——風が、あたたかい。
頬を撫でる春の匂いに、思わず目を開けた。
視界いっぱいに、淡い桃色の花びらが舞っている。
ひらひらと、雪のように降り注ぐ桜の光。
「……ここ、水桜神社……?」
胸の奥がざわつく。
ついさっきまで、僕は葬儀場にいたはずだ。
汐桜の涙を見ていた。触れられなかった。声も届かなかった。
なのに今、僕は——息をしている。
手を握ると、はやり温かい。
自分の頬を叩いてみたり、つねってみると痛覚がある。
心臓の鼓動が、耳の奥でどくん、と響いた。
「……生きてる、のか?」
ふと手首に目を落とす。
そこには、切れたはずのブレスレットがあった。
水色と桜色の組紐。基調としている銀白の糸が、陽の光を受けてキラリと光る。
他に何か情報を得るものはないかそう思い、ポケットを探るも事故の衝撃で割れてしまったひびの入ったスマホがあるだけだった。
瞬間、風がふわりと揺れた。
糸桜の枝が、僕の頭上でざわめく。
花びらがゆっくりと落ちてきて、僕の目の前で制止した。
その中心に、小さな光が宿る。
「……え?」
淡い光を放ちながら、形を変える。
桜の花に乗れるほどの、小さな、小さな龍。
透き通るような鱗が、春の光を反射してきらめいた。
『━━お主たちの願いを叶えてやろう』
声は、頭の中に直接響いた。
幼いようで、どこか古い響きを持つ声。
『━━9日の猶予を与える。お主が消えるその日までに本当の答えを見つけるんだな。』
胸が痛む。
汐桜の涙が脳裏に蘇るも、唇を強く噛んで涙をこらえる。
「まっ、待ってください!本当の答えって何ですか?それに『お主たち』って誰のことですか?!」
『━━決まっているだろう。徳永 瑞希と大槻 汐桜だ。本当の答えがなにかは自分で見つけてみろ』
僕の願いは、汐桜が僕を忘れて幸せに生きていくこと。
だけど、、、。
汐桜の願いは、僕にもう一度会いたい。
──だったはずだ。
僕の葬儀でお互いに溢した願い。
「僕らの願いは矛盾していると思います!2人の願いを同時に叶えるなんていくらなんでも無理ではないのですか?」
『━━だから言ったであろう。本当の願いを探せと。』
その龍は瞬きの間に、姿を消していた。
桜がひらひらと舞い落ちはじめる。
──────────────────────────────
【水桜神社 御触書】
水桜神社には、古くから「桜竜(おうりゅう)」と呼ばれる縁結びの守り神が祀られています。
桜竜は春になると境内の糸桜に宿り、人と人とのご縁を結んだり、必要に応じて離したりすると伝えられています。
糸桜は、枝から垂れる花房が細い糸のように見えることからその名がつきました。
その姿は“縁の糸”の象徴とされています。
また、桜竜のひげは「縁髭(えにしひげ)」と呼ばれ、古くから“ご縁を結ぶ力の象徴”として語り継がれてきました。
この縁髭の名にちなみ、糸桜をイメージした色糸で編む組み紐を「縁紐(えにしひも)」といいます。
縁紐は、昔から神社に伝わる手仕事で、身につける人の願いや心のあり方によって意味が変わるとされています。
現在も、参拝者が自分の手で紐を編む「縁紐体験」として受け継がれ、ご縁を願う多くの方に親しまれています。
ご縁を結ぶのも、手放すのも、最後に決めるのは自分の心です。
桜竜は、その選びを静かに見守っていると伝えられています。
水桜神社 宮司
──────────────────────────────
視界に入ってきた御触書。
前回来たときには読まなかった。
舞い降りてくる糸桜の花びらが舞い落ちてくるそこで笑っている汐桜ばかりを見ていた。
「本当の願いってなんだよ」
そう呟くと、視界が歪んだ。
目を開けていようとしてみるも、気持ち悪くなって目を開けていられない。。
マーブルに混ざった世界をジェットコースターに乗りながら移動しているようだった。
目を開くと、そこは高校の図書室だった。
本を借りる人は多くいるが、図書室の机でゆっくり本を読んでいる人や勉強している人はいない。
何度も通った思い出の図書室。
「おい、瑞希見すぎだって!」
そう言われながら僕は、友人の築紫 貴光にこずかれた。
「そんなに見つめて大槻さんに穴があいたらどうするんだよ!」
僕の左側にいる彼は怒りつつ視線は入口付近のカウンターにいる大槻さんに釘付けだ。
僕が言うのも大概だが、ちょっと自重してほしい。
人の彼女に、、、いや彼女ではない......が。
少しの恨みと怒りを込めて、彼の肩を軽くはたき返した。
「なんだよー。叩く前に口で言えよな」
彼は相変わらず容赦なく僕をバシバシ叩くのに理不尽だ。
いくら無人に近い図書室だとしても、静かにしていないといけないことを僕は身をもって知っている。
視線を感じた。
タカに構うのをやめ、机に広げられている課題に向かっているフリをして目線を動かす。
すると目があってしまった。
彼女は手を動かし、人差し指を自身の顔の前まで持ってくる。
そして2・3度頷いた。
『騒がないで』というジェスチャーとともに冷やかな視線は剃らされることなく僕に刺さる。
目を合わせることに耐えかねた僕。
「タカ、今いるのは図書室だから静かに勉強続けよう。」
「そうだな。」
以外とあっさり引き下がったタカは問題を解き始める。
僕も早く課題を追わさせるためにプリントとにらめっこを始めた。
「そろそろ閉めようかと思うんだけど......。」
申し訳なさそうな声をかけられ顔をあげると、目の前に汐桜が、、、いや、大槻さんが立っていた。
集中していたからか、時間があっという間にたっていた。
ちなみに、解き具合は芳しくない。
隣を見るとタカが机に突っ伏して寝ていた。
下敷きにされた課題が少しシワになっている。
「タカを起こして片付けたらすぐ帰るので。あとさっきは煩く騒いでごめんなさい。」
「利用者は徳永くんと築紫くんとの2人しかいなかったから良かったんだけど、裏の司書室に先生が今日は居てね。普段は居ないから少しなら声を出してても大丈夫なんだけど......。
