好きな人がいる。
正確に言えば、好きな人がいた。
見上げたクリスマスツリーの一番星に、僕はなれなかったんだ。


***


大学3年生の冬休み。
平日にも関わらず、街は浮かれている。
赤と緑色に染まって煌びやかに着飾ってやがるし。
何が楽しいんだよと、つい悪態をついてしまった。
僕がこの日を楽しみにしていたのは、小学生までだったかな。
ある日を境に、僕はこの日が嫌いになった。

地元の駅前のショッピングモールのクリスマスツリーは、毎年話題になるくらい豪華な物が組まれる。
今年もそんな僕を余所目に、キラキラと輝いていた。
それを見上げるカップルも、家族連れも、誰も僕の気持ちなんて知る由もなく、飽きると僕の横から去っていく。本当は来たくなかったのに、友達との待ち合わせ場所に指定されたから仕方なく来たんだけど⋯⋯。

約束の16時を過ぎても待ちぼうけする僕のスマホが遠慮がちに震えた。『ごめん、用事が出来た!すまん』の文字に添えられた適当なスタンプ。今更だ。友達から来たLINEの画面に「ふざけんなよ」と、ため息をつく。それから既読だけつけてぶっきらぼうにスマホをポケットに突っ込んだ。待ち合わせ時間から、もう15分も過ぎてるからだ。僕は待ち合わせにプレッシャーを感じてしまうから、15分は早く着くようにしている。
だから累計30分。実に無駄な時間。
「さっさと帰ろう⋯⋯」
僕はその場を立ち去ろうと鞄を漁ってワイヤレスイヤホンを耳に着ける。再生を押そうとしたその時だった。

「あれ?樹生(いつき)君⋯⋯?」

えっ?と、懐かしい声に振り返る。
目の前の女の子はボブだった髪をセミロングまで伸ばして、大人びた雰囲気を纏う。大きな瞳をパチクリとさせ、僕を見つめている。それから僕の顔を改めて認識すると、太陽みたいに明るく笑う。
派手な顔立ちでは無いが、凛とした美しさが彼女の清楚さを際立てている。
あぁ、君は変わらないや。
僕はすぐに、その女の子が悠里(ゆうり)だと分かった。
「久しぶり⋯⋯」


3年振りに、好きな人と再会した。
よりによって、この場所で。


初恋だった。
それは忘れてしまいたかった、記憶。
鮮明に蘇り、僕は顔を引き攣らせた。


***


きっかけは、高校2年生の修学旅行。

「樹生、修学旅行の自由行動どうする?」
ホームルームが終わると親友の櫂斗(かいと)はすぐさま僕の机にやって来てドカッと腰を下ろした。さっき修学旅行のグループ分けが終わったばかりの教室は、ザワザワと落ち着きがなかった。

「櫂斗、それグループのみんなで決めないと。僕らだけで決められるわけないだろ」

「樹生は真面目だなー。分かった!おーい!」

櫂斗は持ち前の明るさで、同じグループになった女子ふたりに手を振った。その横で僕は人見知りを発動して固まってしまっている。あまり女子と話したことがないからだ。櫂斗とは幼稚園の頃からの幼なじみで、内気な僕とも仲良くしてくれる良い奴。あまり人付き合いが得意じゃない僕が唯一心を開ける貴重な存在だ。櫂斗は明るい性格で、クラスの中心人物でもある。片や僕はクラスの端にいるようなサブキャラ。陽キャと陰キャ⋯⋯まるで太陽と月。そんなバランスが僕には心地よかった。だけど、それは櫂斗に限った話だ。こっちに向かってくる女子とは、ろくに会話をしたことが無い。

「櫂斗君、樹生君、よろしくね!」

その1人の女子。悠里はクラス委員をしていて、面倒見がいい印象だ。社交的な性格で話しやすく、悠里の周りには笑顔が絶えない。それに男子からの人気も高い。「なんでお前なんだよ」と、羨ましそうな視線が刺さる。どうやら僕は当たりくじを引いたらしい。
修学旅行で僕と親友の櫂斗、それから悠里を含めた4人でグループを組んだのがきっかけで仲良くなったんだ。

