主人公は、大学二年生の女の子。片想いをしている彼とバスに乗っているとき、大きな事故に遭遇し、彼が自分を庇って死んでしまうのだった。彼がいない世界なんてありえない。代わりに私が死んでいたら良かったのにと後悔をしていた。何事も手につかず、鬱々とした毎日を送っていると、彼女は突然不思議な世界に迷い込む。その世界では彼は生きていて、代わりに、自分が彼を庇って死んだことになっていた。まさに、彼女が望んだ通りの世界なのであった。
では、私はどういった存在なの? と疑問に感じたが、問題は先送りにして彼と二人で幸せな同棲生活を始める。
しかし、やがて彼女は気がつく。
本当の世界にいる自分は、事故の後遺症で昏睡状態が続いていることに。
今いるここは、「彼女」が見ている夢の中の世界なのだということに。
彼だけが死んでしまったことを強く後悔し、彼に会いたいという一心によって、自らが作り出した世界がここなのだと。この世界に干渉するために、生み出した器のような存在が自分なのだと。自分がこの世界の夢を見るのをやめない限り、本当の世界にいる自分は目覚めないのだということを。
取れる選択肢はふたつ。
元の世界(体)に戻って、目覚めるか。
この世界に留まって、ずっと生きていくか。ただしこちらの選択をした場合、本当の世界にいる自分が目覚めることはない。昏睡状態が長く続けば続くほど、元の世界にいる自分の肉体は衰弱してしまう。それによって死を迎えた場合、どちらにしてもこの世界は消えてしまうのだ。
どうしたらいいのだろう……? 悩んだ末に彼女が出した答えは――元の世界に戻ることだった。
*
これが、僕たちが作っていた作品のプロットだ。
今起きている状況との間に、奇妙なほどの類似点がある。
プロットの作成に着手したのは高三の冬なので、起きている出来事を元にプロットを調整したわけではない。
現実のほうが、プロットに似てきたと見るのが正しい。
どうしてそうなったのかはわからない。
ひとつはっきりと言えるのは、あのバス事故をきっかけに世界はふたつに分かれて、それを生み出したのが病院で眠っていた乃蒼だとしたら、プロットの制作者である乃蒼だとしたら、すべての辻褄が合ってしまうのだということ。
この奇妙なまでの一致は、この先の未来をも暗示しているのだろうか。
だとしたら、世界の崩壊を回避する方法はない。
帰りの車の中は会話が少なかった。みな一様に黙り込んでいて、空気が重かった。
走り出した車の中で、僕は木田さんにこのような質問を投げた。
「このままの状態が、ずっと続く、ということはあるんでしょうか?」
彼女はしばらく黙り込んでいたが、やがてため息とともに答えてくれた。
「……どうなのかしらね。並行世界なんてものはね、今までわたしたちが考えていたよりもずっと不確定なものかもしれない。危ういバランスの上に成り立っていて、ほんの小さな変化でまったく別の世界になってしまうのかもしれない」
「……」
「たとえばの話よ。この世界にいる哘さんが死んでしまったら、向こうの世界にいる彼女も同じように死んでしまうのかどうか、わたしにはわからない。ふたつの世界が、眠っている哘乃蒼を媒介にしてつながっているのはほぼ間違いないのだけれど、では、ここにいる哘さんが何者なのかはいっさいわかっていない。まずはそこから調べていく必要があるんじゃないかしら」
「こちらの世界にいる乃蒼は、眠っている彼女が作り出した思念体である。眠っている乃蒼の意識がこちらの世界に引っ張られていることによって、彼女は目覚めなくなった……という可能性はありますかね?」
「ありうるわね。今、わたしたちがつかんでいる情報からの推測では、向こうの世界にいる哘乃蒼が目覚めた場合、こちらの世界はおそらく存続できなくなる。でも、ここにもう一人の哘さんが存在している事実が、もしかしたらなんらかの打開策につながるかもしれない。そういう見方もできるわ」
「そういう見方、ですか」
「あくまでも可能性のひとつよ。あまり期待しないでね。……正直言って、彼女のことに関してはまだ何もわかっていないの」
「僕たちにできることはないんですか? こう言ってはなんですけれども……乃蒼はずっとここにいてもいいと思うんです。彼女が幸せならそれでいいんじゃないかって」
