どうやらジルは、守護獣と呼ばれる存在らしい。
聞いたことがないので詳しい話を教えてもらうことにした。
「守護獣は魔物ではなく、どちらかといえば精霊のようなこの世界の現象に近い存在なんです。私達獣人にとっては、そうですね……土地の守り神とか、神様の御使いとか、そんな感じで敬われています」
はるか昔、獣人達の立場がまだ今よりもずっと弱かった頃、獣人達は守護獣の庇護を求めた。
そして守護獣は自らが庇護する対象として獣人達を認め、守ってあげていた。
獣人達にその教えは今も根付いており、彼らにとって守護獣は敬意や尊崇の対象なのだという。
「お前、そんなすごいやつだったのか……」
「わふ?」
ジルが首を傾げると、シュリがビクッと身体を震わせる。
ジルは守護獣の中だとまだかなり若い個体らしいが、成長すればとてつもない強さになるという。
こいつが狼の魔物にしては異常に強く、賢いのに得心がいった。
「俺も敬意とか払った方がいいか?」
俺がそう聞いてみると、『馬鹿なこと言うんじゃない』という感じで尻尾で頭を叩かれる。 それじゃあ俺はいつも通りにやらせてもらおう。
「とりあえずシュリも長旅で疲れただろうから、今日は自分の部屋でゆっくりするといい。俺はちょっとやることがあるからな」
「わ……わかりました!」
持ってきていたらしい大きなトラベルバッグを持ちながら、ビシッと敬礼される。
いそいそと荷物を取り出そうとする彼女のドアをパタリとして、今日の作業に取りかかるため作業部屋に向かう。
いくつもの魔法効果の込められた作業着に着替えると、ビシッと心まで引き締まった気がした。
「生活のために必要な家具は一通り作ったから……次は金物にしようかな」
似たようなものばかり作っていると飽きが来る。
そして飽きというのはどうして槌を握る手を、魔力も文字を動かす頭を鈍らせるものだ。
なので俺は根を詰めて作業をする時を除いて、なるべく自分がやりやすい形や順序で作業をすることにしていた。
とりあず今日は金物を作っていくことにする。
鍋に包丁、あとは……解体に使うナイフなんかも作っておきたいな。
「久しぶりの鍛冶だ……ふふっ、なんかちょっとワクワクしてきたぞ」
やはり鍛冶をする時が一番心躍る。
必要があったから魔道具作りもある程度はこなせるが、やはり俺の専門は鍛冶なのだ。
鍛冶とそれ以外では、入る気合いの量がまったく違う。
まずは今のところ一番使いそうな包丁から作っていくことにしよう。
炉に火を起こしていく。使うのは火魔法と魔道具だ。
始めに火魔法を使って火力を上げている間に、選定しておいた材料を取り出す。
今回包丁の材料に使うのは、魔力含有金属であるオリハルコンだ。
日用使いにしては高価過ぎる気がしないでもないが、久しぶりの鍛冶の前の高揚においては、そんなことはささいなものだ。
火魔法を使って限界まで火力を上げるが、当然ながらそれではまだまだオリハルコンの融点には届かない。俺の火魔法の際は、リアム達と比べれば鼻くそみたいなものでしかないからな。
故に取り出すのは、龍が火を噴いているような形をした魔道具だ。
こいつは俺が鍛冶用に作り出した一点物で、その効果は『魔力量比例加熱』。
魔力を燃料にすることで無際限に火力を上げてくれるこいつがあれば、魔力のこもった石である魔石に糸目さえつけなければ、理論上いくらでも加熱をすることができる。
大量の魔石をくべていくことで、炎の温度が上がっていく。
『大気循環』や『冷却』の魔道具を複数使い自身も『温度調節』の籠もった作業着を着ても尚汗が噴き出す。
メラメラと燃える炎を見ながら、ちょうどいいタイミングで溶かしていたオリハルコンを取り出していく。
続いて行うのが魔力鍛造だ。
オリハルコンは大量の魔力の込められている魔力含有金属であり、その魔力容量は文字通り次元が違う。
