夜空にはフィルターがかかっていた。その夜空を見あげた。

女はいつも危ぶんでいた。胎盤(たいばん)のようなゼリー状の壁。あの薄膜があるかぎり魂が宇宙《ソラ》に行くことはできない。外れる時間がもっと長くなれば――

「よお」

いつものようにトンビが彼女に声をかける。女は海鳥ととくに仲がよかったわけではない。ただ女の収穫が(玉のことだが)今日はどれくらいだったのかが気になっているのだ。網の中にある玉はひとつだった。だが、輝きはいつもとは違う。あたりの薄暗さを跳ね返すような強い光で、近づくとトンビの嘴(くちばし)が黄金色になった。

「これはすごいな」そう海鳥がいう「ひょっとして、まだフラフラしている玉なんじゃねえか」

「ごあいさつだね。(時間をもつ玉)っていいなよ。こんなのもあったよ、おそらくこいつの主が持っていたやつだろう」 女はそういうと、小さな貝殻のような細工の装飾を海鳥にみせた。

「なんだそれは」

「わかんない。玉の波動を読んだら、これを使っていたのは男だね。家族がいる。男の想いが強すぎて、家族がこっちに引きよせられている。そんなとこかな」

「なんだ、じゃあまだ生きてるのか。面倒くせえな」

女は肩をすくめて袋を持ちなおした。袋の中ではバシャバシャと玉が動きまわった。どうしよう、あの場所に投げこむにはまだ元気すぎる。面倒くさい玉を見つけてしまったものだ。

「こういう中途半端なのが一番困る。かといって放り出すわけにもいくまい」

「どうするんだ。まさか、持ち主を探すつもりか」

「そのまさかさ」と女が笑った。器だ、器がどうなっているかで玉の運命が決まる。この玉はまだ天に昇る気持ちもない、かといってあの渦《処理場》に放り出すほど弱っているわけでもない。

そのとき、目の前で落雷が鳴った。どうやら空の主がイラつき始めたようだ。

「おせっかいもいいが早く放りこめよ。また天気が悪くなるぜ」

「さっき、何個放ったの」そう女が聞いた「ご不満なんじゃない? あんたの漁に」

「三つだ。オレの仲間も含めると五つかな。だがお前にいわれたくはないね」

女は腰につけていた袋からウサギの死骸を取りだした。どこかで野犬にでもやられているのを見つけたのだ。大海原に勢いよく放り投げると、渦がよってきてガツガツ食べる。急に波が黄金色に光り、落雷とともに一瞬で消えた。

「玉のあった場所へいってみるよ。アーチの向こうはどうなっていると思う?」

「いつもよりは穏やかだろう。しかしお前がいなくなると、こっちが忙しくなるんだ。早くすませろよ」

「わかった」

女は沖を背にして走っていく。砂浜を過ぎ、草むらまで来ると巨大な岩のアーチがみえてきた。女は袋から玉をとりだすと、アーチの下にある泉へ放り投げた。玉は嬉しそうにピシャピシャと泳いで、やがて底に沈んでいく。

「フィルターが開くまでここで泳いでな。もしくは元の場所へ戻るんだ。その力があるのなら――」そういうと女は再び立ちあがり、巨大なアーチをくぐりぬけ、霧のなかへと消えていった。


女が去っていくと、入れ違いに少年がこの地へとやってきた。当たり前だが、少年はこの地のことがよくわかっていない。なので必ず防波堤の先端に座った。ほかはテトラポットに磯や貝がこびりついていて、小魚たちが腐敗(ふはい)していたからだ。

目の前は海しかない。大小にうねる波。なんの変哲もないようだが、一定のルールがある。海の上では海鳥がけたたましく鳴き、魚の群れを目がけて旋回している。そして、その下には小さな舟もみえる。こんな天候でもなにか捕れるのだろうか。陸にいても潮風は容赦なく彼の髪を揺らす。こう強い風が吹くと思わず身をすくめたくなる。海は荒れ目ぼしいモノはない場所、そして不安ばかりが増していく。正直この夢は彼にとっていいことは一つもなかった。

