「滅亡?」

 俺の声が、古い石造りの城内に反響して響き、やがて消えた。
 俺は、フィンナの言った言葉の意味が分からなかった。いや、言葉としては分かるのだが、それがどういう意味を持つのかが分からないのだ。

「はい。この地に住まう全ての生きとし生けるものは、私たちを除いて滅亡したのです。」

 フィンナは、静かにそう答えると、俺を見る。その目は真剣だ。冗談を言っているわけではないようだ。

「えっと……それは……」

 俺は言葉に詰まる。何を言っていいのか分からないからだ。

「姫様は、誠にユグドラシルの現状について説明されているのだ。」

 シグルンは、そう俺に言った。

「ああ。分かった。」

 俺は、そう答えるしかなかった。だが、フィンナはそんな俺の様子を見て、少し悲し気な表情になったが、すぐに元の調子に戻った。

「はい。誠さんは、ユグドラシルの現状について何もご存知ないようですから。」
「すまない。その滅亡した理由とかも?」

 俺はそう訊ねた。

「はい。誠さんは、まだ何もご存じないようなのでご説明します。」

 そう言ってフィンナは続けた。

「このユグドラシルは人間や精霊、そして神々や巨人。そしてエルフやドワーフなどを始めとする数多くの種族が住む豊かな世界でした。」

 そう話すフィンナの表情は悲し気だ。

「しかし、ユグドラシルは滅亡しました。」
「なぜ、そんなことになったんだ?」

 俺はそう訊ねた。

「永遠の冬が訪れたためです。この冬は、いつか晴れるはずでした。そしてこの永遠の冬は今も続いており、もうすでに数千年に渡って続いています。おそらく、このまま永遠に続くでしょう。」

 フィンナはそう言って、目を伏せる。まるで現実を直視したくないかのようだ。

「ここは、ユグドラシルにある地、ミッドガルドです。私たちの知るミッドガルドは人が住むに十分な環境なのですが、この永遠の冬によって住まうものは全て、絶滅し死に絶えたのです。」
「なぜだ?永遠の冬とはなんなんだ?」

 俺は、フィンナにそう質問するしかなかった。永遠の冬とはなんなんだ?

「永遠の冬は、私たちが予言していた破滅的な未来の事でした。ただ、その冬は数千年以上にも渡るということはありえないはずでした。この冬がずっと続いている原因は、分かりません。実際には、ミッドガルド以外の場所がどうなっているのかも分かりません。私たちは、この地にあった神殿に召喚されたのです。そして、ユグドラシルが滅亡していることを知ったのです。」

 フィンナは、そこまで言って言葉を区切った。
 シグルンも黙ってその話を聞いている。

「そうですね。私たちは、ある意味。誠さんと同じです。つまり、ここにある魔法陣によって召喚されているのです。私たちは、永遠の冬を迎える前、その遠い過去のミッドガルドから、今の時間に召喚されています。」

 フィンナは説明を続けた。

「この神殿は、どういった意味があるのかは、理解できていません。しかし、ある程度の魔力を伝えると魔法陣が発動して、何かが召喚されることが分かっています。それは誠さんが召喚されたことで、証明されました。」
「つまり、この魔法陣に魔力を通すたびに、何かが召喚されるわけだ。」