長時間使う生徒は居ないから、静かで集中しやすい環境でしょ?また利用しに来てね。」
そう言うと彼女はカウンターに戻った。
彼女の後ろ姿を追いながら首を振る。
名字だけだったけどまた呼んでもらえたことに喜びを感じるも、『前もそうだったんだから』と言い聞かせる。
「タカ起きろー。閉めるらしいから早く出よう」
そう言いながら身体を揺らすと素早く起き上がった。
「瑞希、大槻さんと話したのか?!『閉めるらしい』って誰から聞いたんだよー!」
「お察しの通り、大槻さんだよ。」
「うわー、寝てた場合じゃなかった。悔しい。」
無造作に課題を鞄へ片付けていくタカ。
がさつすぎる点は彼女に似合わないと思う。
内心思ったことは口にすることなく、2人して図書室をあとにした。
「なんで起こしてくれなかったんだ」
「『早く退出してください』って怒られたかった~!」
と昇降口までの道中、タカの文句と妄想が止まらなかった。
さっきの彼女は怒った口調ではなかったが、怒った時はすごく怖いということは黙っておくことにする。
「あ!忘れ物した」
「おー、どこに?図書室なら俺もついてくけど?!」
「......残念ながら教室」
「なら1人で行ってこーい」
「頑張って追い付けるようにするよ」
そう言いながら別れる。
本当は『忘れ物した』なんてウソで、教室にいくのもウソだ。
確実に追い付けもしない。
僕は大ウソつきやろうだ。
──ガジャン
目的の場所への扉はカギがかかっていた。
本棚の陰からパタパタ駆けてきた彼女が、カギを開けて扉を引いた。
「どうしたの?忘れ物はなかったはずだけど」
「1人で返却作業は大変なはずだから」
そう言いながらカウンターに積み置されている本に目をやる。
彼女は課題に集中する僕らの意識を阻害しないように、寝てしまった僕らを起こさないために、図書委員本来の仕事をしていなかったはずだから。
彼女はそう言う人だ。
彼女の返事を待たずして僕はカウンターの内側に入る。
本の裏に貼られているバーコードを読み取り機器にかざしていく。
僕の慣れた手付きを確認した彼女は古書室へ掃除用具をとりにカウンター裏へ。
読み取りエラーになった本を僕は検索をかけ、貸し出し状況欄を確認していく。
貸し出し中となっていれば、手動でチェックをはずす。
欄にチェックが元からついていなかった場合は無断貸し出しされていた本になるため、別の場所に置いておく。
本のバーコードを読み取り機器に全てかざし終わると、次は本の状態確認だ。
破れた箇所はないか、汚れている部分はないか、折れはないか、書皮の確認も忘れてはいけない。
これらが見つかった場合は棚に戻してはいけないため、無断貸し出しとなっていた本については他よりくまなく確認がいる。
「『図書委員なんてピッってしてれば終わりだと思ってたのに......。』ってこの3年間嘆いて適当にしかしない人ばかりだったのに。そしてすぐ図書委員の当番を放棄する人しかいなかった。なんで図書委員でもない徳永くんが知ってるの?」
その事を僕は手伝っていたことがあるから知っている。
タカにも手伝ってもらうか迷ったけれど、慣れてる2人でした方が早いと判断した。
でもどう説明すればいいかわからない。
死ぬ前にあなたと付き合っていて、手伝ってました?
誰が信じるだろうか、そんなこと。
僕が聞かされたとて信じないだろう。
「中学の頃が図書委員で。勝手は同じかなーと......。委員でもないのにごめん。あとは棚に戻すだけだから、手早く終わらせよう。」
「そうなんだ。わかった。」
誤魔化しきれたのか、納得しくれたようだった。
比較的、冊数を少なく軽く彼女に渡すと、分類番号に沿って返していく。
「手伝ってくれてありがとう。いつもより早く帰れそう。」
「いつも暇してるから、気にしないで。また手伝わせてよ。」
流れる空気は前と違って穏やかで暖かくはない。
初対面からくるぎこちなさで、会話を続けないとという緊張した空気が漂っている。
彼女の助けになりたくて、なんとか声を絞り出してみる。
警戒されてないといいけど。
「だったら、お願いしようかな。」
「任せて!」
勢い良く、即答してしまった。
前のめりすぎて良くなかったかとしれない。
そう思ったけど、彼女は笑ってくれた。
駅では乗り越し金額をICカードで支払ったことがバレないように、彼女から先に改札機をくぐってもらうように。
前とは違う距離を保ちつつ、近づき過ぎないように。
いかにも『僕の家もこっちです』風を装いながら歩く。
「私の家、ここだよ。」
(知ってる)
「送ってくれたんだよね?」
(バレてた)
「あはは・・・」
誤魔化せなくて苦笑いしかできない僕に彼女は『また明日』なんていいながら玄関のドアを閉め、暖かな明かりの灯る、家族が待つ家の中へ帰っていった。
僕の家へ向かう方面のの列車はまだ来ないみたいだ。
耳には彼女の『また明日』と言う声が残っている。
ーー幸せだなぁ。
そう思いながら、ポケットからいつものようにスマホを出した。
画面は割れた状態のまま。
『この幸せな夢は、結局なんだ?』
考えても結局答えは出ず、ホームに列車が滑り込んできて停車した。
乗り込んで出発を待つ。
『降りろ!』
突如頭に声が響いた。
水桜神社で桜の花びらから光り現れたあの龍の声だ。
訳もわからず声に従って降車をした。
あまりにも強い言い方だったから。
『歩きスマホは非常に危険だと教わらなかったのか?!』
目の前に龍が姿を表した。
驚きとともに、あたりを見回すと世界が停止している。
『お主が乗ろうとしていた列車をみてみろ』
振り返って車内の人々へ目をやる。
なにか変だ。普通ではない。
老若男女、多種多様な方々が利用しているのは普段の列車と変わらない。
表情がなく、感情も読み取れない。
この時間帯だ。みんな疲れているのだろう。
僕を見ている乗客もいた。
乗ったのに降りる客が珍しく、見たところで停まってしまったのだろうか。
ーーん?向こう側が透けて見えている?