「樹生、揃ったぞ!これでいいだろ?なぁみんな、自由行動どうする?どこ行く?」

「櫂斗君気が早いよ!まだ半年も先の話だよ?」
悠里はすかさずツッコミを入れる。

「だって楽しみじゃん!修学旅行!おい、樹生!旅行までにそのウザそうな前髪ちゃんと切るんだぞ?」

「⋯⋯言われなくても。ちゃんと切るよ」

「よし!でさ、京都だろ?俺はね⋯⋯嵐山で団子が食べたい!」

子供みたいに無邪気にはしゃぐ櫂斗をクスクスと笑う悠里は、見蕩れてしまうほど可愛くて。それを直視出来ないから、僕がメモする!と、書記を買って出た。
嵐山と清水寺に八坂神社、北野天満宮⋯⋯二条城か。
適当なノートにメモを取りながら、僕も考えてみる。
行先の京都の情報なんて、僕は好きな小説とアニメの聖地の事しか思いつかなくて下鴨神社に鴨川デルタ⋯⋯と、こっそりと行先のリストに加えた。

「あれ?この鴨川デルタって⋯⋯あのアニメの?」
悠里は僕にコソッと尋ねる。

「うん。知ってるの?」

「実は私アニメ好きで、私も行ってみたい!」

「鴨川ってただの川だろ?それ面白いのか?」

眉を八の字にした櫂斗にすかさず悠里は「2票も入ってるんだから行く!はい、決定!」とチクリと刺した。
僕は嬉しくて、思わずにやけてしまう。あまり話せなかった趣味の話ができそうな悠里と同じグループになれた事。そして、僕を庇ってくれたこと。

「楽しみだね!聖地巡礼だ!」
悠里は僕の耳元で嬉しそうに囁いた。

心臓が大きく揺れた。知らなかった恋ってやつを、僕が知るのは時間の問題だった。

恋なんて落ちてしまえば単純で、簡単で。
いつも、悠里の事を意識してしまう。
僕の静かな日常は、急に慌ただしいものになった。

楽しかった修学旅行が終わってからも、悠里とはアニメの話で盛り上がった。お昼の弁当も4人で食べて、放課後にカラオケにも行った。無縁だと思っていた青春ってのが僕にもやって来たのだ。何気ない日常の景色の色が変わる。見え方が変わる。その先の世界はどんな色をしているんだろう?どんな景色なんだろう?と、僕は思うようになった。


もし、君と恋仲になれば、世界はどう変わるんだろう?


だけど、事件は起こる。
僕は平穏な青春をぶち破ってしまった。
浅はかだったんだ。
結局、恋に臆病だったんだ。
それは高校3年生、冬休み直前の放課後のこと。
世界は一転し、僕は絶望を知ることになる。


『悠里、話したいことがあるんだ。12月24日18時。駅前のクリスマスツリーの下で待ってる。樹生』


ある日、僕は悠里に告白をしようと決意する。
何度も作戦を練って、どう切り出そうか考えた。
僕らしい作戦と思いつき、口下手な僕が書いた手紙が教室の黒板に張り出されている。
机の中から落ちてしまったのを誰かが拾ったのか、思春期の興味と言う悪意の餌食にされてしまっている。
僕はその前に、呆然と立ち尽くしていた。