これで終わればまだましだ。しばらくすると必ず空から何者かが叫ぶのだ。

「海が荒れるゾ、急げいそげ。はやく飛びこめ」

(そう言われてもサ)

そういって彼はほおづえをつく。空が文句を言っているのは一目瞭然(いちもくりょうぜん)だった。だがもう慣れた。この声に関して言わせてもらえるなら、初めはなんだろうとおびえていた。だが、その声はただ叫んでいるだけで海に放り出すことができないと知ってからは無視をすることにしている。建築現場あたりの不協和音と同じだ。

「ねぇ、まだ子どもじゃない」

さっきとは別の声がそう言う。空から何か聞こえるたびに黒い波はピシャンと跳ね少年の足元まで水しぶきがかかった。

「ええええ、獲物が取れさえすればいいのだ。誰が沖に出かけても。早くしないと玉が逃げる」

最初の声がそう言うと「うひゃああ、ソリャ大変だ」と、大騒ぎがはじまる。

不協和音(ふきょうわおん)もあまり多いと耳障りだ。思わず彼は「ちぇっ」舌打ちをする。

「へぇぇ、舌打ちなんて生意気な。子どものくせに」

「子どもなんて言うな、ガキでいい」

「そうね、ガキ、餓鬼ね」

「ガキのくせに」

声は一体となってケンジをののしりはじめた。

「ガキは自由でいいよなぁ」

「そうね、あれほど沖に出ろと言ってもこれだもの」

空の声がしつこく攻撃してくる。とうとう堪忍袋の緒が切れた。

(おい、いい加減にしろっ)


「ケンジ」

急に呼びかけられ彼はハッとすると、母が心配そうに見つめている。

「どうしたの、汗でびっしょりじゃない」

そういわれ周囲を見まわすと、いつものリビングだった。背後では遮光カーテンがゆらゆらと揺れている。

「大丈夫?」

母はケンジの横に座り手を伸ばした。

「いいって、大丈夫」。ふと胸元にふれると、シャツのボタンが取れている。

目の前では妹がアニメに夢中になっている。どうやら、まったくいつもの日常だ。

母はケンジの様子をじっと見ていたが、立ちあがって冷蔵庫からルイボスティーを取り出す。キッチンのテーブルにグラスを二つ用意すると、ひとつをケンジに、もうひとつをユウに渡した。

「夕飯まで部屋で休んでたら」

ケンジはそれに返事をしないまま、急いでルイボスティーを飲み干し、立ちあがった。

彼は幼いころから不思議な現象が多い。たとえば去年。飼っていたインコが突然死んでしまった。かわいがっていた鳥が亡くなり母もユウも悲しんだ。インコは手のひらくらいの小ささだったが、いつも陽気な歌声を披露してくれる存在だった。母はお菓子の木箱を見つけ、インコを綿にくるむとその木箱にいれた。二人は夕暮れのなか母と妹は外にでると、インコを近くの河川敷に埋めた。

その夜だった。ケンジがふと目覚めると、さっき埋葬(まいそう)したばかりのインコが飛んでいる。はじめは気のせいだろうと思った。だがある日はベランダに、また別の日にはキッチンを飛び跳ねていた。

「インコがいる」

ケンジは二人にそう言ってみた。だが母もユウも不思議そうに「何も見えないけど」と言う。その時以来、ケンジは不思議な現象があっても、家族に打ち明けずに過ごしていた。

悪夢も同じだ。最初は誰にもいわないでいた。だが少しずつ、ユメはケンジを苦しめ始める。なにより眠りが浅いのが一番つらい。ケンジは来年、中学生になる。クラスでも上位の成績で、進学校への受験はすでに終わっている。もし希望の中学に進学できたとして、あの夢を毎晩見るようならーー。そこでケンジは、今までの夢を母に打ち明けようという気になったのだ。

