遂にこの日が来てしまった。
昨日まで眺めていたカレンダーとはお別れだ。
月末までオンライン研修と書きこまれたそれを、そうっとめくる。
新たなスタート地点がそこにあった。

「今日からは強制出社かあ」

お茶碗半分のご飯をなんとかインスタント味噌汁で流し込んだ胃をさする。
緊張しすぎて食べられなくなってしまう体質はどうにもならない。
貧血で倒れませんように、とカーテンの隙間から漏れる朝日にお祈りしようとして、まだ開けきっていないことに気がついた。
オンライン研修のために新調した、無駄に爽やかさに溢れるカーテンよ、今日までよくぞ壁紙になってくれた。
できるならキミと共に社会人生活を送っていきたかったけれど、やっぱりフルリモートは夢のまた夢みたい。

シュッと勢いよくカーテンを引いて朝日を浴びる。容赦なく射し込む眩しさに目を細めたら、ほとんど瞑ってしまった。

「まぶしっ」

眉間のシワを指で揉みほぐしつつ、鏡の前で自分と向き直る。
髪型よし、服よし、化粧よし、笑顔……

「えい」

両手の人差し指で頬を吊り上げる。
これがにらめっこなら確実に勝てる自信はあるが、求められているのはこの笑顔じゃない。

「ふ、ふへ……む、にゅう……」

福笑いのモデルならオファーが来ただろうな、と我ながら冷めた見方をする自分の顔面は、チベットスナギツネの方が愛嬌があると言われても仕方ない。

「よく面接で通ったよなあ……あ、そうか面接の要領か」

どこからも内定が貰えなかったらどうしよう、と胃の奥にいつも漬物石が陣取っていたあの重苦しさの中、なんとか捻り出した笑顔を思い出す。
心から笑う必要はないのだ。ポーズだけでいい。
そう自分に言い聞かせながら口角を上げると、チベットスナギツネよりは親しみやすさが上がる顔になった。

「あー……でもまあ、マスクで隠れるからな。いいや」

マスクケースが目に入った途端、現実を思い出して、せっかく上げた口角が急降下した。
世界じゅうに混乱をもたらした未知の感染症は、いまだ油断を許してくれない執念深さで地球をぐるりと絞めつけている。
そんな中でも、人間万事塞翁が馬とはよくいったもので、マスク生活は終わりなき肌荒れと引き替えに無条件で顔を隠せる大義名分を与えてくれた。