The Sun-Gild Wing ――神話として語り継がれる超古代文明のテクノロジー

 数日後。ソールはシバルバーに向かう旅客機にいた。ペルセウスとアンドラ、アーレス、ハーデスはアルカディア空港まで見送りに来てくれた。ポセイドンとアルテミスは、任務を離れられず断念したのだ。
 アルカディアに来て以来、対戦した相手とは良好な関係が続いている。アポロンの遺志を伝えたことと1人も死者を出さなかったことが奏功したのだ。
 ただし、ゼウスだけは今でも犬猿の仲である。目が合ったときも、お互いににらみつけてそっぽを向く。自国を混乱させたというだけでなく、厳格なゼウスにとってマイペースなソールは反りが合わないのだろう。
「気をつけていってこいよ」と皆に見送られて飛行機に搭乗した。離陸し、約3時間のフライトで眼下に陸地が見えてきた。
「あれがシバルバーか…」
 おかわりのフルーツドリンクを飲み干しながらつぶやいた。ひと目見て高度な科学技術が使われていることが分かった。
例えば高層ビルがいくつも建っている。夕暮れになる時間帯にはきらびやかな灯りが色とりどりに重なり、夕日と重なって美しい光景を映し出していた。
 一方、ソールは違和感を覚えた。何かが足りないのだ…。
(はて、何だろうな?)
 首をひねったものの答えは出なかった。まあいいか、と思ったそのとき、飛行機がガクン、と揺れた。
「おいおい、何だよ」
 気流の乱れかと思ったがとっさに違うと感じた。この場合、アナウンスで「気流の乱れがありますが飛行には影響がありません」と流すはずだがそれがない。しかも、キャビンアテンダントたちが右往左往している。
(コックピットで何かあったな)
 その直感に従い、シートベルトを外して駆けだした。

 コックピットに無断で入るとパイロットが青ざめていた。
「何があった!?」
 ソールが怒鳴ると壮年のパイロットがおろおろしながら答えた。
「自動操縦を解除した途端、警報が鳴り始めたんだ!」
「はあ?」
 詳しくは分からないが緊急事態であることは把握できた。ソールはコックピットに駆け寄り、コントロールパネルを見た。大きさは違うが戦闘機とあまり変わらない。
「たぶん、機体が上昇しすぎているんだ。操縦桿を前に倒して下降気味にしろ!」
 すると機体の揺れが少なくなり警報もやんだ。
「はあ、助かった…」
「おい、あんた機長だろ? 何であんなに慌てていたんだ?」
 ソールは睨んだ。飛行機の操縦を知っている自分がいたから良かったものの、もしいなければ墜落していたかもしれない。
「実は、離陸と着陸以外は自動操縦ばかりやっていて自動操縦を解除したのが初めてなんだ」
「何だって!?」
「上の世代はマニュアル操作で機体を飛ばしてきたんだけど、自分の世代はもう自動操縦が当たり前になっている。今回のようなトラブル自体が初めてのパイロットも少なくないんだ」
 その後、飛行機は無事にシバルバーの空港に着陸した。
 機長が今回のトラブルを管制塔に報告したのだろうか、外に大勢の空港関係者と野次馬がいた。が、ソールは相手にするのが煩わしいので見つからないようにさっさと降りて逃げた。
 シバルバーは大都市だった。アレクサンドリアやアルカディアも都会だったがシバルバーはそれ以上である。
 面積はさほど変わらない。違うのは高さだ。
「たっか…」
 ソールは街に出てビルを見上げた。地上100階はありそうなビルだ。それも1棟でなく何棟もそびえ、一つの区画に集まっている。
 摩天楼のふもとを大勢の人々が往来している。それもすさまじい人数がさっさと歩いているのだ。
店に入って飲み物を買おうと、財布を取り出した。
「あ、両替してなかったな…」と思ったとき、ふとペルセウスに渡されたカードを思い出した。
「確かこれで買えるって言ってたな」
 研究費が降りたという話だが、シバルバーの日用品はこれで買えるということなのだろう。水を持ってレジに進みバーコードのようなものをあてた。すると値段が出たので今度はカードをかざした。液晶を見ると自動的に精算されている。
「現金いらないのか…」
 便利だなあと独り言を言いながら店を出ると、今度はタクシーのような車が目にとまった。行き先の研究施設の名前を書いたメモを出し、行き先を伝えようとすると。
「ん? 無人なのか?」
 乗り込んだ車には人はいない。その代わり運転席のようなところにあるパネルから音声が聞こえた。
〈行き先をご指示ください〉
〈え、シバルバー・ネオフラカン中央研究所〉
〈了解しました。どうぞご乗車ください〉
 ソールが座席に腰をおろすとドアが閉まり、車が走り出した。
