__人が存在するには理由が必要だと思っていた。
__まあ、理由と行かずとも、必要とされることが必須だと思っていた。

「…あ」

揺蕩う。微睡みの中、目をそっと閉じる。
心地良い浮遊感が眠気を誘う。全身の感覚がじっくりと消えていく。

暇だな。

あぁ、君、いたの?時間があるなら少し聞いてくれないかな。


…わたしの、最期の物語ってやつを。


***


ぐしゃっと音を立てて草が踏み潰された。
「だあああ、もう、はーさんはうるっさいみゃあ!みゃーは何もしてないって言ってんだみゃあ!!」
「はーーー??どういう意味?!」
「みゃーは、なにも、して、ない!!」
べっと舌を出して、紙越しに陽翔を睨んで走り出す。ここ数日、そんな応酬が繰り返されている。
ある日は屋敷内、ある日は今日のように外、またある日は商店街。いつからだったか、魅夜を見つけては陽翔が追いかけてくるのだ。
何も知らない子どもたちは「ラブラブ…?!」と騒ぎ立てていたけれど、こっちはそんなことにいちいち反応しちゃあいられない。

伸ばされる陽翔の腕を避けながら広い花畑を縦横無尽に駆け巡って、魅夜はどう姿を眩ませて屋敷に入るかだけを考えていた。
どうせ陽翔が魅夜と話したいことなんてただ一つ。『危ないことをしていませんか?』だ。
「魅夜ちゃん!逃げないでよ!」
「追わなきゃ逃げないみゃあ!」
「追わなきゃいなくなるでしょ!!」
「あらら、元気ね」
また同じように逃げ惑っていたある日の午後、✕✕が魅夜と陽翔を呼び止めた。
「クッキーが焼けたの。お二人も中に入ってお茶でもどうかしら?」
「✕✕さ〜ん…」
救世主みゃあ、と芝居がかった声で呟いて、魅夜は陽翔を振り返った。
「はーさんも食べるみゃあ?」
「ったく、魅夜ちゃん……」
魅夜がやっていることに関して陽翔が人前で追求できないことが分かっているからの問いである。
「草楽ちゃんとか、ティラミスちゃんとか…みんなと作ったのよ」
「…食べます」
恨みがましい視線を魅夜に、悔しそうな目線を✕✕に向けて、一度大きくため息を吐いてから陽翔は白旗を上げた。




…ああ、✕✕って言っても覚えてないんだっけ。シノだよ、シノさん。



***


「じゃあ僕は部屋に戻るから。夕飯はみんなと食べるよ」
数枚のクッキーを平らげた後、陽翔は食堂の席を立つ。その時にはとっくに魅夜は姿を眩ませていた。
どうせ夜に部屋に押しかけても窓から逃げられてしまうのだろう。今日のところは諦めることにした。
部屋で本でも読むかなんて思っていたら、シノに呼び止められた。
「陽翔くん。よければ、お部屋にクッキーを持って帰るのはいかがですか」
「え、いいの?」
「少し作りすぎてしまって。魅夜さんも持って帰られていますよ」
マジか、僕は魅夜ちゃんがいなくなったの気付かなかったのにこの人は気付いてたのか。…やるな。
シノはふふと笑ってから、かわいらしくラッピングされたクッキーを陽翔の手に持たせた。
「できれば今日中にお召し上がりください」
「ん、ありがとぉ」
にこりとまた笑って、シノは陽翔に問いかけた。
「魅夜さんと何をお話していたのですか?」
「あー…ちょっとね。魅夜ちゃんの体調がよろしくなさそうだったから」
実際は少し違うのだけど、当たらずとも遠からずだから陽翔は言葉を濁すことにした。
「あら…!あとでお部屋に健康に良い紅茶を持っていこうかしら」
「はは、そうしてやって」
クッキーを一枚オマケしてもらって、今度こそ陽翔は自室へと向かった。





「…へー」
一人、シノは席に座り直して、ココアクッキーを噛み割った。



***

ザァァと雨のように聞こえるそれは、錠剤がぶつかる音だ。
手に夥しい量の錠剤を出し、数をろくに確認せず口に含む。
部屋の明かりすら灯さず、かすかに窓から入る月光を頼りにベッドに沈む。
コップにあらかじめ注いでおいた水を口内に流し込んで、錠剤に絡ませて嚥下する。
んぐ、と錠剤が喉に引っかかって、少しえづいたところで自意識が浮上してきて、そこで魅夜は自分の思考が正常に作動していないことを悟った。
「……」
ベッドの隅にあったメモ帳を手を目一杯伸ばして掴む。
なんの気無しに開く。

