君の透明感は生涯、忘れようがないよ。
あの日見た、青空は宇宙の果てまで、突き抜けるくらい完璧だったから。
君との思い出はわずかだけど、
それらは透明の中でキラキラしているから、
私は今日も君からの手紙をダイアリーのうしろに挟んで持ち歩いている。
☆
君、初来(はつき)と私は同じマンションの幼馴染で小さき時から一緒だった。
だから、中学生のときに告白されて、初来くんと付き合い始めたのは自然な流れだったし、レジャーシートを敷いて、公園の芝生に寝転がって、初夏の青空と、そのなかをクジラみたいに泳ぐ大きな雲を眺めるのも自然なことだった。
友達以上恋人未満ってこのことなのかって、思うくらい、私は初来のことが好きだった。だけど、小さいときからの惰性でそんな思いを初来には伝えていない。
「高校生になっても、瑠奈(るな)と一緒にこんなにのんびりできるのって最高だな」
私は起き上がり、初来のことをじっと見た。初来はまだ両手を組み、それを枕にして仰向けになっていた。長めの髪から、耳がかすかに出ていて、ピアスが日差しで輝いていた。
「学校サボって、こんなところで寝転がってていいのかな」
本当はいつも通り、学校に行くつもりだったのに、初来に手を繋がれたまま、混雑した駅を抜け出し、学校へ向かう電車には乗らずにこの公園にたどり着いた。
初来は浮かない表情のまま、私の手を握り、そして人混みから私は連れ出された。昨日の夜、通話したときも、初来は元気がなさそうな声だった。いや、よく考えると、一昨日の夜の通話のときから元気がないように思えた。
本当は今日、私は学校に行きたかった。というか、行かないと私が負けているような気がしたから、私にとっては今日、学校に行くことは重要なように感じていたのに、私はそんな元気のない初来に連れ出されてしまった。
「いいじゃん。真面目なふりして疲れ切ってる瑠奈のこと連れ出してみたくなっただけだよ」
「皆勤賞狙ってたのに」
「真面目すぎ。俺なんか2ヶ月しか皆勤できなかったよ。てか、人生でそんなの狙えるような素質なかったし」
初来は笑いながら、起き上がった。そして、バッグから、さっき自販機で買ったペットボトルのコーラを取り出して、キャップを開けた。辺りにガスが抜ける涼しい音がした。昔から、身体が弱い初来は、時々長めの休みを取ることがある。去年、1年生のときも出席日数が足りなくて、春休みに補講を受けて、なんとか進級できた。
大体、初来が長い休みに入るときは入院していて、私はその間、憂鬱になる。
私もバッグからコーラを取り出し、同じようにキャップを開けた。そして、一口飲むと、夏が口のなかで一気に広がった。ごくごくとコーラを飲む初来は相変わらず、しゅっとしている印象で、一重でこぶりな鼻先がクールに思える。
初来はコーラを飲み終わったあと、小さく息を吐いた。そして、ペットボトルのキャップを閉めて、コーラをレジャーシートの上に置いた。
「なあ。噂、聞いたよ」
そう言われて、私は一気に動揺した。一気に視界の先の芝が揺れているようなそんな気分だ。だけど、若草色した芝は揺れていなかったし、ジョギングをしている人や、コーギーを散歩している人、芝の上をよちよち歩きの小さい男の子も何もかも揺れていなかった。
「――なんで誤解されなくちゃならないんだろう」
そう返したあと、そんなことなんて、今の私と初来との時間の中では、ものすごくどうでもいいことなのに。って思った。初来から、話を切り出されたから、そう返したけど、貴重なふたりきりの時間がもったいないようにも思えた。
そんなことを思っているうちに、ぶわっと風が吹き、目の前に広がる緑の中に線ができた。そして、私の横髪も揺れて口の前に当たった。初来を見ると、初来と目があった。初来はじっと私のことを見つめていた。
