水族館の奥の方に入ると真っ先に飛び込んでくるのは真っ青な空間。パンフレットを見ながら歩く龍弥、その前をじーっと天井を見たり、興味深々で横を見るのは菜穂だった。

「ねぇ、ホヤって好き? あるよ、ほら。これ」
「俺、浜の人じゃないからなぁ。あまり……。てか、食べたことないかも。
 牡蠣はあるけど、あれってよくお腹壊すじゃん。美味しいけどな。菜穂、ここに誘っておいて申し訳ないけど俺、あんま興味ないんだわ」

 ガラスの向こうにあるホヤを見るが、全然楽しくなさそうにしている。

「ふーん……。そうなんだ。私もホヤ食べたことない。牡蠣はあるよ。生牡蠣は新鮮で美味しいよ。
 そんなこと言わないで中入ってみれば何かしら興味あるもの出てくるかもしれないじゃん。ほら、行こう」

 龍弥の左腕をつかんで奥に誘導する。別にそんな子どものように張り切って楽しいなんてアピールできず、いやいやながら進む龍弥。菜穂は、いくらでも楽しくしようと必死だった。気持ちの不一致が生じていた。誘導する菜穂も結局は自分の興味ある魚や生き物しか見ていない。全部まめに見るのも見ないのも個人の自由なのだろうけどお金払って中に入ってるんだから隅々まで見ようっと世の中の母親は言うのだろうか。今日は両親もいないから自由に見ちゃおうという菜穂の考えだった。


「ねぇ、ねぇ。龍弥、これってアニメ映画に出てくるカクレクマノミだよ。可愛いよね」
「あー、映画は見たことないけど、知ってる。そうだね」
「何か 棒読み……」

 菜穂は不機嫌そうに対応する。

「あ、あっちに巨大水槽あるってパンフに書いてる。行こう」

 気持ち切り替えて、奥に進んだ。

「あー、でっかいなぁ」

 あまりにも大きい水槽に2人は圧倒される。周りは青い壁紙で水槽も青で全部青だった。魚は小さいものから大きいものまで
 ごった返しに泳いでいる。イワシの大群がぐるぐると回っている。

「群れてるなぁ……」

 ぼーと水槽をただただ見つめる。


「ねぇ、なんで龍弥、そんなに興味ないの? 魚嫌い?」
「食べるのは好きだけど。水槽の中見て、何が楽しいの?」


 急に龍弥の黒い部分が見えた。菜穂は、水槽を横にして哀しい顔をしていた。

「楽しい…くはないかもしれないね。ただ見るだけでもいいじゃないの?
 それだけじゃだめ?」

 龍弥は、水槽を背中に腕を組んだ。


「だってさ、水槽見てもいいけど何も反応しないよ? 当たり前だけど魚の声も聞こえないし。向こうはずっと泳いでるだけ
 でしょう。単方向の世界だよね」

 何だか、龍弥の頭の中がぶっ飛んでいる。菜穂はよくわからなかった。
 
「まぁ、それを言ったらさ。動物園も一緒だよね。向こうはお飾りされてて自由が無いじゃん?
 かわいそうだなって思うんだよ。檻に入れられて野生で暮らしたいだろうに……。魚も海に戻りたいだろうなって。
 でも、なんで人間たちはこうやって見てるんだろうな……。俺もか。同じになってるな」
「……」

 菜穂は何とも言えない表情をした。

「悪い、ちょっとトイレ行ってくるわ」
「う、うん」

 大きい水槽を目の前に菜穂はずっと泳いでいる魚たちを見ていた。
 サメや鯵、鯛など、普段食べているであろう魚がたくさん優雅泳いでいた。

(この中にいる魚たちは食べたり食べられたりするんだろうか。 そりゃぁ、お腹が空けば食べるんだろうけど。
 何か、なんでここに来たんだろう)

 水槽を背に足をトントンと時間潰しをしていた菜穂。下を向いていると。

「雪田? 何してんの?」

 不意に声をかけられた。
 
「あれ、池崎くん。……っと、あれ彼女?」

 池崎は1人でいる菜穂に勇気を出して声かけた。本当は龍弥が隣にいる時から後ろの方でずっと見ていた。龍弥はいなくなるのを見計らっていた。


「彼女じゃないって。妹。中学生なんだ。ほら、挨拶」
「はじめまして、この人の妹です。池崎皐月(いけざきさつき)です。
 お兄が水族館行きたいって言うから着いて来た感じです」

