猫の鳴き声。……を、真似する声。
 視線を下ろすと、そこには一人の少女が猫の前でしゃがんでいた。

       * * *

 わざわざしゃがんで頭高まで合わせて。
 ……こういう奴の気が知れない。
「猫の言葉、話せるの。」
 けれど、意外にも俺は目の前の人物に声をかけた。
「ッっ、ぁっ、ぇ?!!!」
 予想通り、目の前の人物は肩をビクンと跳ね上がらせて振り向いた。
 目がぱっちりと見開いて、ドクドクとうるさそうな心臓を掴んでこっちを向く。
「び、びっくりしたぁ……。」
 いつもの調子でそう言ったのは、紛れもない黒川 真夜だった。
「あ、猫ちゃんが逃げちゃったじゃーん。」
 去っていく猫の後ろ姿を見ながら、あぁ、とベソをかく黒川。
「動物とは心で会話するもんなんだよっ。……誰だっけ。」
「朝陽。」
「そう、朝陽くん!」
 ピン、と人差し指を俺に向けて示す黒川。クラスメイトの名前くらい覚えとけよ。
「ま、でも……。い、今のことはみんなに言わないでね・・・。」
 ちょんちょん、と指先を重ね合わせる黒川。恥ずかしいのは恥ずかしいんだな。
「はぁ、新しい猫ちゃん探しに行こっかなー。」
 そう言って、クルリと体を回転させた。
「いや、家に帰れよ。」
 っ……。
 その時、少し意外なものを目にした。
「……黒川って、整理整頓出来ない奴だっけ。」
「え、なんで?」
「それ。─────三者面談の紙、クシャクシャになってんじゃん。」
 俺は、黒川のカバンを指さしてそう言った。
 そこには、カバンから少しはみ出ている三者面談の紙。
「親に見せないの。」
「あー……。見せる見せる。いやぁ、変なとこで整理整頓出来ないんだよねー。ほんと困るよね、またお母さんに怒られちゃうよー。」
 そう言って出ていた紙を無理やりカバンに押し込む黒川。
 ─────まるで、本心を表に出さぬよう、捻じ込んでいるように。
「なんでいつも嘘ばっかりついてるの。」
「は……。」
 その時、紙を押し込む黒川の手が止まった。
 瞳が大きく揺れている。今の言葉でかなり動揺しているらしい。
「いつもいつも。本当はつまらないって思ってるくせに、笑ったり、喋ったり。周りと明らかに合わせてるよね。」
「……。」
 少し俯く黒川の顔が、夕日の影によって上手く見えない。
「あと、いつも何処か……俺たち全員に失望してる。今だって、その目─────」
 ちらりと前髪の隙間から見えた目。
「───失望して、呆れてて。……何処か、蔑んだ目で俺の事を睨んでる。」
 見たことの無い彼女の姿。
 俺がいつも気がかりだった……仮面の下の彼女。
 まるで凶暴な猫のように、つり上がった目は、俺の瞳を突き刺した。
「……勝手に何言ってるの。私は毎日が楽しくて、そんなの考えてる暇がない。そういう、何もかもわかったようなフリしてくる人が、一番嫌い。どうせ他人事でしかないのに、見越してくる奴が、……大っ嫌い。」
 ジリジリと、俺たちの間の空気が変わっていく。
 ……しまった、逆鱗に触れた。めんどくせぇ……。
 自分の不器用さは、時に恨ましくなる。
「別に俺は好かれようなんざ思ってねぇよ、めんどくせぇ。けど、明らかにおかしいだろ、お前。なんで自分を削ってまで周りに合わせてんだよ。そんなの……」
「お節介ッ。」
 その一言だけで、俺の言葉は途切れた。
 一瞬にして噤まれた。
 黒川は、そのまま長い長い田んぼ道を走って過ぎ去ってしまった。
 海を見ると、もう夕日が半分沈みかけている。空も少し薄暗い。
 ……ッチ、めんどくせぇ。

       * * *