「こりゃすごい、最新の科学技術を集めているぞ」
 やがて研究施設であるシバルバー・ネオフラカン研究所に到着した。

「君がアルカディアのソールくんか、ようこそシバルバー・ネオフラカン中央研究所へ」
 玄関で出迎えた赤い髪の男がにこやかに挨拶した。黒縁のメガネが印象的だ。
「私は当研究所の所長をしているフン・カメーだ」
 握手した手は荒れていて指も太い。日夜、技術開発に精を出しているのだろう。二人は研究所の中に入りながらシバルバーの技術のことについて話した。
「驚きましたよ、ここは何でも自動操縦なんスね」
「すごいだろう。ネオフラカンシステムの成功により、これほどの文明が作れたんだ」
 自分たちの技術を謙遜することなく酔いしれるように「すごい」と言っている。ソールはその尊大さに警戒心が働いた。
(こいつ、ちょっと危ないかもな)
 亡きアポロンから「どんな技術も完璧ではなく、何かしら弱点がある」と思えと教えられた。現に、サンギルドシステムは太陽がなければ修復のエネルギーが作れない。常に課題がありそれを改善する努力が必要なのだ。
 自分の技術を自慢したい気持ちは分かるがフン・カメーの口ぶりには謙虚さがまったくなかった。どこかで欠陥が見つかったときどうするつもりなのか…。
「ところで、あの自動操縦ってネオフラカンシステムって言うんすね」
 フラカンとはシバルバーをはじめとした中南米地域では「風」を示し、広義的に「自然」を意味するようだ。のちにマヤ神話では「風の神」となり、台風であるハリケーンの語源になったという説もある。「ネオフラカン」とは、その自然を超越した技術ということだろう。
 自動決済や無人車の自動操縦のように現代でいうところのAI機能が生活の到るところに及んでいる。
 例えばエレベーターに搭乗すると階数を言うだけでそこに連れて行ってくれる。車椅子の人がいたらセンサーがそれを察知するのだろうか出るまで待ってくれる。その車椅子にしたって、使用者が手で使うのではなくゲームのリモコンで操作できるような仕組みである。
 空中にはラジコンのヘリコプターが飛んでいた。荷物を持っているようなので宅配便の機械だろうか。聞いたところ受取手の顔を認証して届けてくれるらしい。
「実は、飛行機の自動操縦システムは我が研究所が世界に先駆けて開発したものでね…」
 まだ自慢話が続いている。大丈夫か? あのラジコンも、荷物の代わりに銃弾をプレゼントすることだってできるだろうに。
「フン・カメー兄さん。どこ行くんだ? こっちだよ」
 後ろから声がした。フン・カメーに似た男が立っている。兄弟だろうか?
「ヴクブか。こちらの客人、ソール君を案内していたんだ」
 その男は、フン・カメーとは対称的に青みがかった髪の色をしている。また物腰も対称的で物静かで穏やかだ。しかし、その目は指すように冷たい。
 ちなみに、フン・カメーとヴクブ・カメーはマヤ神話に登場する神である。
「はじめましてソールさん。よろしくお願いします」
 頭を下げた。フン・カメーより少し年下くらいだろうからソールよりは年上のようだ。が、若輩者のソールに頭を下げるのは少なくとも兄貴よりは尊大ではないからか。
「中央研究所のメインラボにご案内いたしましょう」
 メインラボには多くの科学者と技術者がいた。しかし、それ以上にいたのは研究を手伝うロボットたちだ。
「ネオフラカンシステムで人工知能を開発したんだ」
 自慢気にフン・カメーが話す。
曰く、自動化のほか天候を自在に操る、動植物を原子レベルで配列を変えることも研究されているらしい。ことごとく自然を超えたということをアピールしたいのだろう。
「すまないね、兄貴は自分の研究に誇りを持っているから自慢したいんだよ」
 ヴクブ・カメーが苦笑いしながら言った。誇りというより自意識過剰という印象が強いのだが……。
「ところで、ネオフラカンって何か欠点や課題はないんスか?」
 ソールはしれっと聞いてみた。
「何を言う! 欠点も課題もない、完璧な技術だ!!」
 フン・カメーが目をつり上げて怒鳴った。
「君はネオフラカンを何も分かっちゃいない!」
 いや、分かっていないからこうやってきて研修を受けようとしているんだけど……。
「兄貴、彼も別に悪気があるわけじゃないからさ、落ち着けよ」
 なだめるヴクブ・カメー。
「別にないならいいんですけど。でも、どんな技術も常に課題は出て来るものなんで。現に、俺の管理しているサンギルドシステムもそうだから」
「サンギルドシステム?」
 初めて聞くような顔をする2人。ここに来る前に研修の意図を伝えたが、その文面にサンギルドシステムも書いていたのだ。読んでないのか?