 池崎はパコンと皐月の頭を軽くたたく。

「バカ言え。お前の方がペンギン見たい、イルカ見たいって騒いでただろうが」
「違うよ。お兄が水族館の話するからでしょう。そりゃー興味あれば行きたくなるじゃん。頭叩かないでよ!!痛いなぁ」
「……仲良いんだね」
「良くないって、しょっちゅう喧嘩するから。あー、この人は、学校の同級生な。サッカー部のマネージャーの雪田菜穂さんね。先輩だかんな!」
「菜穂ちゃんね。わかりました」
「ちゃんじゃなくて先輩だろ」
「は?そんな2歳しか変わらないわ。ちゃんだって可愛いでしょう。ねぇ?」
「私はどっちでもいいけど。皐月ちゃんって呼んでいいかな?」
「ごめんな。皐月初対面でもタメ口すぐ言うから。敬語使えって言うんだけどなかなかね」
「仲良くなるには敬語なんて使いません」

 池崎はため息をつく。

「そういや、このいわしすごくない? 群れってるよ!!」

 皐月は水槽を見て言う。池崎は、腰に手をあてて話し始めた。

「マイワシがこうやって群れるの知ってるか? 敵から身を守るためなんだよ。集団で泳げば狙われる確率がさがるからだってよ」
「へぇーそうなんだ。お兄、詳しいね」
「池崎くん、魚詳しいの?」
「さかなクンほどまでは詳しいわけじゃないけどな。一般常識の範囲内なら知ってるよ」
「そっか。イワシの話って昔国語の授業で「スイミー」って物語あったよね。懐かしいなぁ。
 幼稚園の発表会でもやったんだよ。あれ、池崎くんて地元どこなの?」
「スイミーね。知ってるよ。地元?今の住んでるところ。ずっと同じだよ。でも、幼稚園じゃなくて保育園行ってたからな、俺。雪田はどこなん?」
「もしかして、まんまる保育園?」
「うん、そう。そういう名前だったかな」
「そこ、私のおばさんが保育士やってたところ。今は違うところで働いてるけど。石川先生っていた?」
「そうなん?うん、そうそう。俺、その石川先生担任だった」

 水槽の前でケタケタと笑いながら、菜穂は池崎と花開いて話が盛り上がっていた。トイレから戻ってきた龍弥が後ろから2人の姿を見ていた。すぐ横で中学生くらいの女の子も一緒だったが、菜穂と池崎がまるで交際しているような雰囲気だった。後ろ姿だったが、池崎だとすぐにわかった。一緒にいて、面白い話していない。今日は何だか調子が悪いのか元気がない。後ろの方でずっと佇んでいた。


 菜穂はハッと龍弥が後ろで立っているのを見た。


「龍弥! 何、1人でそこにいるの? 池崎くんも妹さんと一緒に来てたんだって」

 静かに近づいた。

「おう、池崎。お前も来てたんだな」
「ああ」
「え、誰、その人。かっこよくない?! お兄の友達?」
「あ、部活一緒の同級生だよ。白狼龍弥」
「狼? 名前も超かっこいいんですけど。ピアスめっちゃ開けてるんですね」
「……てか敬語使えてるし」
 ボソッと池崎は言う。 

「え、何、この子、池崎の妹?」
「池崎皐月です。中2です!!」
「あー、中学生なんだ」
「ピアス何個開けてるんですか?」
「えっと5個」
「いいなぁ。私も開けたいんですけど学校結構、厳しくて開けられないんですよね。お兄の学校、校則ゆるいの?」
「そんなことはないよ。本当はダメなんだよ」
「風紀委員会のチェックの時だけ外すけどね」
「プッ!それって校則守ってることになるんですか?」
「ならないけどね」
「受けるんですけど。私も高校になったらそうしようかな」
「良いこは真似すんな」

 龍弥はポンポンポンと皐月の頭を撫でてやった。
 
「あー、子ども扱いした」
「子どもだろ?」
「違うし」

 順路を進みながら話す2人に少しだけもやっとした菜穂。背中に両手を組んでクラゲなどをゆっくり1人で眺めていた。
人数が多いところで話してる中に入るのは苦手だったからだ。龍弥は水族館で魚たちを見ることより
誰かと話すのが好きなのかなとも感じる。今日はそんな日なのかなっと残念がった。

「雪田、なんで1人でそっち行くんだよ」
「いいの。龍弥、あまり魚好きじゃないって言うし、皐月ちゃんと話盛り上がっているならそれでいいじゃない?
 私は私で楽しむから」
「……本人に直接言えばいいじゃないか。嫌だって。デートじゃないのかよ。今日」
「だって、嫌だって言ったら空気悪くなるじゃん。笑ってる方がいいよ。暗くなるより全然いい」
「大人ぶるなよ。なぁ、気持ちはっきりしろよ。泣いてるぞ」

 頬に手をつけた。泣いてる感覚なかった。目からつーと涙が流れていた。気持ちと体は裏腹だった。

「ほら」

 タオルハンカチを池崎は菜穂に渡した。

「ありがと」

 目をふいた。

「これ、ただ、目にゴミ入っただけだから。結膜炎にもなりやすいし、花粉症持ちだし。目がかゆいし」
「……そっか」
「だから、泣いてないから」
「うん。お疲れ」
「うん」
「デートってさ、お互いに行きたいって思うところ選ぶんじゃないの? なんで、2人ともバラバラなの?」
「多分、龍弥我慢してる。別に行きたくないけど連れて行かないとって気持ちあるんだと思う。でも、私、興味ないとか言われて嬉しくなかった。もっと早くに気づけばよかった」
「あんなに喧嘩して言いたいこと言い合ってるお前らでも我慢したり遠慮したりしてるところあるんだな」
「……そうだね」

