嫁入りして六日目。橘花の体調に大きな異変がおとずれた。
 発熱が始まったのだ。身体もずっしりと重くなり、眠気もひどい。目を開けていることすら億劫だった。
「橘花さま。お食事です」
 布団に横になったままぼんやりとしていると、珠が食事を運んできた。橘花はよろよろと身体を起こす。
「大丈夫ですか……?」
 珠が心配そうに橘花を見た。
「うん、平気」
 珠が運んできたのは、橘花を気遣ってか、食べやすそうな粥だった。小皿には、梅干しや細かくほぐされた鮭の身も添えられている。
「ありがとね、珠」
 橘花は食事を運んできた珠に、静かに礼を言う。
 粥を見つめたままぼんやりとする橘花に、珠がそろそろと言う。
「橘花さま。少しだけでも食べてください」
 心配そうな眼差しを向ける珠に、橘花はかすかに笑みを返した。
「食欲がないの。贄になる日が近付いてきているからかな」
「橘花さま……」
「珠、この六日間、本当にありがとう。珠のおかげで、私は幸せに死ねる」
 珠は一度目を伏せてから、橘花を見る。そして、橘花に歩み寄った。
「珠?」
 珠は橘花のかたわらへ来ると、粥を匙で掬った。
「お口へお運びいたします」
「だ、ダメ。もし万が一にでも触れてしまったら……」
「私がこうしたいんです」
「……珠。どうしてそこまでしてくれるの? 私が怖くないの?」
 珠は一度手に持った匙を椀へ戻し、橘花を見た。
「……最初は、怖かったです。……私は、浅さまに押し付けられるかたちで、橘花さまのお付になりました。少しでも触れれば死ぬと聞いたときは、浅さまの脅かしかとも思いましたけど……若さまから改めて橘花さまの体質を聞いて、背筋が震えました。橘花さまのちょっとした仕草にも過敏に反応してしまって……初めは、眠ることもできませんでした。でも、橘花さまは怯える私を叱るどころか、とてもお優しくしてくれて……」
「じぶんより幼い子に優しくするのは当然でしょう? まして、私に怯えてるならなおさらよ」
「……私は、私が恥ずかしいです。なにも知らないのに、橘花さまを自分勝手に判断してしまいました。橘花さまが毒をまとうからといって、その心まで邪悪であると決めつけて」
 珠はくりりとした目から大粒の涙をこぼしながら、頭を下げた。
「申し訳ございませんでした……」
「……謝らないで。あなたはなにも間違ってないんだから」
 それに、と橘花は続ける。
「私はむしろ、恐れてくれて嬉しかった」
「え……どうして」
「だって恐れてくれなきゃ、私はあなたを殺してしまうかもしれない。だから珠は謝る必要なんてないし、泣く必要もないの」
 橘花は珠に手を伸ばす。その頬に触れかけて、止めた。
「……ごめんね。涙を拭ってやりたいのだけど」
 橘花は、この体質のせいで、珠を慰めることもできないのだ。
「いえ……いえ……っ」
 大切だと思っているのに、触れられないもどかしさと虚しさが、じんわりと橘花の胸に広がる。
「私が……私が、身代わりになります。私が橘花さまの代わりに、贄になります。だからどうか……どうか」
 生きてほしい、と珠が呟く。
「珠……」
 視界が一瞬にして滲んだ。
「……ありがとう」
 だれが、こんな言葉をもらえるなんて想像しただろう。
 透き通る珠の涙に、橘花の心は救われた。
 死ぬ前にこの感情を知ることができただけでも、橘花はこの屋敷へ嫁に来てよかったと思えた。
「でも、気持ちだけで十分よ。珠……あなたは私の大切な友だち。死んでも忘れない」
「橘花さま……」
 白玖や珠のおかげで、ささくれだっていた心が少しだけ丸くなったような気がする。
 橘花は珠から匙を受け取ると、粥をそっと口に含んだ。


 ***


 その翌日から、呪いはさらにひどくなった。
 日に日に身体が重くなっている。死が近づいているのが分かる。
 高熱が続き、寝ている時間が増え、呼吸が苦しくなった。
 寝たきりの橘花を、珠は一生懸命看病してくれた。
 滋養のあるものを食事に出してくれたし、痛み止めの薬もくれた。無論、呪いなので薬などまるで効きはしないが、身体には効かずとも、心には効いた。
 白玖は、数日前からまったく姿を見せていない。少し寂しかったが、これで良かったとも思う。こんな姿を見られるのは、いやだ。
 それくらいには、橘花は白玖を想っていた。
 ――願わくば……。
 橘花は窓の向こうの月を見上げる。
 ――願わくば、来世では白玖と添い遂げたい。そして、珠とも本当の友だちになりたい。
 そう、月に祈りながら、橘花は深い眠りについた。