 仕方なくソールは概要を説明した。すると、フン・カメーはさほど興味を示さなかったがヴクブ・カメーがくいついてきた。
「それができるなら、エネルギーを無限に作れるね」
 感心したように呟く。一方、フン・カメーは
「太陽の恩恵なんてな。古代人の宗教じゃあるまいし」
 と言い捨て肩をすくめて出て行ってしまった。
(どんだけうぬぼれやなんだ?)
 その夜、ソールは自室で報告のメールを打った。
「初日の研修。とりあえず自己紹介。先方の研究者は優秀だが性格に問題有り。気を付ける、と……」

「ねえペルセ。ソールはちゃんとやっているかな?」
 アンドラが、帰宅したペルセウスに言った。
「まあ、3日に1回はメールが来ているからちゃんとやっているにはいるようだ」
 ただ、そのメールが短い上に技術的なことばかりだから具体的な研修は暗号のように読み解かなければならない。
 例えば、自動化プログラムのバグがなんたらだの、なんとかコードの解析に6時間だの……。
「何それ?」
「あいつ、普段淡泊なくせに、メカ系や技術のことになると目がらんらんと光るからな」
 しかもうすら笑みを浮かべる癖があるらしい。ペルセウスはその様子を動画に撮ったことがあり、アンドラに見せてみた。
「きもちわる……」
「あまり見るな。お腹の子供に触る……」
 ソールも、ペルセウス・アンドラ夫婦の話のタネにされているとは露にも思わないだろう。

 ところがその翌日。事件が起きた。
 ソールがいつものように研究室を退出して自室に戻ろうとしたとき、突然後ろからの衝撃を受け、そのままどさっと倒れたのだ。
 ペルセウスたちが異変に気付いたのはそれから一週間後だった。
「おかしい」
「何がだ?」
 ペルセウスがアルカディア軍の詰め所でポセイドンに言った。
「もう1週間だ」
 ソールからの定期メールが途切れて1週間が経つ。出立するとき、短くていいから定期的に連絡しろと言った。その言葉通り、短くて愛想のかけらもないメールが3日に1度は送られてきた。
 それが途絶えて1週間。何かあったのだろう。
「もともと筆無精なんでしょう? だったらめんどくさくなったとかは?」
 アルテミスが口を挟んだ。ちょうど海上の護衛が終わり、カリストーとシフトを交代して戻ってきたばかりだ。
「いや、あいつは自分で習慣化したり決めたりしたことは愚直にやる性格だ。何かトラブルがあったに違いない」
「ペルセウス」
 アーレスが部屋に入ってきた。
「一応ゼウスに報告したぜ」
「なんて?」
「放っておけってさ」
 肩をすくめるアーレスを見ると、ボスは厄介払いができてせいせいするとでも思っているようだ。
「誰か迎えに行くか?」
 ハーデスがペルセウスとアーレスを促した。
「ばか言えよ。一個人を軍人が迎えに行くなんてしたらあちらさんとの関係にひびが入るぞ」
 現代でもそうだが、例えば紛争地域に戦場カメラマンが入って拘束されたからとしても軍を出すことはできないのが政治だ。下手に軍を動かしたら争いの火種になる。
「もう少し待つか。そうすれば行方不明者の捜索という名目ができるだろうから」
「それまでに万が一のことがあったら?」
「そのときはそのときだ、あきらめるしかないな」

 そんな薄情なやりとりがアルカディアでされる数日前のこと。ソールはくの字に倒れた状態で目を覚ました。
「いってて……あれ、俺どうしたんだっけ」
冷たい石畳が生ぬるく、かなりの汗で濡れているからけっこうな時間倒れていたことが分かる。それにしても辺りが薄暗い。何とか目をこらすと家具などが揃っているから、どこかの部屋のようだ。
 突然、シュッと扉が開いた。
「お目覚めのようね」
「誰だ!」
 声の方に向いて身構えた。
