尻手駅を越えて最初の大きな交差点を右折すると第二京浜に入る。土曜の夜だが意外に道は混んでいない。車を買ってまだ日は浅いが、さすがに自分のマンションから第二京浜に入るくらいはナビを見なくても行けるようになった。
 赤崎直樹は電子部品メーカーで半導体の開発部に所属しているエンジニアだ。大学院を出て、入社六年目。女性と二人でデートらしいことをしたのは学部時代、もう十年近く前のことになる。
 そもそも今夜の約束はデートなのだろうか。誘ったのは赤崎ではなく、木下の方だ。木下が一体どういうつもりで誘ってきたのか、赤崎には皆目見当がつかない。約束してから一週間、ずっと考え続けてきたが全く分からない。
 木下美穂は入社四年目で赤崎と同じ部署で働く後輩エンジニアだ。真面目で丁寧な仕事ぶりで、部内に彼女のことを悪く言う者はいない。容姿も派手さはないがいつも穏やかに笑みを浮かべているおしとやかな雰囲気で、おそらく別の会社、あるいは今の会社でも違う部署ならばとっくに男性から声がかかっていただろう。いかんせん、今の開発部の独身男性は赤崎も含めて堅物のエンジニアが多く、赤崎が知る限り、これまで部内で浮いた話が出たことはない。
 しかし、赤崎は木下が開発部に配属されて以来、ずっと密かに思いを寄せていた。ただ思いを寄せるだけで、何のアクションも起こさないまま四年が過ぎていたが、まさか突然、その木下と二人きりで、真夜中の公園で星空を眺めることになるとは思ってもいなかった。
 木下と待ち合わせしている桜木町駅まで車を走らせている間、赤崎の心の中では期待よりもむしろ不安が広がってきている。不安に思う理由の一つは木下の意図が分からないことだが、一番の不安はいきなり最初のデートが深夜の公園になったことだ。二人きりで話したことなんか一回もない。それなのにこれから何時間か、夜の公園で彼女と二人きりになる。目の前に広がるのは、ただ真っ暗な海と星空だけだ。初デートにしては難易度が高すぎる。
 そもそも彼女は深夜に男と二人きりで心配じゃないのだろうか?でも誘ったのは赤崎じゃない。木下の方だ。彼女が、真夜中に流れ星を一緒に見たいです、と赤崎に言ってきたのだ。
 これはつまり、彼女は俺に気があるということなのか?まともに話をしたこともないし、容姿も人並みくらいかそれ以下の俺を好きになる理由なんてどう考えても思いつかないけど、でもそういうことなのか?そうだとして、じゃあもしかして今夜うまくいきすぎたらどうしよう。いきなり深夜の公園で雰囲気が盛り上がったりしたらどうしよう。手を握っちゃっていいのか?なんならもう、キスしちゃってもいいのか?
 。。。中学生かよ。赤崎は自分で自分に突っ込みを入れながら横目でナビを確認した。あと五分もしたら桜木町駅の前だ。不安な気持ちが後悔に変わっていく。俺は女の子と夜の公園でいきなりデートするような柄じゃない。取り柄と言えば真面目なことくらいで、自分で言うのもなんだが面白みのない男だ。一夜を一緒に過ごしてがっかりさせるくらいなら、遠くから見ていた方がましだったのに。赤崎は今すぐUターンしてマンションに帰りたくなる衝動を必死で抑えて、左車線に移った。

 きっかけは、先週の部内での飲み会だった。酒に強い方ではなく、人と話すのもそれほど好きな方ではない赤崎にとって、開発部全体の飲み会なんかストレス以外の何物でもない。かといってみんなが出る飲み会を欠席するほどの勇気もないので、しぶしぶ参加している。だから先週の飲み会も憂鬱な気持ちで時間ギリギリに店に入ったら、運の悪いことに主任の真鍋の前しか席が空いていなかった。しゃべり好き、遠慮がない、声が大きい。あらゆる面から見て赤崎とは正反対の人間だ。
「そうだ、赤崎!お前、車、買ったんだって?」
 誰に聞いたのか、耳が早い。納車されたのはつい二週間前だ。
「何だよ、ついに彼女でもできたか!よっ、おめでとう!」
 飲み会が始まってまだ三十分も経ってないのにもう出来上がってるのか。でかい声で、口から出まかせを言うのはやめてくれ。
 赤崎は、いや違いますよ、と小さな声で否定する。入社して六年、仕事が忙しかったこともあって、もらった給料は生活費以外にほとんど使っていなかった。気が付けば会社と自宅の往復しかしていない生活のリズムを強制的にでも変えようと思って、赤崎はほとんど衝動的に車を買った。車そのものに興味があるわけでもないので、買ったのは五十万円もしない中古の軽自動車だ。
 じゃあなんで急に車なんか買ったんだよ、と絡んでくる真鍋に、生活のリズムを変えたいとか、まともに説明するのも面倒くさい。
