■
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
そらきた、また鳩の話だ。アンドレは博士の顔をみ、溜息を奥歯で潰す。何故ならこれはアンドレの整備不足が招いた密室。アンドレと博士がエレベーターに閉じ込められ、そろそろ二時間が経とうとしていた。
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
「先程も答えましたが知りません。そんな事より、怒ったり殴ったりしないんですか?」
博士が多忙を極めるのはアンドレも知るところ。こんな場所で一夜を明かすとなれば研究への支障はいかほどか。補償を求められればアンドレの首ひとつで済む話じゃないだろう。
気が急く、焦りは募る。エレベーター内の酸素が濁ってゆく。すると、グレージュの壁へ寄り掛かる白衣がハラリと舞う。
「怒る? 殴る? どうしてそんな真似をしなきゃならないんだ? アンドレ君、君は僕をわざと閉じ込めたの?」
アンドレは博士が自分の名を知っているのに見開き、次いで彼が変わり者であるのを過ぎらす。
研究所で働く職員は皆、博士は恐ろしく頭が良いものの意思疎通が困難だと口を揃え、アンドレもそう思う。
「わざとなんて、そんなことしません!」
博士は月に一度、設備点検にやってくるだけのアンドレを覚えており、こうも続けた。
「そうだろう、そうだろう。君は今夜行われるバスケットボールの試合を楽しみにしていた。ここでの作業を終えたらハンバーガーとビールを買い、真っ直ぐ帰宅したはずさ」
「なっ、なんで俺のこと?」
アンドレが疑問で返せば、作業着から飛び出たキーケースが指差され、そこには贔屓チームの名が刺繍されている。
「ハンバーガーとビールは僕の好物でね。君もそうだったら素敵だなぁって願望で言ってみた。どう? 当たってる?」
「いえ、つまみはワインとチーズです」
「ははっ、素直に教えてくれてありがとう」
博士は目尻のシワを丁寧に寄せ、にっこり微笑む。この際、調子を合わせておけばいいのに。アンドレはそういうことが出来ない性分なのだ。
こうして油で汚れた作業着と穢れない白衣が並んで立つと、人生の濃淡が演出されている気がする。
アンドレは居心地の悪さから再度受話器を握り、外部と連絡を試みた。
「作業員は出払って、早くても明け方にならないと救助出来ないんじゃなかった?」
「そうなんですけど。俺みたいな奴と閉じ込められる、博士も嫌でしょうに」
「俺みたいとは?」
「頭も悪ければ仕事の効率もよくない。いかにも冴えない男です。はは、情けないこと言わせないで下さい」
電話は繋がらない。カチャカチャと人差し指の背で階数ボタンを連打するも反応なし。
アンドレは天井を仰ぎ、頭を振った。オレンジ色した照明がぶれて滲み、早急にここから逃れたい、息が詰まりそうだ。
一方、博士は突然のアクシデントに取り乱す様子はない。四角い箱の中で冷静に振る舞い、そればかりか繰り返す。
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
もはや高難度な嫌味に聞こえてくる。
エレベーターが故障した件を言及しない代わり、博士はブラッドリーの鳩について何度も何度も尋ねるのだ。
「ですから知りませんって、ブラッドリーの鳩って一体何なんですか? 研究が出来なくてイライラしてるんですよね? すいません。俺、馬鹿なんで分かるように言って欲しいです」
アンドレは前髪をくしゃり掴んで、博士の対角線上へ移動する。
「おやおや、苛ついているのはアンドレ君じゃないか。心配しなくとも君の会社へクレームを入れたりしないよ」
「どうしてですか?」
「どうしてって、そうだなぁーー」
穏便に事を収めてくれるのならば願ったり叶ったり、アンドレも職を失わなくていい。しかし、何故だか切り返したくなってしまう。
ーーきっと、この瞳がそうさせるのだ。
三日月の形から満ち欠けしない博士の目元をアンドレは見詰めた。
