桜井まゆり。
世界一可愛い僕の恋人。
「おはよう、ミキくん」
朝。まゆりはそう言って僕に笑いかける。
僕がおはようと返すと、クスッとからかうような笑い声。
「まだ眠そうだね。また夜更かししていたんでしょ」
悪戯っぽいまなざし。
まゆりのこの表情がとても好きだ。
どちらかといえば童顔なまゆりだけれど、この顔をしているときは俄然大人っぽく見える。
少しだけ青みがかった目が、美しくゆらめく。
ああ。可愛いな。
まゆりは今日もすごく可愛い。
黒くて長い髪も。
長いまつげに縁取られた丸い目も。
ちょっとだけ幼く聞こえる声も。
涼しげな半袖のセーラー服も。
いつも通り、なにも変わらず、とても可愛い。
まゆりは僕の最高の恋人だ───。
「………はああ、まゆり最高。ずっと見ていたいけど、学校行かなきゃ。マジで現実なんてクソだよクソ」
「私」はそうつぶやき、アプリを終了した。
まゆりの姿がスマホから消える。
現実なんて、本当にクソ。
まだまだ暑い9月の朝。
むわっとした暑さにイライラしながら通学路を歩く。
周りには同じ制服を着た女の子たちがたくさん。
朝からなにをそんなに話すのか、ぺちゃくちゃ盛り上がっている。
「でさー、この前カレシがさー」
「親にスマホ取り上げられたの。ありえなくない?」
「今度シュースタのコンサート行くの!やばい!」
ピーピー、キャーキャー
あっちこっちで耳障りなノイズ。
……ああ、うざい。
まだ学校についてないけどもう帰りたい。
家から歩いて10分くらいのところにある女子校。
私はそこの二年生だ。
ちなみにバレーボールの強豪として有名で、私もそれが理由で入学を決めた。
でも、今は
「………」
ああ、もう!
現実なんて、本当にクソでしかない。
早く家に帰りたい。
今日の夜からアプリゲームのイベントだ。
まゆりにレアアイテムをプレゼントするためにも頑張らなくちゃ。
スマホ用のゲームアプリ『ハートを教えて』。
三人いるヒロインから好きな一人を選んで、その子と仲良くなっていく恋愛ゲームだ。
多分、どちらかといえば男性向け。
でも私は女ながらにハマっていた。
ヒロインの一人『まゆり』。
彼女が私の推し。
明るくて、真面目で、ちょっとだけ天然。
ああ、本当にゲームキャラだなぁと感じる性格だが、可愛くて仕方ない。
朝起きたらアプリを起動してまゆりと会話して
家では夜寝るまでまゆりと仲良くなるためアレコレ頑張る。
そんな毎日。
暗い?きもい?寒い?
そんなこと自分が一番わかってる。
でもね今の私はこれが楽しい。一番幸せ。
現実よりもずっと素敵なんだ。
「よっしゃ!レアアイテムの誕生石のリングゲット!これでまゆりをデートに誘えるー」
夜。
自分の部屋にこもってゲームに勤しむ私。
今週は期間限定で行われる特別なゲームイベントがあり、いつも以上に燃えている。
少し苦労したけれど目当てのアイテムを手に入れることが出来た。
「よし、それじゃあさっそくー」
「未来ー!話があるの。降りてきなさーい」
「!」
ほくほくしていたら、一階から私を呼ぶ母親の声。
何だろう。
無視したいけど、後々面倒だし。
「はーい……」
ため息をつきながら部屋を出た。
………約一時間後
「わかった。それなら私バイトする。自分で携帯代払えば文句ないんでしょ!?」
私はそう叫んでいた。
なぜそうなったかといえば……
ダイニングに行くと、普段はあまり私に構わない父親が難しい顔して座っていて
目の前のテーブルには数枚の紙が置かれていた。
ここ数ヶ月の携帯電話使用料金をプリントアウトしたものだ。
それを見た瞬間、どうして呼ばれたかすぐに理解できた。
父は私を自分の向かいに座らせ、小さく息をはいてから話し始めた。
「未来。おまえ、最近ずいぶん携帯を使っているみたいだな」
指し示す携帯料金。
めちゃくちゃ高額……というほどではないが、確かに学生が携帯に使うには多いと思う。
原因はもちろんゲーム。課金だ。
まゆりのゲームは基本的に無料だが、アイテムなどに有料のものがある。
別にアイテムを買わなくてもいいのだが、購入した方がゲームを進めやすかったり、まゆりの特別なシナリオが読めたりする。
「…ごめんなさい。これから気を付けます」
反抗しても面倒なだけなので素直に謝っておく。
使いすぎたのは事実なのだし。
でも父親の話はこれで終わらなかった。
「そもそも、こんなに何に使っているんだ。なにか変なものを買ったりしていないだろうな」
…う。
つっこんでくるのか。
「別に。ちょっとゲームとか……少しだけ」
「ゲーム?お前いつも部屋にこもってそんなことばかりやってるのか」
「そんなことって…」
有無を言わせない父親の強い口調にムッとしてしまう。
母は黙って父の言動を見ているだけだ。
「未来……そろそろきちんとしたらどうだ?」
「き、きちんとってなに?まるで私がちゃんとしてないみたいじゃない」
「その通りだろう。学校から帰ったら部屋にこもってゲーム三昧。それも親の金でだ。
周りの人たちのように勉強なり課外活動なりに打ち込んだり出来ないのか?まあ、バレーボールのことは残念だったが……」
「───!」
次の瞬間。
私は立ち上がり、叫んでいた。
「わかった。それなら私バイトする。自分で携帯代払えば文句ないんでしょ!?」
……と、いうわけなのだ。
私は近所のコンビニでバイトすることになった。
思っていたよりもすんなりバイトが決まり、ホッとしたような面倒なような。
バイトは週三回で夜八時まで。
あー、その時間でゲームしたい。まゆりに会いたい。
自分で言い出したこととは言え憂鬱だった。
***
「辰己 未来です。よろしくお願いします」
バイト初日。
コンビニの制服に着替え、軽く説明を受けてから、即行でレジに入らされる。
基本的に仕事はやりながら覚えるようだ。
……とはいうものの、しばらくは先輩のアルバイトさんが私についてくれることになっている。
その先輩は私と同い年くらいの男の子。
明るめの茶髪に、ややつり目の三白眼。
スラッとした細身でかなり背が高い。
「……はあ、どうも。真由理 京っス」
ペコリと小さくお辞儀をする。
ぼんやりした表情。いかにも面倒くさげ。
私に言う資格はないだろうが、ずいぶん無愛想な人だ。
……いやそんなことより。
まゆり!?
こんなところで最愛の名前を聞くなんて