「樹生、まじかよ?え、悠里のこと⋯⋯?」

「何だよ話って、今言えよ!ほら悠里!樹生が話あるってよ」

クラスメイトが僕に意地悪な声をかける。冷やかしの歓声と、嘲笑うような目。青ざめた顔で僕は悠里を見ると、数人の女子に囲まれた悠里は困った顔をしていた。

「いや、違う⋯⋯これは⋯⋯違うんだ」
僕は黒板に貼られた手紙をグシャッと掴み、拳で握り潰す。

「何が違うんだよ!今更怖気付いたか?」

「樹生、ほら行けよ!今話したらいいだろ?」

ドンと背中を押され、僕は悠里の目の前に飛び出した。
悠里を守る女子の目が怖い。
何か言いたげな悠里も、口をぎゅっと噤んだままだ。

あんなに鮮やかだった世界は、悲しい灰色になった。
「ごめん⋯⋯」
僕は堪らず教室を飛び出した。
教室から笑い声が聞こえ、惨めさに拍車をかける。


それっきり、悠里と話はしていない。


***


「久しぶりだね!卒業式以来かな?」

あっけらかんと話を進める悠里に驚いた。寧ろ少し安心した。3年も前の話だし、記憶も薄れているのかもしれない。僕の顔は緊張を緩める。

「そうだね⋯⋯悠里も元気だった?」

「うん!相変わらず!」

風の噂で悠里は櫂斗と付き合っていると聞いた。ふたりは同じ大学に進学をしている。ふたりをよく知っている僕から見ても、お似合いのカップルだ。会話の相性もいいし、納得している。櫂斗とは、たまにLINEでやり取りを続けていたが、悠里の話が話題に出たことはない。
きっと僕に気を使っているんだろう。あの騒動の後も、櫂斗は変わらず僕の傍にいてくれた。僕はキョロキョロと辺りを見渡す。だけど、櫂斗の姿は見つからない。これは不思議だった。悠里はお洒落に着飾っているから、てっきりデートだと思ったからだ。

「樹生君は⋯⋯待ち合わせ?」

「いや、今友達に見捨てられたばかり」

「嘘!最低だねー」

「別に。たぶん会った所でファミレスでだらだら喋り倒すだけだから、大してダメージはないよ」

「さては、アニメ友達だ!」

「まぁ、そんな感じかな」

「よっしゃ!当たり!」
悠里は小さくガッツポーズを決める。

「アニメって言えばさ、私はクリスマスには⋯⋯ほら、あの小さいトラみたいな女の子がヒロインの⋯⋯」

「わかる!僕も毎年見てるからもう5週目!実は今朝も見てて、家を飛び出すシーンがさ⋯⋯」

好きな話題に釣られて、熱く語り始めた僕は急に恥ずかしくなり「ごめん」と頭を搔いた。

「わかる!名作だよね!!」
それでも、悠里は声を弾ませて笑った。

「良かった。樹生君、大学でも好きな事話せる友達できたんだね」

「まぁね」

そんな悠里に僕は気になっていた事を質問した。

「悠里は、ひとりなの?」

「そだよ!ボッチです。クリスマスなのに」

悠里は頬を指で掻きながら、目を伏せた。

「いや⋯⋯だってさ」

櫂斗と付き合ってるんだろ?って言いかけた口を僕は慌てて噤んだ。

「あー」

僕の思考を、悠里は察したようで苦笑いをする。

「最近大喧嘩しちゃってさ。連絡もしてこないし、もう知らないって感じ」

「そう、なんだ⋯⋯」

じゃあ、どうする?ってそんな場面じゃない。自分から話題を振っておいて、見切り発車もいいとこだ。次のセリフも見つからず、僕も空を仰いだ。いや、最初から僕はずっと内心焦っている。もうこれで会話を切り上げて逃げ出したいくらいなのに。悠里はそんな僕の気持ちとは裏腹に「樹生君、予定なくなったんならさ⋯⋯暇だよね?」と会話を続けた。

「⋯⋯まぁ、特に予定はないけど」

悠里はニコッと笑ってスマホの画面を僕に見せる。
映画のチケットが二枚。

「買っちゃったからさ⋯⋯、一緒に見ない?ひとりで見ようと思ってたんだけど、寂しいじゃん?」

タイトルを目で追ってみるが、正直あんまり興味のない映画だった。それに、櫂斗に悪い。断る間もなく悠里は僕の袖を引っ張って歩き出したから、僕に選択権はないと諦めた。



──灰色の世界の中に、君って色がひとつ。
また、僕の目に鮮やかに、鮮明に映っている。
眠っていた気持ちが、また熱を帯びて僕の頬を火照らせていく。



悠里が買ってきたパンフレットを捲りながら、この映画のチケットの訳が分かった。櫂斗が好きな映画の続編。宇宙を舞台に戦いが繰り広げられるSF物。「絶対に見た方がいい!」と勧められたが気が乗らず、「今度見とくよ」と濁した。だから当然、前作を僕は見ていない。チラッと上映スケジュールを見上げると、気になっていたアニメの劇場版もやってるじゃないか!今からでも僕がチケットを買えば悠里も楽しめるんじゃないか?と、ふと思ってしまう。そんな事が言えるはずないけど。空白の3年で悠里の趣味も変わったのかもしれないし、変なお節介は逆に迷惑だろう。ってか、この状況に期待なんてしちゃダメだ。どう足掻いても、あの事件の傷は埋めることなんて出来ないから。

そうは思うけど、僕は偽悪な思想を巡らせる。
仮にも、2人きりで映画だぞ?もしあの日が巡り巡って、今になって帰ってきたんなら?