* * *

女はいつもより(時間が支配する空間)に入ることが難しいと感じた。おまけに最近は、こっちとの境目が曖昧になっている。いっそ空を飛んでみようかと迷う。何度か試したが、どの場所も波動が重くて飛ぶのに一苦労だった。女はアーチをくぐりぬけると、いつもの高台から飛び立ってみた。だが、あっという間に地に足がついてしまう。

「ふう、なんでこんなに重たいんだろ?」

飛ぶことに躊躇(ちゅうちょ)していると、遠くから黄色い鳥がやってくるのが見えた。どうやらインコのようだ。女が手を伸ばすと鳥は手のひらに乗った。

「あの玉は私の主人です」

「それなら話が早いね。助けてくれない? 向こう側へ行きたいの」

「お任せを」インコは勢いよく飛びあがると霧の中を回遊する。しばらくするとうっすらと霧が晴れてきた。するとさっきよりも楽に空を飛ぶことができた。決壊はなんとか超えられたが、なんという寒さだろう。風も強く吹いていて体は吹き飛ばされそうだった。

インコはある場所を目がけて降下する。女もそれにつづいた。霧が晴れ街の明かりが空から見える。ひとつ、大きく光を放つ場所があった。

「ふーん、あそこに主の器があるね」

女はその白い建物目がけて猛スピードで降下していった。インコが追いついているかチラリと見たが、心配は無用だった。しっかりと後ろ髪にしがみついている。

「くるたびに思う。恐怖のイマジネーションが広がっているね、やれやれ」

そのつぶやきを聞いてインコがピピピと鳴く。女はそっと地上へと降りた。

「あの建物です」

目指す場所に近づくと、インコは懐から離れて飛び出した。うっそうとした森林が周囲をおおい、あたりには誰もいない。

「向こうの世界とそう変わらないヘンピなとこだ。でも、薬草は多いね」

彼女は近くのヨモギを摘むと自分の腕にあてる。ヨモギは一瞬光を放ち、すぐに腕の血がとまった。傷がふさがると、あらためて建物を見た。上の階に玉と同じ波動を感じる。

「あんたのご主人は、ここに暮らしてるのかな」

「ココは人間が治癒する場所のようです」とインコはいう。「詳しいことは、ちょっと」

「そっか、じゃあいってみようか」

女とインコは中に入った。どうやら(時間が支配する場所)は夜中のようだ。シンとしているが、巡回する人間が何人かいた。女は玉の光と同じ波動を感じる部屋に入っていった。「八番」という札がついている。部屋に入るとベッドがあり、そこに男が横たわっていた。すぐこの男が玉の主だとわかった。

「ずいぶん眠りこんでいるみたいだね」とインコに言うと、インコは小さくさえずった。男の額に手をかざしてみた。生命力が強い。男の最後の日が見えてくる。かなり疲労をしているにも関わらず巨大な建物で仕事をしていたようだ。急に心臓に違和感(いわかん)をおぼえ、そのまま倒れたようだ。

