まだ嵐が吹き荒れていた夜明け前、俺は男爵に起こされた。

「ユウキ君。すまないが起きてくれ。他は皆お年寄りだから君しか頼れる人がいなくてね」
「はいッ、なにか、ありましたか?」

 ばあちゃん、ピナレラちゃんとは別の客間で寝ていた俺は、男爵の緊迫した声に飛び起きた。

「君たちが持ってきた村の、川の辺りに魔力の波動を感じた。君たちの山の向こうは隣国なんだ。侵入者が異常を察知して偵察に来た可能性がある」
「それ、ヤバいやつですか」
「予告のない領土侵犯は国際法で禁じられているが、ど田舎領は歴史的に他国の侵攻が時折あってね……国境と接してるせいでならず者が来ることもある。ここ十年はなかったから油断してたよ」

 レインコートを借りて男爵と外に出た。確かにもなか山の手前、もなか川のあたりに何か光の衝突のようなスパークが見える。

「どうしますか。雨の中でも使える明かりを持ってます。俺が行って見てきましょうか」
「いや、さすがに危ない。領土の境界の結界が破られるほどじゃなさそうだ。でも夜明けまで待って嵐が止んだらすぐ出られるよう準備を」

 屋敷の中に戻ると、男爵の部下は既に起き出して武器などの準備を済ませていた。

「隣国のならず者が来たとして、目的はなんだと思いますか」
「ど田舎村は金目のものは少ないんだ。代わりに家畜や人が狙われることがある」

 夜明けまであと二十分ほど。窓から見えるもなか川方面は相変わらず魔力のスパークが時折弾けては消えている。なるほどあれが結界と、結界を破ろうとしてる他国の連中のせめぎ合いってわけか。
 魔力の感覚は背中にゾクゾクくる。日本での俺はあまり敏感ではないと思っていたが、昨日夢で謎の王様にバックラーや大剣を授けられた影響なのか今は少し過敏なぐらいだった。

「あそこ、なにか戦闘(ドンパチ)やってないですか? 侵入者が誰と?」

 スパークに鮮やかな紫色が混ざっている。結界を破ろうとする動きとは明らかに違う。



 少しずつ雨足が弱まってきて、夜が明ける頃には吹き荒れていた嵐もピタッと止まった。

 男爵の部下が敷地内の物見やぐらから鐘を鳴らす。侵入者たちへの警告と、村の人たちへの異常事態を知らせるためだ。
 同時に俺と男爵は川に向けて走り始めた。俺は作業着の黒のつなぎ、男爵は浅葱色の騎士服に帯剣して。ひょろっとしたおじさんだが騎士ランクA、戦闘技術はマスターしているそうだ。むしろ一般人の俺のほうが足手まといになりそう。

「うわ。如何にもならず者って感じ」
「お前たち! ここをアケロニア王国のアルトレイ公領と知っての狼藉か!」

 ずぶ濡れの冒険者崩れ風の男たちが三人。意外と少ない。
 男爵の怒号と、剣から繰り出された魔力の塊を足元に投げつけられ、男たちは形勢不利と見て山に向かって逃げ帰っていった。

「ユウキ君、この山の奥行きはどのくらいだい?」
「戻ったら村役場に村の全景地図があるんですぐ持ってきます。……子供の足でもハイキングできる程度ですね。見た通り標高も低いですし」
「参ったな。一時的な結界強化だけでは追いつかないかもしれない」

 男爵は腰のベルトに通していた革のポーチからビー玉サイズの魔石を取り出し、一個ずつ川の向こう岸に向けて勢いよく投げつけた。
 地面に落ちると同時にパッと明るく光って、魔石は溶けて消えていく。

 それから俺と男爵は、屋敷からスパークが弾けて見えていた付近を見て回った。嵐と大雨の後だから川は増水して川縁も泥でぬかるんでいる。履いていた俺のスニーカーもぐちゃぐちゃだ。

「男爵! あそこに人が倒れてます!」
「残党か!?」
「いえ、そんな感じではなさそうな」

 川縁の岩に抱きつくようにして、下半身は川の中、上半身だけ見えている人の姿があった。
 服からはみ出た顔や手足は傷だらけだ。しかも――まだ子供じゃないか!
 俺たちは慌ててその子を川から引き上げた。岩に乗り上げていた上半身は泥だらけだ。

 男爵がその子を見てハッと短く息を呑んだ。その視線の先には、――無骨な首枷が嵌められていた。