──僕は。君と。


「そろそろ行こうか!ねぇポップコーンも買おうよ」

そんな僕の葛藤もお構い無しに、悠里はこの状況を楽しんでいるかのように振る舞っている。僕は立ち上がり、読み終わったパンフレットを悠里に返した。

「僕が買ってくるよ。何味がいいの?」

「キャラメル味!」

「わかった!」

「キャラメルソース多めで!」

「出来るか!ラーメン屋じゃないんだぞ」

僕のツッコミに、悪戯っぽく笑う悠里が可愛くて、つい笑を零した。売店で店員さんに「キャラメル多めにしてほしい」とこっそり伝えると、キャラメルの沢山かかったポップコーンを多めに入れてくれた。得意げにポップコーンバケツを持って振り返ると、悠里は大事そうに映画のパンフレットを鞄に仕舞っていた。


並んでいちばん後ろの席に座る。
すぐに照明が落ちると、僕は安心した。
どんな表情をして悠里の隣にいるのか分からないから、顔を見られなくて済む映画館は助かる。


上映開始20分。
前作の話を知らない僕は、ぽつんと取り残されている。冒頭のシーンに観客は感嘆の声を漏らしたが、その意味が分からなかった。ただの親子の会話のシーンなのに。
そして、興味が無い映画ほどつまらないものは無い!と再確認できた。
さっきから欠伸が止まらない。
僕は現実味のない作品に共感をもつのが難しい。宇宙物は特に苦手だ。現実離れしすぎていて、イメージが湧かない。アニメでも作品は選り好みするし、SFやロボット物は苦手なのだ。
悠里とも、青春アニメの話で盛り上がったな⋯⋯。あんな恋なんて、現実ではありえないのに。ヒロインに感情移入して、キャーキャーとふたりで騒いだっけ。物思いにふける僕の耳にバサッと音を立てて、何かが落ちた。足下に目をやると、悠里が膝に掛けていたコートがずり落ちたらしい。しばらく様子を伺うが、悠里はちっとも動かない。

「悠里?」

小声で呼びかけてみるが反応がなく、僕は床に落ちたコートを拾うと、悠里の膝に掛けた。
悠里は眠っている。
やっぱりか⋯⋯。と、僕は思った。そして変わっていない悠里を懐かしく思う。つまらない授業はよく居眠りをしていたから。

そんな悠里の頬を、ほろりと涙が伝った。

「⋯⋯櫂斗。ごめん」

僕はハッと我に返る。
見てはいけない事を見てしまった。
そして悠里から離れ、背中をピタッと背もたれにくっつけると、真っ直ぐにスクリーンだけを見つめた。


──僕は馬鹿だ。何を期待したんだろう。
今日はきっとサンタクロースがくれた1日だけのアディショナルタイム。僕が悠里とちゃんと⋯⋯するための。


その時、心臓に響く予想以上の大音響で、映画館が揺れた。画面の中で巨大な宇宙船が爆発したのだ。

悠里はビクッと体を震わせ、僕の手を握った。

「あっ⋯⋯ごめん」
悠里が申し訳なさそうに握った僕の手を離す。

「いや、大丈夫だよ」

「⋯⋯うん、ありがと」

いそいそと姿勢を正し、悠里は難しい顔で画面を見つめた。どうせならこの時間を楽しく終わりたい。そう思った僕はある考えを実行した。

「悠里、出ようか。これつまんないでしょ」
僕はそんな悠里に耳打ちをする。

「⋯⋯寝てたのバレた?」

「うん。気持ちよさそうに」

「ごめん⋯⋯私が誘ったのに」

「いいよ。僕も飽きてたとこ」

悠里は親指を立てて、僕に合図を送ると荷物をまとめ始めた。
僕も荷物を持ちコソコソとふたりで身を屈めながら脱出する。
廊下に出ると「あーやっぱ苦手なジャンルなんて見るもんじゃないね」と悠里は大きく伸びをしながら、笑った。