 俺は、大理石の床に刻まれている魔法陣を見て、フィンナにそう言った。

「ただ、この魔法陣は、もはや意味をなさないでしょう。なぜなら、誠さんを召喚した後から、この魔法陣から魔術的な反応が一切、感じられなくなりました。」

 フィンナは悲しそうにそう言った。そして、その長いまつげを伏せる。

「では、ミッドガルド以外の地はどうなっているんだ?どうして滅亡した、と思ったんだ?」

 俺はそう訊ねた。俺の質問にフィンナはゆっくりと首を振った。

「……正確なことは、私には分かりません。ただ、私は神々の血を引いています。分かるのです、神の気配や精霊による囁きが地から消えています。つまり……。」

 フィンナはそこで言葉を濁したのだが、それは俺には分かる気がした。
 おそらくだが……いや、間違いなく滅亡しているのだろう。

「つまり、全て滅びている。」

 俺はそう結論づけるしかなかった。そして、フィンナは悲しそうに頷く。

「はい、その通りです。」

 そんなフィンナの様子を見てか、シグルンが口を開いた。

「ユグドラシルは滅亡した。私たちは、その滅亡後の世界へと、魔法陣による転送魔法で召喚されたのだ。」

 シグルンは、そこまで行ってから、言葉を続けた。

「私は、いかなる状況でも、ミズガルド王国の騎士として、フィンナ・リーヴ・ミズガルド王女に仕えるだけだ。」

 シグルンは、まっすぐとフィンナを見てそう言った。

「ありがとうございます、シグルン。」

 フィンナは、微笑みを浮かべて頷いた。そして俺を見る。

「誠さん。私たちは助け合って生き延びなければなりません。私たちと一緒に行動して頂けないでしょうか?」

 フィンナはそう言ってきた。

「もちろんだ。こちらこそよろしくお願いしたい。フィンナ王女。そしてシグルンさん。」

 俺はそう言った。そして、シグルンを見る。彼女は俺を睨んでいた。だが、俺が何か言う前に口を開いたのは、シグルンだった。

「……ふん!まあいいだろう。お前みたいな得体の知れない奴と行動するのは不安ではあるが……姫様の命令だからな。」

 そういいながら、シグルンは俺から視線を逸らすように横を向く。

「ふふふ。シグルンと仲良くなったようでよかったわ。」

 フィンナは、そう言って微笑んだ。

「姫様!私は、こんな奴と仲良くなった覚えはありません!」

 シグルンは、そう反論したのだが、フィンナはただ微笑むだけだった。

「そう?じゃあ。」

 フィンナはそういって、悪戯っぽい笑みを浮かべた。そして、俺を見る。

「誠さん。あなたをミズガルド王国の騎士と任命します。」

 フィンナは、そう言った。

「姫様!それは!」

 シグルンは、驚いたような声を上げた。

「いかがでしょうか?誠さん。これでシグルンと同僚ですよ?」

 フィンナは、にこやかな笑みを浮かべながらもそう言って、俺を見る。

「分かりました。フィンナ女王。」

 俺がそう答えるとシグルンは、俺を睨みつけた。

「姫様!私は反対です!何も実績がないやつを騎士にするのは、如何なものかと!」
「シグルン?これは命令です。」

 笑みを浮かべているフィンナは、有無を言わせぬ口調でそういった。
 美しい容姿を持つ彼女がそういうと様になるのだが、どこか迫力がある。

「……はい。分かりました。」

 シグルンは、そう言って黙り込んだのだった。

「では、誠さん。あなたはこれからミズガルド王国の騎士です。」

 フィンナは、改めてそう告げると、俺のほうを見た。

「分からないことは、同僚のシグルンに聞くように。」
「はい。分かりました。シグルンさん、よろしくお願いします。」

 俺はそう言って、シグルンのほうを見たのだが、彼女は俺を無視して視線を逸らした。

「シグルン?」

 フィンナは、そう呼びかけながら彼女の耳元へ口を寄せると、何か囁いた。
 すると、シグルンの顔が見る見ると赤くなるのが分かった。何を言ったんだ?

