数千年前――地中海沿岸にあるアフリカの港町・アレクサンドリアにて。
「アポロン師匠、戦闘機の整備が終わりました」
 ここは、ギリシアにあるアルカディア共和国の植民地となって200年近くたつ。先程の声の主は色黒のアフリカ系の少年だった。港近くのアルカディア軍基地で、整備兵として働いている。
「ご苦労さん、オシリス」
 答えたのは30代前半の青年だった。ギリシア系の彫りの深い顔立ちと青い目をしたその男・アポロンは、宗主国のアルカディアからアレクサンドリアに来た。後世、ギリシア神話の太陽神・アポロンになった人物である。
「あれ? あいつは?」
 アポロンの問いに、オシリスはため息をついて答えた。ちなみにこのオシリスは、のちのエジプト神話の神となる。
「ソールですか? 最初は一緒に整備していたんですけどね、途中で『新しい技術のアイデアが閃いた』って、どっかに行ってしまいました……」
「またか、あいつは!!」

 あいつ――ソールは、近くの埠頭で、この時代の紙であるパピルスに絵を描いていた。風景画ではない。フリーハンドで幾何学模様を描き、そこに文字を入れていく。年は先程のオシリスと同じくらいで、ギリシア系の顔立ちである。
 無邪気に手を動かしていたが、背後に人影が現れたので振り向いた。
「げ、師匠」
「楽しそうだな、ソール……」
 アポロンは表情こそ笑っているが、目が笑っていない。
「ほら師匠、新しいエネルギーシステムの回路が閃いたんです。すごいでしょう!」
 笑いながらパピルスを見せるソールの頭に、アポロンのげんこつが飛んできた。
「いってええ!」
「すぐに持ち場に戻れ。メモだったら、仕事の合間に書け」
「港だと、アイデアが膨らみやすいんです」
 ソールは港が好きなのだ。仕事で煮詰まったときも、よくここに来る。
「整備しなきゃいけない戦闘機はあと2機あるんだ。オシリス一人じゃ終わらないぞ」
 しぶしぶソールは持ち場に戻った。

 アレクサンドリアは、先述の通りアルカディア――ギリシア神話の理想郷として出てくる国の植民地に当たる。100年前、ギリシア系の移民が来て、アフリカの地に住み着いた。目立つような武力衝突はなかったので大きな社会混乱もなく今日に到っている。
「ソール、ガイアの血を補給しとけ!」
「おう!」
 ガイアの血――この時代の人々は、大地をガイアと呼び、その恩恵を受けていた。その血は地中深く眠る動物の化石から採れる黒い液体――石油のことだ。現代文明と同じく、古代文明も石油を基盤としていた。
 ところで、ソールは子供っぽくマイペースなところがあるが、性格は温厚で人当たりも良い。先のように、時折、仕事を抜け出すこともあるが、それは技術の新しいアイデアが閃いたときだけで基本的に仕事熱心なのだ。のちにラテン語の太陽の語源となるにふさわしい情熱である。
 アポロンはソールの働きぶりを評価していた。仕事も早く、正確である。彼が整備した戦闘機は、不具合が出たこともない。設計図を書いているときにたまに薄ら笑いをしているのはやや気持ち悪いが……。
 これに関しては別の証言がある。ある夜、オシリスがトイレのために目を覚ますと、横にぼーっと浮かぶ気味の悪い笑顔が……。
「ぎゃああ!!」とオシリスが叫ぶと、それは灯りに照らされたソールの顔だった。なんと彼は座った姿勢で、目を半開きにしながら薄ら笑いを浮かべて寝ていたのだ。手にはパピルスと鉛筆を持っていて、設計図らしきものが描かれていた。翌朝聞いてみると、寝しなにアイデアが浮かんだため、夢中で描いていたらしい。そして描き終えるとそのまま眠ったのである。
 人騒がせな一幕だったが、ソールの情熱を物語るエピソードである。
(思考回路は変人だが、やはりあの極秘プロジェクトを任せられるのは彼しかいないか……)
「どうしました? 師匠」
 何かを考えているような表情のアポロンを見て、オシリスが尋ねた。
「いや、何でもない」
 すると、別の整備兵がアポロンに話しかけた。
「アポロン、アルカディアから戦闘機が2機来ましたよ」
「またか、今週は忙しいな」
 アルカディア軍は、アレクサンドリアにある空軍基地で給油をしてアフリカ方面に向かうことがある。通常なら週に1回、1機が来るだけだが、今週はもう3回である。

 アポロンとソールが滑走路に行くと、笑顔で駆け寄ってきた2人の男がいた。
「あれ?」
「アーレスとペルセウスじゃないか」
「アポロン、ソール!」
 戦闘機のそばにいた2人――アーレスとペルセウスは、アルカディア空軍のトップガンと呼ばれる空軍兵士である。
「アーレス、ペルセウス。久しぶりだな」
「ソール、相変わらず機械いじりに精を出しているのか?」
 彼らは、アルカディア士官学校時代の同期だった。アーレスとペルセウスは空軍パイロットに志願、そしてソールは整備士としてキャリアを始めたのだ。
「お前だったら、本当は空軍でも充分やっていけるんじゃないか?」
「ふっふっふ、俺は機械いじりが大好きなんだよ」
 ソールの意味深な笑みを、苦笑交じりに見る男たち。
 赤い髪を逆立てた方の男――アーレスの機体は、鷲の頭部にライオンの胴体、そして翼が生えている。この男は空軍屈指の兵士で、ギリシア神話の軍神・アーレスとなった人物である。
 一方、金髪で端正な顔立ちをした男――ペルセウスの機体は、白馬に翼が生えたようなものだ。こちらの青年は、日本でも有名な英雄・ペルセウスである。
「アーレスのグリフォンに、ペルセウスのペガサス……アルカディアでも一、二を争う両機が同時に来るなんて何か緊急事態でもあったのか?」
 アポロンが怪訝な顔で尋ねる。グリフォンとペガサス――両機体はギリシア神話で広く語り継がれていく幻獣である。
「いや、たまには長距離飛行をして機体の様子を見た方がいいと思ってな」
 と、肩をすくめるアーレス。
「アーレス、冗漫にごまかすな。アポロンちょっといいか? 話したいことがある」
 そう言うと、3人は工場にある会議室に向かった。