さらに男の中をのぞく。魂はココに居たがっていた。だから玉はあんなにも光り輝いているのかーー

「ひょっとして、アンタが身代わりになったの?」

「そんなつもりはありませんでした」そうインコはいう。「でも、ご家族の想いがとても強くて辛そうなので、私の心臓を差し上げることになったのかもしれません」

女はインコを手のひらで包んだ。そして男の額に手を当てる。しばらくの間ずっとそうしていたが、やがて手を離す。

「また来るよ」女がそういうとインコは嬉しそうに部屋の中を飛びまわった。

* * *

「え、同じ夢を見るの? 悪夢を?」

ケンジが夢の話をすると、母はそう言って眉をよせる。そして念のためといって心療内科に予約を入れた。

「夢というのは、どんな夢なの」開口一番に医者はこう尋ねてきた。ケンジは面倒くさいと思いつつ、正直に答える。

「ええと、海岸にいます。なんていうか……。夢の中の海はいつも天気が悪いんです」

「快晴じゃないんだね。ところでケンジ君は海水浴は好き?」

「うーん。別に嫌いじゃないけど」

「台風の前に海岸に出かけたり、海水浴場でおぼれた事とかあるのかな」

彼は母親とチラッと顔を見て、すぐ首を横に振る。するとすぐ医者は質問をかえた。

「睡眠時間だけど。平均でどのくらい?」

「五、六時間くらい」

「ほう。小学生としてはすこーし足りないかな」

スーツ姿の医者はそうブツブツいいながらキーボードをたたく。すかさず「最新作のゲームに夢中になっているんです」なんて母が言いだす。急に医者は目を輝かせた。

「最新のゲームね。うちの息子も大好きだよ。でもね、ああいうゲームをした後は、脳が興奮してなかなか寝つけなくなるからねぇ」

結局、悪夢の原因は「最新ゲーム、長時間作業による脳内疲労」になり、軽い睡眠導入剤を処方されて診察は終わった。

* * *

ケンジが診察をして三日が過ぎた。いつものように夕食が済むと母が部屋にやって来くる。

「どう?」

「どうって?」

ケンジはあの夢を見ていない。だがパズルを床に広げ、そう言う。

「だから。眠れてるの?」

「うん」

母は後ろ姿の息子をジッと見みていたが「夜更かしはやめなね」と言いドアを閉めた。>ケンジは似たようなピースを集めにかかった。パズルを始めてからというもの、とくにゲームをしたいという気持ちもなくなり、かえってホッとしている。じっさい眠りもよくなってきていた。医者に行くのは嫌だったが、処方を機に悪夢から解放されているのは事実だ。

しばらくして、コンコンとノックがありユウがやってきた。

「すごいね。もうすぐ完成じゃん」

ケンジは得意げにフン、と鼻を鳴らす。

「そういえばユウの夢ってどんなの」ふと気になり、ケンジは妹に尋ねた。

「ユメ?」

「ほら。悪夢のこと」

一昨日の晩だったろうか。ユウも悪夢をみると言いだしたので気になっていたのだ。

「うーんとね。砂あらしみたいなの」

「砂あらし?」

「ほら、テレビの番組がないチャンネルであるでしょう? ザーザーって」

スノーノイズのことかな? とケンジは想像した。妹の口調が深刻ではない口ぶりだったせいか、ケンジは再びパズルに向かう。ユウは立ちあがると「お風呂いこ。ママは入ってるかな」と言いながら去っていく。

きっと今夜も眠れるさ。ケンジはユウを見送ると急に眠くなり、小さくあくびをした。

* * *

空は相変わらず薄暗い。いや、天気が悪いのかもしれない。ガランとした砂浜には死んだ藻や海藻が一緒くたになってゴミと化していた。彼はこの夢に来てしまったことに失望した。うす暗い海岸線は、彼の気持ちをなえさせるのには十分だ。

「やれやれ」そうつぶやくと、仕方なく防波堤に腰をかける。

さてどうする。

ケンジはあらためて周りを見まわす。背後など今まで気にもしなかったが、霧が立ちこめている。

「どっか道はないのか。道だ、道」

彼はそう言ってみるが、風はどんどん強くなりテトラポットにも波が押しよせてきた。ふと沖を見ると、ポツンと渦のような空間がある。あまりにも奇妙な空間だ。その渦をしばらく観察していると、トンビが時おり何か投げこんでいる。

ケンジは最初、餌をためこむ場所なのとか思った。だがトンビが何かが落とすと、その闇は長くなったり小さくなったりした。まるで巨大な口が、モノをかみ砕いているかのように。

少し気味悪くなり立ちあがると、ケンジの後ろでチリンと鈴の音が鳴った。思わず振り向くと、霧の向こうに細い砂利道が続いている。ケンジはあわてて立ち上がった。だがすぐに「どこへ行く、ガキ。沖だ、沖を目指せ」と空がわめきだす。

だが彼は防波堤を背にして内陸へ。細い砂利道に入る。

「戻れ」

「はよ戻れ、ガキ。そして沖へ向かうのだ」

まだ声がする。彼はうっとうしくなり道の脇にそれた。砂利道の周りは雑草におおわれ、ケンジの体にまとわりついたが、しばらく身をひそめた。ラッキーなことに空の声は徐々に小さくなっていった。

