『ごめん、やっぱり行けなそうで……』

『いや、気にしないでいいよ。海斗(かいと)には夢に近づいてほしいし! 応援してるから!』

 彼がやはり行けなさそうだとLINEで謝ってきた。そのことに対してLINE上でそんなの気にしてないよ、頑張ってという風に明るく振る舞う私だけれど、やはりどこかで寂しさとか、悲しさとかそんなような感情が浮かんでくる。この世界にたった1人取り残されてしまったかのような感情が。例えるなら、作ったのにすぐに溶けて消えてしまう雪だるまのよう。

 ――はぁ。

 思わず周りの空気を全部巻き込んだような大きなため息という形で現実に今の感情が漏れ出てしまう。空気って別に美味しくもなんでもない。味すらない。
 
「どうしたー? そんなしょぼーんと大きなため息なんかしちゃって」

 あっ、そうだ。今は友達の花果(みちか)と大学の授業終わりにカフェに来ていたのだ。そんなことも忘れ、友達の前でこんなことをしてしまった。でも、ここは少し話をしてもいいかもと思い、そのことについて口を開くことにした。

「もうすぐ私の誕生日じゃん?」

 花果は私の話にミルクティーを美味しそうにストローで吸いながら大きくうんと頷く。

「で、今年の誕生日も彼とさ、一緒に過ごしたいと思ってたら、お母さんが少し高めのホテルを予約してくれたんだよ。そこまでは良かったけど、彼、用事が入っちゃって遠くに行くことになったらしくて……! とはいえ、教師の道に進むためには大切らしいから、しょうがないけど、でも、でも、なんか、なんかさ……」

 なんだか、もどかしい。分かるけれど。私も彼を応援したいから何も言えないけれど。彼の彼女として彼の夢を奪うわけにはいかないけれど。でも、でも――。私は彼の手に届かないのだろうか。

「それはなんかね、あれだね。その用事終わってから彼に急いできてもらうとかは?」

「うーん、新幹線なら行けるかもだけど、彼、高速バス代ぐらいしかお金出せないみたいだし。かといって私もそんなに大きなお金出せないし」

 それができたら私はため息なんかついていない。私は花果の意見をすぐに否定した。花果も返す言葉が無くなってしまったようでそうかという反応を見せる。私はもう何でもいいやという気になって追加でお腹も空いているわけでもないのに、ショートケーキを頼んだ。

「かといってお母さんにやっぱ大丈夫、いらないっていうのもなんか申し訳ないし」

 さっきから花果に対して愚痴しか言ってないじゃないかとちょっと不安になりつつも、やはり私はまた愚痴を吐いてしまう。ホテルに私1人で泊まるとか、寂しい誕生日の絵になりそうだ。いっそ、その絵の中に入っていたい。お母さんにはホテルを予約してくれた手前、彼と泊まれなくなったことを言うのはキャンセル料も発生するだろうし申し訳ないから言えるわけがない。

「ああ、じゃあこうしない!?」

 花果は急にいい案でも思いついたのか、手をパンとならし、私の目を覗いてくるような感じで見てきた。なにか変なことでも企んでいるのだろうか。その時、タイミング悪く私の頼んだショートケーキが届いたので、一旦さっきの空気感は崩れてしまった。ただ、花果はそんなの気にする素振りはなくさっきの話を続けた。

「私が彼氏役やるよ。もちろん力不足だとは思いますが」

「えっ?」

 私は思わず花果の発言に、時間が私の所だけ止まったかのように固まってしまった。

 聞き間違い……? 

 彼氏役……?