「姫様!……しかし、それは!」

 シグルンは、何かを騒いでいる。
 そんな様子のシグルンへ、フィンナはさらに囁いた。

「……いえ!姫様!何も問題ありません!」

 どうやら説得されたようなシグルンは慌てた様子でそう言ってから、俺の方を見て睨みつけてきた。
 俺はそんな彼女に笑顔で挨拶をする。

「これからよろしくお願いします。シグルンさん。」

 そんな俺に、シグルンはイラついたように舌打ちをした。

「姫様!私はこんな得体の知れない男とは!」

 シグルンはそう言って、俺に近づいてくる。そして俺を睨みつける。

「シグルン?今の彼は、同僚の騎士ですよ?」

そんなフィンナは、シグルンへそう言った。

「……はい。分かっております。」

 シグルンは、どこか戸惑うように、フィンナにそう言ったあとに、俺を睨みつけてきた。
 そんな俺たちの様子を見ていたフィンナは、何かを思いついたように手を叩いた。

「そうだわ!誠さん!」

 そういって俺を見る彼女はとても楽しそうだ。

「なんでしょう?フィンナ女王?」

 俺がそういうや否や、フィンナは俺のほうへ近づいてきた。

「誠さん。そのままにしてください。」

 フィンナは、そういうと俺の首に両手を回した。
 そして、そのまま俺に抱き着いた。

「なっ!」

 突然のことに俺は驚き、固まることしかできなかった。
 シグルンは、もはや驚愕とした様子で何も反応できていない。

「シグルン。私たちにはもう王国すらないのです。私たちは仲良くしなければいけません。」

 フィンナは、俺に抱き着いたまま、シグルンへと話しかけた。

「しっ!しかし!姫様!」

 シグルンはそう叫ぶと、顔を真っ赤にした。

「誠さん、とても良い香りがします。」

 フィンナは俺の耳元へ口を寄せるとそう囁いた。
 俺は思わずドキリとしたが、そんな俺の様子などお構いなしに彼女は続ける。

「シグルンもどうです?近くで嗅いでみてください。」

 そう言われたシグルンは、困惑した様子を見せたが、意を決したのか俺の方へと近づいてきた。

「……確かに、いい香りがする。」

 シグルンはそういうと俺の首筋あたりへ顔を近づけてきた。俺は、思わず体を硬くした。
 フィンナは、そのまま俺の首筋あたりにいるシグルンを抱き寄せた。
 それを予想をしていなかったシグルンは、ビクッと体を震わせた後に、フィンナと俺へ抱き着く形になった。
 フィンナによって、俺とシグルンは、抱き寄せられている格好だ。

「ふふ、どう?誠さんの香りは。」

 フィンナは、そうシグルンへと語りかけるが、彼女は何も答えなかった。
 ただ小さく震えているのと、荒い息遣いだけが聞こえるだけだ。
 俺は、そんなシグルンとフィンナに挟まれて身動きが取れない。

 一方で、そんな俺たちの様子をフィンナは楽しそうだ。

「シグルンも誠さんも、私は大好きです。」

 フィンナはそう言った。シグルンは、無言のままだった。

「シグルンは、どうですか?」

 フィンナは、そのまま顔を彼女の耳元へと近づける。

「姫様!お戯れは!」

 シグルンは、慌てた様子でそう言ったが、フィンナに抱き着かれているので動けないようだ。
 そんな様子も気にせずに、フィンナはシグルンの耳元で何かを囁いた。
 その囁きは目の前にいる俺にも聞こえた。

「誠さんとの世継ぎを」

 シグルンは、体を硬くした。俺は思わずドキリとする。

「姫様!」

シグルンはそう言って顔を上げた。その顔は真っ赤だ。

「誠さん。」

 そんな俺たちの様子を見ていたフィンナは、俺へ問いかけた。

「はい?何でしょうか?」

 俺がそう答えると、フィンナはゆっくりと俺を抱きしめる力を緩めた。
 そして俺の首筋あたりにいるシグルンのほうへ視線をやったのだが……その隙に、シグルンは素早く距離を取ったのだった。
 そんなシグルンに合わせたのか、フィンナも俺から距離を取った。
 シグルンの動作は素早く、フィンナの隣に立った。
 俺たちは向かい合った状態で話を続けた。

