見るからに強力な重火器を装備する戦士は、顔もヘルメットで覆っている。防御力は高そうだ。それは逃げようとする2体を軽々と射殺し、マシンガンを手に2人のシスターの前に立ちはだかる。
 ……これはゲームだから、ロストしても死ぬことは無い。だから心置きなく立ち向かえる。そう思った2人に銃口が向く。
「……目的が殺戮だけなら……」
と呟いた流雫の隣で、澪が言う。
「詩応さん、あたしが囮に!」
詩応は
「ああ」
とだけ返した。
 流雫は詩応と比べて足が遅い。しかし、彼女は流雫を厄介に思っている。上下運動に長けているからだ。初級程度のパルクールでも、スピードが伴っていれば十分撹乱できる。そうやって敵の冷静さを奪い、勝ってきた。
 ゲームでは運動能力差は一切無いが、パラメータで調整している。詩応は戦闘力重視の一方、澪はややスピード重視。全ては2人でコンビを組む前提だ。
 碧きシスターがレーザーガンを構えながら動くと、敵の銃口も追従する。
「こっちよ……」
と画面上の動きを凝視する澪が呟いた瞬間、銃口が火を噴いた。
 乱れ飛ぶ弾丸がミスティに刺さる。
「澪!」
詩応は思わず声を上げる。澪は、自分のアバターに出てくる赤い数字を全て呟き、更に飛んでくる銃弾を避けていく。
 流雫は咄嗟に、その数字を小さなノートに書き始めた。
 ドローイングペンから吐き出される黒インクで並ぶ数列は、上下を繰り返しながらも次第に数値が増えていく。流雫は小さな数字を書き足し、
「加速度的に増えていくのか……」
と呟く。2つの数字を起点に、交互に数字が増えていく。体力が減れば減るほど、一発のダメージが重くなる仕様か……。
 澪は試していた。体力の減り方がどうなのか。特に乱射は同じ武器を使うだけに、一定の範囲内でのランダムだろうと思った。だが、違った。そして流雫はその法則に辿り着いた。
「あと2発……」
と言った流雫は、しかし碧きシスターが斃れるとは思っていなかった。