「……まさか、引いてる?」

 私の顔の前で手を振りながら心配そうな面影で花果が私の時間を動かそうとしてくる。

「いや、まあ、確かにそれもなしではないかもね」

 そのおかげでまた時間が戻ってきた。決していた引いたわけではないとは思うけれど、そんな発想が頭のどこにもなかったので、ドライアイスのように固まってしまったのだと思う。でも、花果が私のためを思ってくれてそう言ってくれたのだと思うとやはり嬉しい。私は1人でいるよりはよっぽどましだと思いなんとなくそれをお願いしてしまった。

「まあ、でも、彼真面目だからねー。演じるのはかなりの難問だね。例えるなら大学受験の逆転合格ぐらい?詩凪(しな)なら真反対だし演じやすかったのになー」

「えっ、それって私が不真面目ってこと……?」

「えー、だってよく遅刻するし、考査は毎回ギリギリのライン狙ってくるし、それに計画性なくてよく『お金がないっー!』て叫んでるじゃん。まあ、顔が可愛いのは唯一のプラスだけどさ」

 花果はいちごタルトを食べるために使っていた小さなフォークをこっちに向けながら私に対して不真面目な所を次々と指摘していく。それがかなり刺さり、私は何も反撃できそうになかった。確かに海斗はデートの15分前には遅くとも着いているみたいだし、勉強もできるし、計画性もある(だから教師の道に進んだのだろう)。私みたいに月末に金欠になることだってない。というか、海斗に2か月前に3000円を借りたまま返していなかった。

「まあ、だから寂しいのは分かるけど、彼がそんな詩凪と付き合ってくれてるだけでも嬉しいと思いなよ」

「まあ、うん……そうだね」

 花果は更に私を攻撃してきた。自分の中ではそれは十分にわかっていたけれど、いざそんなことを言われたら、海斗に寂しいなんて言葉を送ることすらできないじゃないか。

「じゃあ、私これからバイトなのでもうそろそろ失礼するよ」

「あっ、うん。バイバイ」

 花果が時計を確認しバイトの時間に近づいてる事がわかると、席を立ち、先に店を後にする。一人になった私は意味もなく彼のLINEを何度も開いたり、閉じたりという行動を無意識にしていた。



 私の誕生日、海斗は自分の夢に向かっていった。昨日のLINEで『ごめん、寂しい思いをさせちゃって』と送られてきたけれど、私は『本当はちょっと寂しいよ』とか甘えることはせずに、『うんん、頑張って』と少し強がった私で返信していた。私は本当はそんなに強くはないのに。
 
 もう辺りもすっかりと暗くなり、名前なんてわからない星たちが空という私が知らないぐらい果てしなく続くキャンパスに輝いていた。今はそんなに寒い季節ではないはずなのに、時々吹く冷たい風が私の心に直撃していく。温めてくれる彼は隣にはいない。

 ――彼は今頃、なにをしているかな。

 そんなことがさっきから私の頭の中を巡っている。この星のように彼は離れたところでちゃんと輝いているだろうか。

「おいー! 詩凪、おまたせー!」

 少し寂しいなという感情が大きくなり心の風船が割れそうになった時、その感情を崩すかのように花果が手を振りながら今、青になったばかりの信号機からこっちに向かってきた。私も思わず小さく花果に向かって手を振り返した。

「よし、到着」

 花果は私の目の前に来るとその場でジャンプした。私はその子供っぽいいつもの姿に思わず微笑を浮かべてしまう。

「ああ、そうだ、今日は私、詩凪の彼氏役だった―! 気を取り直してもう一度!」

 花果は今日の目的を忘れてたとばかりに少し後ろに戻っていってからさっきのはなかったことにしたのか、もう一度私の方に来た。

「詩凪、またせたな。今日は俺が遅刻するなんてよ。今度は俺がリードするからついてきな」

 花果は声色を高めにしながら、さっきとは全く違った雰囲気でそんなことを言う。そして、最後は前髪を右手で払う。いや、花果それは――

 ――プッ!