理解し途端に悪寒がはしった。
『分かったか?あいつらは在るべき場所へ還る者たちだ。この世の理から解放されし者。簡潔に言うと死者だな。日本全国津々浦々、毎日人は死んでいる。死に神が回収した魂を運ぶのがあの列車だ。』
世界が停止しているはずなのに出発した列車。
あの列車に乗っていた僕。
家の最寄りへ着くと思い込んで乗り続けていたらどうなっていたのだろうか。
『割れたスマホには残りの日数しか表示されん。くれぐれも歩きスマホはしないように。それと、家へ帰らない方がいいと思うぞ。』
それだけ言い残すと、また前回と同じように消えてしまった龍。
家に帰らないと家族も心配するはずだ。
家に帰る以外にもなにもない僕は、今度こそ列車に乗る。
ーーガチャン
玄関扉に鍵がかかっていた。
僕の靴が玄関にないことに気付いた母か父かが鍵を開けてくれるはずだ。
この時間だと家にいるのは母だろうか。
あいにく鍵を持ち合わせていない僕は、待つしか方法がない。
しばらく待てど、鍵を開けてくれる気配はない。
インターフォンを鳴らしてみる。
仮眠でもとっているのだろうか。
明かりが漏れてはいるからいるとは思う。
そろそろ父が帰ってくる時間だ。
「あれ、うちに何か用かい?」
犬走りに腰かけて待っていた僕に声をかけてくれた父。
用もなにも帰ってきたんだよ?
息子にお帰りを言ってくれない父ではなかったはず。
他所の子どもを見る目で僕を見つめている。
「えっと、」
「まさか連中の手先か?高校生が来ようがうちの答えは変わらないから、早く帰ってくれ!!妻もここ連日気が滅入っていてね。」
僕のことを宗教の勧誘とでも思ったのだろうか。
睨まれて僕が怯んだ隙に、扉の鍵を開けると勢いよく閉められてしまった。
「待ってよ、父さん!!」
伸ばした手は間に合うはずもなく、ーー扉をすり抜けた。
嘘だろ?!
ドアの向こうに指先が消えている。
押し込むと、手首から肘あたりまでどんどん扉を通り抜けていく。
引き抜くとそこにはちゃんと腕はある。
足を扉に当ててみる。
爪先からさっきの腕のように扉の向こう側へ。
意を決して、頭から玄関扉に入った。
そこは見慣れた徳永家の間取り。
足音を立てないようにそろそろと歩く。
声が聞こえる方へ行ってみると、リビングで両親が話していた。
「神経質になりすぎたかな。」
「そんなことない。勝手にずっと家の前にいたあの子が悪いだろ?連中も高校生まで駒にして...。引き入れようと必死なのは伝わってくるが。」
「でもだって、ミズキも生きていたらあの子くらいの年齢だって思うと......。」
涙を流す母を慰めるようにその背中をさする父。
僕に兄姉弟妹はいない。
いたとしても僕と同じ名前にはしないはずだ。
気になってもう1歩前に出たとき、フローリングの床が軋んだ。
そうだった。忘れていた。
両親が椅子から立ち上がって、こちらへ来ている足音がする。
隠れることが出きる場所はここにはない。
自宅に不法侵入で逮捕だなんて嫌すぎる。
でもなす術......あっ!
玄関扉をすり抜けた要領で、リビングの壁をすり抜けた。
両親はなにもいないことを確認するとリビングへ戻った。
同じタイミングで僕はまた壁をすり抜けて、もといた廊下へ戻る。
「ミズキに手を合わせようか」
「うん、そうね。」
その後、すぐに澄んだ音と柔らかい音が響く。
鈴を鳴らし、冥福を祈っているのだろう。
僕と同名の誰かに。
「さて、ご飯にしましょう」
「「いただきます」」
両親が夕食を食べ始めた頃、僕はリビング横の廊下から自室があった場所へ移動する。
そういえば、お腹すかないな。
なんて思いながら、たどり着いた1室。
『ミズキのへや』
そう書かれているプレートが少し歪んでいる。
真っ直ぐにしようと手を伸ばしてみるも、触れることはできずに、やっぱりすり抜けてしまう。
ベビーカー、ベビーベッド、赤ちゃん・幼児服、おむつ、おもちゃ。
たくさんの赤ちゃん用品がそこにはあった。
全部ミズキ用なのだろう。
僕の知らない両親の子どもの。
赤ちゃん用品ばかりで、僕の今の状況や本当の答えに繋がりそうな物についての手がかりはなにもないようだった。
もしかしたら、両親は僕を亡くしたショックで正気を失っているのだろうか。
そうだとするならば、仏壇のミズキも僕も同一人物?
だけれど、『生きていたらあの子くらいの年齢』という言葉にひっかかりを覚える。
僕と同じような年齢になる前に亡くなってしまったという意味に捉えると、僕とは別人になる。
「わかんないなぁ、」
『だから家には帰らぬ方が良いと伝えたであろう。あと8日しかないぞ。しっかりせんか!』
「その事について、なんで家に帰らない方が良かったのかの理由を合わせて教えてくれなかったんですか?!あと、『彼女が僕を忘れて幸せに過ごしてる姿を見る』についてはどう考えても約1週間だと難しい気がして!」
『手取り足取り教えねばならんのか?
