「はい、じゃあ適当に二人組作ってー」


 2限目の探究学習の時間、担任が放ったその言葉に私、仁戸名 珠里は絶望した。

 「由香里~、あたしと一緒にやろー」
 「俺とペア組もうぜ」

 クラスメイトたちは目の前で続々と二人組をつくっていく。

 「……あ、う、あ……」

 私が自分の席で、言葉にならない声を発しながら立ち尽くすだけ。やがて、皆が二人組を作り終えて各々の席へ座りなおしたところで、気づいた担任が重々しく口を開いた。

 「……あー、仁戸名がひとりか。ほか、余ってる奴いるかー?」
 「はい。俺、余ってます」

 男の子にしては少し高い、透き通るような声が教室に響き渡る。私に向いていたクラス中の視線が彼――伊月 凛兎くんに注がれた。

 伊月くんはまるでこうなるのを待っていたかのように、自分の席に座ったまま気だるそうに手をあげていた。白くて長いその指の先には、キレイな黒のマニュキュアが塗られている。窓際に座る彼の、編み込まれた黒髪が日の光にさらされてきらきらしていた。
 彼を見た担任は、さらに気まずそうな顔をして苦笑いした。

 「あー……伊月か。じゃあ、仁戸名と伊月は二人でペアを組んでくれ」
 「わかりました」
 「……は、はい」

 伊月くんが席を立って私のところへ歩いてきてくれる。大きな瞳と長いまつげ、珠のように白くてきめ細かな肌、血色のいい唇。それらのパーツを完璧な位置に収める、余白のない小さな顔。
 彼が私の前に立ったとき、ほぼ変わらない目線の高さなのに、顔面が強すぎて気圧されそうになった。

 「よろしく」
 「ハッ、よ、よろしゅくおねがいしゃす」

 伊月くんは私が盛大に噛んだことになど興味もないという風に、何も言わず隣の席に座った。すでに私の心しにそうなんですけど?
 
 「じゃあ各自、テーマを決めて来週のこの時間までに発表資料を作るように。以上」

 担任の言葉を皮切りに、クラス中が騒がしくなる。

 「…………」

 楽しそうに話し合うクラスメイトたちに対して、私と伊月くんの間には沈黙が落ちていた。
 このままではまずい。
 私はごくんと生唾を飲み込むと、意を決して伊月くんの方を向いた。

 「……い、伊月くん。テーマ、何にしますかっ?」
 「なんでもいいよ。適当に決めて」

 こちらも見もせず、スマホを触りながら即答され、今度こそ心がポキリと折れそうになった。
 女の子みたいに可愛い、でも中身は懐かない猫より可愛くない――そう噂される男の子を前に、私は思わず天を仰いだ。

 ああ、こんなはずじゃなかったのに……。

 高校一年の7月。夏休み前のこの時期に、私は未だ友達のひとりも作れていない。そんな悲しい状況に至る発端は、中学2年の冬にさかのぼる。


 私はクラスでいじめを受けていて、不登校だった。
 きっかけがどうとか相手がどうとか、そんなことは今更どうでもよくて、とにかく他人が怖くて外に出られず、自室に引きこもっていた。
 両親を心配させて、困らせて、でもどうすることもできなくて、インターネットだけがお友だち。日がな一日中SNSのTLを監視する日々を約半年間続け、高校進学を両親が諦めかけていた頃。
 SNSでたまたま見つけた動画配信グループにハマった。
 その配信グループは日々くだらない企画を立てては楽しそうにはしゃぎまわる様子を動画にしていた。彼らは私より年上の大人だったけれど、グループメンバーは皆高校の同級生だという。
 彼らの青春の日々をのぞき見させてもらうような気持ちで見ているうち、私もこんな風に楽しく過ごせる友達が欲しいと思うようになった。

 我ながら単純だと思う。そこから一念発起し、なんとかどこかの高校に滑りこめるようにと受験勉強をはじめ、ストレスで爆食したことにより太った身体をリセットしようとダイエットして、メガネをコンタクトに変えて最低限のメイクを覚えて。
 念願叶って受かった志望校の入学式の2日前に、インフルエンザに罹った。これが私の『こんなはずじゃなかったのに』そのいちだ。
 その後一週間の自宅安静を経てようやく自分の教室に入ると、すでに仲良しグループが出来上がっていた。それは仕方ないとして、私はそこから挽回ができなかった。