「ははぁ、ははぁ。海斗はそんなことしないよ。そんなかっこつけたこと言わないって!」

 さっきは微笑で収められていたけど、今度はそうはいかない。周りを気にすることなくまるでポップコーンマシーンの中で弾けるポップコーンのように吹き出しながら笑ってしまう。もし、本物の彼がこんなことを言ったら私はどうなってしまうのだろう。想像するだけでも私の心が持たなくなってしまうそうだ。そんなの違うって!

「えーこれは違ったか。もう一回やり直したほうがいい?」

「いや、もうやめておこう。このままじゃ一生ホテルに入れなくなっちゃうから」

 私の笑いが収まると、花果は納得がいかないといわんばかりにもう一度挑戦を臨もうとしていたけれど、流石に何度も何度もやっていては終わりそうにないと思い、私はホテルの中に入り、チェックインした。周りにはおしゃれなシャンデリアが私達を迎えてくれる。この光は彼が放ってくれているのだろうか。

 カードキーを見るとそこはこのホテルの最上階のようだった。部屋まではエレベーターで向かう。カードキーと同じ番号の部屋を見つけると、カードキーを差し込み部屋の中に入った。

「おお、高かそー」

「うん、たしかに。なんか私達にはもったいないような。お母さん、すごい所を予約してくれたんだな」

 何もかもが私達には到底届かないんじゃないかと思うほどにその空間は輝いていた。部屋が広いのはもちろんのこと、落ち着いた内装に存在感をもつふかふかの大きなベッド、部屋を取り囲むようにして置かれている美しい花瓶。それ以外にも、このあたりの夜景を眺めながら入れるビュー風呂。値段を聞くのも恐ろしいぐらいの部屋だった。生まれて初めてこんなところに入った。

「あ、そうだこれ、プレゼント」

 キャリーケースを置き終わったり身の回りの整理が終わると、花果が私を椅子に座らせ、誕生日プレゼントを渡してきた。細長い箱に入ったプレゼントを私は包装紙を剥がしながら開けていく。

「シャーペンだよ。いつもはもうちょっと豪華だったと思うけど、今年はちょっと金欠でさ、許して……! いや、彼なら特に何も言わずに渡すか、じゃあ今のは聞かなかったことに!」
 
「確かに、海斗はそういうことは言わないかもね。……ありがとう」

 確かに花果はバイトを頑張っているということもあり去年の誕生日には5000円ぐらいする雪色のワンピースをプレゼントしてくれたりしたけど、別に私は選らんでくれただけで嬉しい。そのことを言おうかと思ったけれど、今の花果は海斗の代わりであり、さっきのことは言ってなかったことにしたんだから、私はこれ以上言うことはなかった。

 花果がプレゼントを渡してくれた後は、誕生日の人限定の宿泊特典だという3号サイズのチョコレートケーキを2人で食べた。ここでも花果は海斗に似せようとして、海斗は左利きであるためフォークを左に持ちながら格闘しながら食べていた。ただ、ケーキは流石このホテルと言わんばかりにいつの間にか溶けていくチョコレートに時間を忘れてしまうほどほど美味しかった。

「美味しいね」

「うん、美味しい」

「てか、左で食べるの疲れない?」

「いや、大丈夫大丈夫。私、海斗なんですから」

「そうか、海斗か。うん、ありがとう」

 花果がここまでして海斗に少しでも近づくように必死になってくれるのは本当に嬉しい。感謝しても感謝しきれない。大切なものを私は吸い込んでいる。目をつぶればそこには海斗がいるんだ。私の大切な。

 でも――

「海斗――」

 海斗が恋しい。海斗のことが頭から離れない。

 頑張っている海斗が。

 目の前でその感触を確かめたかった。

 一緒に笑いたかった。

 一緒に祝いたかった。

 一緒に人生の階段を上りたかった。

 考えてはいけないことなのに、考えてしまう――どうして、なんで……?

