活動を続けられる。その功績に触れず、ただ俺が味方になっただけで敵視しやがる」
「それがお前の意志なのか、お前を操る一家の方針なのか。それすら答えないと云うのは、そう云うことか」
と続けたアルスに、詩応は怪訝な表情を浮かべた。
 聖女は、教団にとってのシンボルであり最上位の階級。しかし、実態は保護者である総司祭が取り仕切っていることが多い。現に、昨年までは東部教会出身の一家がその地位に在ったが、聖女が単なるスポークスパーソンでしかなかった。そのことは、未だ18歳のアルスも見透かしていた。
 メスィドール家も例外でなければ、仮にアリスが詩応を認め、アルスに一定の容赦と歩み寄りを目論んでも、総司祭が否と言った瞬間に水泡に帰す。
「俺に答える気が無いなら、それでもいい。時間の無駄だ。……それなら、俺は俺のやり方で全てを暴く」
とだけ言ったアルスは、踵を返しながら口を開く。
 「……最後に一つ。俺はお前と、ド・ゴールのロビーですれ違った。お前は俺など眼中に無かったようだが」
「その時にいた2人の護衛。一人はセブだとして、もう一人は誰だ……?」
その滑らかなフランス語が、礼拝堂の壁に反響する。
「……邪教に答える理由は無かったな。神聖な場所を穢したな」
と、アルスは数秒置いて言った。答えなど、最初から求めていなかった。その背中で、詩応は声に力を入れた。
「……アルスは、ソレイエドールをルーツとする教団の信者として、護ろうとしています。貴女や教団を。それだけは、覚えていてください」
 ……聖女アリスにとって、アルスのことは眼中に無い。それは見ていて判る。立場上でも相容れてはいけないからだ。だが、それが大きな足枷となって、アルスから得られそうな情報を逃した。
 聖女を馬鹿にする気は無い。だが、アルスが言っていた
「教会は所詮、荘厳な檻に過ぎない」
の意味が、今の詩応には確かに判る。
 詩応が一礼して、アルスの背を追う。小さな音を立てて閉ざされた扉の手前で、聖女は溜め息をついた。

 ……私はソレイエドールの教えに敬虔な聖女。そうであることを、生まれながらに一家に要求されてきた。それに応えること、それが唯一の存在理由だとして、疑うこと無く。
 聖女に選出された時も、当然のことだと思っていた私には、何故周囲が沸いているのか判らなかった。
 だが、その少し前にやってきた1組の姉弟は私を困惑させた。私が人工的に生み出された特殊な人間だと知らされたからだ。私のオリジナルは、プリィと名乗った。だが、彼女はパリへ戻った。
 弟のオリジナルは、弟と同じ名を名乗った。そして、レンヌの教会で過ごすことになった。何故かは今も知らない。
 私の正体が、教会にとっての、そして教団にとってのトップシークレット。しかし、フリュクティドール家の2人は、自分と瓜二つの、コピーしたような存在にも優しく接した。
 優しく接することは、聖女候補として当然の振る舞い。常にそうであることを求められてきた。しかし、逆は無かった。立場上、無いことが当然だと、教えられてきた。だから、2人の態度に困惑していた。
 ……ただ同時に、今まで知らなかった感情が、無意識に芽生えるのが判った。言葉や文字の羅列ではない、リアルな愛情の感情。そして、禁断の感情……俗に言う恋も。
 聖女として排除すべき、立場上それが求められることは判っている。誰かと結ばれ、跡継ぎを残すのは未だ先の話で、それも総司祭が決めた相手と、と決まっているからだ。
 ただ、排除できない。それは、聖女として弱いことを意味している。
 ……とにかく、今はプリィを早く見つけて、フランスに連れ戻したい。彼女はパリで平和に生きるべきだ。セバスもそう、ドクターを追わず、フランスへ戻るべきなのだ……。
 シノとアルス、2人の真意は判らない。ただ、疫病神なのは間違いない。一家にとっての疫病神。しかし、禁断の生命体にとっては、或いは救世主なのか……?
 私は、突然の来訪者が羨ましかった。
「貴女がアタシにどれだけ失望しても、アタシはアルスの味方です」
と明確に言ったシノと、そう言われたアルスが。そう言える、言われるだけの結束は、敵対する教団同士の柵を超えている。立場が認めないそれが、羨ましかった。
 「……私は聖女……」
とだけ呟き、私は祭壇に正対した。

 「……寂しい奴だ」
とアルスは言った。渋谷駅へ歩きながら、先刻の礼拝堂でアリスと対した時のことを思い出していた。
「今のアリスは、総司祭の忠犬でしかない。クローンとして生まれたが故に、総司祭の座を得るための道具として、今日まで生かされてきた」
「どうして、そう言えるんだい?」
と詩応は問う。
「シノと争った時もそうだが、個人的な意見があまりにも弱い。ソレイエドールの導き、そのフレーズの下に人を諭し、改心させることには長けているだろうが、予想外の反撃に転じられると、途端に何も言わなくなる」
「あの場で、試したのかい……?」
「試すしかなかった。本当に何も知らないから言えないのか、総司祭に口止めされているから言わないのか」
と言ったアルスに、詩応は呆れと感心が混ざった表情で更に問う。
「……答えは口止め?」
「半々だな」
とアルスは答えた。
 「聖女アリスは殆ど知っている。クローンに関しては当事者だからな。ただ、教団のためにと総司祭から口止めされている、だから知らないフリをするしかない。無論、総司祭だけしか知らない情報も有るだろう。例えば、セバスを日本に送った真相」
「今の今まで行方不明状態だったんだ。ミヤキを追って渡航したのなら、アリスなり総司祭なりに随時連絡するだろ?何故スマートフォンを使わなかった?」
と続けたアルスの耳に、銃声が響いた。小さいが、確かに銃声。
「ルナ……!?」
無意識に呟いたフランス人は
「シノ、走るぞ!」
と言い、地面を蹴った。