まぁ、本当の答えを導く助けとなるのが役目だから仕方あるまい。』
龍は一息着くと、話し始めた。
『この世界は徳永 瑞希のためだけにある世界のうちのひとつじゃ。2人の願いを叶えるにあたって、最適な世界を選りすぐった。本来の徳永 瑞希が辿るかもしれなかった別の道。この世界の徳永 瑞希は稽留流産で亡くなっておる。両親にとっての子どもは、同じ名前でも仏壇のエコー写真の子だけじゃ。だから息子だと言い張っても意味はないぞ。
あとは、この部屋まで壁や扉を通り抜けたじゃろ。あれは特別珍しくもなんともない。みな夜と早朝は存在が希薄になり、出きるようになる。徳永家と学校内ぐらいなら許される範囲であろうが。かといって、悪用すると残りの日数関係なく死に神が連行しに来る。本当の答えが見つからなかった場合も来るぞ。
本来は存在しないお主がいる矛盾を留めておくことが出きる日数は決まっておる。生理現象がないぶん時間は十分にとれよう。悔いのないように。
思い出と最期の行動記憶が本当の答えに近づく糸口となるだろう。』
今まで以上にたくさん話してくれた龍は少し疲れているように感じられる。
出来の良くない僕のために手がかりを伝えてくれたことに感謝でしかない。
今回こそは龍の消える姿の行く末を追いたくて見つめていた。
するんおとなんと、手首の組紐ブレスレットに重なると消える。
「思い出と最期の行動記憶か......。」
そう呟きながら、僕は部屋を出た。
いや、正確には出ようとした。
龍が停めていた世界が動き始めていることを失念しており、部屋の扉が開けられたのだ。
ヤバイと焦っても時既に遅し。
扉を開いたのは母だったようで、部屋に足を踏み入れると僕になんか見向きもせず、ミズキが使うはずだった洋服を胸に抱き抱えると、静かに涙をこぼしていた。
たしか僕の葬儀会場でも泣いていなかった母。
目の前にいる母のように、誰もいない部屋でひとり涙しているのだろうか。
「先に死んじゃって、親不孝者でごめんなさい。」
そう言いながら、母であり母ではない彼女を包む。
どれくらいそうしていたかはわからない。
父が温かい飲み物を持ってきてくれるまでずっと。
やはり父も僕の姿が見えていないようだった。
外に座っていたときには、顔を見ながら話せたのに。
2人が寝室へ向かったことを確認し、僕は徳永家をあとにした。
向かった先は学校。
ベッドがミズキの部屋になかったから。
夜の学校に1人でなんてはじめてだ。
当然閉まっている生徒玄関をすり抜け、保健室をめざす。
もちろんベッドを求めてのこと。
しかし、僕の体はベッドをすり抜けて床に。
痛みはなかった。
仕方なくベッドではなく床に寝転ぶ。
しかし、いっこうに眠気が来ない。
そういえば両親が食事をしているときもお腹は空いて来なかった。
『理現象がないぶん時間は十分にとれよう。』
龍の言葉を思い出す。
やっぱり寝れないんだな。
生きていた頃は1日がもっと長くなればとか思っていたけれども。
この時間を何に当てようか考えてみるも、良い案が浮かばない。
学校探検をすることにした。
普段なら鍵をかけられている物置き教室。
改修工事予定で立ち入り禁止となっている旧校舎。
前の廊下を通る度に気になっていた学長室。
続く階段がないために、点検の人しか登ったことがないであろうあろう幻の屋上。
そして結局戻ってくるのが、この図書室。
思い出の場所と言える箇所のひとつのはずである。
本来の僕たちが過ごした時間の大半は、この図書室だから。
「あると良いな」
そう思いながら、本棚を確認していく。
本当の答えにたどり着くためのカギを探す。
思い出がカギになるなら見つけないと。
だけど、目的の本が棚にはなかった。
誰かが貸し借りの手続きをせず、勝手に借りて適当に返す人もいる。
だから念のため他の本棚まで見たけれどなかった。
返却BOXに頭を入れて中身を確認してみるも、誰も返却していない。
『『星の余白が照らす場所』はね、私の好きな詩集なの。』
そう言っていたことを思い出して、カウンターの引き出しの中をみる。
鍵なんて付いてない引き出しはスルリと開いた。
手が引き出しを通り抜けせず引けたことに驚きつつ中にあったその詩集に手を伸ばしてみた。
表紙に触れてみると、引き出しと同じようにすり抜けることはなかった。
手に取り、中を開く。
図書室の窓辺で月明かりを頼りにページをめくりながら読み進める。
気付くと時刻は5時前。
8時を回れば生徒の登校時間となる。
先生たちはもっと早くに来るだろう。
朝部の人たちは7時前までには来るかもしれない。
詩集を片付け、図書室の扉をすり抜けて出る。
職員室からクラスの鍵を借りようかと思ったが、鍵は僕の手をすり抜けてしまうだけで、詩集のように持つことはできなかった。
校内で時間を潰すことを諦め、出ようとしたが、校門で目に見えない幕に弾かれた。
汐......大槻さんを送るときは外へ出れたのに。
手首に視線を落として待ってみるも、頭に直接響いてくる声はない。
ため息を付き、校舎に引き返して、人目につかない場所を探してみる。
その時、ポケットに入れっぱなしだったスマホがほんのりと熱を持ち始めていることに気付いた。
取り出してみてみると、8と書かれた数字が点滅している。
電源ボタンを押しても、強制的に再起動させるボタンを長押ししても点滅し続ける8。
『9日の猶予を与える。』
『割れたスマホには残りの日数しか表示されん。』
『あと8日しかないぞ。』
と昨日龍は言っていた。
昨日1日でわかったことを、やっと見つけた人気のない場所で目をつぶって頭の中で反芻させる。
しかしこれといって本当の答えに繋がりそうななかったように感じる。
『━━本当にそうか?』
直接頭に響く声。
見回してみるも龍の姿はなかった。
手首に視線を落として続く言葉を待つ。
『━━事故当日の行動を思い出せ。』
そう言われて思い返そうとしてみるも、なにか予定があって家を出た記憶しかない。
『思い出せぬのなら、2人の思い出の場所につれていってやろう。さすれば思い出すやもしれん。』
