昼食と昼休憩を挟んで午後。ここからは体を動かすことになる。まずは対モンスターの為の剣術の授業だ。講師は先日、吉田さんが言っていた通りヒルダだった。
「侘助殿、先日は挨拶だけですまなかったな」
「いえいえ。今日はよろしくお願いします」
「うむ、では始めるとしよう」
甲冑に身を包んだヒルダさんが柔らかい表情からキリっとした騎士の顔になる。
手にしているのは僕の腰から爪先くらいまである長い剣だ。幅は広く、両刃だった。見た目は、だが。訓練用だから木剣だ。
それでもあれで強く叩かれたら骨なんてボキッていきそうだ。同じ物を僕も配布されているが、木だけど結構ずっしりとした重みがあった。
杖のように地面に先端を刺し、柄頭に両手を置いていたヒルダさんは柄を握り、木剣で肩を叩く鬼教官スタイルで授業は始まる。
「まず最初に言っておくことがある」
「はい」
「剣道的なことは忘れろ」
図星を突かれた気分だった。剣を振ったことのない僕がこの世界で生きるには、何かを真似て、それに付随する形で身に着けていくしかなく、それに加えるスパイス的な形でこの世界での剣術というものを学ぼうとしていた。
どうにかこうにか体を動かしても、やはり根幹にあるのは剣道だ。生きてきて少なからず剣というものをリアルに扱っている題材はそれしかなかったのだから、しょうがないと言えばしょうがないのだが。
「日本人は剣道を元に剣を振ろうとする。それが悪いことではないが、やはり物が違う。体が追いつかなくなり、此方側の指導が出来なくなる」
「仰る意味はよく理解できます。となると、僕はどうすれば」
「うむ。其処で最近、改められた剣術指導マニュアルが此処にある」
何処からか取り出した冊子を手渡される。まったくこの世界はマニュアルだの冊子だの、異世界なのに日本っぽいんだよなぁなんて気持ちで表紙を捲ると、其処にはやはり版権フリーなタッチの挿絵とポップな字体でタイトルが書かれていた。
「『まずはモンスターを殺してみよう!』……えらい物騒なこと書かれてますけれど」
「読んで字の如くだ。いいか、侘助殿。剣を上手く扱えるのをモンスターは待ってくれない。実戦で学ぶのが一番なのだ」
うーん……こんなスパルタンな国だとは思ってもみなかった。仰る通りではあるけれど、それをマニュアルとして落とし込むこの乱暴さ。心配になってくるレベルだ。
が、ちゃんと納得できる。生きた魚すら絞めて捌いたことがない人も多い平和的で文化的な人間が多い日本人にはこれくらいガツンとぶん殴ってくれた方が逆に良い。
「昨今、モンスターの活動が活発なのだ。戦える人材とまではいかなくても、自分の命を自分で守れるように仕上げるのに時間を掛けていると、それこそ命を落とす事になりかねない」
「なので即戦闘での訓練ですか?」
「そういうことだ。無論、私も同行する。というか、此処で戦ってもらう」
おい、と大きな声で背後に号令を出すヒルダさん。練兵場の門扉の前に立っていた兵士が引っ込み、すぐに誰かを連れて戻ってきた。
小さな、子供くらいの大きさの人物はみすぼらしく、腰布程度の衣服しか身に着けていなかった。お陰様で肌の露出は激しく、くすんだ緑色の地肌が太陽の下に晒されていた。
尖った耳や裂けたような大きな口の隙間から見える乱杭歯。ぎょろぎょろとした警戒心の強そうな目。
凡そ人間とは呼べない其奴は首輪から伸びた棒で無理矢理に兵の前を歩かされ、不機嫌そうに唸っていた。
「ゴブリン。子供のように見えるが、非常に狂暴な生き物だ」
「これが訓練相手ですか」
「そうだ。その木剣で叩き殺せ」
初っ端からハードルがとんでもなく高かった。これがこの世界の標準的な倫理観なのだろうけれど、それをいきなり受け入れろというのはあまりにも酷だ。