けれど聖魔剣のようなとてつもない情報量の剣を作るためには、ただ鋳型に入れた剣に魔力文字を打ち込んでエンチャントをつけるだけでは足りないのだ。
それでできるのは精々が一級品止まり。
ワンオフの超のつく一級品を作るためには、文字通り鍛冶師側も情熱を燃やして製作に打ち込む必要がある。
魔力鍛造とは、簡単に言えば魔力の込められた魔槌を使って魔力含有金属を成形し、その過程で魔力容量を増やす作業のことを指している。
膨大な魔力を打ち付けながら加工することで、魔力容量は増やすことができるのだ。
もちろんやりすぎれば魔力に堪えきれずに金属側が破裂したり、場合によっては風化・消滅してしまうこともある。
ただその見極めの加減は、聖魔剣を打った時に見極めることができている。
ちなみに俺が使っている魔槌も、その時に聖魔剣ようにあつらえた超のつく一級品だ。
融点を超える熱を受け容易に変形するようになったオリハルコンを、魔力を使いながら魔槌を使って叩いていく。
温度が下がってくるとパリパリと表面が剥げてくるが、それらも槌を使って一つにまとめる。
最後に魔石を使いまくって最高温まで上げていく。
するとオリハルコンは燃えるのではなく、沸き始めた。
何度も叩き魔力容量が増えたオリハルコンを、丁寧に成形していく。
成形というのは当然ながら包丁として打っていくだけではなく、内側の魔力情報を整えることも含まれている。
何度も重ねて叩かれたオリハルコンの内側の魔力情報は、かなりぐちゃぐちゃになってしまっているからだ。
それを魔力素描を使って整えながら、同時並行で魔槌による成形も進めていく。
炉に入れて再加熱をしている間は、魔力情報を書き込むための時間だ。
ただ再加熱を何度も繰り返せば当然ながら剣ももろくなる。
素材としての耐久性を始めとした性能が高いため、オリハルコンなどの稀少な金属を使う場合、下手に再加熱をせずにそのまま名剣として生み出すことが多い。
神聖魔法と古代魔族文字を覚えるまでは俺もそうだったが……この二つであれば再加熱によるデメリットを、魔法効果を刻み込むメリットが上回る。
故に俺は何度も加熱を行い魔力文字を書き続けた。
あらかじめ用意していた文字列が文意をなしエンチャントとなり、また全体それ自体も文脈として通すことで別のエンチャントをつけ、同時にエンチャント自体も強化していく。
古代魔族文字の場合、魔力情報をミスればそのままダメージになってこちらに返ってくる。 一瞬たりとも目を逸らす時間はない。一秒のそのまた十分の一ですら無駄にはできなかった。
時間の流れが気にならなくなり、世界に在るのが俺と金属だけになる。
この時間が、俺は好きで好きでたまらなかった。
過剰なほどに集中し続けることしばし。ようやく包丁が形になった。
そのままの勢いで解体ナイフを作る。
そしてなんだか気分が乗ったので、そのまま鍋とフライパンも作ってしまうことにした。
俗世のことを気にせずにやりたいことができるというのは、なんて素晴らしいことなのだろう。
「ふうぅ……なんとか集中が切れる前に全部作れたか」
全ての金物に魔力容量ギリギリになるまで魔力文字をつけ、かなり高度なエンチャントをつけ終えると、緊張から解放されて思わず安堵の息がこぼれた。
途中からは完全に魔力素描だけを行っていたため、既に汗は止まっている。
俺は作業部屋には時計は置かないようにしている。
時間や効率を気にしていては、真の鍛冶の頂にはたどり着けないと思っているからだ。
ただそのせいで、時間の経過はまったくわからない。
作業着の内側は、既にパリッと乾いているし腹も減りすぎて逆に減ってない状態まで来てるから、かなり経ってるとは思うんだが……。
「ふふふ、だが満足のいく逸品ができたぞ」
