言祝ぎの子 伍 ー国立神役修詞高等学校ー



ついに迎えた雛祭り当日。朝から気持ちいいほどの快晴で、桃の花も満開に咲いて社頭を彩っていた。

雛祭りは朝と夕の2回行われる。雛渡りももちろん二回、夜はあやかし達のための演舞だ。

今はちょうど昼の部で、参拝客がぞろぞろと参道の周りに集まり始めている。もうすぐ一度目の雛渡りが始まるからだ。

コースはまず(さかき)家が管轄するお社の本殿前で演舞しそのまま参道を歩き社を出る。そのまま夏目(なつめ)家が管轄する社まで歩きながら舞って社につけばそちらでも本殿前で演舞だ。

二日間しか練習期間はなかったけれど、二日間の練習量だとは思えないくらい舞った。早朝の最終確認では一度も転けなかったし裾も踏まなかった。

きっと大丈夫だ。


盛福ちゃん達と「ドキドキするね」なんて話をしながら本番までの時間を潰していると、「あれ、巫寿!?」と突然背後から声をかけられた。

え?と振り向くと視線の先に見慣れたボブヘアの女の子が立っている。


「恵理ちゃん……!?」

「やっぱり巫寿だー! えっ何なに、どうしてここにいるの!? てかその服どうしたの? お雛さまみたーい!」


駆け寄ってくるなり矢継ぎ早に質問してくる恵理ちゃんに目を瞬かせた。


「私は先輩のお手伝いで来てるの。恵理ちゃんこそどうしたの? 家族旅行中じゃなかったけ?」

「フフフ、前に話したでしょ? 今日は────」



その時「おい恵理、動くなっていったじゃん。めっちゃ探したんだけど」そんな声とともにこれまた見慣れた顔の男の子が恵理ちゃんの肩にぽんと触れた。

その人と目が合ってお互いに驚きの表情を浮かべた。


「巫寿!?」

「泰紀くん?」


恵理ちゃんの名前を呼んだのはクラスメイトの泰紀くんだった。

そこで以前恵理ちゃんとした会話を思い出す。

"あ、でも春休みは会うんだよ! 4月の頭に家族旅行に行くって話をしたら、丁度泰紀くんも用事で近くにいるんだって。少しだけ会える?って言われちゃった! 近くの神社で雛祭りのイベントやってるから一緒に行こうって〜"

雛祭りのイベントってこの事だったのか!

ということは二人は今、デート中というわけだ。

二人を見比べる。興味深げにお祭りの様子を眺める恵理ちゃんに、耳を真っ赤にして狼狽える泰紀くん。

雛渡りを手伝うことはお兄ちゃんにしか話してないし、まさか泰紀くんも私が居るなんて思っていなかったんだろう。

まさか親友とクラスメイトのデートシーンに遭遇してしまうなんて。


「あ、あの。大丈夫だよ泰紀くん、絶対に誰にも言わないから」

「……トッテモタスカリマス」


カタコトな口調に思わず吹き出した。

行くぞ恵理、と手を引いて歩いていった二人を小さく手を振って見送る。

それにしても、いつの間に恵理ちゃんのこと呼び捨てにするようになったんだろう。

明らかに以前とは距離感の違う二人に少し頬が緩んだ。


「みみみ、巫寿さん。ああああの女の子はどちら様でしょうか……? ままままさか彼女じゃ……!」


引き攣った顔の玉珠ちゃんが私の二の腕をガッツリと掴んで目をかっぴらく。


「あー……違うよ」

「本当ですか……!?」

「うん、違うよ」


今はね、と心の中で付け足す。

良かった!と安心する玉珠ちゃんに、少し申し訳ない気持ちになった。

やっぱり泰紀さんには慶賀さんがいるから云々という話を暫く聞かされていると、社務所の扉が空いて「おおっ」とどよめきが上がった。

視線を向けるとお内裏さまの装束を纏った聖仁さんが中から出てきたところだった。

深い緑色に金の糸で模様があしらわれた束帯衣装(そくたいいしょう)だ。シンプルだけど品があって、聖仁さんの雰囲気によく似合っている。

近くにいた女の人が「格好いい〜」と息を吐くのが聞こえた。


聖仁さんが振り返った。すっと右手を差し出せば白く細い腕が載せられる。

美しい朱色の袖がちらりと見えて、頭飾りが揺れてしゃなりと雅な音を奏でた。色鮮やかな衣に身を纏ったその姿に誰もが息を飲む。

白い肌に赤い紅がとてもよく映えていた。


俯きがちに外へ出てきた瑞祥さんを、聖仁さんがすかさずエスコートする。まさに平安貴族そのもののような二人の立ち姿に言葉が出てこない。


二人揃って社務所の外に出てきた。参拝客たちが自然と二人のために道を開ける。

手を取り合うふたりに、もう昨日のぎこちなさはすっかりなかった。


聖仁さんが何かを耳打ちした。それを聞いた瑞祥さんが目を丸くして首まで真っ赤にする。そんな姿に聖仁さんはとても優しい目をして小さく笑った。

一体何を言ったんだろう?