 会話が壊滅的にできない。

 よく考えたら私は約一年半もの間、家族以外の他人と会話してこなかったのだ。わざと同じ中学の生徒がひとりもいないところを選んだから知り合いもいない。
 勇気を出して話しかけたはいいものの、言葉が出ない、会話が続かない。『こんなはずじゃなかったのに』そのにである。
 これで何かしら人より優れた部分があれば多少違ったんだろうけど、残念ながら私は勉強も運動もできない、控えめに言って落ちこぼれの人間だ。
 そんな状況が続き、最初はみなぎっていた勇気も現在は縮小傾向にある。
 もうすぐ夏休みなのに。友達とショッピング行ったり海行ったり花火大会行ったりしたかったのに……!

 そういうわけで今、私は立派なぼっち女子。クラスでグループをつくるときなんかはたいてい余りものになる。
 今までは4~5人グループで組むことばかりだったから、人数合わせで入れてもらえることが多かったけど、ふたり組となればみんな容赦ないことを実感した。
 わざわざぼっちの奴とふたりで課題に取り組もうという物好きはいないのだ。いたらむしろ何か企んでいるとか思えないから、こちらからも遠慮したいところだけど。
 だけどお……。

 「…………」

 グループワークが始まって10分が経過した。未だに伊月くんはスマホを触っている。
 伊月 凛兎くん。
 入学当初、女の子みたいに可愛いと校内の話題をかっさらった男の子だ。
 こうしてみると本当に可愛い。可愛いし、綺麗。自然な美しさというか、美形とは彼のことを言うんだろうと思った。媚びるような可愛さではない。

 そう、彼は媚びないのだ。彼を可愛い可愛いといってもてはやそうとする女子はもちろん、クラスの男子にも、教師にも。媚びないどころか突っぱねる勢いで周囲の人間を寄せ付けない。
 最初は騒ぎ立てていた女子たちも、「だから?」「うるさい」「黙るか死ぬか選んで」の3択しか返答がないことにガッカリしたらしく、今はその鳴りを潜めている。
 彼と仲良くなろうとチャレンジした男子もいたらしいけど、あまりにつれない態度に心折れたのか、今はクラスの誰も彼に話しかけなくなってしまった。

 おまけにこの、校則違反だらけの恰好が彼をさらに浮いた存在にしている。
 男子の校則より少し長いさらさらの黒髪からのぞく、形のいい白い耳。そこは3つのピアスとイヤーカフで飾られている。もちろんピアスなど校則違反のど真ん中である。
 夏なのに薄手のカーディガンを着ているし、その萌え袖からのぞく指先のマニュキュアも。
 ぜんぶ他の男子とは違うのに、ひとつの作品のように彼に似合っていて、アイドルみたいに可愛いんだから目立つのは仕方ない。
 本人も望んで可愛い見た目を選んでいるはずなのに、実際に「可愛い」って言われたら冷たい反応をするのはなぜなんだ……。
 しかも何度先生に注意されても、生活指導室で長時間絞られても意に返さずこのスタイルを貫いている。

 その徹底ぶりと普段の塩対応ぶりのおかげで、彼もこのクラスでいつも一人だ。
 でも私とは違って自ら一人を選んでいる、変わり者。
 ゆえに、私たちは今の今まで話したことも関わったこともない。何を話したらいいいかわからなすぎる……!