「あなたの面倒を見るようヴクブ・カメーから言われたわ」
 扉のところにいたのは自分とさほど歳の変わらない女性だった。
「おいおい、俺は客人だぜ。何で監禁するような真似を……」
 立ち上がろうとしたら全身にしびれが走り、どさりと倒れた。
「感情を高ぶらせないほうがいい。君の首には脳の信号を感知するチョーカーが巻かれているからね」
 女性の後ろからフン・カメーとヴクブ・カメーが現れた。頭で考えたことや感情を読み取り、よからぬことをしようとしたら電流を流すということか。
「……一体何の真似だ?」
 息が絶え絶えになりながら毒づいた。と言ってもあらかた狙いは勘づいている。
「君のサンギルドシステムを我がシバルバーに取り入れようと思ってね」
 軟禁して無理矢理に開発を手伝わせるという魂胆のようだ。
「やなこった」
 するとまた電流が流れた。
「ぐわっ!」
「言っておくけど我々が任意に電流を流すこともできる。お忘れなく」
 まあ、前向きに考えてくれたまえと言い捨てて2人は出て行った。
「あいつら……」
 と怒りを覚えつつ感情を抑えた。また電流が流れるのはごめんだ。
「大丈夫?」
 例の女性がタオルを出してくれた。
「ああ……ってあんた、あいつらの仲間じゃないのか?」
 怪訝な顔でたずねる。
「実は私もあなたと同じように軟禁されているの」
 とりあえず落ち着いたソールは椅子に腰掛けてその女性にいきさつを聞いた。
 女性の名前はイシュタム。ネオフラカンの研究者だという。ちなみにイシュタムとは、マヤ神話に出てくる女神の名前だ。
「もともと、私はシバルバーの人間じゃないの」
 曰く、シバルバーから西にあるトゥランの出身だという。現在でいうユカタン半島にある都市だ。イシュタムの専門は脳科学で、人間の脳を研究してネオフラカンに役立てるというものだった。故郷からこのシバルバーに来て研究を続けていたが、やがてフン・カメーらのやり方に疑問を持つようになった。その結果、不意を突かれて気絶させられてこのチョーカーを着けられたという。
 その研究は、人間の脳に流れる信号を操ることだという。
「それも自分の研究を盗まれてこのチョーカーに応用されたのよ」
「どこまで汚いんだ」
 怒りを通り越してあきれた。
ソールはアポロンから「技術は善でも悪でもない。それを決めるのは人間だ」という薫陶を受けてきた。あの連中のやり方を見ているとネオフラカンシステムは放っておけば悪に染まると容易に想像できる。
「どうするかな……」
 またビリッとしびれが走った。
「まあ、のんびり考えるか。見たところこの部屋は暮らすのに不自由はしないみたいだし」

 ソールは部屋にあった菓子を食べながら自分の研究について話した。
「へえ、太陽光をエネルギーにするのね」
「俺の亡き師アポロンが開発したんだ。ただ、アレクサンドリアの事故でアポロンも亡くなったし、設計図も予備パーツも全部吹っ飛んでしまった。だからフェニックスと俺の頭の中にしか情報がないんだよ」
 2個目の菓子に手を伸ばす。
「ったく、あのときゼウスのあほオヤジがあんな無茶しなきゃこんな面倒起こらなかったんだ」
 ぶつくさ言うとまた電流が流れた。
「……反抗心が出ると罰を与えるか、まるで飼い犬みたいだ」
 チョーカーを首輪に見立てた皮肉だ。もし西遊記を知っていたとしたら孫悟空の頭の環と揶揄しただろう。
「ごめんね、私の研究のせいで……」
イシュタムが目を潤ませた。
「い、いや、研究自体は悪くない。悪いのはあの2人だ」
 今度は小さいパンを口に放り込んだ。
「ねえ、食べ過ぎじゃない?」
「腹減っているんだよ」
「なんだ、早く言ってよ。ごはん作ろうか?」
 イシュタムはそう言うと立ち上がりキッチンに立って料理を始めた。しばらくするといい匂いがしてきた。