「――やっぱ、海斗じゃないとだめだよね」

「あ、ごめん、なんでもないんだよ」

 思わず出してしまった海斗という言葉に花果は反応し、少し寂しそうな表情を見せた。悪気はなかった。花果が海斗に似ていないよというわけでも全然なかった。ただ、なんともいえない、言葉には表されない何かが私を襲っているのだ。でも、私は今、花果に対して確かに悪い――酷いことを言ったのだ。

「ふふっ」

 花果は私がそんなことを言ってしまったから気持ちが沈んでいくものだと思っていた。嫌な顔をされると思った。私がそう言ってしまったのだから、私が今度はスポンジの役割をしなければいけないものだと思っていた。でも、花果は逆に私をニヤリとした目で見てきたのだ。まるで何か悪いことを企んでいるかのような目で。

「まあ、そうだろうなと思って、君の彼氏くんから手紙を預かっておいたよ」

 そう言うと、花果はカバンからメッセージカードを取り出した。そして、『Happy Birthday』という文字がよく見えるように私の目の前にぽんと置いたのだ。

 て、が、み……?
 
 私は何も言わずにそのメッセージカードを開いた。彼特有の丸っこい字。その字そのものが優しさを表しているようだ。私はその文字を上から順番に手でなぞりながら読んでいった。

―――
詩凪へ。

お誕生日おめでとう。こんな形になってごめんなさい。でも、ちゃんとおめでとうを伝えたかったのです。こんな僕を許してくれると嬉しいな。

まずはいつも本当に僕のことを大切にしてくれてありがとう。最近も僕が風邪を引いた時に看病してくれて本当に助かったよ。ただ、風邪薬ではなく花粉用の薬を買ってきたのには少し驚いたけど笑。でも、そんな詩凪が好きだよ。

そして、詩凪と出逢ってからもう3年という月日が経とうとしているんだね。ちゃんというと詩凪の誕生日に僕が想い伝えたから今日でちょうど3年なんだね。僕が詩凪のことを知らなかった月日はどこの3年間を切り取ったとしてもこの3年間を超えるところなんてどこにもないです。それぐらい僕にとっては大切な3年間だったってことだよ。そんな3年間を僕に与えられる詩凪はなんだかずるいな。

『詩凪がいる人生が今後、どんな人と出会ったとしても楽しかった時間だった』僕がどんな大人になったとしてもそう言いたいです。だから、これからもよろしくね。

海斗
―――

 別に彼は私を泣かそうとしてこの手紙を書いたのではないだろう。私も泣くことはない。強がりたかったから。でも、どんな人間だとしてもこんな手紙をもらったら心がぐっと熱くなってしまうのは普通なのではないだろうか。私も今、そうなのだ。

「私だって『海斗がいる人生が今後、どんな人と出会ったとしても楽しかった時間だった』っていつだって、どんな未来になっても言いたいよ」

 私はその手紙を胸に強く当てながら独り言のようにつぶやいた。でも、花果には私のその声が聞こえてしまったようで、私の頭を優しくなでてくれた。この手紙にどんなことが書いてあったのかだいたい悟ってくれたのだろう。

「もう、私が彼氏の役をするなんて無理だなって今、突きつけられたよ。私は花果なんだよ。海斗ではない」

 花果は私の頭をなでたままそう言う。まるで、マショマロみたいに包むこむようなふんわりとした声だった。花果の言ったことに何も返事ができそうになく、花果の方を見たけれど、別にいいんだよとでも言うかのように首を小さく横に振った。

 私の気持ちも花果が頭をなでてくれたことで、段々と落ち着いてくると、花果はもう左手を使うことなく、右手だけで残りのケーキを食べていった。私ももう目の前にいるのが海斗だとか思ったりすることなく残りのケーキを食べていった。さっきよりもチョコレートがほろ苦く感じる。