「星でも見に行こうかって思いまして」
 真鍋を含めて、周りにいたエンジニアたちがどっと吹き出した。半分冗談だが、半分本気でもある。赤崎は大学の専攻は現実を見据えて電気工学にしたが、子供のときは天文学者になりたかった。今でも、たまに星空を見るとほっとする。
「来週、ペルセウス座流星群が最盛期になるから、夜中とかめっちゃ流れ星、見えるんですよ」
「ううっ、三十にもなる男が、一人で真夜中に流れ星を見に行くのかぁ、泣けるなぁ。お星さまにちゃんと願いを伝えてくるんだぞ、直樹くん」
 そう大げさに言った後、真鍋は近くに座っていた木下に声をかけた。
「美穂ちゃん、かわいそうな赤崎に付き合ってやってくんない?この年で、一人で流れ星、見に行くんだってよ」
 木下は、私でいいんですか?と笑いながら軽くかわして、そしてこの会話は終わった。
 飲み会が終わって赤崎がトイレから帰ると、たまたまエレベーターの前には木下しかいなかった。ほどなくエレベーターが来て、二人で乗り込む。思いがけない二人きりの状況だ。もちろん気の利くことなど何も言えない赤崎が半ばフリーズしているところに、木下がびっくりすることを言ってきた。
「あの、流れ星、本当に連れて行ってもらえませんか?」
 えっ、ほんとに言ってる?赤崎は半信半疑で聞き返す。
「ほんとです、流れ星、一緒に見たいです」
 木下は赤崎をまっすぐに見て、はっきりとした口調でそう言った。いつものおっとりした口調に慣れている赤崎がたじろぐくらいの強い口調だ。
「一番よく見えるのって、真夜中になるよ」
「ぜひ、夜中に見たいです」
 二人で長い間話していると完全に出来上がっている真鍋がまた大声で絡んでくるかもしれないので、赤崎は慌てて木下と流れ星を見る打ち合わせをした。ペルセウス座流星群の本当の最盛期は、来週の日曜から月曜の夜中だ。でもそれだと、翌日の仕事に支障が出るので、その前日、土曜の夜中に見ることにする。場所は湘南海岸公園。見ごろは午前十二時くらいからなので、夜の十時に木下の家から近い桜木町で待ち合わせ。
 それ以来、赤崎は木下とこれといった会話をしていない。昨日の夕方、木下が赤崎の机に来て、明日よろしくお願いします、と言ってきたくらいだ。
 純粋に流れ星が見たいのかな、とも思う。でも、そうだったら、友達とでも行けばいいし、家からでも見えないわけでもない。一緒に見たい、っていうからには、何かあるのかな。俺と見たい、のかな。この一週間、ぐるぐると考えてきたことをまた繰り返し考えながら、赤崎は桜木町二丁目の交差点を左に曲がった。すぐそこに木下が立っているはずだ。不安と緊張と後悔でついに吐き気を催してきた。

 やった。
 やっと、この日が来た。念願の流れ星を見に行ける。美容室に置いてあった雑誌であの記事を見てから、真夜中に降るほどの流れ星が見たいってずっと思ってた。
 ペルセウス座流星群、なんて舌を噛みそうになる言葉、去年までは全然知らなかったけど今年はその最盛期が今週末だってこともだいぶ前から知ってた。なんとしてでも見に行きたかったけど、女一人で真夜中の公園に行くわけにいかないし、友達をそんなところに誘うわけにもいかないし、どうしようって思ってた。まさか、先輩の赤崎さんの口から「ペルセウス座流星群」の言葉が出るなんて思ってもいなかった。
 ラッキー。このチャンスは逃せない。
 だから、自分から男の人を誘ったことなんて一度もないのに、あの日飲み会のあと、トイレに行った赤崎さんを待ち伏せして流れ星を見に連れて行ってもらう約束を取り付けた。赤崎さん、おとなしいけどすごく優しいから、私が言ったら絶対連れて行ってくれるって思ってた。
 優斗くん。私の大事な優斗くん。いつもステージでキラキラ輝いている、私の王子さま。私の全て。
 彼に出会ってから五年くらい、自分の時間もお金も全部彼に使ってきた。聞く音楽も優斗くんのグループのものだけだし、映画やドラマも優斗くんが出るものだけ。週末にイベントがあれば、大阪だろうが名古屋だろうが福岡だろうがどこでも遠征してきた。会えない時も彼のことを考えるだけで幸せだったのに、去年、あのことを聞いてからずっとモヤモヤしてる。
 あんなにかっこいいから、いくらアイドルだからといっても、彼女の一人や二人はできても仕方がないとは頭では分かってた。でも、実際に週刊誌にあの話が出たら、許せなかった。
 ううん、他の女性ならこんな風にはならなかった、はず。女優さんとかだったら、おめでとうって思えた、はず。わかんないけど。
 でも、あの女は許せない。
 小森桃花。