「はい、白身魚のソテーと野菜の盛り合わせとスープ。大きなパンもあるわよ」
「お、ありがとう」
 早速ソールは魚を口に運んだ。
「うまい!」
 満面の笑顔でほめるとイシュタムははにかんだ。
「ありがとう。まだあるからおかわりして。私も一緒に食べるね」
 アレクサンドリアを出て以来、家族や友人の温かみになかなか触れられなかった。久々に触れたことがソールを和ませた。
「ごちそうさま、おいしかった」
 満腹になったら眠くなってきた。するとイシュタムは部屋の端を指さして言った。
「ベッドはそこにあるからね。私ももう少ししたら隣で寝るから」
「は?」
 ソールはぽかんと口を開いた。
「言ってなかった? 軟禁する部屋はこれしかないから私たち一つの部屋で寝泊まりするしかないの」
「なんですと!?」
 目をむいて顔を真っ赤にするソール。イシュタムも顔を赤くしたが
「べ、ベッドは二つあるから一緒に寝るわけじゃないのよ」
 ほっとしたような少し残念なような。ソールは複雑な笑みを浮かべた。
「ソールを探しに行くぞ」
 ペルセウスは詰め所で言った。連絡が来なくなって2週間になる。行方不明者の捜索という名目で行くことにしたのだ。
「それは軍の仕事ではないだろう。向こうの警察にやってもらうしかない」
 冷静にポセイドンが釘を刺した。
「やると思うか? 頼んでも流されるのがオチだ。それならプライベートを装っていく」
「1人で行くのか? 俺も……」
「私も行くわ」
「ここにいる皆が行くのか? アルカディアの警備はどうする?」
 ポセイドンを除く全員が行きそうな勢いだ。
「メンバーを選抜した方がいい。ペルセウスとアルテミス。アーレスと他のセイレーン部隊、私は残ろう」
 陸海空の警備のバランスを考えた采配である。
「ハーデスはどうする?」
「行けんことないが、俺が行って役に立つのか?」
 ハーデスは自信がなさそうだった。戦闘ならともかく諜報活動の類は向いていないらしい。
「海軍から小型戦艦を出そう。シバルバー近海で演習するという名目でな」
 こうしてソール捜索隊が結成された。

「ん? これ何?」
 ソールはイシュタムの枕元にある物体に気がついた。黒い箱からひもが伸び、その先に吸盤のようなものが付いている。
「これ、今研究している装置なんだ。カウィール・シナプス装置って名付けたの」
 人間の脳に残っている記憶を呼び起こすものらしい。人間は成長するにつれて3歳までの記憶をなくしてしまうというのが通説である。が、イシュタムによると脳内の発火現象を分析したところ記憶をなくすのではなく「奥にしまいこむ」のではないかとの仮説にいきついた。そのしまいこんだ記憶を呼び起こせないかというものなのだ。
 ちなみに、カウィールとはマヤ神話の雷の神だ。シナプスと付いているから、脳内の発火現象を雷に例えたものというわけだ。
「実験してみたのか?」
「ううん、最近できたばかりだから」
「自分で試さないのか?」
 するとイシュタムはうつむいてしまった。
「私、ガラスのハートだから怖いの…」
 ピンと来なかったが、やがて繊細な性格だということに気付いた。探究心が高じて開発したものの使うことには躊躇しているようだな――
「ふーん、じゃあ俺が使っていいか?」
「え?」
 イシュタムは目を見開いた。
「大丈夫? 怖くないの?」
「知らん。けど、このまま捕虜状態なのも退屈だしやってみるさ」
 何が起こるか分からないわよ、という声をまともに聞かず、ソールは吸盤を頭に付けて「じゃ、おやすみ」とベッドに転がった。そのまま眠ってしまうまで5分とかからなかった。

――キニチ・アハウ、システムはどうなっている?
――まだまだ、実用には遠いな。
(ん? 夢か?)