そう言われるや否や、世界はぐにゃりと形を変えた。
頬を撫でる春の匂いに、思わず目を開けた。
視界いっぱいに、淡い桃色の花びらが舞っている。
ひらひらと、雪のように降り注ぐ桜の光。
「……ここ、水桜神社……?」
胸の奥がざわつく。
ついさっきまで、僕は葬儀場にいたはずだ。
汐桜の涙を見ていた。触れられなかった。声も届かなかった。
なのに今、僕は——息をしている。
手を握ると、はやり温かい。
自分の頬を叩いてみたり、つねってみると痛覚がある。
心臓の鼓動が、耳の奥でどくん、と響いた。
「……生きてる、のか?」
ふと手首に目を落とす。
そこには、切れたはずのブレスレットがあった。
水色と桜色の組紐。基調としている銀白の糸が、陽の光を受けてキラリと光る。
他に何か情報を得るものはないかそう思い、ポケットを探るも事故の衝撃で割れてしまったひびの入ったスマホがあるだけだった。
瞬間、風がふわりと揺れた。
糸桜の枝が、僕の頭上でざわめく。
花びらがゆっくりと落ちてきて、僕の目の前で制止した。
その中心に、小さな光が宿る。
「……え?」
淡い光を放ちながら、形を変える。
桜の花に乗れるほどの、小さな、小さな龍。
透き通るような鱗が、春の光を反射してきらめいた。
『━━お主たちの願いを叶えてやろう』
声は、頭の中に直接響いた。
幼いようで、どこか古い響きを持つ声。
『━━9日の猶予を与える。お主が消えるその日までに本当の答えを見つけるんだな。』
胸が痛む。
汐桜の涙が脳裏に蘇るも、唇を強く噛んで涙をこらえる。
「まっ、待ってください!本当の答えって何ですか?それに『お主たち』って誰のことですか?!」
『━━決まっているだろう。徳永 瑞希と大槻 汐桜だ。本当の答えがなにかは自分で見つけてみろ』
僕の願いは、汐桜が僕を忘れて幸せに生きていくこと。
だけど、、、。
汐桜の願いは、僕にもう一度会いたい。
──だったはずだ。
僕の葬儀でお互いに溢した願い。
「僕らの願いは矛盾していると思います!2人の願いを同時に叶えるなんていくらなんでも無理ではないのですか?」
『━━だから言ったであろう。本当の願いを探せと。』
その龍は瞬きの間に、姿を消していた。
桜がひらひらと舞い落ちはじめる。
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【水桜神社 御触書】
水桜神社には、古くから「桜竜(おうりゅう)」と呼ばれる縁結びの守り神が祀られています。
桜竜は春になると境内の糸桜に宿り、人と人とのご縁を結んだり、必要に応じて離したりすると伝えられています。
糸桜は、枝から垂れる花房が細い糸のように見えることからその名がつきました。
その姿は“縁の糸”の象徴とされています。
また、桜竜のひげは「縁髭(えにしひげ)」と呼ばれ、古くから“ご縁を結ぶ力の象徴”として語り継がれてきました。
この縁髭の名にちなみ、糸桜をイメージした色糸で編む組み紐を「縁紐(えにしひも)」といいます。
縁紐は、昔から神社に伝わる手仕事で、身につける人の願いや心のあり方によって意味が変わるとされています。
現在も、参拝者が自分の手で紐を編む「縁紐体験」として受け継がれ、ご縁を願う多くの方に親しまれています。
ご縁を結ぶのも、手放すのも、最後に決めるのは自分の心です。
桜竜は、その選びを静かに見守っていると伝えられています。
水桜神社 宮司
──────────────────────────────
視界に入ってきた御触書。
前回来たときには読まなかった。
舞い降りてくる糸桜の花びらが舞い落ちてくるそこで笑っている汐桜ばかりを見ていた。
「本当の願いってなんだよ」
そう呟くと、視界が歪んだ。
目を開けていようとしてみるも、気持ち悪くなって目を開けていられない。。
マーブルに混ざった世界をジェットコースターに乗りながら移動しているようだった。
目を開くと、そこは高校の図書室だった。
本を借りる人は多くいるが、図書室の机でゆっくり本を読んでいる人や勉強している人はいない。
何度も通った思い出の図書室。
「おい、瑞希見すぎだって!」
そう言われながら僕は、友人の築紫 貴光にこずかれた。
「そんなに見つめて大槻さんに穴があいたらどうするんだよ!」
僕の左側にいる彼は怒りつつ視線は入口付近のカウンターにいる大槻さんに釘付けだ。
僕が言うのも大概だが、ちょっと自重してほしい。
人の彼女に、、、いや彼女ではない......が。
少しの恨みと怒りを込めて、彼の肩を軽くはたき返した。
「なんだよー。叩く前に口で言えよな」
彼は相変わらず容赦なく僕をバシバシ叩くのに理不尽だ。
いくら無人に近い図書室だとしても、静かにしていないといけないことを僕は身をもって知っている。
視線を感じた。
タカに構うのをやめ、机に広げられている課題に向かっているフリをして目線を動かす。
すると目があってしまった。
彼女は手を動かし、人差し指を自身の顔の前まで持ってくる。
そして2・3度頷いた。
『騒がないで』というジェスチャーとともに冷やかな視線は剃らされることなく僕に刺さる。
目を合わせることに耐えかねた僕。
「タカ、今いるのは図書室だから静かに勉強続けよう。」
「そうだな。」
以外とあっさり引き下がったタカは問題を解き始める。
僕も早く課題を追わさせるためにプリントとにらめっこを始めた。
「そろそろ閉めようかと思うんだけど......。」
申し訳なさそうな声をかけられ顔をあげると、目の前に汐桜が、、、いや、大槻さんが立っていた。
集中していたからか、時間があっという間にたっていた。
ちなみに、解き具合は芳しくない。
隣を見るとタカが机に突っ伏して寝ていた。
下敷きにされた課題が少しシワになっている。
「タカを起こして片付けたらすぐ帰るので。あとさっきは煩く騒いでごめんなさい。」
「利用者は徳永くんと築紫くんとの2人しかいなかったから良かったんだけど、裏の司書室に先生が今日は居てね。普段は居ないから少しなら声を出してても大丈夫なんだけど......。
