異世界転移!?~俺だけかと思ったら廃村寸前の俺の田舎の村ごとだったやつ


 昼にばあちゃんが男爵家の料理人と作ったのは、梅ジソのおにぎりと、唐揚げ入り、小海老のフリットを濃いめの天つゆに浸して具にした天むすだった。
 こいつはまた……食べやすくて、食いすぎてしまうおにぎりの代表選手が来た!

「米はど田舎領でも栽培してるんです。ライスボールもあるけど普段はピラフを丸めたり、ソースやチーズを加えてコロッケですね」
「俺たち異世界人のレシピ、口に合います?」
「美味いですよ、心配ご無用です。醤油も味噌も流通してますからね。あなたがたニホンから来た異世界人の集落で作ってるそうですよ」

 おおおお。醤油と味噌があるほうの異世界だったか! ここ本当に優しい異世界すぎるだろ!
 食文化の違いといえば、今の日本食みたいに料理には滅多に砂糖やみりんなどの甘味料を使わないことが一番大きな違いだそうで。甘いものはスイーツ限定だという。

 男爵の屋敷には、俺たち四人と男爵、部下と料理人、下働きの数名。
 ばあちゃんは、せっかくだからと自家製味噌に煮干しと昆布をふんだんに使った出汁で味噌汁も作っていた。
 具はうちの冷蔵庫のストックの豆腐と、ど田舎村産のネギのコラボ。日本の白ネギより一回り太くて柔らかい。あとは油揚げ。これもばあちゃんちのストック。

「いやあ~異世界(ニホン)って贅沢だねえ。こんな揚げ物を当たり前に作っちゃうなんて」

 食堂の大皿に並んだ、唐揚げや天ぷら風フリット入りのおにぎりに男爵が感激していた。

「こっちの世界じゃ唐揚げとかなかったりします?」
「あるよ、あるけどこの国はあんまり大量の油を使う料理はないね。昔、食中毒被害が蔓延して揚げ物を食べる文化が下火になったんだ」
「ああ……油の酸化かな。あれ本当にヤバいって聞くから」

 肥満しにくい食文化だ。良いことだ。

 さて、昨日の夜や今朝とは違うおにぎりだが、ピナレラちゃんの反応はどうだろうか?

 まずは一個、海苔で包んだ唐揚げ入りのおにぎりを手に取っている。そのまま、ぱくっと大きなお口を開けて唐揚げごと行ったあー!

「あげたとりしゃん。おいちい」

 もぐもぐ、ごっくんしてから、うむ、と一端の評論家の顔つきでピナレラちゃんが頷いている。よし。唐揚げは異世界幼女にも好評だ。
 半分ほど食べた時点で味噌汁を木のスプーンですくって一口。

「おばあちゃのスープ、おいちい! おこめとしゅごくあう!」
「そうけえ。たくさんあるでな、たんと召し上がれ」

 ばあちゃんは自分の手作りごはんを美味しく食べてもらうのが大好きだ。ニコニコしながら自分の食事を後回しにして配膳に回っている。

 思い思いにおにぎりや味噌汁、惣菜を食す皆の中で、俺は梅ジソのおにぎりをひとつ取った。
 はぐっと一口。うっま。やはり〝ささみやび〟最高。梅ジソもさすが日本の誇るふりかけ代表。
 咀嚼しながら齧った跡を見る。

「むううう……」

 やはり、薄っすら米が光っている。だが今回は米だけじゃなかった。味噌汁も光っている。ということはやはり、ど田舎村の水だと思う。
 この村の飲料水も山から伸びてる水脈の湧水らしいから、土地に何か秘密があるのだろう。
 この辺は調べてみるのも面白そうだ。



 その夜、予想通り嵐が来て皆は軽めの夕飯を取ってそのまま早く寝ついたが、男爵は領内の仕事をしていた。
 俺は男爵に時間を貰って、この国に帰化する意志とピナレラちゃんのことを話した。

「もし、このまま俺が彼女の面倒を見ることになったら、どう思いますか?」と尋ねた。
 男爵は少し考えた後、深く頷いて答えてくれた。

「ユウキ君。まだ君たちと出会って数日だけど、私や村の人たちは君を見ていた。君ならピナレラをしっかり守ってくれると信じているよ。君なら安心して任せられる」

 男爵の言葉に安堵した。同時にこの村で託された新たな役割に責任を感じた。
 ピナレラちゃんにとっての良き兄、良き父として、何よりこの村の一員として。

 この異世界のど田舎村での日々は、多くの挑戦と困難を伴うのは間違いない。
 でも、それ以上に得られる喜びや人々との絆、ピナレラちゃんの成長を見守れる幸運、何より大好きなばあちゃんと一緒で、遠縁だが村長やベンさんも一緒だ。何を恐れることがあるだろうか。

 そう、俺はこの世界に留まることを選んだ。
 この地で、新たな家族を迎えてともに未来を築いていく。それが俺の新しい人生、新しい章の始まりなのだ。

 今は屋敷を揺らしている嵐も、明日になれば止んで晴れるだろう。
 明日こそは朝一番でピナレラちゃんに俺たちが〝家族〟になることを伝えよう。喜んでくれるといいんだが……



 だが、俺の心にはまだ元カノ穂波の影がちらついていた。

 ああ、次元の狭間にいた虹色キラキラに光る宇宙人三人組よ。異世界転移の衝撃で過去の記憶を元カノだけ都合よく吹き飛ばしてほしかった!
 俺はきっと、どれだけ異世界に馴染んでも元カノを忘れられないんだろうな……女々しい男と言うなら言え。



 ……と振られた余韻にまだまだ浸っていた俺だったが、そんな自己憐憫が吹き飛ばされるような出会いが訪れたのは、嵐が過ぎ去った翌日のことだった。

 社内コンペで優勝した僕、八十神アキラだったが、有頂天な気分はそう長くは続かなかった。

 御米田から奪った企画は、テーマこそ会社側からコンペ用に指定された同じもの。だが一から僕自身がリサーチして作り上げたものでは、当然ながらない。
 そのため、そこからは毎日の睡眠時間を削り、朝はいつもより一時間早く起きて、御米田の企画書の理解と分析に明け暮れることになった。
 あの男……改めてあいつの企画書を読み込んでみると、着眼点の鋭さと緻密さに恐れを感じるほどだった。
 僕はこの元の企画書が想定したものより華々しい成果を出さなきゃいけない。