「あらら、本当に新婚さんみたいなお二人ね」

「真っ赤になって可愛らしいわぁ」


参拝客の年配女性たちが「うふふ」と目尻を下げる。

雛人形は宮中の婚礼をもしたものだからそう言ったのだろう。


巫寿ちゃん集合だって、盛福ちゃんに呼ばれて「はーい」と応える。

仲良く肩を並べる先輩二人に駆け寄った。




緋袴(ひばかま)

神職のうち、巫女が身につける和服。





「おっ、巫寿! 久しぶり〜」


神修へ向かう車の乗り場へ着くと、既に到着していたクラスメイトたちが私に向かって大きく手を振った。

大きくてを振り返して側へ駆け寄る。


「久しぶり、皆! 春休みどうだった?」

「相変わらずだよ。家帰ったら結局は社の手伝いしなきゃいけないし」

「そうそう。夕拝出ないといけないから学校にいる方が楽だな〜」

「俺もそんな感じ。いいよな来光はのんびりできて〜」

「僕だって遊び呆けてた訳じゃないし! 薫先生にあちこち連れ回されて大変だったんだから!」


口々に春休みの思い出を語るみんなに目尻を下げる。

しばらく雑談して過ごしていると「出発しますよ」と声がかかりみんなで車に乗り込んだ。

新一年生の盛福ちゃんの姿を見つけて小さく手を振る。三年生の姿はちらほらしか見かけない。神修では三年生からご神馬さまに乗って通学することを許されるからだろう。

私たちは部屋の隅を陣取って腰を下ろした。


「毎回思うけど学校始まんの早くね〜? 次の長期休暇夏だぞ、夏!」


慶賀くんは深く息を吐いて畳の上に大の字になった。


「次の休みの前に色々行事あるじゃん。勉強だって難しくなるし」


確かに二年生からは進路に応じて授業内容が変わってくる。巫女職を希望した私は二年生から巫女職に応じた科目の授業が増えるらしい。


「にしても薫先生に採点してもらったとはいえ、合格通知届くまでヒヤヒヤしたよなぁ。落ちたらまた一年やり直しだぜ?」

「来光の後輩になるとか笑えねぇよなぁ」

「ちょっとそれどういう意味?」


いつも通りのやり取りにくすくす笑っていたけれど、「ん?」とすぐに首を傾げた。


「ねぇねぇ、合格通知って何?」


今度は皆が「え?」と首を傾げた。


「何って、巫寿のとこにも届いただろ? あなたは直階四級に合格しましたって書かれた手紙と合格証明書」

「そうそう。一週間くらい前に届いたよ」

「A4の白い封筒に入ってたぞ」


え?と眉をひそめた。

実家のポストは定期的に確認していたけれど、折り込みチラシばかりで白い封筒が入っていたことは一度もなかった。

私が見ていない時はお兄ちゃんが確認していただろうけれど、私宛の手紙や書類を勝手に開けるような人ではない。

それに本庁から届くものなら、届いた時は必ず知らせてくれたはずだ。


「え……もしかして巫寿だけ落ち……」


慶賀くんがそこまで言ってハッと口を閉じた。

さぁっと顔から血の気が引いていく感覚がする。


「落ち着いて巫寿。合格でも不合格でも連絡はくるから、何かの手違いで届かなかったんだよ」


すかさず嘉正くんがそう言う。

確かに、そうだよね。普通試験結果はどんな結果になろうと連絡が来るものだ。


「それに開校の手紙は届いてるよね? 新二年生の皆さまへってやつ」

「あ、うん。木箱で迎門の面と一緒に……」

「じゃあ大丈夫だよ巫寿ちゃん。進級できてなかったら"新二年生"とは書かないだろうし、嘉正の言う通り何かの手違いで届かなかったんだよ」



メガネを押し上げて来光くんが微笑む。

二人からそう言われて、不安だった気持ちが少しだけ和らぐ。

二人の言う通りだ。もし進級できなかったとしたら薫先生や学校から連絡が来るはずだ。

何も無いということは、本当に手違いで送られてこなかったんだろう。

とにかくお兄ちゃんにメッセージを送って、届いたらすぐに連絡をして欲しいと伝えておこう。


「じゃ、気晴らしに花札やろーぜ!」

「おっしゃ、俺今日のデザート賭ける!」


すぐに切りかえた皆は鞄を隅に寄せて花札の準備を始める。

なぜか胸のざわめきは一向におさまらなかった。




車に揺られること一時間と少し、ゆっくりとスピードを落とした車がやがて停車して、私たちはぞろぞろと車から降りた。

降りた瞬間、強い風が吹いて髪を押さえた。

微かな生花の匂いが届き顔を上げる。景色を埋め尽くすほどの桃の花とそこからぬっと顔を出す朱い鳥居に顔をほころばせた。


「帰ってきたね」


そう呟くと皆が「だな〜」と相槌を打つ。

たった一年しか過ごしていないけれど、間違いなくこの場所は私のもうひとつの帰る場所になっていた。


「おーい、皆」


鳥居にもたれかかって手を振る人影が私たちを呼ぶ。

紫色の袴を身につけ、微笑みを浮かべたその人物に私たちは「あっ」と声を上げた。


(くゆる)先生!」

「久しぶり。春休みは大人しく過ごしてた?」


一年の時の私たちの担任、神々廻(ししべ)(くゆる)先生だ。

みんなで先生の周りを囲むと、薫先生は嬉しそうに笑った。


「朗報だよ、今年も君らの担任はこの俺になりました」

「ええ〜」

「あはは、何その反応。もちろん嬉しいよね?」

「中学の時から薫先生だぜ? そろそろ飽きたって」


ひどい、と泣き真似を始めた薫先生に思わずくすくす笑う。

このやり取りですら神修に帰ってきたんだと実感させる。