「別に誤解されてもいいんじゃないって、普段なら言うところだけど、そういう感じじゃなさそうだよな」
「そうだね」
私はクラスの冷たくなった空気を思い出す。1軍のノリに嫌気がさしただけだ。別に仲なんてよくないのに、2軍でぼっちの子が落とした、どうでもいい本を1軍女子が、わざとらしく踏みつけて、笑ったことに対して、私が許せなかっただけだ。本当はこんなしょぼい正義感なんて押さえればよかったんだ。
「ただ、昔から優しくて、反骨精神があるのは知ってる」
「――バカにしないでよ」
そんな私のダサい正義感を小馬鹿にされたように感じ、少し不貞腐れてそう返すと、もう、強がっちゃって。と言って、初来は小さく笑った。
「中学のとき、俺が宿題、休んでてやってなかったの、怒られたとき先生に歯向かったくらいだもんな」
「理不尽なこと、許せないから」
「知ってるよ。だから、今回だって瑠奈は間違ってないよ」
初来は優しく微笑んでくれた。そして、また初来はレジャーシートに寝転がり、足を組み、仰向けになった。長旅から帰ってきたスナフキンが外の世界を教えてくれるみたいに、初来は自由な空気を作っていた。
「なんかさ、人生の終わりが近づいていると、そんなこともどうでもよくなるよ」
「えっ」
そんなこと急に言われて、私は胸を黒い何かにかき乱されるような、そんなモヤモヤが一気に広がった。
「――とうとう余命宣告受けたんだ」
そんなこと言わないでほしい。
「あ、悪い。瑠奈の悩みを聞きたかっただけで、今、言うつもりなんてなかったのに」
「いいよ。私の悩みより、大事なことじゃん」
私がクラスで浮いた存在になろうが、どうでもいい。初来の病気のことは知っている。小さい時から、身体が弱くて、よく入院してたのだって知ってる。もしかしたら、余命宣告を受けるかもしれないと、2ヶ月前に聞いて、そのときは、大丈夫だよって、軽く励まして、初来とのその日のやりとりは軽やかに終わった。
だけど、ひとりきりになったその日の夜、私はずっと泣いた。
それだけ、私にとって、初来の存在は、大きいことだから、初来がいなくなることなんて、考えたくない。
ただ、今日みたいに、ずっとふたりきりで、ぼんやりと今日みたいな宇宙の果てまで、突き抜けるような青空を眺めていたい。
そんなことを考えるのは、ものすごくつらいから、私は2ヶ月前の夜、勝手に自分の中で誓った、初来の前では、明るく居続けようということに意識を向けて、悲しさで今が、白けないために、こう返すことにした。
「所詮、余命なんて、勝手な推測なだけじゃん」
「俺も、そう思ってるよ。だけど、間に受けるタイプだから、ありきたりだけど、書けるうちに手紙書いてきたんだ。――本当は今日の帰りにスタバとか、そういうところに寄って、渡そうかと思ってたけど、今渡した方が、記憶に残ってくれそうだよね」
そう言って、初来はバッグから、手紙を取り出した。
「俺がいなくなったら、読んでね」
差し出された封筒は、ピンク色の紙で、手書き風のデザインの、赤くて小さいハートが無数についていた。そのハートを眺めているだけで涙が溢れそうなくらい、胸の奥がぎゅっと潰される感覚がした。
「――いなくなるなんて言わないでよ」
涙声になっちゃってたと思う。だけど明るく最後まで居続けたいから、私はそう言ったあと息を止めて、涙を堪えることに集中した。
「重いかもしれないけど、瑠奈にだったら、重いって思われてもいいや」
「きっと、重くないよ」
なんとかそう返して、手紙を受け取ると、初来は、めっちゃ重いかもよ。と言って、わざとらしくゲラゲラと笑った。
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それから、私たちはお互いに素直な気持ちを伝え、友達以上恋人未満の関係を抜けた。