神聖文字と古代魔族文字を使えば、情報量をかなり圧縮することができる。
おかげで通常の魔力文字であれば到底不可能なような、高度かつ情報量の多いエンチャントもつけることが可能となっている。
聖剣や魔剣に込められていたものの容量の都合上聖魔剣に搭載できなかったいくつものエンチャントを込められたので、俺としては大満足だ。
もっとも素材としては最高峰であるオリハルコンを使い、更にそれを魔力鍛造してギリギリのラインだったから、通常の素材だと作れそうにないな……どのあたりの機能をデチューンするかは今後の課題だな。できれば魔鉄でも作れるようにして、ある程度手の届く価格帯で作れるようにしたい。
その製法を回せば、後はわざわざ俺が出張らずとも他の鍛冶師が上手いことやってくれるだろうし。
できあがった作品達、うっとりと眺める。
触ってみたり、角度を変えながら四方から見てみたりしてみる。
完成した作品というのは、一種の芸術品のようなものだ。
鍛冶師が作る力作は、決して名画家の描いた絵画に劣るものではない。
むしろ実用性がある分、そこには純粋な芸術にはない独特の魅力があった。
ぐう~っ。
「……さすがに、腹が減ったな」
永遠に見ていたいのはやまやまだったが、空腹の方がいよいよ限界だったので作業部屋を出ることにする。
リビングに向かうと、何やら良い匂いが鼻腔をくすぐった。
「あ、お疲れ様ですラックさん」
「料理、作ってくれたのか?」
「えっと……はい、すみません、調理器具を持ってきてないのであまり大した物は作れてないんですけど……」
そういってもじもじとしているシュリは、なんだかかわいらしかった。
以前ちっちゃかった頃を思い出し、思わず頭を撫でてしまう。
「いや、男の一人暮らしでまともな料理も作れてなかったからな。正直かなり助かるよ」
「は、はひっ!」
ボンッと顔を真っ赤にしたシュリと一緒に椅子にかける。
先住者の人が残してくれていたがっしりとしたテーブルの上には色とりどりの料理が並んでいた。
肉料理に野草料理。それにあらかじめ持ってきていたからか魚料理まである。
これこそが料理だ。
俺の食っていた飯は、ただ素材を加熱して味付けしただけに過ぎなかったのだ。
そんなことを悟ってしまうほどに、シュリの手料理は美味しかった。
「とっても美味しいよ、毎日作ってほしいくらいだ。将来のシュリの旦那さんは幸せ者だな」
「だ、旦那ですかっ!? ……そ、それならラックさんが立候補してくれても……(ごにょごにょ)」
「ん、何か言ったか?」
「何でもありましぇん!」
思いっきり舌を噛んで痛そうにしているシュリを、ジルがかわいそうな子を見るような目で見つめている。それを見たシュリがまた騒ぎ始め、漫才のようなやりとりをする二人を見ると思わず笑みがこぼれた。
一人増えただけのはずなのに、こんなに急ににぎやかになるものなんだな。
俺が山に籠もっていた時間は大してなかったはずなのだが、やはり現金なもので、ずっと一人でいることに寂しさを感じている自分もいた。
誰かと久しぶりに話せたことで、改めて人は一人では生きていけないのかもしれないと思う。
そして誰かと食べるご飯というのは、やはり味気ない一人メシより何倍も美味く思えた。
それに別に鍛冶は孤独じゃなければできないわけでもないしな。
「あ、そうだ。シュリ、これなんだけど……」
「は、はいこれは……金物、ですか?」
「ああ、この小屋には金物がなかったから、腕鳴らしの意味も込めて作ってみたんだ。もしよければ明日の料理でこれを使ってみてくれ」
「あ、ありがとうございます!」
目をキラキラと輝かせるシュリに良く切れるからなと言い含め、包丁と解体ナイフを手渡す。
そして俺は久しぶりにしっかりと鍛冶をした心地よさに身を預け、ぐっすりと眠るのだった……。