乃蒼の隣に座って彼女の手を握ったまま、僕はそう言った。乃蒼はなにも言わない。ずっと大人しく僕に手を握られている。
「そうね……。このまま何も起こらなければ、むしろいいのかもしれないわね」
いずれにしても、この先の対応をどうするか決めていくには情報が足りない。後日、乃蒼の体をきちんと調べさせてほしいとの要望を彼女に伝えて、木田さんは去っていった。
嵐のような二日間が終わる。アパートで二人で茫然としてしまった。
僕は、おそらく乃蒼もずっと心ここにあらずで、何事も手につかなかった。自炊をする気がまったく起こらず、夕食はカップ麺で済ませることにした。
熱湯をカップに注いで、テーブルを二人で囲んで座った。
「立夏は、もちろん気づいていたよね?」と乃蒼が言った。言葉は足りていなかったが、今起きていることと、僕たちが作った作品のプロットとの類似点のことだとすぐにわかった。
「もちろん」
「この世界は、並行世界にいる私が見ている夢の中、で本当に合っているのかな」
「たぶんね」
「並行世界にいる私が目覚めたら、この世界は消滅してしまうと思う?」
「たぶんね」
バカげていると思う。本音を言えば信じたくない。だが状況がそうであると語っていた。
「そんなことってあるのかな?」
「わからない。でも、この世界が乃蒼が見ている夢で、僕たちが作ったプロット通りの世界になっているのだとしたら、いずれこの世界は消滅してしまうのかもしれない」
この不思議な現象がなぜ起きたのか。この現象がいつ終わるのか。なんとなくわかった気がしていた。
向こうの世界では、僕だけが死んでいる。こちらの世界では、乃蒼だけが死んでいる。きっかけは事故だったとして、もしかしたら僕と乃蒼の願いは同じだったのかもしれない。僕は乃蒼に生きていてほしかったし、乃蒼もきっとそう思ってくれていた。僕たちが望んだ通りに世界は分裂し、こうして今、目の前に存在しているのかもしれない。
物語の世界において、主人公が元の世界に戻るのは、事故があった日からちょうど一年後だ。悩んだ末に、彼に自分の想いを告白してから元の世界に戻る。そうして並行世界は消え去るのだ。
この世界のタイムリミットも、そこになるのだろうか。
「立夏」
乃蒼が僕を見た。
「私、どうすればいいのかな」
では、私はどういった存在なの? と疑問に感じたが、問題は先送りにして彼と二人で幸せな同棲生活を始める。
しかし、やがて彼女は気がつく。
本当の世界にいる自分は、事故の後遺症で昏睡状態が続いていることに。
今いるここは、「彼女」が見ている夢の中の世界なのだということに。
彼だけが死んでしまったことを強く後悔し、彼に会いたいという一心によって、自らが作り出した世界がここなのだと。この世界に干渉するために、生み出した器のような存在が自分なのだと。自分がこの世界の夢を見るのをやめない限り、本当の世界にいる自分は目覚めないのだということを。
取れる選択肢はふたつ。
元の世界(体)に戻って、目覚めるか。
この世界に留まって、ずっと生きていくか。ただしこちらの選択をした場合、本当の世界にいる自分が目覚めることはない。昏睡状態が長く続けば続くほど、元の世界にいる自分の肉体は衰弱してしまう。それによって死を迎えた場合、どちらにしてもこの世界は消えてしまうのだ。
どうしたらいいのだろう……? 悩んだ末に彼女が出した答えは――元の世界に戻ることだった。
*
これが、僕たちが作っていた作品のプロットだ。
今起きている状況との間に、奇妙なほどの類似点がある。
プロットの作成に着手したのは高三の冬なので、起きている出来事を元にプロットを調整したわけではない。
現実のほうが、プロットに似てきたと見るのが正しい。
どうしてそうなったのかはわからない。
ひとつはっきりと言えるのは、あのバス事故をきっかけに世界はふたつに分かれて、それを生み出したのが病院で眠っていた乃蒼だとしたら、プロットの制作者である乃蒼だとしたら、すべての辻褄が合ってしまうのだということ。
この奇妙なまでの一致は、この先の未来をも暗示しているのだろうか。
だとしたら、世界の崩壊を回避する方法はない。