 当然、御米田から奪ったトロフィー女とのデートどころじゃない。最初はまめに対処してたが、……だめだ面倒くさい。
 不満を何度かぶつけられたが、元々御米田のモノというだけの興味しかなかった女だ。
 毎日、アフターファイブに食事でもと誘ってくる女に、優しい言葉と態度で「ごめんね、コンペの後から忙しくて余裕がないんだ」と宥めるのもそろそろ億劫になってきた。

 付き合い始めてわかったが、あの女ものすごく面倒くさい。むしろ僕がこれまでの人生で避けてきたタイプだ。
 スマホのメッセージの返事を返さないだけで機嫌が悪くなるし、スタンプだけで返事すると「気持ちが感じられない」と言ってやはり不機嫌になる。どうしろというんだ。
 そのくせ自分からの返信は自分の名前が入った『ホナミちゃんおこだよ!』とか『ホナミちゃんさびしい……』なんて文字入りスタンプで自己主張してきやがる。
 なんなんだこの生き物……? 御米田はよくこんな女と何年も付き合ってたな?

 コンペ優勝してゴールデンウィークが明けた後は、企画書内容を前提とした今後の社内プロジェクトの実行委員を任されることにもなった。
 栄転でタイのバンコク支社長になるなら、英語だけでなくタイ語の勉強も必要だ。新しいスーツも必要になる……

「くそ。時間が足りない。……金も、足りねえ」

 僕は自分のアパートの室内を見回し、雑多だが高価な物で溢れた1LDKの部屋に溜め息をついた。
 質屋に持っていけば簡単に換金できるが、高額で売るならフリマアプリへの出品だろう。だなそのための時間すら取れていない。

 北区赤羽の飲み屋街近くのアパートで僕は深い溜め息をついた。

 大学時代、僕は六本木でホストのバイトをしていた。その頃の客が今でも高級ブランド品を寄越すので持ち物が派手なのだ。
 アメリカ発の最新のスマホにタブレット端末、ノートパソコンもすべて客から贈られたものだ。

 だがここ二年ほどで客たちとの縁が切れて、プレゼントも小遣いもなくなった僕は金に困り始めた。
 新卒で入社した総合商社の給料は良かった。けどまだまだホスト時代の収入には及ばない。……僕は生活をホストから会社員に切り替えなきゃいけなかったのに。

 顔だけは良かったから女を途切れさせたことはない。中には頼みもしないのに貢いでくれる女も多い。
 けど今は時間がなくて、あの金のかかる面倒な御米田の元カノだけだ。カフェもファミレスもチェーン店は絶対に嫌と言い張るから店のリサーチも面倒くさくなってきた。

「取引先との接待も増える。バンコクに行くならスーツも靴もビジネスバッグも新調しないと。支社長に相応しい品格となると……」

 僕にはイタリア系の柔らかな縫製のスーツが似合う。北イタリアの生地はやはり良いと思う。
 だがやはり金がかかる。またカードローンを使うしかないか。辛うじてまだリボ払いには手を出していない。

「時間があれば、またバイトに行くんだが」

 今年二十八の僕はキャバ嬢と同じでもう〝オジサン〟扱いだが、店のランキング上位には入れなくても太客さえ掴んでしまえばいいのだ。

「例の化粧品会社の社長の接待は……二日後か。東銀座の料亭だったな」

 上手いこと口説き落としてパトロンにできないだろうか。僕の射程範囲は二十歳から七十代でもいける。落としてきた自負がある。

「あーくそ、港区のタワマン一室プレゼントしてくれる頭と股と財布の紐の緩い女が欲しい!」

 ダメだ、もう頭が働かない。シャワーは明日にして仮眠を取ろう。

 ピコン!

 ベッドに入る寸前、スマホが鳴った。同じ部署のお局様からのメッセージだった。

『八十神さん、見てこれ!
 御米田君、会社辞めて野口さんと別れたの田舎の隠し子と暮らすためだったって!』

「……は?」

 野口は例の御米田の元カノのことだ。
 それはともかく、添付された写真が……どう見ても日本人以外の血の入った幼女を腕に抱いた御米田のドヤ顔。

「どういう……ことだ? あいつは僕にコンペで負けて、女も取られたから尻尾を巻いて退職したんだろう……?」

 この幼女の顔なら母親は間違いなく美人だろう……
 その夜、僕は目を閉じても写真の御米田のイラっとくるドヤ顔が浮かんで眠れなかった。


 まだ嵐が吹き荒れていた夜明け前、俺は男爵に起こされた。

「ユウキ君。すまないが起きてくれ。他は皆お年寄りだから君しか頼れる人がいなくてね」
「はいッ、なにか、ありましたか?」

 ばあちゃん、ピナレラちゃんとは別の客間で寝ていた俺は、男爵の緊迫した声に飛び起きた。

「君たちが持ってきた村の、川の辺りに魔力の波動を感じた。君たちの山の向こうは隣国なんだ。侵入者が異常を察知して偵察に来た可能性がある」
「それ、ヤバいやつですか」
「予告のない領土侵犯は国際法で禁じられているが、ど田舎領は歴史的に他国の侵攻が時折あってね……国境と接してるせいでならず者が来ることもある。ここ十年はなかったから油断してたよ」

 レインコートを借りて男爵と外に出た。確かにもなか山の手前、もなか川のあたりに何か光の衝突のようなスパークが見える。

「どうしますか。雨の中でも使える明かりを持ってます。俺が行って見てきましょうか」
「いや、さすがに危ない。領土の境界の結界が破られるほどじゃなさそうだ。でも夜明けまで待って嵐が止んだらすぐ出られるよう準備を」