「ねぇ、何してるの?」
悠里は、ポップコーンのバケツを片腕に抱き抱えてもうひとつの手でスマホを操作する僕を、不思議そうに見ている。

「今度は僕の番だ」
そう言って操作を終えたスマホの画面を悠里の顔の前に差し出した。

「映画のチケット⋯⋯?」

「まだポップコーンもこんなにあるし。劇場版アニメ!見たくない?」

僕はそう言って、後ろのアニメ映画のポスターを指さす。

「すっごく見たい!!!」

「でしょ?僕たちにはこの映画が似合う」

映画の開場時間まで他愛のない事を話した。
ふたりの時間を取り戻すように、ゆっくり。
アニメの話や、お互いの学校の話に、昔話と。
櫂斗の話は⋯⋯どうしても聞けなかった。
悠里もそれを避けるように、会話を選んでいるようだったし。
喧嘩の理由は何だったんだろう?喧嘩しただけで、まだ別れてはいない。まだ別れてない。頭の中ではそのことばかりを気にしていたけど、僕は楽しそうに話す悠里の話題に耳を委ねていた。


──このまま、時間が止まってくれたら。
今日が続いてくれたら、なんて叶わない夢を見たって⋯⋯今日が終われば元に戻るだけだ。


アニメ映画を提案したのは大正解だった。
エンドロールが終わって、ふたりで思わず拍手をした。
満足気に笑う悠里の顔が見れただけで、僕は幸せだった。
記念にふたつパンフレットを買って悠里にも渡した。
これは、僕の精一杯の強がり。
この時間を忘れて欲しくなかった。


時計は20時を指している。
映画館を出ると、クリスマスツリーは煌々と色づいていた。優しい光が、静かな夜にじんわりと染みている。
耽美な光景に酔いしれる人だかりの一番後ろから、悠里と並んでツリーを見上げた。
それは、あの日ふたりで見たかった景色だった。

「綺麗だねー」
うっとりとツリー見つめる悠里の瞳は、電飾が反射してまるで宝石のように輝いていた。

「うん、綺麗だ」
僕は悠里の横顔から目が離せないでいる。
その綺麗な横顔を心に焼き付けようとしていた。

「なんか懐かしいなー⋯⋯久しぶりに見たけど、結局毎年変わんない飾りつけなんだよね」

「僕は見たくなかったよ。悠里と」

悠里はクスッと笑って僕を見る。

「もしかして、あの手紙の事?まだ気にしてるの?」

「⋯⋯僕の黒歴史だ。忘れてもらえると助かる」

今度は、悠里は悪戯っぽく笑う。

「それは難しいな。だってあの日ね⋯⋯。私、樹生君をここで待ってたんだけどなー」

「え?嘘だ。だって僕も約束の18時までいたんだ⋯⋯ここに」

「嘘!?あの日電車が遅延してて。私、遅れて駅に着いたの」

「僕は悠里は来ないと思ってすぐ帰った」

「ちょっと位は待っててよ!せっかちなんだから」

「じゃぁ⋯⋯僕達って」

「うん。今になって3年越しの待ち合わせだ」

クリスマスツリーの下で悠里と見つめ合う。
今、君の瞳には僕だけが映っている。
僕は動揺していた。悠里からのまさかの言葉に、焦りを隠せずにいた。あの日の悠里はどうして来てくれたのだろうか?少しだけでも、僕に好意をもってくれていたのなら、あの頃の僕達はもしかしたら。
悠里も僕のことを好きだったの?と聞いてしまいそうになるくらい、僕の心の中にある決意が、ぐわりと揺れた。

悠里は何も言わずに、僕を見つめている。
衝動が怖い。
今にも君を抱きしめてしまいそうになる気持ちが。
だけど。いいや、違うよ。
今の君の心に映っているのはきっと、僕じゃない。


沈黙を割くように、悠里のスマホが鳴った。
チラッと見えてしまった櫂斗からの着信。
一瞬悲しそうな顔をした悠里は、隠すようにスマホをそっとコートのポケットに入れた。

「ごめん、⋯⋯お母さんからだ」

「かけ直さなくて大丈夫?」

「うん。⋯⋯平気」

分かってる。
あれからもう3年だ。もう、僕は遅い。
ちゃんと分かってる。さっき決心しただろ?
この気持ちとちゃんと決別する。
今夜で、終わりにするんだ。


着信音が切れて、また静けさがふたりを包む。

「ねぇ、樹生君。私たち、もしあの日会ってたらさ⋯⋯樹生君は私に何を伝えたかったの?」

沈黙を破った悠里は、じっと僕を見つめている。
真剣に。それからごくりと息を飲み込んだ。

「それはね 」

僕もふぅと息を吐き、気持ちを落ち着かせた。

「あの頃、僕は悠里が好きだった。それを、あの日に言いたかったんだ」

「今は⋯⋯?」

やめてよ。決心が揺らいじゃうじゃないか。
悲しそうな顔で、僕を見ないでよ。
あの時、みんなの前で君に「好きだ」って言えなかった勇気のない僕がいけないんだ。
僕は無理やりに口角を上げた。