 いつも口をポカーンと開けたバカみたいな顔で、グラビアにばっか載ってる女。別にかわいくもなんともない。あれだったら、私のほうがかわいい。多分。
 胸が大きいだけじゃん。Gカップなだけじゃん。ただ、それだけじゃん。
 それがよかったのかな、優斗くん。。。
 ともかく、あの子はだめ。あんな子に優斗くんを渡せない。
 だから。
 呪ってやる。
 あの雑誌に書いてた。「流れ星が見える真夜中に、できるだけ多くの流れ星に、あなたの恨みを込めましょう。きっとその思いは呪いとなって、その相手に災いを起こします」
 なんだか知らないけど、この方法、すごく気に入ったの。普通ならロマンティックって思う流れ星に、恨みを込める、っていうところがリアルで。流れ星なんかちゃんと見たことないけど、絶対この方法ならうまくいく。あの女に私の呪いが伝わる。直感で、そう確信した。
 やっと今日、流れ星を見ることができる。きっと、降るほどに見えるはず。
 呪ってやる。

 湘南海岸公園は、思っていたより、はるかに空いていた。夏休みの夜中だから、流れ星需要がなくても、結構人がいるのかと赤崎は思っていたが、案外、人は少ない。
 階段状になっているコンクリートに二人は並んで座った。座る前に赤崎はコンクリートの上にハンカチを敷いた。木下はジーパンだったのでハンカチを敷くなんてかえってやり過ぎかなとも思ったが、そのつもりで準備してきたので一応敷いてみた。すいません、と木下が軽く頭を下げる。
 しばらく座っているうちに、「え、こんなに流れ星って見えるんですか」と木下が驚いた声を出した。確かに、赤崎も思っていた以上だと思う。目が慣れるまでは、そんなに見えなかったが、十分くらいして目が慣れてくると、一分に一個くらい見えている気がする。
 黙って見ていても十分に楽しい。でも、ずっと黙っているわけにもいかないから、軽く雑談でも始めてみる。「軽い雑談」は赤崎が一番苦手にしていることだが仕方ない。
「あ、あの、木下さんって休みの日は何をしてるの?」
 事前に色々考えた中で、一番無難そうな話だ。
「え、特に何も。音楽を聴いたり、映画を見たりとか」
「あー、そうなんだ」
 いきなり困った。赤崎は音楽にも映画にもほとんど興味がない。どんな音楽、と聞いたところで知らない人やグループの名前を言われても話は続かない。この話はやめよう。自分が車を買ったときに、連休には車で一人旅でもしようかなって思っていたので、旅行の話でも聞いてみる。
「連休があったりしたら、旅行とかする?」
「旅行ですか。日帰りだったら時々」
「温泉とか?」
「いえ、大阪とか名古屋とかに深夜バスで」
 大阪に深夜バスで日帰り?出張みたいだな。なんかこれもあまり話が広がりそうもない。やっぱり苦手なことを無理にやっても仕方がないので、星座の話を放り込んでみる。小学校以来の得意分野だ。
「あの明るいのが七夕の織姫でこと座。その下にある明るいのが七夕の彦星でわし座。こと座の横にあるのがはくちょう座で、つなぐと夏の大三角形」
 そうなんですね、と軽く返事を返すだけで、木下はあまり星座の話には乗ってこない。そうだよな、星座の話なんて、天文マニアくらいしか興味ないよな。一応、この無関心は赤崎の想定内だ。
 ちらりと木下を見ると、でも、流れ星自体は一生懸命見ている。
「あんまり一点を見つめずに、気楽に大きく空を見た方が、見つけやすいと思うよ」
 赤崎がアドバイスすると、木下はそのアドバイスにはすごく食いついてくる。ありがとうございます、大きく見るんですね、と言いながら、のけ反るようにして夜空を見ている。必死で見てる、って感じだ。そんなに流れ星が見たかったのか。
 でも、しばらく無言が続くと、また、黙って流れ星を見てるだけでいいのかなと気になってくる。赤崎はここで、仕込んできた神話の話を始めてみた。
「あそこに見えること座、っていうのは、死んだ奥さんを天国に探しに行った音楽家が結局失敗して、川に流された琴をギリシア神話で一番偉いゼウスが星座にしたんだよね」
 そうですか、と言うだけで、木下は乗ってこない。そうだよな、この話、面白くないもんな。赤崎は別の話をしてみる。
「あそこのはくちょう座っていうのは、そのゼウスが白鳥に化けた姿なんだ。ゼウスが好きな女性に近づくために、きれいな白鳥に化けて、その女性がきれいだなと思ってその白鳥を招き寄せたチャンスに、いきなり元の姿に戻ってその女性をモノにしたんだって。それで出来たのがふたご座のモデルになった二人の子供」
 この話はどうだろう。赤崎はちらっと横を見る。
 えっ、なんで?