 改めて、気づいた。龍弥が我慢してるってこと。喧嘩してても本当の本当は言えてなかったりするんだ。

「ほら、ほら。気持ち切り替えて、あっちの方行けば、ペンギンとかイルカ見えるってよ。それならあいつも見るんじゃねぇの。雪田が見たいって言ってたんだろ?」
「うん」

 池崎と遠くの方で話してるのを横目で確認しながら、龍弥は適当に皐月とコンビニの人気なお菓子について盛り上がっていた。


「私、ポテチすごい好きで、この間、コンビニでわさび味のポテチ見つけたんですよ。食べたことありました?」
「あー、あるある。ピリッとすんのな。最近出たもので麻婆チキン味とかあったのよ、食べた?」
「それ、まだですね。次行ってみた時にチェックしてみます」
「2人で何盛り上がってんの? そろそろ、あっちのペンギン見に行かない?? てか、ごめんね。せっかくのデートなのに皐月が邪魔しちゃって」
「邪魔とか言うな」
「いや、別に」

 龍弥は素っ気ない態度をとる。菜穂はさらりと自然に龍弥の隣に行こうとしたが、龍弥は気にもせず先に進んで行った。手をつなげる距離でもない。そもそも、2人の前にして手をつなぐ勇気もないが菜穂は離れていく龍弥にショックを受けた。隣に並んで歩くのが嫌になったのか。池崎と話しているのが気になったのか。わからない。


「超可愛い!!何この歩き方」

 胸を張ってよちよちと歩くイワトビペンギンが3羽ほどそこにはいた。


「これ、時間によってはペンギンのお散歩が観られるらしいよ。今は違うみたいだね」

  池崎は言う。菜穂はショックすぎて快く可愛いとは思えなくなっていた。1番観たかったペンギンだったのに。可愛いは可愛い。でも声を出せない。龍弥が黙ってズボンのポケットに手をつっこんで眺めていた。話しかけるなオーラを何となく感じる。時々、皐月が冗談を言うのをくすっと笑っている。

「ちょっと、トイレ行ってくる」

 菜穂はいたたまれなくて、その場から離れた。呼吸が乱れる。

「おい、龍弥。何してんだよ」
「は? 何ってペンギン見てるんだよ。あと、写真撮って待受にしない
 とな」

 池崎に話しかけられた瞬間、気持ちのスイッチを入れた龍弥、スマホを出して、テンション上げて カメラを起動する。ペンギンのアップをパシャパシャと撮った。興味あるふりをしているのが見え見えだった。

「本当は興味無いくせに……」

池崎は小さい声で言う。

「雪田、ショック受けてたぞ」
「は?お前には関係ないだろ」
「へ?いや。なに?」

 今度は怒りのスイッチが入った。低い声で言う。

「勝手に菜穂に話しかけるんじゃねぇよ」

 池崎の顔ギリギリにガンつけた。

「す、すいません」

 あまりにも怖かった池崎は後退りした。すっとその場から立ち去る龍弥。

(なんだ、2人して、やきもち焼きだな。てか、はっきり本人に話せばいいのになんだって俺にガンつけるんだよ)

 空気を変えようと思った龍弥は、フードコートのタピもちドリンク黒みつ味と抹茶味を2つずつ購入した。 菜穂はトイレからやっと戻って来た。


「おかえり。ペンギン見ておかなくていいの?見たかったんだよね」
「うん。見ておこうかな。あれ、龍弥、どこ行ったの?」
「ちょっとわからない」
「お兄、あっちでイルカショー始まるって」
「うん、皐月ちょっと待って。龍弥、待つから」
「悪い。買い物してた」

 両手にいっぱいになったタピもちドリンクを目の前に見せた。

「どれがいい?」
「私、抹茶がいい。」

皐月はすぐに選ぶ。


「俺はどれでもいい」
「私、抹茶が苦手。黒みつ」

 龍弥は無表情でそれぞれに希望のものを配った。池崎には黒みつが渡った。

「やっぱ、俺も抹茶がいい」
 
 池崎は菜穂と同じメニューになることを恐れた。

「あ、そう」

 持っていた黒みつと抹茶を交換した。

「美味しい!わらび餅入りっていいね。ごちそうさまです!!」

 皐月は嬉しいそうに飲む。龍弥はストローに口をつけて、3人とは別の方向を見て飲んだ。菜穂はチラッと龍弥が飲んでいることを確かめてから小さい声でいただきますと言って飲み始めた。

「うん。うまいな」
「うん」
「それは良かったな」

何となく、空気がまだ重い。