「今日に限って職員等を定時で上がらせてしまったしね。仕事をさぼる口実を貰えたと考えれば、お咎めなしでいいんじゃない?」
両手をポケットに突っ込み、中身を探りつつ背を丸める。
「はい、口止め料」
博士は小さな包みを取り出すとアンドレへ投げて寄越す。
「チョコレート?」
「美味しいそうだよ、どうぞ」
「……ありがとうございます」
「ところでチョコレートは好きかな?」
銀色の包装を外しかける寸前、問われる。アンドレはこう見えて甘党である。
「え、あ、はい」
「ふーん」
アンドレの左手側へ動き、博士は壁を伝って座り込む。アンドレと背丈が同じくらいだが、博士はコンパクトに自身を折り畳む。
「僕は好きじゃないんだよねぇ、チョコレート」
その嫌いなチョコレートを携帯している訳は襟元にあった。アンドレの位置からキスマークが覗いてみえ、つけたばかりの鮮明さに視線を外す。
アンドレは雑に銀紙を脱がし、それを口内へ放る。前歯へカチンとぶつかった後、まとわりつくよう濃厚に溶けていき、まことしやかな噂を溢れさせた。
ーー博士はね、男の人が好きなのよ。
アンドレの喉が大きく鳴った。
博士は尋ねる。
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
一向に博士が望む正解に行き着かないアンドレ。博士の正面へ回り、腕組みすると無言を構えた。
二人は会話をしながら位置取りをし、さしずめエレベーター内はチェス盤か。
学は無かったが、アンドレはチェスが得意だ。博士はふふっと笑い、時刻を確認する。
「まだ沈黙するには早すぎる。話をしようじゃないか、アンドレ君」
縦横自由に動けるルークはそう簡単にチェックメイトを許さない。
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
アンドレは少し間を置き、告げる。
「ブラッドリーの鳩かは知りませんが、鳩なら見たことあります」
「ほぅ!」
ここで博士の声音が僅かに跳ねた。思いがけず博士の興味を引け喜びかけ、慌てて唇を噛む。
「博士は鳩が好きなんですか?」
「ふむ、アンドレ君はどうだい? 鳩は好きかい?」
「犬や猫ならともかく、鳩を好きか嫌いかで考えたことないんですけど……普通、ですかね」
「好きでも嫌いでもないと?」
「まぁ、そうなりますね」
「merveille! 僕も同じだよ! 鳩は好きでも嫌いでもない、普通さ」
博士はスリーポイントシュートを決めた風に喜びを表す。
アンドレには博士がこれほど興奮する意味は分からず、けれど天才と分類される人間はおおよそ自分みたいな者には理解出来ないのであろうと納得しようとする。
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
更に質問が重ねられ、あと何回同じことを言われたら抜け出せるのかを想像し、アンドレは気が遠くなる。
「ブラッドリーって誰ですか?」
とうとう気を引ける答えを模索し始め、博士のプライベートへ踏み込む。
「……もしかして恋人ですか?」
指摘に博士の瞳がこころなしか大きくなった。瞬間、アンドレは言い得ぬ期待で肺を膨らめ、呼吸に高揚が混じる。
博士はそれを嗅ぎ分け、鼻を鳴らした。
「ただの隣人さ。ところで君は隣人の名を知っている?」
「いえ、交流もしないですし、そもそもどんな人が住んでいるか気にならないのでーー」
「そうなんだ」
言ってからアンドレはしまったと焦る。これでは会話が終わってしまうじゃないか。
アンドレは博士へ目配せした。
博士は頷き、尋ねる。
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
「ブラッドリーは博士の隣人です! 隣人が飼う鳩ですか?」
即答するアンドレ、微笑む博士。
「ブラッドリーは真夜中にハンバーガーを注文しては、明け方に食べきれなかった分をベランダへ撒くんだよ。で、鳩がそれを食いに来る」
「鳩を餌付けしてるんですか? なんと迷惑な隣人でしょう! 注意しましょう! 俺、腕っぷしには自信があるので」