「――実はさ、まだ、詩凪に贈る私からの誕生日プレゼント、残ってるんだよ」

 私達がほぼ同時にケーキを食べ終わった頃、花果はそんなことを言ってきたのだ。それとほぼ同時に部屋のチャイムが鳴った。花果が開けてきてよと言ったので花果の話を一旦止めてしまうことになるけれど、私はドアの方に向かった。ホテルのスタッフだろうか。特に何か特別なことを考えることなどなくドアを開けた。

 ただ、そのドアが私達を繋ぐ虹のような架け橋になっていたことはすぐに分かった。

「詩凪、お誕生日おめでとう」

 目の前に海斗がいたのだ。

 真面目な彼にしては少し服装や髪の毛が乱れていたりしていたけれど確かに海斗がいたのだ。今日会えないはずの――会いたいけれど、会うことができないはずの海斗がいたのだ。

「えっ」

 私は目の前にいるのが海斗だということはすぐに確信したけれど、どうして海斗がここにいるのか分からず思わず口を抑えてしまう。夢……?

「ふふっ。これが私の本当のプレゼントかな。詩凪と海斗の2人が会うことが。そして2人だけで誕生日の夜を過ごすことが」

 花果はゆっくりと私達の方に近づくと海斗がここに来るまでの新幹線のお金を事前に渡していたこと教えてくれた。さっき、いつもより豪華ではないという風なことを言いながらプレゼントを渡してきたのはそのためだったのか。やっとわかった。花果っていう人は――

「ほんとうにありがとうー!」

 そんなものを贈ってくれた花果に対して私はハグをした。そして、

「大好き」

 ととびきりの愛情表現を言ったのだ。本当に好きな人にしか使わない言葉を。

「おお、大げさだな。でも、喜んでくれてよかったよ。私に対して『大好き』って言葉を使うなら、海斗に対しては『大大大好き』って言葉を使わなきゃだね」

 花果は急に私がハグをしてきたことにびっくりしている様子だったけれど、言っていることはいつもの花果らしいこと。

「じゃあ、交代」

 私がゆっくり花果とハグをしていた手を離すと、花果は自分の荷物を片付けて、海斗とハイタッチしてこのホテルからゆっくりと姿を消した。私は帰っていく花果を止めることはできなかった。だって、これが花果からの誕生日プレゼントだから。それを受け取らないことなんてできないから。でも、その後ろ姿に気づけば大好きとまた言っていた。花果にその声が聞こえたのか、一度後ろを振り返ってくれて笑顔を見せてきた。バイバイ。

「海斗、会いに来てくれてありがとう。『大大大好き』だよ」

「僕も。ごめんね寂しい思いさせて。僕も本音を言うなら寂しかったよ。でも、花果ちゃんていう友達がいて僕らは幸せだね。なんか僕は今まで僕らの幸せは2人だけで創ってるんだって思ってた。でも、そういうわけじゃなかったって思えたな」

「私も。花果はすごいよね!」

 海斗の言う通り、今私は誕生日に海斗と過ごせること、海斗に祝ってもらえることがすごく幸せだ。でも、私達2人の幸せには花果という存在も大きい。いや、大きすぎる。私達2人だけで掴んだ幸せではない。

「今までは花果ちゃんと誕生日パーティーやってたみたいだけど、今度は僕とやろうか。まだ、夜は長いんだし」

「うん、やろう!」

「花果ちゃんとチョコケーキ食べたってことは聞いてたから僕は駅でタルト買ってきたよ。詩凪の大好きなチーズタルト」

 海斗は右手の袋に持っていたものを私に見せながらそう言う。私はさっきチョコケーキを食べた場所にそれを持っていく。他にも海斗はお寿司なども買ってきてくれたようだ。さっき花果が座った場所に私が座り、さっき私が座った場所には海斗が座った。理由はよくわからない。大きな意味もないんだろう。