長時間使う生徒は居ないから、静かで集中しやすい環境でしょ?また利用しに来てね。」
そう言うと彼女はカウンターに戻った。
彼女の後ろ姿を追いながら首を振る。
名字だけだったけどまた呼んでもらえたことに喜びを感じるも、『前もそうだったんだから』と言い聞かせる。
「タカ起きろー。閉めるらしいから早く出よう」
そう言いながら身体を揺らすと素早く起き上がった。
「瑞希、大槻さんと話したのか?!『閉めるらしい』って誰から聞いたんだよー!」
「お察しの通り、大槻さんだよ。」
「うわー、寝てた場合じゃなかった。悔しい。」
無造作に課題を鞄へ片付けていくタカ。
がさつすぎる点は彼女に似合わないと思う。
内心思ったことは口にすることなく、2人して図書室をあとにした。
「なんで起こしてくれなかったんだ」
「『早く退出してください』って怒られたかった~!」
と昇降口までの道中、タカの文句と妄想が止まらなかった。
さっきの彼女は怒った口調ではなかったが、怒った時はすごく怖いということは黙っておくことにする。
「あ!忘れ物した」
「おー、どこに?図書室なら俺もついてくけど?!」
「......残念ながら教室」
「なら1人で行ってこーい」
「頑張って追い付けるようにするよ」
そう言いながら別れる。
本当は『忘れ物した』なんてウソで、教室にいくのもウソだ。
確実に追い付けもしない。
僕は大ウソつきやろうだ。
──ガジャン
目的の場所への扉はカギがかかっていた。
本棚の陰からパタパタ駆けてきた彼女が、カギを開けて扉を引いた。
「どうしたの?忘れ物はなかったはずだけど」
「1人で返却作業は大変なはずだから」
そう言いながらカウンターに積み置されている本に目をやる。
彼女は課題に集中する僕らの意識を阻害しないように、寝てしまった僕らを起こさないために、図書委員本来の仕事をしていなかったはずだから。
彼女はそう言う人だ。
彼女の返事を待たずして僕はカウンターの内側に入る。
本の裏に貼られているバーコードを読み取り機器にかざしていく。
僕の慣れた手付きを確認した彼女は古書室へ掃除用具をとりにカウンター裏へ。
読み取りエラーになった本を僕は検索をかけ、貸し出し状況欄を確認していく。
貸し出し中となっていれば、手動でチェックをはずす。
欄にチェックが元からついていなかった場合は無断貸し出しされていた本になるため、別の場所に置いておく。
本のバーコードを読み取り機器に全てかざし終わると、次は本の状態確認だ。
破れた箇所はないか、汚れている部分はないか、折れはないか、書皮の確認も忘れてはいけない。
これらが見つかった場合は棚に戻してはいけないため、無断貸し出しとなっていた本については他よりくまなく確認がいる。
「『図書委員なんてピッってしてれば終わりだと思ってたのに......。』ってこの3年間嘆いて適当にしかしない人ばかりだったのに。そしてすぐ図書委員の当番を放棄する人しかいなかった。なんで図書委員でもない徳永くんが知ってるの?」
その事を僕は手伝っていたことがあるから知っている。
タカにも手伝ってもらうか迷ったけれど、慣れてる2人でした方が早いと判断した。
でもどう説明すればいいかわからない。
死ぬ前にあなたと付き合っていて、手伝ってました?
誰が信じるだろうか、そんなこと。
僕が聞かされたとて信じないだろう。
「中学の頃が図書委員で。勝手は同じかなーと......。委員でもないのにごめん。あとは棚に戻すだけだから、手早く終わらせよう。」
「そうなんだ。わかった。」
誤魔化しきれたのか、納得しくれたようだった。
比較的、冊数を少なく軽く彼女に渡すと、分類番号に沿って返していく。
「手伝ってくれてありがとう。いつもより早く帰れそう。」
「いつも暇してるから、気にしないで。また手伝わせてよ。」
流れる空気は前と違って穏やかで暖かくはない。
初対面からくるぎこちなさで、会話を続けないとという緊張した空気が漂っている。
彼女の助けになりたくて、なんとか声を絞り出してみる。
警戒されてないといいけど。
「だったら、お願いしようかな。」
「任せて!」
勢い良く、即答してしまった。
前のめりすぎて良くなかったかとしれない。
そう思ったけど、彼女は笑ってくれた。
駅では乗り越し金額をICカードで支払ったことがバレないように、彼女から先に改札機をくぐってもらうように。
前とは違う距離を保ちつつ、近づき過ぎないように。
いかにも『僕の家もこっちです』風を装いながら歩く。
「私の家、ここだよ。」
(知ってる)
「送ってくれたんだよね?」
(バレてた)
「あはは・・・」
誤魔化せなくて苦笑いしかできない僕に彼女は『また明日』なんていいながら玄関のドアを閉め、暖かな明かりの灯る、家族が待つ家の中へ帰っていった。
僕の家へ向かう方面のの列車はまだ来ないみたいだ。
耳には彼女の『また明日』と言う声が残っている。
ーー幸せだなぁ。
そう思いながら、ポケットからいつものようにスマホを出した。
画面は割れた状態のまま。
『この幸せな夢は、結局なんだ?』
考えても結局答えは出ず、ホームに列車が滑り込んできて停車した。
乗り込んで出発を待つ。
『降りろ!』
突如頭に声が響いた。
水桜神社で桜の花びらから光り現れたあの龍の声だ。
訳もわからず声に従って降車をした。
あまりにも強い言い方だったから。
『歩きスマホは非常に危険だと教わらなかったのか?!』
目の前に龍が姿を表した。
驚きとともに、あたりを見回すと世界が停止している。
『お主が乗ろうとしていた列車をみてみろ』
振り返って車内の人々へ目をやる。
なにか変だ。普通ではない。
老若男女、多種多様な方々が利用しているのは普段の列車と変わらない。
表情がなく、感情も読み取れない。
この時間帯だ。みんな疲れているのだろう。
僕を見ている乗客もいた。
乗ったのに降りる客が珍しく、見たところで停まってしまったのだろうか。
ーーん?向こう側が透けて見えている?