――そういや、お前の赤ん坊が託児室で泣いていたぞ。行ってやった方がいいって。
――先に言えよそれを。
はっきりしない意識で会話の主の顔を見た。ひげがもしゃもしゃの男だった。
(何だか懐かしい……)
 刹那、場面が急に変わって騒がしくなった。
――キニチ、逃げろ!
――ばかいえヘリオス、お前こそ逃げろ!!
――意固地になるな! てめえが死んだら赤ん坊はどうなる!!
 キニチという男は、もう一人の男――ヘリオスに赤子を押しつけた。
――だったらお前がこいつを連れて逃げろ!!
 キニチは足でヘリオスを蹴って逃がした。
――キニチ!!!
――ぐあああああああああああああ!!!
「うわあああああっ!!!!!」
 ソールはベッドから跳ね起きた。
「ど、どうしたの?」
 隣のベッドで寝ていたイシュタムも目を覚ました。
「あー胸くそ悪い夢見た」
 全身にびっしょり汗をかいている。体中の血管の血が逆流しそうだった。
「この装置のせいか?」
 イシュタムは記憶を呼び起こすと言ったが、そうだとするとあの夢はソールの記憶ということか……?
「ん?」
 ソールは自分の首を見た。チョーカーがちぎれて転がっている。
「やった、これで自由に動ける!」
「うそ、そんな……」
 イシュタムは信じられないという顔だ。
「あまりに脳が激しく揺さぶられたから、チョーカーが耐えきれなくなったんじゃないのか? いずれにしてもチャンスだ」
 ソールは脱出するためにすぐさま外に出ようとしたが……
「そうだ、いいことを考えたぜ」
 悪どいいたずらを思いついたような不敵な笑みを浮かべた。

翌日、フン・カメーがやってきた。
「どうだ、われわれに協力する気になったか?」
 ソールは立ち上がって手を挙げた。降参のポーズだ。
「分かったよ、あんたらには叶わないさ」
「ふん、分かったならいいんだよ。さあついて来い。ネオフラカンに君の技術を組み込んでやろう。光栄に思えよ」
 相手を見下したような笑みを浮かべ、フン・カメーは出口に向き直った。その瞬間、ソールは飛びかかって渾身の力で後頭部を殴りつけた。
「ぐあっ!!」
 フン・カメーはドカッと倒れ込んだ。
「何をする!! こんなことをしてただで済むと思っているのか!?」
 フン・カメーは持っていたチョーカーのリモコンを押した。
「え?」
 どうしたことか電流が流れない。
「このチョーカーはただのチョーカーだ」
 ソールは自分の首に巻いていたチョーカー――ダミーのチョーカーを放り捨て、再び殴りかかった。その拳にはあり合わせの金属で作ったメリケンサックが握られている。
「ぐえっ!!」
 頬の次は腹、あごと殴りつけた。
 軍人ほどではないが実はソールは多少荒事の心得がある。アレクサンドリアにいた頃は重い機器などを運ぶことも多かったため、平均男性より腕力があるのだ。
 それに対し、フン・カメーは自動化に頼った生活を送って肉体が衰えているはずだ。肉弾戦なら自分に分があると踏んだのだ。
 もっともソールは争い事が好きではない。が、自分に対してこの仕打ちをしたフン・カメーには数倍にして報復しなければ気が済まなかった。
 やがてフン・カメーは目をまわして気を失った。
「イシュタム、もういいぞ」
 イシュタムはその合図で自分のチョーカーを外した。ソールは、意外に簡単に外れた電流チョーカーを見てイシュタムのも外れると考えた。思った通り、繊維の薄い箇所があったので上手く解体できた。
「ソール、何もここまでやらなくても……」
「俺は人は殺さない主義だが、やられたことは殺さない程度にやりかえす主義なんだよ」
 そう言うと今度はフン・カメーの手首足首を縛って口を猿ぐつわにした。そして呆れるイシュタムの手を引いて部屋を脱出した。
ネオフラカン研究所は緊急事態態勢となって右往左往していた。フン・カメーが意識を失う怪我をし、外国の研究者が脱走したのである。もしかしたら極秘情報を持って行かれたかもしれないと緊張が走った。
 当の脱走した2人の研究者――ソールとイシュタムは、とある一室の天井裏に隠れていた。先程、下の部屋に人が来たが誰もいないということで行ってしまった。