 屋敷の中に戻ると、男爵の部下は既に起き出して武器などの準備を済ませていた。

「隣国のならず者が来たとして、目的はなんだと思いますか」
「ど田舎村は金目のものは少ないんだ。代わりに家畜や人が狙われることがある」

 夜明けまであと二十分ほど。窓から見えるもなか川方面は相変わらず魔力のスパークが時折弾けては消えている。なるほどあれが結界と、結界を破ろうとしてる他国の連中のせめぎ合いってわけか。
 魔力の感覚は背中にゾクゾクくる。日本での俺はあまり敏感ではないと思っていたが、昨日夢で謎の王様にバックラーや大剣を授けられた影響なのか今は少し過敏なぐらいだった。

「あそこ、なにか戦闘(ドンパチ)やってないですか? 侵入者が誰と?」

 スパークに鮮やかな紫色が混ざっている。結界を破ろうとする動きとは明らかに違う。



 少しずつ雨足が弱まってきて、夜が明ける頃には吹き荒れていた嵐もピタッと止まった。

 男爵の部下が敷地内の物見やぐらから鐘を鳴らす。侵入者たちへの警告と、村の人たちへの異常事態を知らせるためだ。
 同時に俺と男爵は川に向けて走り始めた。俺は作業着の黒のつなぎ、男爵は浅葱色の騎士服に帯剣して。ひょろっとしたおじさんだが騎士ランクA、戦闘技術はマスターしているそうだ。むしろ一般人の俺のほうが足手まといになりそう。

「うわ。如何にもならず者って感じ」
「お前たち! ここをアケロニア王国のアルトレイ公領と知っての狼藉か!」

 ずぶ濡れの冒険者崩れ風の男たちが三人。意外と少ない。
 男爵の怒号と、剣から繰り出された魔力の塊を足元に投げつけられ、男たちは形勢不利と見て山に向かって逃げ帰っていった。

「ユウキ君、この山の奥行きはどのくらいだい?」
「戻ったら村役場に村の全景地図があるんですぐ持ってきます。……子供の足でもハイキングできる程度ですね。見た通り標高も低いですし」
「参ったな。一時的な結界強化だけでは追いつかないかもしれない」

 男爵は腰のベルトに通していた革のポーチからビー玉サイズの魔石を取り出し、一個ずつ川の向こう岸に向けて勢いよく投げつけた。
 地面に落ちると同時にパッと明るく光って、魔石は溶けて消えていく。

 それから俺と男爵は、屋敷からスパークが弾けて見えていた付近を見て回った。嵐と大雨の後だから川は増水して川縁も泥でぬかるんでいる。履いていた俺のスニーカーもぐちゃぐちゃだ。

「男爵! あそこに人が倒れてます!」
「残党か!?」
「いえ、そんな感じではなさそうな」

 川縁の岩に抱きつくようにして、下半身は川の中、上半身だけ見えている人の姿があった。
 服からはみ出た顔や手足は傷だらけだ。しかも――まだ子供じゃないか!
 俺たちは慌ててその子を川から引き上げた。岩に乗り上げていた上半身は泥だらけだ。

 男爵がその子を見てハッと短く息を呑んだ。その視線の先には、――無骨な首枷が嵌められていた。


 倒れていた子供は体型からするとローティーンのようだ。
 着ている服はボロボロで汚れて、ところどころ切れた隙間から覗く手足にはいくつも血の滲んだミミズ腫れがある。これは鞭の跡か?

「君。君、大丈夫か!?」

 男爵がぺちぺちと子供の頬を叩く。しばらくすると呻いて意識を取り戻した。

「ここはアケロニア王国最北端のアルトレイ公領内、ど田舎村だ。私は領主のブランチウッド男爵。君を保護する。危害は加えない、安心してほしい」
「……は、い」

 顔も泥だらけのせいで目が開かないようだ。だがはっきり告げる男爵の言葉に頷いている。

「何があった? 君はどこから来たんだ?」
「隣国から……逃げてきました。ギルガモス商会、から」
「ギルガモス商会……奴隷商か……」

 おいやめろ。幼女とほっこりほのぼのスローライフ系のイージーモード異世界じゃなかったのか。奴隷有りのいきなりハードモード化するのはやめてけろ!

「う、うう……っ」

 突如子供が呻き始めた。首に嵌まった枷を必死で掴んでいる。首枷は彼女の細い首を締めつけていた。
 俺は慌てて首輪に手を伸ばして外してやろうとしたが、……なんだこれ継ぎ目がない!? どうやって外すんだ!?
 力任せに外そうとすると余計に締まってしまう!

「だ、男爵。これヤバいです、外れない。このままじゃこの子が」
「隷属の魔導具だ。これは逃亡防止の呪詛だろう。……そうか、あの男たちは逃げたこの子を追ってきたギルガモス商会の連中か」

 俺と男爵はなんとか首枷を外そうとしたが、締めつけはどんどんきつくなって、子供の顔は泥だらけでもわかるほど真っ赤になり、やがて――血の気を失った。
 くたり、と足掻いていた子供が、再び意識を失い倒れた。
 見ている俺も血の気が引いた。不味いぞ、人間が喉を締められ酸素を遮断されて無事でいられる時間は何分もなかったはずだ。

 どうする、どうすればいい?
 目の前で子供が死にかけている。俺には何ができる?
 咄嗟に夢の中で王様から貰った大剣を思い出した。そうだ、あの大剣ならこの首枷を壊せるかもしれない!

「出てこい、王様のチート剣!」

 イメージすると、目の前に大量の真紅の魔力が集まり、即座にあの大剣が宙に顕現した。
 突如現れた大剣に男爵が驚いている。だが細かい説明は後だ。
 刃の中央に三つ並ぶ魔石のひとつが輝き始めた。真ん中のやつだ。強烈なネオンブルーの光を放っている。
 夢の王様の声が頭の中に響いた。

『込められた祝福がお前に、不可能を可能にする力を与える』

 こんなに早く使うことになるとは。だが俺は悩まなかった。目の前で人が死にかけているのに物を惜しんでいい道理がない。

「チート効果、頼みます! 王様!」

 大剣の柄を握りしめて俺が叫ぶと同時に、俺の周りの光景が変わった。



 こ、ここはまさか、また次元の狭間か?
 いや、暗くはあったが星々の煌めきがある。宇宙空間のようだ。そこに大剣と一緒に浮かんでいた。
 傍らには倒れて意識を失ったままのあの子もいる。

「!?」

 俺のいた場所が問題だった。左右に巨人サイズの巨大な男女がいる。
 片方は……次元の狭間で俺を無数の剣で突き刺そうとしたあの宇宙人三人組のひとり、青銀の長い髪の美少女だ。今も背後に多数の剣を背負ってこちらに切先を向けている。聖職者ふうの聖衣(ローブ)姿も一緒だ。嘘だろ、まさかあのお姉様の本体はこんな……?