理解し途端に悪寒がはしった。
『分かったか?あいつらは在るべき場所へ還る者たちだ。この世の理から解放されし者。簡潔に言うと死者だな。日本全国津々浦々、毎日人は死んでいる。死に神が回収した魂を運ぶのがあの列車だ。』
世界が停止しているはずなのに出発した列車。
あの列車に乗っていた僕。
家の最寄りへ着くと思い込んで乗り続けていたらどうなっていたのだろうか。
『割れたスマホには残りの日数しか表示されん。くれぐれも歩きスマホはしないように。それと、家へ帰らない方がいいと思うぞ。』
それだけ言い残すと、また前回と同じように消えてしまった龍。
家に帰らないと家族も心配するはずだ。
家に帰る以外にもなにもない僕は、今度こそ列車に乗る。
ーーガチャン
玄関扉に鍵がかかっていた。
僕の靴が玄関にないことに気付いた母か父かが鍵を開けてくれるはずだ。
この時間だと家にいるのは母だろうか。
あいにく鍵を持ち合わせていない僕は、待つしか方法がない。
しばらく待てど、鍵を開けてくれる気配はない。
インターフォンを鳴らしてみる。
仮眠でもとっているのだろうか。
明かりが漏れてはいるからいるとは思う。
そろそろ父が帰ってくる時間だ。
「あれ、うちに何か用かい?」
犬走りに腰かけて待っていた僕に声をかけてくれた父。
用もなにも帰ってきたんだよ?
息子にお帰りを言ってくれない父ではなかったはず。
他所の子どもを見る目で僕を見つめている。
「えっと、」
「まさか連中の手先か?高校生が来ようがうちの答えは変わらないから、早く帰ってくれ!!妻もここ連日気が滅入っていてね。」
僕のことを宗教の勧誘とでも思ったのだろうか。
睨まれて僕が怯んだ隙に、扉の鍵を開けると勢いよく閉められてしまった。
「待ってよ、父さん!!」
伸ばした手は間に合うはずもなく、ーー扉をすり抜けた。
嘘だろ?!
ドアの向こうに指先が消えている。
押し込むと、手首から肘あたりまでどんどん扉を通り抜けていく。
引き抜くとそこにはちゃんと腕はある。
足を扉に当ててみる。
爪先からさっきの腕のように扉の向こう側へ。
意を決して、頭から玄関扉に入った。
そこは見慣れた徳永家の間取り。
足音を立てないようにそろそろと歩く。
声が聞こえる方へ行ってみると、リビングで両親が話していた。
「神経質になりすぎたかな。」
「そんなことない。勝手にずっと家の前にいたあの子が悪いだろ?連中も高校生まで駒にして...。引き入れようと必死なのは伝わってくるが。」
「でもだって、ミズキも生きていたらあの子くらいの年齢だって思うと......。」
涙を流す母を慰めるようにその背中をさする父。
僕に兄姉弟妹はいない。
いたとしても僕と同じ名前にはしないはずだ。
気になってもう1歩前に出たとき、フローリングの床が軋んだ。
そうだった。忘れていた。
両親が椅子から立ち上がって、こちらへ来ている足音がする。
隠れることが出きる場所はここにはない。
自宅に不法侵入で逮捕だなんて嫌すぎる。
でもなす術......あっ!
玄関扉をすり抜けた要領で、リビングの壁をすり抜けた。
両親はなにもいないことを確認するとリビングへ戻った。
同じタイミングで僕はまた壁をすり抜けて、もといた廊下へ戻る。
「ミズキに手を合わせようか」
「うん、そうね。」
その後、すぐに澄んだ音と柔らかい音が響く。
鈴を鳴らし、冥福を祈っているのだろう。
僕と同名の誰かに。
「さて、ご飯にしましょう」
「「いただきます」」
両親が夕食を食べ始めた頃、僕はリビング横の廊下から自室があった場所へ移動する。
そういえば、お腹すかないな。
なんて思いながら、たどり着いた1室。
『ミズキのへや』
そう書かれているプレートが少し歪んでいる。
真っ直ぐにしようと手を伸ばしてみるも、触れることはできずに、やっぱりすり抜けてしまう。
ベビーカー、ベビーベッド、赤ちゃん・幼児服、おむつ、おもちゃ。
たくさんの赤ちゃん用品がそこにはあった。
全部ミズキ用なのだろう。
僕の知らない両親の子どもの。
赤ちゃん用品ばかりで、僕の今の状況や本当の答えに繋がりそうな物についての手がかりはなにもないようだった。
もしかしたら、両親は僕を亡くしたショックで正気を失っているのだろうか。
そうだとするならば、仏壇のミズキも僕も同一人物?
だけれど、『生きていたらあの子くらいの年齢』という言葉にひっかかりを覚える。
僕と同じような年齢になる前に亡くなってしまったという意味に捉えると、僕とは別人になる。
「わかんないなぁ、」
『だから家には帰らぬ方が良いと伝えたであろう。あと8日しかないぞ。しっかりせんか!』
「その事について、なんで家に帰らない方が良かったのかの理由を合わせて教えてくれなかったんですか?!あと、『彼女が僕を忘れて幸せに過ごしてる姿を見る』についてはどう考えても約1週間だと難しい気がして!」
『手取り足取り教えねばならんのか?