 グレーのアバターが紅きシスターに背を向けた瞬間、フレアはがら空きの背後に飛び込みながらマシンガンを撃つ。絶え間ない銃声と同時に、少しずつ相手の体力が削れていくのがゲージの動きで判る。
 しかし弾数も瞬く間に減り、残り数発だけになる。加速度的に増すダメージの影響で敵の体力は残り僅かだが、肉弾戦では勝ち目が無い。
「伏見さん!突き飛ばして!」
流雫が口を挟む。
 隣に澪の恋人がいるのは判っていた詩応、その意志に従うアバターが銃身と足で敵を突き飛ばす。その瞬間、敵の標的が変わる。やや大きめのアバターがフレアに正対した瞬間、ミスティが動いた。
 碧きシスターのレーザーガンが閃光を放ち、同時にフレアが敵の弾丸を受け止めながら、残りの弾丸を集中させる。
 華麗な、しかしごく基本的な挟み撃ちの戦略に翻弄された敵の体力ゲージはゼロになり、その場に倒れる。
 ハンティングを食い止めたのが、最低レベルどころか始めてたった数分の2人。しかも、自らを盾にしながらの完璧なコンビネーションで。居合わせたユーザは驚くと云うより、唖然としていた。
「ふぅ……」
と画面から目を離し、安堵した澪。詩応は
「ゲームなのに汗かく……」
と続く。薄氷の勝利の余韻は、僅かに鼓動が早くなるほどの緊張感だった。所詮ゲームとは云え、アバターを初戦ロストしなくて済んだ。
 その隣で流雫は、表示される敵の名前とIDを白い紙面に綴ると、スマートフォンを出してEXCをダウンロードする。
「助かったよ、流雫」
「ゲームとは云え、殺されるのはね」
と流雫は答える。流雫らしい答えだと詩応は思った。
 そのうちにダウンロードが終わると、アカウント登録を一気に済ませる。しかし、アバター作成はせず、ID検索機能を開く。
 アカウントさえ持っていれば、専用のSNS機能が使える。その一環でIDを検索できるのだ。その機能を先刻サイトで知った、だからEXCに手を付けただけのこと。プレイしようとは思わない。
 流雫が先刻書いたIDを入力すると、今のIDでプレイヤーが出てきた。だが、その下に表示されているアバターの外見は、たった今澪と詩応が斃したものとは全く違う上に、最後にサーバにアクセスしていたのは30分前だと表示されている。つまり、ログアウトして30分が経っている。
 ……澪と詩応が戦って5分も経っていない。それに、アバターの外見上の変更はSNSにも即時反映されると記載されている。ログアウトしたままプレイすることは有り得ない。
「今斃したの……NPC……?」
と呟いた流雫は、ふと先刻目にした投稿を思い出した。
「まさか……」
流雫はアプリを切り替え、あの投稿を探し、アイコンをタップする。
 SNSのIDこそ違うが、アバターはミスティの眼前で息絶え、消滅したものと酷似している。それが別のアバターの死骸の前に立っていた。更に投稿を遡った後
で、流雫は
「……澪……今の敵……ロストされたアバターだ……」
と言った。
 「……ロストって……?」
「元の持ち主は一度ロストし、別の外見のアバターを作成した。でも、後にそいつに殺されてる。先刻のIDとSNSの投稿が一致してる」
と答えた流雫は、問題の投稿を何枚かスクリーンショットで記録した。何かの時の証拠になるからだ。
 「……じゃあ、アレは何なんだい……?」
と詩応の声がスピーカー越しに届く。……何なのか、僕が知りたい。そう思いながら
「ゴーストなのかな……」
とだけ言った流雫がEXCのアプリを切る、と同時にスマートフォンが鳴った。アルスとは別のフランス人からだ。
「ルナ!」
と名を呼ぶ声。男としては高めだ。
「ミーティア、どうしたの?」
とフランス語で問う流雫。
 ミーティア・クラージュ。流雫の母アスタナ・クラージュの実家は、フランス西部の都市ル・マンに隣接するコミューン、ミュルサンヌに建つ。
 そこに住む12歳の少年。流雫の従兄弟だ。1年に一度しか会えないからか、流雫によく懐く。
「ルナはEXC、知ってる?」
「名前だけはね。今日フランス語版リリースだっけ?」
「うん。僕、あと3年待たないとできないんだけど」
とミーティアは言う。人を撃つ描写とMMOの特性上、15歳以上と云う制限が有る。中には年齢を偽ってプレイする連中もいるが、律儀だ。
 流雫は、ミーティアとは他愛ない話をした。今から出掛けるらしく、数分だけだったが、可愛い従兄弟だと熟々思う。
 流雫にとっての母国語は、EXCからログアウトしたばかりの澪には全く判らない。だが、その口調からは年が離れた兄弟のように聞こえる。澪は思わず微笑む。
「時々プレイするぐらいが、ちょうどいいかな」
と詩応は言う。そもそも、ゲームにハマるだけの時間は無い。
「そう思います」
と澪は続いた。

 プレイに一区切りを付け、ゲーミングPCから目を離した悠陽は、スマートフォンからSNSに目を通す。
 ハンティングを2人のシスターが止めた。その片方が、昼間インビテを送った少女なのは、登録通知から見られるプロフィールとの照合で判った。
 悠陽も同じようにハンティングを返り討ちにしたことが有る。見ず知らずのアバターで、その時は薄氷の勝利だった。それと同じことが起きている……?
 インビテを送ったのは、ただ一緒に遊べればよかったからだ。ただ、今は彼女に期待しようとしている。今の自分にとって唯一の居場所での救世主として。
「明日会える?」
と私信を打つ悠陽。肯定的な返事が届いたのは、1分後のことだった。