帰りの車の中は会話が少なかった。みな一様に黙り込んでいて、空気が重かった。
走り出した車の中で、僕は木田さんにこのような質問を投げた。
「このままの状態が、ずっと続く、ということはあるんでしょうか?」
彼女はしばらく黙り込んでいたが、やがてため息とともに答えてくれた。
「……どうなのかしらね。並行世界なんてものはね、今までわたしたちが考えていたよりもずっと不確定なものかもしれない。危ういバランスの上に成り立っていて、ほんの小さな変化でまったく別の世界になってしまうのかもしれない」
「……」
「たとえばの話よ。この世界にいる哘さんが死んでしまったら、向こうの世界にいる彼女も同じように死んでしまうのかどうか、わたしにはわからない。ふたつの世界が、眠っている哘乃蒼を媒介にしてつながっているのはほぼ間違いないのだけれど、では、ここにいる哘さんが何者なのかはいっさいわかっていない。まずはそこから調べていく必要があるんじゃないかしら」
「こちらの世界にいる乃蒼は、眠っている彼女が作り出した思念体である。眠っている乃蒼の意識がこちらの世界に引っ張られていることによって、彼女は目覚めなくなった……という可能性はありますかね?」
「ありうるわね。今、わたしたちがつかんでいる情報からの推測では、向こうの世界にいる哘乃蒼が目覚めた場合、こちらの世界はおそらく存続できなくなる。でも、ここにもう一人の哘さんが存在している事実が、もしかしたらなんらかの打開策につながるかもしれない。そういう見方もできるわ」
「そういう見方、ですか」
「あくまでも可能性のひとつよ。あまり期待しないでね。……正直言って、彼女のことに関してはまだ何もわかっていないの」
「僕たちにできることはないんですか? こう言ってはなんですけれども……乃蒼はずっとここにいてもいいと思うんです。彼女が幸せならそれでいいんじゃないかって」
乃蒼の隣に座って彼女の手を握ったまま、僕はそう言った。乃蒼はなにも言わない。ずっと大人しく僕に手を握られている。
「そうね……。このまま何も起こらなければ、むしろいいのかもしれないわね」
いずれにしても、この先の対応をどうするか決めていくには情報が足りない。後日、乃蒼の体をきちんと調べさせてほしいとの要望を彼女に伝えて、木田さんは去っていった。
嵐のような二日間が終わる。アパートで二人で茫然としてしまった。
僕は、おそらく乃蒼もずっと心ここにあらずで、何事も手につかなかった。自炊をする気がまったく起こらず、夕食はカップ麺で済ませることにした。
熱湯をカップに注いで、テーブルを二人で囲んで座った。
「立夏は、もちろん気づいていたよね?」と乃蒼が言った。言葉は足りていなかったが、今起きていることと、僕たちが作った作品のプロットとの類似点のことだとすぐにわかった。
「もちろん」
「この世界は、並行世界にいる私が見ている夢の中、で本当に合っているのかな」
「たぶんね」
「並行世界にいる私が目覚めたら、この世界は消滅してしまうと思う?」
「たぶんね」
バカげていると思う。本音を言えば信じたくない。だが状況がそうであると語っていた。
「そんなことってあるのかな?」
「わからない。でも、この世界が乃蒼が見ている夢で、僕たちが作ったプロット通りの世界になっているのだとしたら、いずれこの世界は消滅してしまうのかもしれない」
この不思議な現象がなぜ起きたのか。この現象がいつ終わるのか。なんとなくわかった気がしていた。
向こうの世界では、僕だけが死んでいる。こちらの世界では、乃蒼だけが死んでいる。きっかけは事故だったとして、もしかしたら僕と乃蒼の願いは同じだったのかもしれない。僕は乃蒼に生きていてほしかったし、乃蒼もきっとそう思ってくれていた。僕たちが望んだ通りに世界は分裂し、こうして今、目の前に存在しているのかもしれない。
物語の世界において、主人公が元の世界に戻るのは、事故があった日からちょうど一年後だ。悩んだ末に、彼に自分の想いを告白してから元の世界に戻る。そうして並行世界は消え去るのだ。
この世界のタイムリミットも、そこになるのだろうか。
「立夏」
乃蒼が僕を見た。
「私、どうすればいいのかな」