しかし生きるか死ぬか、殺るか殺られるかの世界だ。はっきり言ってしまえば向こうの世界だって、そういう厳しい地域は確かにあった。平和ボケした日本人に渇を入れるのなら、これほど効果抜群の訓練もないだろう。
「死にそうになったら助けるから、それまでは頑張るように」
「は、はい!」
「よし。放て!」
木の棒を握っていた兵士が、棒を雑巾のように捻じると何かの機構が作動したのか、首輪の顎下の部分がぱっくりと開いた。
首輪という制約がなくなり、自由になったゴブリンは、まず自分の首をさする。次に、忌々し気な表情で周囲を見渡した。ヒルダを見て、兵士を見て、僕を見て、ニヤリと笑った。
「この野郎……!」
僕なら殺れるって、笑いやがった。
別に僕はゴブリンを下に見てはいなかった。惰弱極まりない現代人である僕が木剣片手に野を歩けば日暮れまでに餌になっているだろう。
だからこそ恐れているし、警戒している。言い換えれば尊敬の念すらあった。弱肉強食を生きる為に頑張っているのだから、凄いことだ。
しかしそれは今、失われた。僕を嘲笑い、踏み躙れると高を括った此奴を僕は心置きなく滅多打ちに出来るだろう。
その自信が、気概が体の内を螺旋を描いて暴れ狂った。
「ギシャアア!!!」
「うるせぇ!!」
爪と牙で襲い掛かるゴブリンの脳天に木剣を叩き込む。先程まで恐れに支配されていた僕に攻撃されるとは思いもしなかったのだろう。大いなる油断が自身の頭蓋を陥没させた。
紫色の血を口や鼻、目から噴き出しながら定まらない視点で僕を見る。その目に映っていたのは恐れの色と、殺戮の色に塗り潰された僕だった。
不意に踵を返し、練兵場から逃げようとするゴブリン。その背中目掛けて木剣をぶん投げる。回転しながらまっすぐに飛んだ木剣はゴブリンを転げさせた。
間髪入れずに駆け出し、転がったその小さな体に蹴りを入れようとして……僕の視界が一回転した。
「それまで」
「ってぇ……」
ゴブリンと同じように地面に転がった僕が見上げた先に、木剣を振り抜いたであろうヒルダさんの姿が見えた。あれで僕の足を絡めて転ばせたのだろう。ちくしょう、そういう使い方もあったのか。
と、気付いたところで慌ててゴブリンを見る。しかし既にゴブリンは兵士の剣によって頭を落とされ、死亡していた。逃げ出すようなことがなくなり、安堵の息を漏らす。
「獲物を取られて悔しい……の溜息かな?」
「いえ、逃げ出さなくて良かった、の一息です」
「ならば良し。君はちゃんと分別のできる人間だ」
差し出された手を握るとグイっと引っ張られて起き上がる。凄い力だな……服に覆われて分からないが、きっと引き締まった良い体なんだろうな……とか思ってみたがセクハラもいいところだった。
日々の鍛錬の賜物だ。邪な考えは一切なかったが、出来るだけ考えないようにしよう。
その後はヒルダさんと先程の戦闘の反省会をした。
相手の突進に合わせて剣を叩き込むのは〇だったが、剣を投げたところは△だった。
曰く、拾える状況や予備の武器があるなら投げても良い。だそうだ。自動車の筆記試験みたい。
反省会が終わる頃には時刻は15時過ぎ。軽く汗を拭き、休憩してから次の授業だ。
流石に疲れが出てきたが、この授業が終われば夕飯食って風呂入って寝れる。最後まで気合いを入れて頑張ろう。
幸いにも次の職場はこの練兵場に併設されてるので、歩いて5分もしなかった。
「こんにちはー」
「おう、来たか」
振り返り、立ち上がったガタイの良すぎるナイスガイ。王国軍練兵場に併設された王立鍛冶場を取り仕切る親方、ヴァンダーさんが金槌を手に僕を見下ろした。
