ニトは見慣れた上半身を見て思った。
 ――いつ、何度見ても、哀しい身体だ。
 ヴィアザの身体には、数多くの古傷が無秩序に刻まれていた。全身を覆い尽くさんばかりに。
 今回は右手と左肩を深々と刺されたらしい。白い肌だからだろう、傷が余計に目立って見えた。
「ここまで顔に出ないと、分かりにくくて仕方ない」
「無理なことを言うな」
「まったく」
 ニトは溜息を吐きながら、斬り傷と刺し傷を縫う。縫った部分を保護するため、上から少し厚めの布をあてた。それを押さえるように、たすきがけにして包帯を巻きつけた。右掌と甲の傷も縫うと布をあて、覆うように包帯を巻く。
「治療代だ」
 ヴィアザはポケットから金のコイン一枚を取り出して、渡した。
「確かに。七日は休んでね? 完治まではもう少しかかるよ」
「分かっている。……この話、受けようと思う」
「そ」
 ニトはうなずきながら思った。
 ――君の歩いている道は、地獄そのものだ。誰か、寄り添ってくれるような人が、いなければ。孤独で戦い続けるなんて、あまりに酷だ。
「じゃあな」
「うん」
 ニトはヴィアザの声で、現実に引き戻された。
 手早く身支度をすませ、スタスタと歩いていった。

「待たせたな」
「大丈夫なの?」
 セリーナが、椅子から立ち上がった。
「ああ。帰るぞ」
 ヴィアザは医務院を出た。

「ちょっと待って」
 出ようとしたセリーナを、ニトが引き留めた。
「はい」
 セリーナが振り返った。
「君はいい目をしているね。ヴィアザ君ほど、暗い目はしていなさそうだ。君のことは彼から聞いたよ。人の命を狩っているのでしょ?」
「ええ。あたしにはこれしかないだけです」
 セリーナは苦笑した。
「ヴィアザ君の傍に、いてあげてね」
「え?」
 聞き返したセリーナだったが、ニトの姿はなかった。
 不思議に思いながらも、セリーナは外へ出た。


 空を見上げると、夜が明けていた。ヴィアザはフードを目深に被って歩いた。
 貧困街には、ボロボロの衣服を身に纏い、物乞いをする者や、数多くのテントが並んでいる。
 テントがあるだけまだいい。それすらもない人も大勢いる。
 一般街であれば、働いて金を手にできる。貧困街にはそれが通用しない。なんでもいいから、強者になろうと、みなが必死なのだ。罪を犯そうが、力さえ手に入れば、生きられる。逆に力のない者達はただ、生まれたことを、まともに生きられないことを呪い、死んでいく。苦しみを味わいながら。
 人の命がとても軽く扱われている場所なのだ。
 多額の金を得るために、貴族の手足になる者も多いが、たいていは耐えられなくて、斬り捨てられる。
 自分は強者であると、周囲に証明し続けなければ、ここでは生きていけない。
 どんな道でもいいから、プロフェッショナルにならなければならない。
 ヴィアザは剣の達人で、セリーナは銃器の扱いで右に出る者はいない。二人とも、敵に対しては容赦がなく、その力でもって、地獄へと(ほうむ)り続けている。人殺しという最も重い罪を犯しながらも、二人は歩みを止めない。弱者しか存在しないはずの貧困街で、二人は一目置かれる強者となった。
 己の力を磨き、自分の命は己だけのものと、証明し続けた。
 裏の世界で、二人の通り名を知らない者はいない。
 それだけ長く、二人はこの国の闇に身を置いている。
 通り名を知られていても、その正体までは謎に包まれている。
 そうでなくてはならないのだ。人の口には戸が立てられない。そういうところはきちんと隠しておかなければならない。
 ここは、ありとあらゆる弱者が(つど)う場所。貧困街そのものが、この国の闇をあらわしている。