 反対側には、同じ青銀の髪の、こちらは短髪で三十後半のイケオジだ。白い軍服系の装束を着ている。
 二人ともよく顔が似た麗しの美貌だ。目の色も澄んだティールカラー。親子や兄妹だろうか?

 だが呑気に考えている暇はなかった。

『選ぶが良い。殲滅か』
『――審判か』

「いや待ってくれ、俺が望むのはこの子の首の枷を取ってほしいだけなんだが!」

 駄目だ。返事がない。これ意思の疎通ができないタイプの力だ。王様め、加護入りのチート大剣といってもこれは扱いづらい……!
 どちらも選べずにいると、イケオジのほうが透明で、身体の大きさに見合った巨大な両刃の剣を構えていた。――俺と意識のない子、二人に向けて。

「え、ちょ、それ何を……!」

 イケオジの剣が鮮やかな青色に発光する。彼の魔力だろう。圧の強さに押し潰されそうだ。

『正しき者は生き残り、邪悪は根こそぎ浄化する。――破邪顕正! 聖剣の聖者の裁きを受けよ!』

 えっ宇宙人じゃなくて!? と突っ込む余裕はなかった。
 そしてイケオジは俺たちに向けて剣を振り下ろし、青く輝く魔力の奔流が宇宙空間ごと俺たち二人を飲み込んだ。



 ……後に俺は、このときのことを思い返すたび、アメリカのフロリダでハリケーンに巻き込まれて吹き上げられる牛さんの気持ちがわかって居た堪れない気分になるのだが……

 結果からいえば、青く輝く魔力に飲み込まれても俺たちは無事だった。
 気づくと宇宙空間から川縁に戻っている。

「あっ」

 少女の首枷を青く光る魔力が覆っている。俺と男爵が見守る中、首枷はそのまま青い魔力にジュワッと灼かれて魔力ごと消失した。
 怖ッ……物体を蒸発させるとかどんな強烈な魔力なんだ……

「うう……っ」
「き、君! 大丈夫か!」

 首枷の締め付けがなくなって、解放された少女が小さく呻いた。
 慌てて助け起こす。良かった、顔色はまだ悪いがもう首枷はない。見たところ身体には他の枷や縛りもなさそうだ。
 苦しんだ脂汗や涙で顔が汚れている。元から全身も泥だらけだ。タオルで顔を拭ってあげようとしたところで、目を開いたその子の顔に俺はその場で固まった。

「……ありがとうございました。あなたが助けてくれたんですね?」

 首枷が外れたばかりだ。少し掠れた声で、弱々しく礼を言われた。だが俺はまだ固まっていた。

「あ、その。俺はユウキ。……君の名前は?」

 俺はタオルを少女に手渡した。少女は受け取ってようやく自分が汗だくで顔も汚れていることに気づいたのだろう。ごしごしと顔を拭いてから、微笑んで名前を教えてくれた。

「ユキリーンといいます。改めて、……ありがとう」

 そのときの俺の心象風景を表すとしたら、これだ。


゚+。:.゚(*゚Д゚*)キタコレ゚.:。+゚


 来たこれ。何が来たって運命が来た。

 泥で汚れてなお白い艶のある肌。
 ショコラブラウンの柔らかな髪はシャギーの入った前髪長めのショートカット。
 開かれた瞳は鮮やかなアメジストパープル。髪と同じ色のまつ毛の長いこと……

 麗しい、の一言に尽きた。こ、こんな美少女、テレビでも動画でもSNSでもAI作画でも見たことねえっぺ!

 あ、ありのままに素直に言えば、――めちゃくちゃ好みだった!


 ユキリーンと名乗った美少女は、よくよく見ると子供ではあったが十四、五歳くらいだった。
 二十八の俺との年齢差も十四、五歳……いける!

 脳内で高速でユキリーンちゃんとの今後をシミュレーションする俺だったが、挙動不審の俺に彼女は何かを察したようで申し訳なさそうな顔になった。

「あの。こんな顔だから勘違いされてると思うんですけど、……僕、男ですよ?」
「!?」

 なん……だと……?

 俺の脳内では再び高速で様々な思考が飛び交った。数秒間で莫大なシミュレーションを行った結果出した答えは。
 BL展開のある異世界転移でも、こんな美少女顔の美少年なら有り寄りの有りでは……?

 しかし俺の一目惚れと妄想は突如終わりを迎えることになる。

「おにいちゃー! だいじょぶー!?」

 ピナレラちゃんが屋敷から元気いっぱいに駆け寄ってきた。そうか、もう危険はないから様子を見に来たんだな。
 ピナレラちゃんは俺の傍らに座り込んでるずぶ濡れの、控えめに言って美少女な美少年を見て、ハッとした顔になって俺の黒いつなぎの太ももあたりを引っ張った。

 ははは、参ったな、こりゃピナレラちゃんもこの子を女の子と誤解してるぞう。お兄ちゃんへの嫉妬かな嬉しいなー。

 ……などとお花畑になってフワフワ浮ついていた俺の頭は、すぐにカチ割られることになる。

「あのねあのね。あたち、ピナレラ! おなまえおしえてくだしゃい!」
「ユキリーンといいます。可愛いお嬢さん」
「はう! あたち、おじょうしゃん!?」

 ピナレラちゃんはレディ扱いされて衝撃を受けた後、深刻な顔で俺を見上げた。

「おにいちゃ。あたち、おにいちゃをおむこしゃんにしてあげるってゆったけど」
「お、おお?」

 いや、わかってるよ。子供が「パパと結婚すりゅう~!」て言うやつと同じだったことは。……うん、ちょっとだけ期待してたのは内緒だ。

「あれはうしょでちた!」
「!?」

 なん……だと……?
 ピナレラちゃんがもじもじしてる。だが意を決したとばかりに一度ユキリーンちゃん、いやユキリーン君を見て、それから俺を大きな柘榴色のお目々で見上げた。
 とても真摯な眼差しで。

「おにいちゃ、ごめんちゃい。あたちはユキリーンちゃのちゅまになりましゅ!」
「!?」
「ちゅま! おくちゃま! ……うむ!」

 なんてことだ。キリッとした己の人生を定めた人間の顔をしている。まだピナレラちゃん四歳だべ!?