『◯月◯日 晴れ  今日はーーーーーさんが言っていたーーーを調べて、ーーーーー』
『△月△日 ??  今日はーーーさんに言われた通り、ーーーーーーー』
『ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー』

自分が今まで手助けをしてきた記録。
その中の不自然に空いた文章。
それをそっと目でなぞってから閉じる。


…これはきっと、自分を殺す文章。

これは「確実に誰かが消されている」と思わせるような証拠。
自分たちはこの場所で「おぎゃあ」と生まれたわけではない。
なら今まで一体どこに_______。

今は全てが妄想であり推測で終わっているけど、これが確信になった時に自分はどうなってしまうのだろう。


「あったまいたいみゃあ…」
寝々村魅夜にとって、存在とは対価が必要なものだ。
このメモ帳はその対価にあたって、自分を証明する、誇りのあるものなのに。
…なぜか、これのせいで身を滅ぼしている気がしてならないのだ。
それとも、自己犠牲も存在の対価なのか。

「……うー」

魅夜の目尻から一粒の涙が零れた。
きっと頭痛のせいだ。たぶん。








陽の光が魅夜の瞼をくすぐって目を覚ました。
そっと目を開ける。
珍しく熟睡できたようで、陽はすっかり昇って部屋を明るく照らしていた。
時刻は午前8時頃。珍しく朝の食堂に顔を出せそうだった。
こういう時に寝癖を隠せるパーカーは便利だと思う。(あまり寝癖で髪がぐちゃぐちゃにならないタイプだけれど)

食事時の食堂はいつも良い香りがする。それぞれが集って食事を摂っているからだ。
有志の人が朝食を作ってくれた日なんかは特に賑やかで和んでいる。
魅夜はそんな光景を眺めるのが好きだった。

朝に起きることができた、と言っても一般的には遅れ気味の時間だったからもう人がいるかは怪しいと思っていたけれど、食堂では数人がいくつかのグループになって談笑しながら朝食を摂っていた。
今日見た夢、今日やりたいこと。キラキラした会話が流れていく。
…あぁ、本当にみゃーはここが好きだ。


「わっ!」
不意に、背後から無邪気な声がした。
「おはよー、うつくん」
パンの入った袋を片手に食堂に入ってきたのはウツセ。
綺麗なアッシュグレーの髪を寝癖ではねさせ、懐っこい笑みを魅夜に向け、そして、






一切の表情をなくした。


ひゅっと息を吸い込み、袋を落として食堂内部へ駆けていった。
「うつくん?!パン落としてったみゃあ!!おーーーい!!」
ウツセは魅夜を無視して食堂のある一席を目指し、そこに座っていた人物の腕を掴んだ。
その人が「おい!?」と非難の声を上げるのも無視してぐいぐい引っ張り、魅夜の前に立たせた。
ウツセが焦るなんて珍しいと内心思いつつ、魅夜は「えと」と声を出す。
「うつくん、こーさんがなにか用かみゃあ…?」
「ウツセ?」
ウツセが連れてきたのはこんぱるである。
どこか心配そうに顔を覗き込んでくるこんぱるに対して、ウツセはまた焦った表情で「わ!」と魅夜を指さした。
その指を辿って怪訝そうなこんぱるの視線が魅夜に向く。




「……。…は?」
そして、こんぱるもまたこちらを見て固まってしまった。
「…えっと?」
「…お前」
逡巡の間が空き、そして時は動き出す。



「左、頬」
「え…?」
左頬に触れる。


_______冷たい。


「あ」


二人分の青ざめた視線が魅夜の世界を覆った。
あれだけ暖かかった空気が冷めていく。
背中に悪寒が走って、鼓動は一気に早くなって、思考は凍てついた。
左頬を撫でる指先の感覚だけが妙に鋭い。
『それ』が何か、鏡を見てすらいないのに、鮮明に脳裏に警告が浮かんだ。


これ、この感触、知ってる。





…スカポライトだ。









***


_______「石」について

「石」とは、「花咲き」同様、“ニンゲン”達によって生み出された、人のようで人ならざる者。鉱物を操る異能を持っている。此方も種類に制限はなく、鉱物であれば何でも操れる。その異能を使えば使うほど、寿命は縮むけれど。「花咲き」に「紋」をつけられれば、その心配はなくなる。砕けるとき…、つまり死んでしまうときは、一粒の鉱物になる。その種類は、「石」によって違うのだとか。