「暴力はいけないね、アンドレ君」
アンドレが力強く近付くと、博士は白衣をひらひら舞わせて斜め上にかわす。
それから人差し指の背で階数ボタンを連打した。
「ああ、俺はまた間違えたのか!」
アンドレは頭を抱え、床を蹴る。
「次、お願いします!」
今度こそうまくやるぞ、息巻くアンドレの耳元で博士が囁く。
「アンドレ、これは反復動作だよ。ブラッドリーがハンバーガーを頼む、ブラッドリーが食べ残す、食べ残しをベランダへ撒いて鳩が食うーーそして鳩の鳴き声で僕の朝が訪れる」
そこでだ、一旦発言が区切られる。
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
夜通し、尋ねられ。
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
アンドレは朝が来るまで間違え続けた。
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
エレベーターという鳥籠の中、ブラッドリーの鳩が鳴いている。
■
それから博士の三日月形した瞳が真ん丸になる頃、チンッ! トーストを焼く音に似た音でドアが開く。
どうやらエレベーターは自動復旧したらしい。技術的にありえないのだが、もはやそんな事はどうでもいいのだ。
ふらふらと廊下に出てきたアンドレは、朝日を浴びる博士に目を細める。あぁ、そういえばルークには光をもたらすという意味もあったっけ。
「アンドレ君、これから君の部屋に行かないかい? 試合は録画しているんだろう?」
博士は白衣を脱ぎ、肩へかけている。翼を休めるみたいに。博士は何処までも優雅で美しいとアンドレは感じた。
「それじゃあ、ハンバーガーとビールを買ってから帰りましょうか」
「merveille! とても良い案だね!」
朝日が昇っても目の覚めないアンドレを憐れみ、ブラッドリーの鳩は鳴いている。
ブラッドリーの鳩が笑っている。
おわり
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
そらきた、また鳩の話だ。アンドレは博士の顔をみ、溜息を奥歯で潰す。何故ならこれはアンドレの整備不足が招いた密室。アンドレと博士がエレベーターに閉じ込められ、そろそろ二時間が経とうとしていた。
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
「先程も答えましたが知りません。そんな事より、怒ったり殴ったりしないんですか?」
博士が多忙を極めるのはアンドレも知るところ。こんな場所で一夜を明かすとなれば研究への支障はいかほどか。補償を求められればアンドレの首ひとつで済む話じゃないだろう。
気が急く、焦りは募る。エレベーター内の酸素が濁ってゆく。すると、グレージュの壁へ寄り掛かる白衣がハラリと舞う。
「怒る? 殴る? どうしてそんな真似をしなきゃならないんだ? アンドレ君、君は僕をわざと閉じ込めたの?」
アンドレは博士が自分の名を知っているのに見開き、次いで彼が変わり者であるのを過ぎらす。
研究所で働く職員は皆、博士は恐ろしく頭が良いものの意思疎通が困難だと口を揃え、アンドレもそう思う。
「わざとなんて、そんなことしません!」
博士は月に一度、設備点検にやってくるだけのアンドレを覚えており、こうも続けた。
「そうだろう、そうだろう。君は今夜行われるバスケットボールの試合を楽しみにしていた。ここでの作業を終えたらハンバーガーとビールを買い、真っ直ぐ帰宅したはずさ」
「なっ、なんで俺のこと?」
アンドレが疑問で返せば、作業着から飛び出たキーケースが指差され、そこには贔屓チームの名が刺繍されている。
「ハンバーガーとビールは僕の好物でね。君もそうだったら素敵だなぁって願望で言ってみた。どう? 当たってる?」
「いえ、つまみはワインとチーズです」
「ははっ、素直に教えてくれてありがとう」
博士は目尻のシワを丁寧に寄せ、にっこり微笑む。この際、調子を合わせておけばいいのに。アンドレはそういうことが出来ない性分なのだ。