 「池袋に10時」
と手帳に書いた澪の隣で、流雫はEXCについて軽く調べていた。
 配信元はUAC。大手レコード会社傘下のコンテンツ配給を専門とし、エグゼコードの企画を立ち上げたことでも知られる。
 一方の開発元はエクシスJP。ゲーム開発はエグゼコードシリーズが初めてだが、元々クラウド系のグループウェアに強く、そのノウハウからEXCのオペレーションも任されている。
 その双方のEXC関連サイトやSNSを見てみたが、ハンティングについては言及されていない。問題無いと思っているのか、把握していないだけなのか。
 全ては無関係だと思っているが、そうではないと云う予感も脳を過る。だが、それは明日。今は恋人との穏やかな時間を過ごすだけだ。
 2人の恋愛を火に例えれば、静かに、しかし確かに燃え続けるキャンドル。一緒にいられなくても、互いの存在を感じていられるだけで、何にも屈しないだけの強さが宿る。
 少しだけ甘えて誘う澪の唇に、流雫の唇が触れた。

 翌朝10時。数分前に池袋駅に着いた2人を悠陽が出迎える。今日もコスプレするが、昼過ぎから。午前中は時間が有り、一先ずカフェに入る。
「……澪がハンティングを倒したことは知ってるわ」
と悠陽は切り出す。
「隣で流雫がアドバイスしたから、勝てたようなもので……」
と澪は言葉を返す。間違ってはいない。
 「ロストしたアバターが何故か生き返った。誰も触れないハズなのに」
「誰が操って……」
「システムのバグ……?」
と澪は言う。それしか思いつかない。
「ロストしてもデータは残されてる?」
「プレイ履歴や統計のためにデータを残すけど、アバターそのものまで残してる……?」
「だとすると、そのアバターが突然動き出した。まるでゾンビのように」
と流雫が言うと、澪は
「……悠陽さん。悠陽さんが倒したアバターのID、判ります?」
と続く。流雫は咄嗟にノートを開き、悠陽から見せられたIDを書き写すと、EXCを起動させた。
 SNS機能でIDを検索し、過去の投稿を遡り、気になる部分を書き出す。そして昨日のIDにもアクセスする。
 ……共通項は有った。強いことは強いのだが、以前からチート行為が多く、注意喚起が出回っていた。
「……だからロストしたアバターがゾンビ化する……」
と流雫は言う。
「ゾンビ化?」
と問う澪に、流雫は答えた。
「ゾンビの起源だよ」

 フォークロアの範疇だが、ゾンビを信仰上の道具とする宗教が海外に有る。死者の魂が冥府から呼び戻され、肉体が再び動き出すとされているのだ。
 呼び戻す儀式を執り行うのは僧侶で、ゾンビはその奴隷として強制労働させられる。それは同時に、生前の罪に対する罰や社会的制裁の意味合いも強い。
 アルスはフランス発の教団に属する信者で、それ故宗教や民間信仰に詳しい。その彼から学んだものの一つが、生きる死者だった。
 「チートに対する制裁として、ロストしたアバターを復活させる……但し元の持ち主の手が入らないNPCとして」
と言った流雫に、澪が続く。
「まさか」
 「PvPを使ったハンティング、アバター狩り。表示させたIDを危険なユーザと認識させ、孤立化を引き起こす。そのために復活させるとすれば……」
「……NPCじゃなく、中の人がそう装っているんじゃ……」
と悠陽は言う。
「ゲームマスターが完全AIだからって、そこまでできるかな?」
「AIならできそうな気がするけど……」
と流雫は言った。ただ、今この場で交わされるやり取りは全て妄想の範疇でしかない。
 スマートフォンの画面に映るバーチャルなMMOの世界で、何が起きているのか。ゲームをしないとは云え、最早無関係ではいられない。