「普通、人の気配とか探らないのかね」
 ソールは小型のコンピューターを操りながら嘲笑混じりに呟いた。自動運転の機械任せに生きてきたから人間の直感的な感覚が鈍っているんだな――
「確かに機械づけの生活をしていると右脳が鈍くなりやすいからね」
 イシュタムも同意する。
「それも研究の成果?」
「ううん、一般論と自分の体験よ」
 曰く、研究室に閉じこもりがちになってから人の気配を感じにくくなったことがあるという。やっぱり自動機械に頼りすぎるといろいろ弊害が出るということか。
(そういえばシバルバーに来るとき乗った飛行機も緊急時に対応できていなかったな)
 機長が緊急事態の際に操作を誤っていた。今思い出すだけでもひやっとする。
「もしかしたらその弱点を突いていけば脱出しやすいかもな」
「ところでさっきから何しているの?」
「この研究所の中央コンピューターにハッキングしてここの設計図をコピーしたんだ。要は地図代わりだ」
 イシュタムがのぞき込むと画面に研究所の設計図が映し出されていた。
「普通の地図なら持っているけど?」
「誰もが入手できる地図じゃすぐ追っ手が来るさ。そうじゃなくて壁の中にある空洞とかをかいくぐっていけば簡単には追いつけないだろう」
 そう言い切るとソールは腰を上げた。
「行くぞ、ここから脱出する」

 その頃、アルカディアを出発したばかりのペルセウスは機上で頭を抱えていた。
「どうしたの?」
 アルテミスが尋ねると
「ソールのやつ、また無茶していやがる……」
 つい先程、ソールからメールがあったのだ。かいつまんで言うとどうやら軟禁されていたらしいが研究所の責任者をボコボコにした挙げ句、一緒に軟禁されていた女性と脱走劇の真っ最中とのことだ。
 そのような内容のメモをアルテミスに見せた。会話をすると誰に聞かれるか分からないためだ。
「どうするの?」
 アルテミスが引きつった顔で聞いた。なるようになるさ、と肩をすくめてペルセウスはそっぽを向いた。
 二人はプライベートを装ってシバルバーへの飛行機に乗り込んだ。が実は、海上では同時にペガサスとセイレーン、そしてフェニックスを艦載した小型の軍艦が航行している。軍事行動に出るとシバルバーとの関係に軋轢が生じるかもしれないが、ここまできなくさい状態となると有事もあり得る。
「小さい船を出してくれるとはポセイドンの機転に感謝しないとなあ」
 そんなことをつぶやきながらペルセウスはコンピューターでソールにメールを返信した。
―今そちらに向かっている。シバルバー第一空港に着いたらまた連絡する。無茶はくれぐれもしないように。
 送った直後、あいつが果たしてどれだけ聞くだろうかとため息をついた。

「まだ見つからないのか!!」
 フン・カメーは激昂しながら部下に詰め寄った。その顔は大きく腫れ上がり頭にはたんこぶがいくつもできている。
「申し訳ございません、全力で探しているのですが……」
「言い訳なんか聞きたくない!!」
 バンッと激しくテーブルを叩いた。
「兄貴、相当やられたようだね」
 ヴクブ・カメーが冷静に呟く。
「これだけ探して見つからないとなるともしかしたら通路でなく道なき道をつたっているかもしれないな」
「どういうことだ?」
「天井裏とか壁の中とかをすり抜けているってことだ。そうなると人間の目では見つけにくいな」
 天を仰ぎつつヴクブ・カメーがある提案した。
「地獄の番人たちを使うか」
「あ? あれはまだ研究途中だぞ」
「いや、ほとんど整備まで終わっている。このままだとどのみち取り逃がすぞ。ちょうどいい実験にもなるさ」
 そう冷笑を浮かべながら、ヴクブ・カメーは近くにいた研究員に指示を出した。のちのマヤ神話で、地獄の住人として語り継がれていく兵器たちを放ったのだ。
「ねえ、やっぱり普通に廊下を行った方がよくない?」
 天井裏をつたいながらイシュタムがソールの顔をのぞき込むように尋ねた。
「大丈夫だって。俺を信じろ」
 自信満々に歩を進めるソール。この自信は一体どこから来るのかと、イシュタムは苦笑いした。