彼女彼氏の関係になると、なぜかわからないけど、より初来のことを理解できたような気がした。
そして、夏休みをできる限り使って、この夏を思い出で輝かせた。
そのときの初来は、まだ元気で死の予感なんて感じさせなかった。もしかしたら、このまま、楽しい時間が流れるのかもって、誰もいない浜辺で、海に夕日が沈むのを眺めながら思った。隣に座っている初来の表情を見ると、ただ、寂しそうな表情をしていたから、それを見て、私は胸が熱くなる感覚を抑えられなくて、泣いてしまった。
それに気づいた初来は、黙ったまま、こんな身勝手な私のことをしっかりと抱きしめてくれて、私はこの世界を永遠に保存したいと思った。
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9月の終わりに初来は、簡単にいなくなった。
火葬され、灰になった初来は、物質共々、もうこの世界には存在しなかった。
私は二週間、学校を休み、彼の名残を感じたくて、一緒に寝転んだ公園や、一緒に座った浜辺に行った。だけど、虚しさは埋まらなくて、熱でピンク色のキャンディを溶かして、亀裂が入った心を埋めてほしいくらいだった。
思い出すたびに、頬が濡れ、それが乾くのをずっと繰り返していた。
だから、もらった手紙を開くことができずに一ヶ月が経ってしまった。
一緒に寝転んだ公園に行くと、すでに紅葉が始まっていて、だんだん、熱も冷め、寂しさが増す季節になっていた。ベンチに座り、私はただ、そんな寂しい景色を眺めたあと、気持ちを固めた。
バッグから、ハートがたくさんついている封筒を取り出した。心臓が一気にドキドキしはじめて、緊張感でどうにかなりそうだった。
私はそんな気持ちを無視して、封筒をあけ、手紙を取り出した。手紙にはこう、書かれていた。
瑠奈へ
ずっと、好きだったんだ。
どうしてだろうね。それがなかなか言えなかったから、今、すごく後悔してるんだ。
いつかタイミングが来たら、自分の気持ちを言えばいいやって、思ってた。
思い出なんて、今と関係性が変わらないまま、瑠奈と一緒に思い出を作れると考えてたし、
いいタイミング、つまり、自然なタイミングで気持ちなんて伝えればいいと思ってた。
だけど、最初に書いたとおり、ものすごく後悔してる。
身体は弱いほうだったけど、まさか、こんなに早く人生が終わるなんて思わなかった。
将来、なにがしたかったとか、夢の職業に就きたいとか、そんなのはない。
だから、死んだって仕方ないと思ってた。
ただ、実際に余命宣告を受けたあと、思ったんだ。
瑠奈のことが、ものすごく好きだってことを伝えたいって。
遅すぎるよな。余命数ヶ月でそんなこと、思うって。
だから、その気持ちを手紙に書いたんだ。
遅いけど。
はっきりとフラットに言うところが、瑠奈はよく人から勘違いされるって、言うけど、
俺はそのはっきりしている瑠奈のことが好きだった。
理不尽だと思ったら、俺のことをかばってくれて、何回も助けてくれたよな。
なのに、俺は瑠奈に対して、なにもできなかったね。
ごめんね、そして、ありがとう。
最後に伝えたいことがあるんだ。
重かったら、俺のことなんて忘れて、その気持ちを捨ててください。
俺なんていなかった世界で君にはしっかり生きていてほしいんだ。
君が幸せになることをそっとどこかで見守ってるよ。
君は君で、ありのままの自分を貫いて、それを受け入れてくれる人と、幸せになってください。
初来
✫
「ずるいよ。私だって、好きだったんだよ。忘れられるわけないじゃん」
私はそう言ったあと、そっと手紙をバッグの中に戻した。
そして、澄み切った青空を眺めながら、こう思った。
ありがとう。
さよなら、君がすべてだった世界。