千鳥桜は、夢を見ていた。
最後の夢の舞台は、やはりあの神社だった。
桜の蒼ざめた瞳には、まるでカメラを切ったときのようなフラッシュとともに映像が弾ける。
大きな注連縄に、紫陽花の花が浮かんだ手水舎。大銀杏に、能舞台。
それから――大きな桜の木。
神社の入り口にある鳥居には、紫之宮神社という文字がある。
鳥居をくぐり、参道を抜けた桜はまっすぐ桜の木へ向かう。そこには、人影があった。高校生くらいの少年だ。
桜の、大好きなひとだった。
『汐風くん!』
桜がそのひとの名前を呼ぶと、汐風の影が太陽の下に浮かび上がる。鮮明になった汐風の顔に、みるみる笑顔が広がっていく。
『桜!』
名前を呼ばれ、桜は彼の元へ駆け出す。
駆け寄った桜に、汐風は遅いよ、と文句を垂れる。桜はごめんと笑いながら、周囲を見た。
『ねぇ、ネコ太郎は?』
桜が訊ねると汐風は、背後の能舞台を振り返った。
『あそこだよ』
汐風が指を指した先には、小さな黒猫がいた。ネコ太郎である。
桜は元気よく駆け寄り、ネコ太郎をひょいと抱き上げる。仔猫の抱きかたも、すっかり慣れたものだ。
『可愛い〜!』
桜は悶絶しながらネコ太郎のお腹に顔を埋めた。
『それより、みんなはまだ?』
汐風が言ったそのときだった。
『おまたせー』
境内に、桜によく似た声が響いた。
『お姉ちゃん!』
桜はネコ太郎を抱きかかえたまま、今度はやってきた少女に駆け寄った。桜によく似た女の子。可愛らしい、花のような可憐な女の子だ。
桜の姉、夢である。夢は鮮やかなオレンジ色のワンピースを着ていた。桜の白いワンピースと形が似ている。以前、蝶々と三人で買い物に行ったときにおそろいで買ったものだった。
『遅いよ!』
『ごめんって』
桜は汐風とした似たような会話を夢と繰り返しながらも、嬉しさを堪えられずに笑った。さらに夢の背後には、すらりとした女性がふたり立っていた。
『先生!』
ひとりは、蝶々だった。桜と汐風は、蝶々のとなりに佇むもうひとりの女性に目を向ける。
ボブヘアの女性だ。蝶々と比べると目元の皺が少し目立つが、きれいなひとだ。
『あれっ? 風花さん!』
今度は夢のほうが懐っこい笑みを浮かべて、風花と呼んだ女性に駆け寄った。
風花は蝶々の親友だ。蝶々の中学時代からの親友で、現在は彼女と同じ研究施設で働いている。といっても彼女は事務なので、桜は会ったことがなかったが。だが、蝶々の話によく出てくる人物なので名前は知っていた。
『もしかして、今日はお仕事お休みなんですか?』
夢が訊く。
『そうなの。さっき神社の入り口でたまたま居合わせてね――もしかして、あなたが桜ちゃん?』
夢の背後に隠れていた桜に、風花が優しく声をかける。桜は少し恥ずかしそうにしながらも、こくりと頷いた。
『はじめまして、桜ちゃん』
『……こんにちは』
すると、桜の様子を見た夢が笑った。
『なーに。桜ったら、緊張してるの?』
『しっ……してないよ!』
夢に笑われ、桜はムッとした顔をした。その顔を見た夢がさらに笑う。
『そうだ! お休みなら風花さんもいっしょに行きましょ!』
『えっ、でも、いいの?』
風花は申し訳なさそうに微笑みながら、蝶々と目を合わせる。
『いいね、それ! どうせ風花、ひまでしょ?』
『ひどいな。ひまじゃないってば!』
『あら、そう?』
『……でも、そういうことならお邪魔しようかな』
蝶々と風花が楽しげに話している姿を見ながら、夢が言った。
『先生、楽しそうだね』
桜は蝶々と風花を見つめたまま、うん、と頷いた。
風花と会話をする蝶々は、まるで少女のように無邪気だった。
そのあとすぐに、涼太と彩もやってきた。続けて、凪もやってくる。
普段は静謐な神社があっという間に騒がしく、カラフルに色付く。
『さて、そろったね!』と、汐風が言う。となりで桜も頷いた。
『うん、そろった』
『今日はどこ行く?』
『はい! 俺、遊園地がいい!』と、すかさず涼太が言う。
『私はショッピング!』
『前に汐風くんと行ったカフェにもまた行きたいなぁ』
続けて彩と桜が負けじと提案する。
栃木に来るのが初めてである凪は、『なんだよ、それー! そんなこと言われたら、俺はどれもぜんぶ行きてーよ!』と騒ぎ出す。
収集がつかなくなってきた。女子陣は困ったように笑っている。
『じゃあ分かった。順番にぜんぶ行こう』
汐風はそう言って、桜の手を取る。もう片方の桜の手を、夢が握った。
『うん、そうしよう』
『どこからがいい? 桜』
夢は、笑顔で妹に問いかける。
『うーんと、じゃあ……』
遠くで波の音がする。汐風に包まれた夜の静寂の片隅。
桜は、大好きなひとたちと笑い合う夢の途中で、安らかに旅立った。