 赤崎はぎょっとした。
 鬼の形相だ。
 横に座る木下が、見たことがない恐ろしい顔で、星空をにらみつけている。
 慌てて、見なかったことにしようと前を向き直した赤崎は、どうして木下がそんな顔になってるのか、必死に考えた。
 モノにした、とか、そんな下品な話がまずかったか?俺のこと、警戒しちゃったかな。やばい、もっと何かロマンティックな話はなかったっけ。
 もう、赤崎は流れ星を見るどころではなくなっていた。

 ううぅ、死ねえぇぇ、こもりぃぃ。
 よし、さっきの流れ星には確実に恨みを込められたはず。こんなにいっぱい流れ星が見れるなんて思わなかったけど、タイミングよく念を送るのって結構難しい。
 でも。
 なんか、実は気持ちが折れそうなの。流れ星ってこんなにきれいなんだ。知らなかった。こんなにきれいな流れ星を見ながら誰かを呪うって、なんかおかしい。あんな女のことなんか考えたくもなくなる。流れ星がないときでも星が空から降りそうに輝いていて、ずっとモヤモヤしていた心がすーっと穏やかになっていく気がする。あの女を呪ったりしてなかったらもっと穏やかな気持ちになれるのに。
 横で赤崎さんが、星座の話や、それにまつわる神話の話を一生懸命してくれてる。お願いだからやめてほしい。それも気持ちが折れそうになる理由。赤崎さん、入社した時からずっと私に優しくて、プロジェクトが一緒になると一人でこっそり喜んだりしてた。今日もやっぱり赤崎さんは優しい。でも今の私のどす黒い気持ちを知ったら、きっと赤崎さん、ドン引きするはず。どうか私がやってることがバレませんように。
 あ、また流れ星。
 ううぅ、胸、小さくなれぇぇ、こもりぃぃ。
 
 赤崎は、必死でロマンティックな神話を思い出そうとする。時々ちらっと横を見ると、木下が思いっきり反り返りながら夜叉の顔をして空をにらみつけている。怖い。焦りが募る。
 ふと視線を前に移すと、黒い服らしいものを着た人間が一人で近づいてきた。誰も座ってないスペースは周りにいっぱいあるのに、わざわざ、赤崎たちの方に歩いてくるのは不自然だ。暗くて、表情も性別も分からないまま、その人間は二人に近づいてくる。木下も気づいたようで隣で「え、だれ?」とつぶやいている。どんどん近づいて、もう顔も見えようかというところで、その人間は突然、手を前に突き出してきた。
 木下がきゃっ、と声を出しながら、赤崎にしがみつく。赤崎も怖い。夜中にカップルを襲おうとする変質者か。腕に覚えは全くないがここで逃げるわけにはいかない。反射的に木下を守るように肩を抱きかかえる。
「十円、貸してくださらんか?」
 よく見ると、前に立っているのは頭が禿げ上がった中高年の男性だ。黒いマントのような夏には似合わない羽織ものを着ていることを除けば、どこにでもいそうなハゲのおっさんだ。えっ?と赤崎が聞き直す。
「そこの自動販売機でコーヒーを買いたいのだが、手持ちの小銭が百五十円しかないんじゃ。普通の自販機なら買えるんじゃが、あれはけしからんことに百六十円で売ってて、しかもお釣りが切れてるって言いやがる。今晩はどうしてもここでコーヒーを飲みながら、流れ星を見たいんで、悪いが、十円、貸してくださらんか?」
 なんだよ、びっくりさせるなよ。そう思いながら、赤崎はポケットに入っていた十円玉を取り出し、どうぞとその男性に手渡す。もしかしたら夜中に自動販売機のジュースを飲むことになるかもと思ってわざわざ用意してあった小銭だ。思わぬことで役に立つ。
「申し訳ないですな。さっき『貸してほしい』と言ったものの、実際にはあなたに返す方法もないので、頂くことになってしまう。申し訳ないが、勘弁してくだされ」