まぁ、本当の答えを導く助けとなるのが役目だから仕方あるまい。』
龍は一息着くと、話し始めた。
『この世界は徳永 瑞希のためだけにある世界のうちのひとつじゃ。2人の願いを叶えるにあたって、最適な世界を選りすぐった。本来の徳永 瑞希が辿るかもしれなかった別の道。この世界の徳永 瑞希は稽留流産で亡くなっておる。両親にとっての子どもは、同じ名前でも仏壇のエコー写真の子だけじゃ。だから息子だと言い張っても意味はないぞ。
あとは、この部屋まで壁や扉を通り抜けたじゃろ。あれは特別珍しくもなんともない。みな夜と早朝は存在が希薄になり、出きるようになる。徳永家と学校内ぐらいなら許される範囲であろうが。かといって、悪用すると残りの日数関係なく死に神が連行しに来る。本当の答えが見つからなかった場合も来るぞ。
本来は存在しないお主がいる矛盾を留めておくことが出きる日数は決まっておる。生理現象がないぶん時間は十分にとれよう。悔いのないように。
思い出と最期の行動記憶が本当の答えに近づく糸口となるだろう。』
今まで以上にたくさん話してくれた龍は少し疲れているように感じられる。
出来の良くない僕のために手がかりを伝えてくれたことに感謝でしかない。
今回こそは龍の消える姿の行く末を追いたくて見つめていた。
するんおとなんと、手首の組紐ブレスレットに重なると消える。
「思い出と最期の行動記憶か......。」
そう呟きながら、僕は部屋を出た。
いや、正確には出ようとした。
龍が停めていた世界が動き始めていることを失念しており、部屋の扉が開けられたのだ。
ヤバイと焦っても時既に遅し。
扉を開いたのは母だったようで、部屋に足を踏み入れると僕になんか見向きもせず、ミズキが使うはずだった洋服を胸に抱き抱えると、静かに涙をこぼしていた。
たしか僕の葬儀会場でも泣いていなかった母。
目の前にいる母のように、誰もいない部屋でひとり涙しているのだろうか。
「先に死んじゃって、親不孝者でごめんなさい。」
そう言いながら、母であり母ではない彼女を包む。
どれくらいそうしていたかはわからない。
父が温かい飲み物を持ってきてくれるまでずっと。
やはり父も僕の姿が見えていないようだった。
外に座っていたときには、顔を見ながら話せたのに。
2人が寝室へ向かったことを確認し、僕は徳永家をあとにした。
向かった先は学校。
ベッドがミズキの部屋になかったから。
夜の学校に1人でなんてはじめてだ。
当然閉まっている生徒玄関をすり抜け、保健室をめざす。
もちろんベッドを求めてのこと。
しかし、僕の体はベッドをすり抜けて床に。
痛みはなかった。
仕方なくベッドではなく床に寝転ぶ。
しかし、いっこうに眠気が来ない。
そういえば両親が食事をしているときもお腹は空いて来なかった。
『理現象がないぶん時間は十分にとれよう。』
龍の言葉を思い出す。
やっぱり寝れないんだな。
生きていた頃は1日がもっと長くなればとか思っていたけれども。
この時間を何に当てようか考えてみるも、良い案が浮かばない。
学校探検をすることにした。
普段なら鍵をかけられている物置き教室。
改修工事予定で立ち入り禁止となっている旧校舎。
前の廊下を通る度に気になっていた学長室。
続く階段がないために、点検の人しか登ったことがないであろうあろう幻の屋上。
そして結局戻ってくるのが、この図書室。
思い出の場所と言える箇所のひとつのはずである。
本来の僕たちが過ごした時間の大半は、この図書室だから。
「あると良いな」
そう思いながら、本棚を確認していく。
本当の答えにたどり着くためのカギを探す。
思い出がカギになるなら見つけないと。
だけど、目的の本が棚にはなかった。
誰かが貸し借りの手続きをせず、勝手に借りて適当に返す人もいる。
だから念のため他の本棚まで見たけれどなかった。
返却BOXに頭を入れて中身を確認してみるも、誰も返却していない。
『『星の余白が照らす場所』はね、私の好きな詩集なの。』
そう言っていたことを思い出して、カウンターの引き出しの中をみる。
鍵なんて付いてない引き出しはスルリと開いた。
手が引き出しを通り抜けせず引けたことに驚きつつ中にあったその詩集に手を伸ばしてみた。
表紙に触れてみると、引き出しと同じようにすり抜けることはなかった。
手に取り、中を開く。
図書室の窓辺で月明かりを頼りにページをめくりながら読み進める。
気付くと時刻は5時前。
8時を回れば生徒の登校時間となる。
先生たちはもっと早くに来るだろう。
朝部の人たちは7時前までには来るかもしれない。
詩集を片付け、図書室の扉をすり抜けて出る。
職員室からクラスの鍵を借りようかと思ったが、鍵は僕の手をすり抜けてしまうだけで、詩集のように持つことはできなかった。
校内で時間を潰すことを諦め、出ようとしたが、校門で目に見えない幕に弾かれた。
汐......大槻さんを送るときは外へ出れたのに。
手首に視線を落として待ってみるも、頭に直接響いてくる声はない。
ため息を付き、校舎に引き返して、人目につかない場所を探してみる。
その時、ポケットに入れっぱなしだったスマホがほんのりと熱を持ち始めていることに気付いた。
取り出してみてみると、8と書かれた数字が点滅している。
電源ボタンを押しても、強制的に再起動させるボタンを長押ししても点滅し続ける8。
『9日の猶予を与える。』
『割れたスマホには残りの日数しか表示されん。』
『あと8日しかないぞ。』
と昨日龍は言っていた。
昨日1日でわかったことを、やっと見つけた人気のない場所で目をつぶって頭の中で反芻させる。
しかしこれといって本当の答えに繋がりそうななかったように感じる。
『━━本当にそうか?』
直接頭に響く声。
見回してみるも龍の姿はなかった。
手首に視線を落として続く言葉を待つ。
『━━事故当日の行動を思い出せ。』
そう言われて思い返そうとしてみるも、なにか予定があって家を出た記憶しかない。
『思い出せぬのなら、2人の思い出の場所につれていってやろう。さすれば思い出すやもしれん。』
そう言われるや否や、世界はぐにゃりと形を変えた。