「あー、タルト美味しい」

「おー、よかった。どれどれ……? あ、たしかに美味しい! 特にこの桃、美味しくない?」

「わかる! わかる! 美味しい!」

 この誕生日プレゼントは花果が贈ってくれたもの。その誕生日プレゼントを私は全力で楽しみ、全力で大切にする。それが今私にできる花果への一番の恩返しだ。だから、さっきチョコレートケーキを食べてお腹には十分入っているはずだけれど、そんなことを気にすることなく海斗が買ってきてくれたものを大切な体の中に入れていった。

「ちょうど今日で3年目か。もう、3年も一緒に時間を通わせているんだな。そう考えると私達すごくない!?」

「うん、たしかにね。詩凪がさ、この3年間の中で一番印象に残ってることはなに?」

 3年間で一番印象に残っていることか。どの瞬間も、私の心には刻まれている思い出ばかりだけれど、やはり一番印象に残っているといえばあの日のことだろうか。
 
「沢山あるけど……やっぱ一番印象に残ってるのは海斗が私に『好き』って言葉を初めて言ってくれた日かな……つまり、3年前の今日」

 私が一番印象に残っているのは3年前の今日、海斗が3回目のデート地であった遊園地の観覧車の中で「好き」という思いを伝えてくれたあの夜。そこから見える景色は今までで一番綺麗な景色だったことを今でも覚えている。彼の目と私の眼に同じ景色が写ったのだ。

「おお、そうか。僕もその日かな。でも、今日が一番印象に残る日にするからさ」

「えっ――?」

「あの手紙の続き。これ、読んでみて」

 海斗が今までで一番印象に残る日にするからと私に対してどこか自信げに言うと、一つ紙切れのようなものを出してきたのだ。その紙切れは私がさっき読んだ手紙と同じぐらいの大きさ。そして私はさっきと同じようにその文字を上から順番に手でなぞりながら読んでいった。

―――
さっきのは詩凪に会うのが難しいって思ったときの手紙だったけれど、これは花果ちゃんが協力してくれるって言われた後に書いた手紙だよ。

3年前のあの日、今でも僕は鮮明に記憶しています。詩凪があの時絵描いた僕らの未来通りになっているかは分からないけれど、僕には十分描いた未来通りになっているよ。

でも、その未来通りになるためにはまだやらなきゃいけないことがあるんだ。渡したいものがある。

それは今の僕から言葉とともに受け取ってほしい。多分それが僕の詩凪に贈る本当のプレゼントになるんだと思う。だから、受け取ってほしい。
―――

「海斗、本当のプレゼントって……?」

「手紙ももちろんプレゼントだし、こうやって会うのも花果ちゃんからのプレゼントでもあるけど、僕からのプレゼントでもあると思う。でも、これが一番のプレゼントになるんじゃないかなと思う」

 私には海斗がどんなプレゼントを渡してくるのか想像がつかなかった。ただ、今までにないぐらい海斗の目は真剣で、でもどこか少し緊張しているようでもあった。

「これが僕が詩凪に贈る本当の誕生日プレゼントです」

 そう言うとさっきの手紙より大きな紙を勢いよく私の目の前に置いた。その紙からそよ風のような何か私達の未来を感じるような風が吹いてきた。

 ――婚姻届。

「僕と、結婚してほしい。そして、僕の名字をプレゼントさせてほしい」

 目の前に置かれた婚姻届から視線をずらすと、そのプレゼントを贈ってくれた海斗がいる。

 海斗が贈ってくれた一番のプレゼント。

 そんなプレゼントを受け取らないことなんてできない。もらって嬉しくないわけなんてない。

 今後、どんな事があろうと私は海斗とともに生きていきたいという決心が今、ついた。

「もちろん」

 私がそう言うと、今までに見たことないぐらいの笑顔を見せてきた。そんな海斗に私も笑顔で返す。

 そして私は、彼の名前や住所などが書かれているその婚姻届に自分の名前をはっきり書いた。

 そして、この婚姻届を出せば私は海斗と同じ名字になるのだ。

 ――本当のプレゼント、ちゃんと受け取ったよ。