「いいなあ、私もあなたみたいに根拠のない自信が欲しい。自己肯定感が強かったらなあ……」
「何だよいきなり」
 ほめているのか、けなしているのか……
「私が脳科学の研究を始めたきっかけは自分の自己肯定感がなかったことなの」
 イシュタムの母親は彼女を産むときに家族や親戚に反対されたらしい。40代半ばの出産で母体に負担がかかる上に世間体が悪かったというのが理由だ。それを押し切って出産すると多くの人間は大して祝福せず無視したり子供――イシュタムを蔑んだりしたとのことだ。そこで周囲から認められたいがために大人たちの顔色をうかがうようになってしまったらしい。
「大人になっても心のどこかで人間を信頼できずにいるような気がするの」
「そんな自分を変えるために脳科学を研究し始めたのか?」
「心理学って道もあったんだけど、私は脳科学の方が合っていると思って」
 個人の性格と脳科学がどう結びつくのかソールには見当がつかなかったが、イシュタムは話を続ける。
「ソール、サイコパスって知っている?」
 最近読んだ科学誌に載っていたような気がするなあとソールは記憶をたどった。確か平気で人殺しなどの残虐な行為をする人間の脳に焦点を当てた特集を組んでいた。
 サイコパスは他者の感情に共感できないなど脳に一種の障がいがあると定義され、研究が進められている。
「まさか自らサイコパスになるってわけじゃないよな?」
「そのまさかよ。カウィール・シナプスはそれも可能になるのよ」
「…俺は反対だね。そんな研究」
「え?」
 イシュタムはソールの顔を見た。先ほどまでの飄々とした雰囲気が消え目つきが鋭くなっている。
「アポロンが言っていた。〝技術はナイフ〟だって。ナイフは食べ物を切ったりロープを切ったりするのに使えて生活の助けになるけど人を殺傷することもできる。だが、ナイフ自体が悪いわけじゃない。使う人間の心によって善にも悪にもなる。あんたの研究は技術的には優れているが我欲を満たすために使っていないか?」
 イシュタムは言葉を失った。
「もっと他者のためになる研究をした方…が!?」
 ソールが最後まで言い切らないうちに、突然床(正確には天井)が崩れ、二人とも真下の部屋に落下してしたたかに尻を打った。
「ったたた…」
 ハッと顔を見上げると目の前には奇妙な形をした人形…ロボットが立っていた。
「なんだこいつら…?」
 すると突然、2体のロボットは光線を発射した。とっさによけたが命中した平な床が不格好ないぼ状になっている。
「な、なんだいきなり!!」
「地獄の番人、シキリパットとクマチュキック!?」
「あ?」
 青ざめた顔でイシュタムが叫んだ。
「こいつら、脱走者や潜入者を抹殺するためのロボットよ。この光線、確か…」
 再びその光線が発射され、壁がいぼ状になった。
「鉱物の原子の配列を強引に変えるの!」
「おいおい、ここはそんな物騒なものを作っているのか!?」
 人間の体内には鉄分をはじめカルシウムなどの鉱物がある。その配列を強引に変えられたらどうなるか分かったものではない。
 標的はソールとイシュタムにロックオンされているらしく、次々と光線を発射してくる。
「ちょ、何か倒す方法はないのかよ!?」
「そんなこと言われても……」
 2人ともよけるのが精一杯だ。
「そうだイシュタム、あいつらの間に一列に並べ!!」
「え!?」
「いいから早く!!」
 ソールとイシュタムが2体の間に一列に並んだ。シキリパットとクマチュキックは、二人に向き直り光線を発射した。
「今だ、しゃがめ!!」
 すると2体が発射した光線は2人に当たらず、ロボットの相方に命中した。同士討ちに成功したのだ。
「よっしゃ!!」
 2体のロボットは不具合を起こし、機能を停止させてその場に崩れ落ちた。
「全身が鉱物のロボットなら生身の人間よりも壊れやすいと思った」
 イシュタムに手を差し伸べて立ち上がらせた。肩が小刻みに震えている。
「大丈夫か?」
 怖かったのかと思ったが、イシュタムの口から驚く事実が出た。
「どうしよう、こんなのがあと8体もいるのに…」
「なんだって!?」