会いたくないと行って走って逃げるように龍弥の前からいなくなってどれくらい経っただろう。見えなくなってからゆっくり歩いた。パッと見た時はフラッシュバックして怖かった。でもそれは一瞬で、本当は怖いって思ったのは池崎のことじゃなかったのかも
しれない。龍弥が池崎のことばかり見て自分を見てくれなかったことに悲しかったから。嫌いって、大っ嫌いって思った。自分中心かと思ったら周りのことよく見ててあの人もこの人も、考えなきゃって思っててそう考えれば考えるほど目の前にいる菜穂を忘れていく。本当はどこを見ているのか。龍弥の企みは分かっていた。菜穂のことを傷つけてしまうかもしれないけど池崎のことも助けたいって言いたかったこと。知っていたけど言葉にあらわすのは嫌だった。自分がものすごく嫉妬してることに気づきたくなかった。龍弥自身、池崎と同じ状況になったと聞いて、多分救いたかったんだ。過去の自分が苦しかったから同じ気持ちになって欲しくないって。菜穂は知っていた。龍弥が池崎を呼び出して一緒の部活に入らせようと考えているんだって。優しい気持ちはすごい。尊敬に値するし、自分にはできない行動力だって。でも、池崎の手によって傷ついてしまった菜穂はどこか腑に落ちない。やっぱり警察に届けて罪つぐなってもらったほうが良かったのかな。下唇を噛んだ。でも、届を出すことによって自分自身の恥ずかしい気持ちまでさらすのが嫌だった。裁くことがすべてではない。思い出したくない過去を引っ張り出したくない。学校や家族に全て知れ渡る。それが嫌だった。
犯人は知りたかったけどそっとしてほしい気持ちもあった。

 

 家に着いてすぐに自分の部屋のベッドにドサっとうつ伏せになって寝転んだ。やっぱり家の中は落ち着く。アクアソープの芳香剤の香りが漂っていた。スマホが鳴った。うつ伏せのまま画面を見ると龍弥の名前が表示する。どれくらいまで鳴らし続けるか少し待ってみた。


「……」
 
 体を起こして通話を押し、スピーカーに切り替えた。

『菜穂?』
「うん。」
 
 クローゼットから服を取り出して着替えた。

『聞こえる?』
「うん」
『さっきからうんしか言ってない』
「はい」
『そうじゃなくてさ』
「……」
『ごめん、電話切るわ』
「待って!話聞くから。何?」
『初めから話せって』
「……今、服着替えてたから遠かったの!」
『はいはい』
「どうぞ」
『明日、下野さんから誘われてた花火大会なんだけど行くかなって思って。でも、菜穂、俺に会いたく無いって言ってたから
 断った方いい?』
「……」
『断るね。ごめん』
「行くよ」
『いいよ、無理しなくて』
「無理してない」
『ああ、そう。何か瑞紀ちゃんが浴衣着るから菜穂も着てきてって下野さん 
 言ってたよ。着ていける?』
「……気が向いたら着るから。何時に行くの?」
『夕方5時までに現地で待ち合わせ。4時くらいに迎えに行くよ。仙台駅4時16分発だから菜穂の家から間に合うよね?』
「うん、間に合うと思う。龍弥は浴衣、着ないの?」
『俺は、いつもの服で行くよ。持ってないもん』
「1人だけ浴衣、恥ずかしい」
『瑞紀ちゃんも着てくるってよ。むしろ、菜穂が着ないと着ないって向こうも言ってるって。ちゃんと俺が隣にいるから着ておいで』
「うー、うん」
『あ、それと午前中、サッカーの練習あるけど、菜穂は休むの?行く?』
「明日は、ちょっとお休みしようかな。恭子先輩に伝えといて」
『ああ。適当に合わせておくよ。んじゃ、おやすみ』
「あ……」
『なんかあんの?』
「ううん、なんでもない」
『あー、今日は本当、ごめんな。池崎のこと、菜穂の気持ち理解できてなくて……俺、池崎のことを他人事に思えなくて助けたいって考えちゃうんだよね。だから、菜穂が傷ついていることスルーしてたところあった。痛いのに痛くないってアドバイスしてるみたいで……悪かったかなと』
「うん。知ってたよ。龍弥が考えそうなことだから。……でも、私のことを放って
 おかれてる気がして悔しかったから、 何だか落ち着かなかっただけ」
『俺、池崎を恋人とは思ってないけど……』
「そういうことじゃなくてね。上手く言えないだけどさ」
『好きって毎日伝えてても伝わらないことってあるんだな。帰るわ』

 電話の向こうでバイクのエンジンをかける音がした。菜穂の家の近くでも同じ音がする。菜穂は窓のカーテンを開けて外を見た。ヘルメットをかぶってバイクにまたがる龍弥がいた。龍弥は、電話をかける前から菜穂の家の前にいた。直接会って、話そうと思ったら、結局、きっかけをつかめなくて電話だけになってしまっていた。返事もろくにしてなかった菜穂は後悔した。玄関を飛び出して、
バイクに乗っている龍弥の横に立った。着替えた服は前にも見た水色のワンピースだった。

「それ、前にも着てたやつ……。今頃気づいたのかよ。ずっとここにいたのに」

 ヘルメットをかぶってまたがる龍弥を横からハグをした。

「気づかなくてごめん」
「俺が言ってないからな」
「うん」

 菜穂の頭を撫でた。

「朝はゆっくり休んで、夕方準備して待っててな。俺は部活行ってくるから」
「うん」
「そろそろ帰るわ。んじゃな」

 龍弥はヘルメットの目元の小窓を閉じた。2段階でエンジンの音が変化した。排気音が響き渡った。まるで夏の虫のように鳴いている。菜穂はどこか寂しげに龍弥が見えなくなるまで見送った。