ケンジは茂みにしゃがんだまま休もうとした。すると草むらの手前から「よお」と声がする。

「なんだ、あんたか」

すぐに返事がある。どうやら女のようだ。

「なんだ、とはご挨拶だな」

「そっちこそ。漁もせずにこんな場所でウロウロしているとはね」

「フン、オレはクチバシを使えるしなぁ。あんな獲物なんかすぐに捕れる。それよりさ、あっち側に行ってみてどうだった」

「玉の主のこと? ずっと横たわっていたけどパワーは強いね」

「そりゃそうだろう、奴の身内が迷いこんでくる。おそらく引きよせられているんだろう」

「波動が強いと引っ張られるのさ。よくも悪くもね。帰り道を教えたらいいじゃないか」

「だれもそんな暇はねえよ」と声が言うと、同時に遠くで「舟がでるぞう」と叫ぶ声がする。

「あたし、あの舟に乗るんだ」

「ほう、じゃあ」と最初の声が言うとトンビが空へ飛びあがった。

「ふん、飛ぶのが下手だね」

思わずケンジもトンビを見上げた。しばらくすると、気配は消えて茂みのざわめきだけが聞こえてくる。ケンジは好奇心が抑えきれず、さっきの場所へ踏みこんだ。するとくぼみに足がとられ、体は勢いよく草むらの中から飛び出してしまった。

そこは、ただの小さな広場だった。人はおろか小動物や虫の気配もしない。周囲はうっそうとした草が広がっているだけだ。

だがさっきのは、いったいーー

「おいガキ。そこにいたんだな、早くしろ」

空からまた声がする。「漁なんかできない」ケンジは思い切り叫んだ。

「なんてことを、ガキのくせに」

「ガキのくせに、ふん」

「おまえはいつも怠けているだけなんだ。なぁ」

「好きでココにいるワケじゃない」

ケンジは怒ってそう言った。だが、それがオカシイのか、嘲笑が雨雲に響きわたる。

「好きでいる場所はないのだ。ガキが選べる世界なんて、ないのだからなぁ」

「自分で選べるなんて。なんてさもしい」

空はいつも以上に彼を責め立てた。

「腑抜けなやつめ。こいつが沖に行かないので、もう一人呼びましたよ」

「どこにいるのだ」

ざわめきが広がった。それは、いつもとは違って期待と喜びに満ちている。

「ほら、砂浜の向こうから歩いてきますよ。あの子は純粋で素直だ。きっと飛びこんでくれるでしょう」

ケンジは周りをぐるっと見回したが、広場からは誰が来るのか見えなかった。

「必要ないのなら、早くここから出してよ」
「ガキが何かいってますぜ。必要ないなら。とか」

「可哀そうに。必要なければ穴に入るしかないのに」

「穴だなあ、真っ白な霧がかかった」

空の声はふたたびケンジに集中し、それを援護するかのように本格的な雨が降り出してきた。あまりの不協和音と雨風に思わずケンジは耳をふさぐ。急に足元が揺らいで、さっき広場だった場所は穴になった。穴は急に大きくなり、体は足から落下した。

「ああっ、母さん!」

思わずケンジは叫び声をあげた。必死に何かをつかむと、それはいつもの目覚まし時計だ。汗びっしょりになって彼は布団から飛び起きた。思わずつかんだ時計を見ると、二時半を指している。

ケンジは布団から起き上がった。まだ動悸(どうき)が激しい。十分ほどジッとしていただろうか。ようやく立ちあがると母親の寝室へ向かう。ドアを開けると母はベッドの上でぐっすりと眠っていた。忙しい母は、目を閉じるとなかなか目覚めないのは分かっている。

ふと気配がしてテレビをみると、インコが彼を見つめている。

「大丈夫だよ、無事だ」

思わずインコにそうつぶやくと、医者からの薬を飲もうか迷う。だが、彼はそのまま自分の部屋に戻った。

雨空や潮風はここにはない。それだけが今の彼にとって救いだった。