「ま、まさかの俺が捨てられパターン!? こんなポッと出の男だなんて! お兄ちゃんは許しませんよ!?」
「いや待って。勝手に僕の将来を決めないで」

 それまで不思議そうに俺とピナレラちゃんのやりとりを見ていたユキりんが困っている。

 ピナレラちゃんはユキリーン君の、まだ汚れているが麗しの顔を見つめて、ポーッとふくふくの頬っぺたを赤く染めている。あああああ。



 俺、一目惚れ
 美少女が美少年だった
 秒で消えたBL展開(始まる前に終わった)
 幼女から振られる
 幼女が美少年にプロポーズする

 と怒涛のコンボに俺のライフはゼロになった。

 一連の出来事がどれだけショックだったかというと、日本の元カノの声と顔を思い出せなくなったほどだ。
 ピナレラちゃん……こんなちっこいのに、この俺をここまで振り回すとは……幼いながら恐ろしかおなごだべ……

 可愛い幼女を奪われたことで、俺のユキリーン君に芽生えかけてた恋心は秒で刈り取られた。
 いやむしろこの、控えめにいって美少女な美少年は俺の敵だ! 一目惚れ? そんな過去のことは忘れたべ!

「ええと。なんか、……ごめんなさい?」

 う。男とわかってても可愛い。好みの顔だ……
 いや、いいんだ。俺だってわかってる。男として俺よりユキりんのほうがピナレラちゃんには魅力的だったんだろう。……年も近いし。

 俺はやはりピナレラちゃんのお父ちゃんポジションでいく!
 もうそれしか生きる道がねえっぺええええ!


 おっと、夜も明けて太陽も昇り始めた。
 いつまでも川縁に行くわけにはいかないので、俺は首枷のせいで体力が削られていたユキリーンを背負って、ピナレラちゃん、男爵と一緒に屋敷へ戻った。

 途中、ピナレラちゃんがユキリーンにあれこれ健気に話しかけていて、俺はもう堪らない気持ちになった。
 まだだ……まだ、うちの娘はやらぬ!

 命からがら逃げてきたと思われるユキリーンは、川に浸かってた下半身はともかく上半身は泥だらけだ。背負った俺も泥まみれ。
 それに川に浸かり続けて身体が冷え切っていた。

「ユキりん。温泉があるんだ。硫黄泉だからちょっと臭いが身体はあったまるぞ」
「あ、はい、それは大丈夫ですけど……ユキりん?」

 俺の愛称呼びに首を傾げている。可愛いだろユキりん。俺もユキちゃんだしな。

「ピナレラちゃんは俺と、この子が着れそうな着替えを持ってきてくれるかい?」
「あい!」

 指令を受けて、ピャーッとピナレラちゃんが屋敷の中へ駆けていく。男爵は「元気だねえ」と笑って俺たちに汚れを落として後からゆっくり来るよう言ってくれた。



 もなか村役場の温泉は、異世界転移してきた時点でど田舎村の源泉とつながっていた。
 どちらも硫黄泉だったので効能は変わらない。俺もユキりんも脱衣室に入る前に外で泥のついた服と靴を脱いだ。帰りに男爵の屋敷に持って洗ってもらおう。

 下着いっちょで互いに脱衣所に入ったが、……ヤバいな。ユキりん、肌真っ白……じゃなくて、その白い肌のいたるところに鞭のミミズ腫れがあって痛々しい。

「その身体じゃ熱い湯船にゃ入れないだろ。ぬるめのお湯で頭と身体洗ってな」
「……はい」

 浴場の椅子に座らせて洗うのを手伝ってやったんだが、……酷い状態だ。泥を落とす前は気づかなかったが、これ何ヶ月も風呂に入れてない状態だったろ。
 少し擦ると梳かしてなかった髪はごっそり抜けたし、肌もちょっと擦るだけで垢が出る。鞭の跡が痛そうなのでしっかり肌を磨くのは治ってからだな。

「あとで男爵に話、聞かれると思うけど。大丈夫か?」

 ぱっとユキりんの身体を見た感じ、鞭で痛めつけられた跡と首輪の跡はあっても、それ以外の暴力を受けた形跡はなかった。……良かった。
 ただ肋骨が浮いて見えるほど痩せちまっている。奴隷商から逃げてきたと言ってたか。ろくな待遇じゃなかったことがわかる。

「話せることは、話します」
「そっか。男爵のところ行けば飯も食わせてもらえるから」
「え、いや、そんな」

 ここに至って遠慮を見せたユキりんだが、ご飯と聞いて薄い腹が「くぅ~」と鳴いた。腹の虫は正直だな。

「最後に飯食ったのはいつ?」
「一日ちょっと前です。その前も大して食事は貰えてなくて……」

 ならパンやご飯より、ばあちゃんに頼んでお粥でも作ってもらうか。
 あれこれ話しながら浴場から脱衣所に戻ってくると。

「おきがえ、もってきまちた! ……キャッ」

 ちょうどピナレラちゃんが戻ってきたところだった。
 タオルは持ってたがフルチンの俺とユキりんを見て、……いや俺はスルーされてユキりんだけを見て照れたピナレラちゃんは、そのまま恥ずかしがって外に出て行ってしまった。すまぬ、見苦しいものを見せてしまった……
 この時点で俺はもうピナレラちゃんに男扱いされてない。いやされても困るんだが、つらい。