「ごめん。僕は、好きな人がいる」


──目の前に。
僕はこの瞬間まで好きな人がいた。それは悠里。君だ。


「そっか⋯⋯もう、あの日には戻れないか」
悠里は少しだけ寂しそうに笑った。

「もう3年も経つんだ。お互いにいろんなことが変わったろ?」
僕はきっと寂しそうに笑っていたんだろう。

黙って俯いてしまった悠里に、僕は優しく語りかける。

「悠里。君を待ってる人がいるだろ?今夜は僕じゃない。そいつは今、悠里に会いたくて会いたくて、たまらないはずだ。君だって⋯⋯ほら」

悠里はその目から溢れるほどの宝石を流した。

「ほら、泣くほど櫂斗が好きなんだろ?」

「あれ、私⋯⋯なんで」
悠里は必死に涙を拭う。

また悠里のスマホが鳴った。
僕は急かすように、駅の改札を指さす。

「悠里、ほら、早く行って。まだクリスマスは終わってないよ」

「樹生君⋯⋯私もね⋯⋯あの頃、」

僕は悠里の言葉を遮るように、小さく首を横に振った。
その言葉の先は知らなくていい。知った所で、世界はどうにも変わらないからだ。悠里も、小さく頷いた。

「ごめん、樹生君。ありがとう」

「お礼なんていいよ」

「今日、樹生君に会えてよかった。またね」

悠里はバイバイと手を振って、駅の人混みに消えていく。これでよかったんだ。

「僕は、悠里に会いたくなかったな」
夜に溶けるように、僕の声は消えた。

僕は、バイバイと小さく降った掌を力いっぱい握りしめる。
あぁ、 これでようやく僕の気持ちもこの場所から離れることが出来る。


***


21時。
立ち尽くす僕の後ろの、クリスマスツリーの電飾がパッと消えた。
魔法が解けるように、僕の幸せな一夜は静けさを纏う。
この気持ちとようやくサヨナラができた。
見上げたツリーの一番上の星に僕はなれなかったけど、君の人生を少しくらい飾れただろうか?
僕は忘れられない初恋をした。
来年のクリスマスも好きにはなれないだろうけど。
このツリーを見る度に苦い気持ちを思い出すだろうけど。


でも。


──ありがとう、悠里。君を好きになれてよかったよ。


ひとつだけ、僕の目からも宝石が流れ出た。
それを袖で拭い、白い息を吐き出した。

「さよなら⋯⋯悠里」



「うわー!ツリーもう消えちゃってる!ってあれ?樹生君だよね?何してるの?」

突然隣に現れたどことなく知った顔が、隣から僕の顔を覗き込んでくる。確か同じ大学の女子だ。

「えっと、さっきまで映画見てて⋯⋯」

彼女の勢いに押されて、つい答えてしまう。

「いいなー!私はクリスマスまでバイトだよー⋯ねぇ!よかったらこれ食べない?クリスマスのチキン。余り物だけど⋯⋯貰いすぎちゃって。あげるよ!おすそ分け」

「えっと⋯⋯うん。ありがと」

「ねぇなんの映画見たの?」

「これ⋯⋯」
僕は映画のパンフレットを鞄から取り出して見せた。

「うそ!私このアニメ大好き!私も見たいなー!アニメの話なんて、なかなか友達と話せなくってさ。なんだ樹生君ってアニメ好きだったんだね!ねぇ、今度話そうよ!」

「別にいいけど⋯⋯えっと⋯⋯名前」

「うそ!同じゼミなのに私のこと覚えてないの?」

「ごめん、名前覚えるの苦手で⋯⋯相、川?さん?」

彼女は笑って右手を差し出した。
灯りの消えたツリーの下で、僕たちは握手を交わす。

「私、相澤美優(あいざわみゆう)!よろしくね、樹生君」