こうして油で汚れた作業着と穢れない白衣が並んで立つと、人生の濃淡が演出されている気がする。
アンドレは居心地の悪さから再度受話器を握り、外部と連絡を試みた。
「作業員は出払って、早くても明け方にならないと救助出来ないんじゃなかった?」
「そうなんですけど。俺みたいな奴と閉じ込められる、博士も嫌でしょうに」
「俺みたいとは?」
「頭も悪ければ仕事の効率もよくない。いかにも冴えない男です。はは、情けないこと言わせないで下さい」
電話は繋がらない。カチャカチャと人差し指の背で階数ボタンを連打するも反応なし。
アンドレは天井を仰ぎ、頭を振った。オレンジ色した照明がぶれて滲み、早急にここから逃れたい、息が詰まりそうだ。
一方、博士は突然のアクシデントに取り乱す様子はない。四角い箱の中で冷静に振る舞い、そればかりか繰り返す。
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
もはや高難度な嫌味に聞こえてくる。
エレベーターが故障した件を言及しない代わり、博士はブラッドリーの鳩について何度も何度も尋ねるのだ。
「ですから知りませんって、ブラッドリーの鳩って一体何なんですか? 研究が出来なくてイライラしてるんですよね? すいません。俺、馬鹿なんで分かるように言って欲しいです」
アンドレは前髪をくしゃり掴んで、博士の対角線上へ移動する。
「おやおや、苛ついているのはアンドレ君じゃないか。心配しなくとも君の会社へクレームを入れたりしないよ」
「どうしてですか?」
「どうしてって、そうだなぁーー」
穏便に事を収めてくれるのならば願ったり叶ったり、アンドレも職を失わなくていい。しかし、何故だか切り返したくなってしまう。
ーーきっと、この瞳がそうさせるのだ。
三日月の形から満ち欠けしない博士の目元をアンドレは見詰めた。
「今日に限って職員等を定時で上がらせてしまったしね。仕事をさぼる口実を貰えたと考えれば、お咎めなしでいいんじゃない?」
両手をポケットに突っ込み、中身を探りつつ背を丸める。
「はい、口止め料」
博士は小さな包みを取り出すとアンドレへ投げて寄越す。
「チョコレート?」
「美味しいそうだよ、どうぞ」
「……ありがとうございます」
「ところでチョコレートは好きかな?」
銀色の包装を外しかける寸前、問われる。アンドレはこう見えて甘党である。
「え、あ、はい」
「ふーん」
アンドレの左手側へ動き、博士は壁を伝って座り込む。アンドレと背丈が同じくらいだが、博士はコンパクトに自身を折り畳む。
「僕は好きじゃないんだよねぇ、チョコレート」
その嫌いなチョコレートを携帯している訳は襟元にあった。アンドレの位置からキスマークが覗いてみえ、つけたばかりの鮮明さに視線を外す。
アンドレは雑に銀紙を脱がし、それを口内へ放る。前歯へカチンとぶつかった後、まとわりつくよう濃厚に溶けていき、まことしやかな噂を溢れさせた。
ーー博士はね、男の人が好きなのよ。
アンドレの喉が大きく鳴った。
博士は尋ねる。
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
一向に博士が望む正解に行き着かないアンドレ。博士の正面へ回り、腕組みすると無言を構えた。
二人は会話をしながら位置取りをし、さしずめエレベーター内はチェス盤か。
学は無かったが、アンドレはチェスが得意だ。博士はふふっと笑い、時刻を確認する。
「まだ沈黙するには早すぎる。話をしようじゃないか、アンドレ君」
縦横自由に動けるルークはそう簡単にチェックメイトを許さない。
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
アンドレは少し間を置き、告げる。
「ブラッドリーの鳩かは知りませんが、鳩なら見たことあります」
「ほぅ!」
ここで博士の声音が僅かに跳ねた。思いがけず博士の興味を引け喜びかけ、慌てて唇を噛む。