「私たちは、もう三人しかいないのです。時がくれば、私やシグルンと、誠さんの子が出来るようにしましょうね?」

 フィンナはそう言って、ニコリと笑った。
 そんな笑顔のフィンナは美しかったが、言われた俺は唖然とするしかなかった。
 シグルンが、先ほどから囁かれていたのは、これだったのか。
 そう俺は理解した。
 実際に、シグルンは不満そうな態度と表情ではあるが、なにも言ってこない。

「そうなるためにも、私たちは仲良くしましょう、ね?シグルン?」

 フィンナは、
 そう言ってシグルンへと微笑みかけた。

「はい……姫様……」

 そう答えたシグルンは、うつむいていた。そんな彼女の様子にフィンナはクスクスと笑うと、俺の方を見たのだった。

「これでシグルンも大丈夫そうですね。」

 フィンナは、何かを確認するように、そう言った。
 俺は、何も言わなかった。
 下手なことをいうと、シグルンが、また怒り出しそうだ。

「さて、誠さん。私たちは、しばらくは神殿で暮らすことになりますが、このままだといろいろと不便でしょう?」

 フィンナは、そういって俺の様子を見た。

「誠さんには衣服や身の回り品などが必要ですね。そして、あなたは人間です。」

 フィンナはそういうと、改めて俺を見た。

「私と契約をしましょう。」
「契約?騎士という意味ではないのか?」

 俺は聞き返した。魔法がどうこうというやつだろうか?
 シグルンは、じっと俺を見ている。

「はい、そうです。身分のことではなく、半神である私との、です。」

 俺はフィンナが言っていることが理解できなかったので聞き返した。

「半神?」
「はい。私は人間ではありません。半分は人間の血が入っていますが、もう半分は神の血が流れています。だから私は、ルーン魔法が使用できるのですよ。」

 そう言って微笑む彼女は美しかったのだが、俺には理解できない話だった。
 そんな俺の様子に気付いたのか、フィンナは続けた。

「そして、私は、人間と契約を結び、契約をした相手が魔法を使用できるようにできるのです。」

 そういうとフィンナは俺に微笑みかけた。
 俺は頭を抱える。そんな俺の様子を見ていたシグルンは、口を開いた。

「さっき私が教えた、ルーン魔法をきちんと習得することだな。」

 シグルンの言葉に、俺は固まるしかなかった。

「ああ、分かった。頑張ることにする。」
「それでは、契約を行います。私の前へ。」

 フィンナは、そういった。
 俺は、フィンナの目の前に立つ。

「では、契約をします。」

 フィンナはそういって、何かを詠唱し始めた。
 フィンナの前には、まるでホログラムで映し出されたかのように、何か文字が浮遊しはじめた。その後も、彼女は詠唱を続けていた。
 浮遊している文字は、塊を成して文字列となる。
 その文字を俺は読むことが出来ないのだが、アルファベットに似た、何かの文字だ。
 そして唱え終わると、俺の額へと軽く触れた。すると俺の目の前に、いくつもの文字列が浮かび上がった。

「誠さん。契約に同意をお願いします。願ってください、私との契約を。」

 フィンナが、そう言ったので俺は頷いた。
 そして俺は、フィンナ王女ことを思い描いだ。それが正しいのかよく分からなかったが、俺はとりあえず、彼女を受け入れるイメージを思い描いた。
 すると、目の前に浮かんでいた文字列は消えていく。そして、俺の額へと触れたフィンナの手も離れたのだった。
 すると……俺の体が光り始めたのだ。
 その光は徐々に強くなっていき、やがて俺の体全体を包み込んだのだった。
 そんな俺の様子をシグルンとフィンナは、じっと見ているようだった。
 しばらくすると光が消えた。
 俺は自分の体を確認するように触ったりしたのだが、特に変わりはないようだった。
 そんな俺を見ていたのか、フィンナが微笑みながら口を開いた。

「これで契約は終わりました。」

 シグルンも頷いている。どうやら問題なく終わったらしい。

「それでは、あらためて。ここでの生活について話し合いましょうか?誠さん。」

 フィンナは、微笑むようにそう言った。