 「い、伊月くん」
 「……なに」
 「今回の探究学習のテーマは、地元の企業を絡めれば、あとは自由らしいです。何か興味ある分野とかありますか?」
 「……べつにない」
 「……ええっとじゃあ……た、例えばですけど、地元で人気のカフェを取材に行くとか! じっ、地元の人に愛されるために工夫してること、とか……」
 「いいんじゃない。それで進めたら」

 他人事みたいなその返事に、きゅっと口が閉じた。そんなの丸投げじゃん。興味ないじゃん。『いいんじゃない』って、“なんでも”いいんじゃないってことじゃん。

 「…………」

 その場に沈黙が落ちる。伊月くんは相変わらずこっちを見もしない。たぶん、ここでにこやかに『わかった、じゃあこれで進めるね』って、言えたらいいんだろうけど。スムーズに進むんだろうけど。
 ――もうそういうの、嫌だから。

 「……っ、そっ、そおいう態度は、どうかと思うけどなあ~~」

 凄んでいるにしてはぶるぶるに震えた情けない声が、私の口から出てきた。音量だけは無駄にデカく出してしまったせいで、周囲のいくつかのグループが異変に気付いてこっちを見てくる。
 目の前にいる当の本人は、ビックリした顔でスマホから顔をあげた。

 「そ、そりゃ3人とか4人とかでやってるんなら、それでもいいかもしれないけどさ、いい、今はふたりじゃん? 私と伊月くんしかいないんじゃん。一緒に考えるのも、相談するの、も、私には伊月くんしかいないんだよ。そっ、それなのに伊月くんがそんな態度だったらさ、私、一人でやることになっちゃうじゃん!」
 「……え、ちょ……」
 「その、ひっ、必要以上に他人と話したくないのかもしれないけどさ、今は違うでしょ、言葉のキャッチボールしてほしいよ。私から一方的に投げてるだけじゃん。壁打ちはSNSで十分なんだよ、つぶやきたいだけなら鍵垢いくよ!」
 「いや何の話……」
 「わっ、私はこの通り友達いないぼっちですけどおっ、だからってなんでもかんでも黙っていうこと聞くわけじゃないっ、し、いま、さら、失うものも、なんも、無いし……」
 「――待って仁戸名、ストップ」

 伊月くんが右手を私の顔の目の前に突き出す。彼とようやく目が合った。

 「ごめんわかった。ちゃんと話すから、一旦息整えて」

 言われて、いつのまにか過呼吸になりかけていたことに気づいた。しゃべることに必死になりすぎて、うまく息が吸えてなかったみたいだ。
 いつのまにか教室が静まり返っていて、みんな私たちを見ていた。顔が燃えるように熱い。今、私は何をしゃべったんだろう。記憶がないようでしっかりあるのが辛い。自分のコミュ力の低さが恨めしい。あ、泣きそう……。

 「……大丈夫だから。ぜんぶ俺が悪いから。ゆっくり息して」
 「…………」

 クラスメイトたちから視線を外し、伊月くんと目をあわせながら、落ち着いて息を整えた。彼は真剣にこっちを見ている。こんな伊月くん初めて見た。ていうかほんと腹立つほど綺麗だな……。
 深呼吸を何回かしたのち、ようやく呼吸が落ち着いた。縮こまりながら「すみませんでした……」とか細い声で謝る。

 「いや、俺が……」
 「大丈夫か、仁戸名? 一回保健室行ってきてもいいんだぞ」

 私の中学時代をあらかじめ知っている担任が、いつのまにか横に立って心配そうに私を見下ろしていた。

 「あ……えと……」

 迷うように視線を動かして、クラスメイトたちの色んな視線を感じてぎゅっと胸が痛くなった。中学時代を思い出して、頭がまっしろになってくる。
 ――あ、ダメかも。これ。ちょっと今はなんか、ムリかも。

 「じゃ、じゃあ……」
 「わかった。一人で行けるか?」
 「は、はい」
 「付き添います。俺が原因なんで」

 えっ。驚いて見ると、まっすぐな瞳と目が合った。

 「いい?」
 「えっ、あ、はい……」
 「じゃあ任せたぞ、伊月。……ハイハイ、他の奴らは各自の話し合いに戻れー!」

 担任の合図で、みんなこっちをチラチラ見ながら会話を再開し始めた。
 伊月くんが席を立って私の横に移動する。まるでクラスメイトたちの視界を遮るみたいに。

 「歩ける?」
 「は、はい……」
 「しんどかったら俺につかまって」
 「だ、だいじょぶです」
 「あそ。じゃあ行くよ」

 伊月くんが先導して教室のドアを開けてくれて、私たちは並んで教室を出た。