「博士は鳩が好きなんですか?」
「ふむ、アンドレ君はどうだい? 鳩は好きかい?」
「犬や猫ならともかく、鳩を好きか嫌いかで考えたことないんですけど……普通、ですかね」
「好きでも嫌いでもないと?」
「まぁ、そうなりますね」
「merveille! 僕も同じだよ! 鳩は好きでも嫌いでもない、普通さ」
博士はスリーポイントシュートを決めた風に喜びを表す。
アンドレには博士がこれほど興奮する意味は分からず、けれど天才と分類される人間はおおよそ自分みたいな者には理解出来ないのであろうと納得しようとする。
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
更に質問が重ねられ、あと何回同じことを言われたら抜け出せるのかを想像し、アンドレは気が遠くなる。
「ブラッドリーって誰ですか?」
とうとう気を引ける答えを模索し始め、博士のプライベートへ踏み込む。
「……もしかして恋人ですか?」
指摘に博士の瞳がこころなしか大きくなった。瞬間、アンドレは言い得ぬ期待で肺を膨らめ、呼吸に高揚が混じる。
博士はそれを嗅ぎ分け、鼻を鳴らした。
「ただの隣人さ。ところで君は隣人の名を知っている?」
「いえ、交流もしないですし、そもそもどんな人が住んでいるか気にならないのでーー」
「そうなんだ」
言ってからアンドレはしまったと焦る。これでは会話が終わってしまうじゃないか。
アンドレは博士へ目配せした。
博士は頷き、尋ねる。
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
「ブラッドリーは博士の隣人です! 隣人が飼う鳩ですか?」
即答するアンドレ、微笑む博士。
「ブラッドリーは真夜中にハンバーガーを注文しては、明け方に食べきれなかった分をベランダへ撒くんだよ。で、鳩がそれを食いに来る」
「鳩を餌付けしてるんですか? なんと迷惑な隣人でしょう! 注意しましょう! 俺、腕っぷしには自信があるので」
「暴力はいけないね、アンドレ君」
アンドレが力強く近付くと、博士は白衣をひらひら舞わせて斜め上にかわす。
それから人差し指の背で階数ボタンを連打した。
「ああ、俺はまた間違えたのか!」
アンドレは頭を抱え、床を蹴る。
「次、お願いします!」
今度こそうまくやるぞ、息巻くアンドレの耳元で博士が囁く。
「アンドレ、これは反復動作だよ。ブラッドリーがハンバーガーを頼む、ブラッドリーが食べ残す、食べ残しをベランダへ撒いて鳩が食うーーそして鳩の鳴き声で僕の朝が訪れる」
そこでだ、一旦発言が区切られる。
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
夜通し、尋ねられ。
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
アンドレは朝が来るまで間違え続けた。
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
「なぁ、ブラッドリーの鳩を知っているかい?」
エレベーターという鳥籠の中、ブラッドリーの鳩が鳴いている。
■
それから博士の三日月形した瞳が真ん丸になる頃、チンッ! トーストを焼く音に似た音でドアが開く。
どうやらエレベーターは自動復旧したらしい。技術的にありえないのだが、もはやそんな事はどうでもいいのだ。
ふらふらと廊下に出てきたアンドレは、朝日を浴びる博士に目を細める。あぁ、そういえばルークには光をもたらすという意味もあったっけ。
「アンドレ君、これから君の部屋に行かないかい? 試合は録画しているんだろう?」
博士は白衣を脱ぎ、肩へかけている。翼を休めるみたいに。博士は何処までも優雅で美しいとアンドレは感じた。
「それじゃあ、ハンバーガーとビールを買ってから帰りましょうか」
「merveille! とても良い案だね!」
朝日が昇っても目の覚めないアンドレを憐れみ、ブラッドリーの鳩は鳴いている。
ブラッドリーの鳩が笑っている。
おわり