 と思ったらまた戻ってきて、そそくさと俺に着替えを渡して、チラッチラッとユキりんを見ながら温泉小屋を出て行った。

「……とりあえず着替えようか」
「……そうですね」

 俺はTシャツとジーンズ、ユキりんには白の綿シャツと同じく綿のカーキ色のズボン。ちゃんと下着も入っていた。男爵が手配してくれた物のようだ。



「ユキちゃん、お帰りなさい。ご飯はもうちょっと待ってな?」

 男爵の屋敷に戻るとばあちゃんたちが出迎えてくれた。
 時刻は朝の六時を少し過ぎたところ。屋敷の中には米の炊ける匂いが漂い始めている。朝は新しくまた炊いたようだ。

 俺たちは食堂のテーブルについて、食事ができるまで待つことにした。

「ばあちゃん、こっちは」
「ユキリーンと申します」
「あんら男の子なのにめんこいなあ。私は御米田空。孫のユウキとよろしくねえ」

 飯が炊けるまでの間にユキりんとばあちゃん、村長や勉さん、男爵や屋敷の人たちとも自己紹介し合っていた。
 皆、ユキりんの美少年ぷりに驚いている。
 そう、俺が美少女に間違えたユキりんは、温泉で洗って男物のシャツを着たらちゃんと年頃の男の子に見えるようになった。
 しかし可愛い顔はそのままだ。ばあちゃんは品のいいご婦人に見えてアイドル好きのミーハーなので喜んでいる。

 だが話は後だ。隣国の奴隷商から一晩かけて嵐の中を逃げてきたユキりんは、もう体力が限界だった。飯ができるまで意識が持ちそうにない。
 俺はばあちゃんちから持ってきた荷物の中から粉のスポーツ飲料のもとを取り出して、汲み置きのど田舎村の湧き水に溶かしてユキりんにグラスを渡した。

 むう……やはりスポドリが薄っすら光っている。これは水に秘密があるの確定だな。
 ユキりんにもその光が見えているようで驚いていたが、まずは飲めと促した。

「大丈夫、水分補給のためのジュースだ。それ飲んで一眠りしろ、そんで起きたら飯だ。ちゃんと君の分も残しておくから」
「はい……」

 日本のスポドリは甘さと酸味のバランスが良くて飲みやすい。やっぱり喉も乾いていたようで、一気に飲み干してすぐユキりんは椅子に座ったまま寝落ちした。
 男爵が談話室にソファがあるというので、横抱きして数時間寝かせておくことにした。

 うーん。寝顔も可愛い。
 俺は一ミリも展開しなかったロマンスの名残りを惜しみながら、顔にかかったユキりんのショコラブラウンの前髪を払ってやったのだった。


 それから結局昼近くまでユキりんは爆睡していた。起きてきたのは四時間ちょっと後だ。
 よし、今度こそ飯だ。

 だが、出されたおにぎりと味噌汁、簡単な野菜の炒め物を前にユキりんは固まっていた。腹が減ってるだろうにしげしげとおにぎりを凝視して警戒している。
 
「このライスボール、光ってますけど……」

 だ、だよな。どうもユキりんは魔力が高い体質らしく、俺と同じで食べ物の光が見えてるようだ。
 男爵に聞いてみたら、平均以上の魔力値を持ってると見えやすいんだそうだ。

「お代わりもある。たんと召し上がれ」

 にこにこ笑顔のばあちゃんに促され、ユキりんは「いただきます」と小声で言って恐る恐る焼き海苔で軽く包んだおにぎりに手を伸ばした。
 そのまま、がぶっと形のいい白い歯でかぶりついた。途端、アメジストの目が大きく見開かれる。
 ……ふ。異世界美少年もばあちゃんのおにぎりに驚いておるわ。
 内心で鼻高々だった俺だが、どうも美味いことだけが理由じゃなかったらしい。おにぎりの中身を見て驚いたようだ。

「これ……鮭、ですか」
「んだ。ユキリーンちゃん、好きかと思っで焼いといたんだあ」
「なんで……」

 おにぎりを一口かじったままユキりんがぽろぽろと涙をこぼし始めた。なんだ? どうした? まだ子供だし鮭よりツナマヨのほうが良かったか?
 しかし美少年は泣き顔も麗しい。

 その後はぐいっと手の甲で涙を拭い、勢いよく食べ始めた。おお、その食いっぷりはやっぱり育ち盛りの男の子だな!
 だが痩せっぽちで何ヶ月もろくな食事をもらえてなかったユキりんは、あまり量を食えなかった。
 それでも鮭おにぎり二個と、用意された食事はしっかり完食していた。よかった、これなら少しずつ肋の浮いた身体も肥えてくるだろう。
 ど田舎村の飯は美味い。ばあちゃんも料理人さんも飯ウマだ、期待してていいぞ。



 飯を食ってユキりんが落ち着いてから、俺たちは男爵の執務室に呼ばれて話をすることになった。
 部屋には男爵と薬師の部下の人。俺とユキりん、それにばあちゃん、村長、ベンさんの日本から来たもなか村民。
 俺たちはまだ異世界転移してきたばかりで、この土地の事情を説明するためにもと集められたのだ。

「じゃあユキリーン君、話してもらえるかな?」
「はい。僕は元々、アケロニア王国の者です。まだ学生でしたが誘拐されて……気づいたらミルズ王国の奴隷商、ギルガモス商会に囚われていたんです」

 ここで異世界の地理のかんたんな説明をしておこう。
 この世界には円環大陸という、名前の通りドーナツ型の巨大大陸だけがある。
 ここ、アケロニア王国は北西部を代表する国の一つだそうだ。
 ど田舎村のあるど田舎領は国内の最北端にあり、かつ本土からは山と川に囲まれて飛び地になった最果てだ。本土に行くには山を越えなきゃならない。

 ユキりんがいたミルズ王国は、円環大陸の西南部にある小国だった。

「アケロニアに帰還する隙を狙ってました。商品として売られることがわかってたので、できるだけアケロニアに近い国での奴隷オークションで買われる機会を伺ってたんです」

 ちょうど数日前、ど田舎村の山一つ向こうの隣国に奴隷商の商団が移動したとき、好機と見て暴れまくって逃げ出してきたんだそうだ。
 身体中にある鞭の跡はそのとき振るわれたものだ。だからまだほとんど新しい傷だったんだな。