 十円くらいどうでもいい。早く、どこかに行ってもらいたいので、赤崎は、いえいえ、とだけ短く答えた。
「もし、ご興味があれば、わしは横浜で占いをしておるので、来てくだされ。通常五千円のところ、タダで見てしんぜよう。自分で言うのもなんじゃが、よく当たるのでそこそこ有名じゃ」
「なんという占い師さんなんですか?」
 木下が急に会話に参加してくる。タダで占ってもらえる、と聞いて、興味が出たらしい。
「ミス・デスティニー、じゃ」
「えっと、ミスター・デスティニーさん?」
 赤崎が聞き返すと、急にそのデスティニーは機嫌が悪くなって、
「ミス、じゃ。ミスターなんて言ってないだろうが」
 あ、すいません、ミス・デスティニーさん、と赤崎が慌てて言い直す。なぜおっさん度マックスなのに『ミス』なのか、そしてなぜ声を荒げるほど『ミス』にこだわっているのか。謎だらけだがともかくすいませんと謝るしかない。
「前もそうやって間違われたんじゃ」
 デスティニーが一人で憤懣やるかたない表情で話し始める。
「どこぞの雑誌が、インタビューさせてくれと言ってきて、載った記事を見たら、わしの名前をミスター・デスティニーって書いてやがる。しかもだぞ、わしがしてやった流れ星の話を勝手にねじ曲げて、『流れ星に恨みを込めたら、その呪いが成就する』とか、訳の分からんことを書いとるんじゃ。わしは、流れ星はこの世で一番美しい存在で、それを見てたら恨みや妬みの気持ちもなくなる、という話をしてやったんじゃぞ」
 早くどこかへ行ってほしいのだが、こんな時でも生真面目な性格が災いして赤崎は「それは大変ですね」とつい相槌を打ってしまう。
「なんで、こんな嘘ばっかりの記事を出す、と雑誌社に怒鳴ってやったら、『すいません、流れ星に恨みを込める、っていうほうが意外性があって読者にウケるかなって思って。どうせ、こんなの信じる人なんていませんし、ちょうど先生の名前も間違えちゃったんで、ご迷惑はおかけしませんから』、って言いやがる。バカかお前らは、二度と来るな、と言ってやったわ」
 怒ってるデスティニーの姿が目に浮かぶようだ。彼には失礼だが、面白い。赤崎が下を向いて笑いをこらえていると、木下も横で同じように下を向いている。
「わしはな、毎年必ず夏の真夜中にここに来て、コーヒーを飲みながら、流れ星を見るんじゃ。人様の辛かったり、汚かったりする話を毎日聞いて磨り減った心も、ここで流れ星を見てると、きれいに洗われる気がするんじゃ」
 そう言いながら夜空を見上げて、初めて自分が長話をしていることに気が付いたらしいデスティニーは、若い人の邪魔をしちゃいかんな、と言って、二人のもとを去っていった。
 デスティニーの黒いマントが辺りの暗さに溶け込むくらい二人から離れていってから、赤崎は、びっくりしたね、と木下に声をかけた。ほんとですよね、と言いながら木下は、最初は小声で下を向きながら、でも段々大きな声で肩を揺らすくらい笑い始めた。とりあえずさっきの夜叉の顔から笑顔になって、赤崎は心底ほっとした。なんだかよくわからないけど、デスティニーのおかげだ。
 ふと気が付くと木下は赤崎にしがみついたままだ。赤崎も木下の肩を抱きかかえている。急にドキドキしてきた。俺はどうしたらいいんだ?肩から手を放すべきなのか?それともこのまま肩を抱いていてもいいのか?いやいや、さらにもっと力を入れて抱き寄せてもいいんじゃないか?笑い転げている木下の息の熱さがリアルに伝わってくる。もういいか悪いかなんて考えていられない。赤崎は木下の肩をぎゅっと抱き寄せる。
 木下が赤崎の胸の中でささやいた。
「もっと神話の話、聞かせてください。さっきまで流れ星に必死だったけど、もう大丈夫」
 今夜は流れ星を見るどころじゃない。