「奴隷って。ふつうにあるものなんですか」
「まさか! もう何百年も前に国際法で奴隷制度は禁止されてるよ!」

 やはり奴隷制度有りのハードモードな異世界かと内心嘆いた俺だったが、男爵が慌てて否定してきた。

「僕が囚われていたギルガモス商会は、闇商人でした。ミルズ王国も国際サミットへの参加拒否する無法国家なんです」
「だから奴隷商がのさばってられる国ってことか」

 転移した国がそっちのミルズ王国だったらハードモード不可避だったのか……俺たち優しいアケロニア王国で良かったべ。きっと前世で良い徳を積んでたんだろう。

「呪詛のかかった魔導具の首枷のせいで、魔力を封じられてしまって。でもタイミングよくオークション前に助け出してくれた人がいて」
「……ん? どうした」

 ユキりんが鮮やかなアメジストの瞳で俺を見る。
 な、なんだべ? もしや過ぎ去ったロマンス復活の兆しか?
 挙動不審になった俺だったが、残念ながら違うようだった。そもそもロマンスなど始まりもしてなかったっけ……

「光の剣を持った魔術師が逃げる手助けをしてくれたんです。逃げるのに必死だったからあまり覚えてないけど……黒髪と黒目で、あなたに似ていた気がする」
「そうなのか」

 俺みたいないい男が他にも!?
 ……などと冗談を言える空気ではなく、俺は口をつぐんだ。
 まあ他国なら黒髪も黒目もいるって前に男爵も言ってたしな。

 にしても『光の剣を持った魔術師』と言ったか。
 この世界、魔法がある異世界なんだよな。魔術師なら杖や魔道書のイメージだが。


 行き倒れ美少年ユキリーン君は、逃げてきた奴隷商のことは詳しく話してくれたが、自分のことを聞かれると途端に黙り込んでしまった。

 顔の良い子は得だっぺ。だんまり決め込んでも急かされず、俺も皆も心配げに見守った。
 だけんど、素性も知れず、このまま本人が話さないのも問題じゃなか?

 隠していることに本人も罪悪感を持っているようなので、少なくとも悪い子ではなさそうだった。

「うーん。……ま、いいか! ユキリーン君、君の保護とこの村への滞在を認める。年はいくつ?」
「……十四歳です」
「未成年なら滞在中の保護者がいるね。世話役は……」

 ここにピナレラちゃんがいたら元気よく「あいっ」とお手々を挙げただろう。あいにく、きな臭い話になりそうだったので、屋敷の別の場所でお手伝いに行ってもらっている。

「ユウキ君、クウさん。この子も一緒にお願いしてもいいかな?」

 言われると思ったよ! 男爵の屋敷に置いてもどうせ周りは知らない人だらけだ。それならピナレラちゃんもいる御米田家で預かったほうがいい。

「「もちろんだべ」」

 てなわけで、ユキりんも暫定的に御米田さんちの子になったわけだ。



「そういえば、男爵は俺たちも普通に受け入れてくれましたけど……こんなに信用してくれちゃって大丈夫なんですか?」

 このときの俺は、まだ俺たち日本のもなか村の秘密を知らなかったので、こんなにすんなり男爵が俺たちを信じくれたことが不思議だった。

「ああ、それ? 私は人物鑑定持ちだからね。ランクは低いけど、その人が犯罪者かどうかチェックできるから問題ないと判断したんだよ」
「鑑定ー!?」

 あっ。そうだ、俺も夢の中の王様から貰ってたわ鑑定スキル初級!
 話し合いも一度切り上げて、俺はばあちゃんの家に戻る前に男爵から鑑定を含むスキル大全を借りることにした。

 それから俺たちは昼食も男爵の屋敷で世話になり、新たに増えた家族一名と一緒に御米田家へ帰ったのだった。



 またアルミ製のカートを押して、帰り道はばあちゃんもピナレラちゃんも歩いてのんびり行くことにした。
 まだ消耗してるユキりんを乗せようとしたが断固として断られた。むう、やはり十四歳は難しいお年頃だ。

 途中、村役場に寄って、ユキりんに施設の説明と、俺たちが村ごと異世界転移したことも話しておいた。

「異世界からの転生や転移は、知識として知っていました。学校で習うんです」
「へえ、やっぱりこの世界の基礎知識なんだな」

 なるほど、見た目の良さはともかく、この子は話し方もしっかりしてて、ちゃんとした教養もあるように見える。
 元々着ていた服もズタボロだったが、元はかなり仕立ての良い服だった。出自は多分、国内貴族だろうとこっそり男爵が教えてくれた。俺もそう思う。
 だが、ならなんで自分の素性を隠すのか。そこは時間をかけて聞き出していくしかないな……

「おにいちゃ。あいしゅ、たべりゅ?」
「そうだな、一箱ぐらいなら」
「こら、二人とも! お昼さ食べたばかりでしょ、またにしなさい!」
「「はあい」」

 村役場を見てアイスの美味しさを思い出したピナレラちゃんと俺は、ばあちゃんに怒られてショボンだ。
 仕方ない、今日はもうユキりんを早く連れ帰って休ませてあげよう。

 それに村役場の冷凍ショーケースの中にはまだまだたくさんの冷菓が残っているのだ。楽しみにしててけろ。
 

 ばあちゃんちに帰ると、慣れてる俺やばあちゃんはピンピンしてたし四歳児のピナレラちゃんも元気いっぱいだったが、――ユキりんが力尽きた。だからカートに乗れって言ったべさ!

 慌てて抱き上げて居間に運んだ。相変わらず軽い。ばあちゃんが小走りに先導してドアや部屋の障子を開けてくれる。

「おにいちゃ、こっち!」

 ピナレラちゃんが座布団をささっと三枚並べてくれたので、そっとユキりんを降ろして寝かせる。この機転の良さ、良い嫁っこになるぞう。
 意識はあるようだが顔が赤い。熱が出ているようだ。

「ユキちゃん。この子、足の怪我からバイキンが入ったのかもしんねえ」
「うわ、こりゃひどい」

 そうだ、ユキりんは発見したとき裸足だったんだ。温泉に入った後は男爵の屋敷の外履きを借りて、ここに来るまでもそれを履かせてたんだが。
 ……ユキりんの足の裏は半ばずる剥けて、傷口に土や砂が入り込んでしまっている。そっか、温泉で洗っただけじゃ取れなかったか。
 美少年の白い肌にドキドキして、しっかり全身をくまなく洗い残しチェックしなかった俺はほんと馬鹿野郎だ。すまぬユキりん。これより以後は君の頼れる良いお兄ちゃんとなろう、ピナレラちゃんの笑顔に誓う!

 ようやく俺の緩んで腑抜けた頭はシャキッと元通りになった。吹っ飛んだ元カノの顔や声は思い出せないままだったがまあいい。

「ばあちゃん、たらいに水と布巾くれ。あと毛抜き出してけろ」
「んだ、わがった」

 まだ昼間でよかった。嵐の前に閉めていた雨戸を開いて庭へのガラス戸も開けて、そーっとユキりんを座布団ごと縁側に引っ張り、足裏に太陽の光が当たるようにした。
 明るい陽の光で足の裏の皮膚の下に入り込んだ汚れを取るのだ。

「おにいちゃ。あたちもやる」
「大丈夫か?」
「おくしゅりぬる!」
「よし」

 ユキりんの足裏はなかなかグロかったが、四歳児ピナレラちゃんは意外にも平気だった。……愛か。愛の力なのか(ギリィっと俺は羨ましさに唇を噛み締めた)。いやこんな自然のある田舎暮らしだから怪我に慣れてるんだろう。
 使命感たっぷりのキリッと引き締まった顔で、ばあちゃんから受け取った新しい濡れ布巾でユキりんの足の爪の間を細かく拭っている。

 さて俺は毛抜きを片手に、皮膚の間に入り込んでしまってる土や砂を地道に取り除いていく。
 先が鋭く尖ってるタイプの毛抜きで良かった。ピンセット代わりにして皮を少しずつ剥いて、あるいは切りながら。……これユキりん意識なくて良かったな、めちゃくちゃ痛そう。失神した今も小さく呻いてるからよほどだ。

 たっぷり一時間かけて処置も終わる頃、ユキりんが意識を取り戻した。

「なに? い、痛い……っ」
「待て動くな! 消毒して包帯巻くまで動くな!」

 このまま畳の上を歩かれたらまた傷口が広がっちまう。つい怒鳴ってしまったが許してほしい。

「おにいちゃ。だんしゃくさまからこれ」
「これって……」
「どいなかむらの、とくしゃん。ちゅうちゅうポーションなのだ!」

 中級が〝ちゅうちゅう〟になってるピナレラちゃんに俺は悶えた。
 得意げに胸を張るピナレラちゃん。やはりぽんぽんのお腹のほうが前にぽよんと突き出ている。はあああ、めんこいなやあ。
 次からはスマホでピナレラちゃんを撮影しようそうしよう。

「これはどうやって使うんだい?」
「まじゅは、きじゅぐちにぬりぬり」
「ふむ」

 うつ伏せになって痛みにふるふるしてるユキりんの片足を取って、改めて足裏を見る。
 一度その足を下ろして縁側の床に戻し、そこにピナレラちゃんが小瓶からポーションを数滴垂らした。
 ユキりんが悲鳴をあげた。そりゃ染みるだろ。

「ぬりぬり。ぬりぬりなの」

 ちゃんとたらいの水で一度両手を洗ってから、ピナレラちゃんは傷だらけのユキりんの足裏にポーションを手のひらで伸ばし、塗り込めていった。

「う、うう……っ」

 やはり痛いのだろう。ユキりんが呻いているが、幼女に文句は言えまい。座布団に顔を埋めて耐えている。
 だが、あるときを境にユキりんの荒い呼吸が穏やかになった。

「ぬりぬりおわったら、のみましゅ。ユキリーンちゃ。のむ」
「ほい、ストロー」

 ばあちゃんナイス。箱買いした栄養ドリンクで余らせがちな針みたいに細いストローを、ポーションの小瓶に突っ込んでうつ伏せのままのユキりんに吸わせた。チューチューと。

「……ぷはっ、治った……もう痛くない!」
「治った、じゃない! なんで男爵の屋敷で言わなかった、あんな足のまま歩いてたら悪化するのはわかりきってただろうが!」
「だ、だって……」

 ちゃんと釘を刺しておこうと厳し目な声を出した俺に、ユキりんのアメジストのお目々はあっという間に潤んだ。

「なんでって。い、言えるわけない、あんな不審者みたいに発見されて、奴隷商から逃げ出してきたなんて厄介者なのに。お風呂も入れてもらって食事まで食べさせてもらったのに。わがままなんて、言えなかった……!」

 そこでもう緊張の糸が切れてしまったんだろう。わんわん泣き出した美少年に俺は慌てて、ばあちゃんはびっくり顔。

 ピナレラちゃんはといえばユキりんの前に仁王立ちして、すごくしかめた顔になっていた。

「ユキリーンちゃ! いたいいたいのだまってりゅほうがみんなちんぱいするでちょ!」
「ごめ、ごめんなさいい……」

 幼女っょぃ。ユキりんはピナレラちゃんの剣幕にたじたじだ。

「もう! ユキリーンちゃがあたちをちゅまにしゅるのはじゅうねんはやいね!」

 うん……十年でも早いよね。いま四歳で十年後はまだ十四歳だべ。

「ちかたないから、あたちがユキリーンちゃのおねえちゃになりましゅ!」
「えっ」
「そうだな……一番上のお兄ちゃんが俺、二番目のお姉ちゃんはピナレラちゃん。末っ子はユキりん、君だー!」
「……僕、何に巻き込まれてるんだろう……?」

 決まってる、ピナレラちゃんの『お姉ちゃん覚醒』にだ。
 末っ子弟認定されたユキりんは呆然としていたが、ばあちゃんは一連の流れが面白かったようでクスクス笑っていた。
 ピナレラちゃんは自分より大きな〝弟〟ができてご満悦。何も問題はない。



 というわけで。

「今日からピナレラちゃんはピナレラ・ラーク・御米田。ユキりんはユキリーン・御米田。あれ、おうちの名前は?」
「………………」

 ユキりんはだんまりだ。そんなに言いたくない理由でもあるんだろうか。
 ちなみにラークはピナレラちゃんの亡くなった両親のおうちの名前である。この国は平民でも家名があるそうなので。

 ――かくして、俺とばあちゃんには異世界幼女と異世界美少年の家族ができたのである。