「侘助殿、先日は挨拶だけですまなかったな」
「いえいえ。今日はよろしくお願いします」
「うむ、では始めるとしよう」
甲冑に身を包んだヒルダさんが柔らかい表情からキリっとした騎士の顔になる。
手にしているのは僕の腰から爪先くらいまである長い剣だ。幅は広く、両刃だった。見た目は、だが。訓練用だから木剣だ。
それでもあれで強く叩かれたら骨なんてボキッていきそうだ。同じ物を僕も配布されているが、木だけど結構ずっしりとした重みがあった。
杖のように地面に先端を刺し、柄頭に両手を置いていたヒルダさんは柄を握り、木剣で肩を叩く鬼教官スタイルで授業は始まる。
「まず最初に言っておくことがある」
「はい」
「剣道的なことは忘れろ」
図星を突かれた気分だった。剣を振ったことのない僕がこの世界で生きるには、何かを真似て、それに付随する形で身に着けていくしかなく、それに加えるスパイス的な形でこの世界での剣術というものを学ぼうとしていた。
どうにかこうにか体を動かしても、やはり根幹にあるのは剣道だ。生きてきて少なからず剣というものをリアルに扱っている題材はそれしかなかったのだから、しょうがないと言えばしょうがないのだが。
「日本人は剣道を元に剣を振ろうとする。それが悪いことではないが、やはり物が違う。体が追いつかなくなり、此方側の指導が出来なくなる」
「仰る意味はよく理解できます。となると、僕はどうすれば」
「うむ。其処で最近、改められた剣術指導マニュアルが此処にある」
何処からか取り出した冊子を手渡される。まったくこの世界はマニュアルだの冊子だの、異世界なのに日本っぽいんだよなぁなんて気持ちで表紙を捲ると、其処にはやはり版権フリーなタッチの挿絵とポップな字体でタイトルが書かれていた。
「『まずはモンスターを殺してみよう!』……えらい物騒なこと書かれてますけれど」
「読んで字の如くだ。いいか、侘助殿。剣を上手く扱えるのをモンスターは待ってくれない。実戦で学ぶのが一番なのだ」
うーん……こんなスパルタンな国だとは思ってもみなかった。仰る通りではあるけれど、それをマニュアルとして落とし込むこの乱暴さ。心配になってくるレベルだ。
が、ちゃんと納得できる。生きた魚すら絞めて捌いたことがない人も多い平和的で文化的な人間が多い日本人にはこれくらいガツンとぶん殴ってくれた方が逆に良い。
「昨今、モンスターの活動が活発なのだ。戦える人材とまではいかなくても、自分の命を自分で守れるように仕上げるのに時間を掛けていると、それこそ命を落とす事になりかねない」
「なので即戦闘での訓練ですか?」
「そういうことだ。無論、私も同行する。というか、此処で戦ってもらう」
おい、と大きな声で背後に号令を出すヒルダさん。練兵場の門扉の前に立っていた兵士が引っ込み、すぐに誰かを連れて戻ってきた。
小さな、子供くらいの大きさの人物はみすぼらしく、腰布程度の衣服しか身に着けていなかった。お陰様で肌の露出は激しく、くすんだ緑色の地肌が太陽の下に晒されていた。
尖った耳や裂けたような大きな口の隙間から見える乱杭歯。ぎょろぎょろとした警戒心の強そうな目。
凡そ人間とは呼べない其奴は首輪から伸びた棒で無理矢理に兵の前を歩かされ、不機嫌そうに唸っていた。
「ゴブリン。子供のように見えるが、非常に狂暴な生き物だ」
「これが訓練相手ですか」
「そうだ。その木剣で叩き殺せ」
初っ端からハードルがとんでもなく高かった。これがこの世界の標準的な倫理観なのだろうけれど、それをいきなり受け入れろというのはあまりにも酷だ。
しかし生きるか死ぬか、殺るか殺られるかの世界だ。はっきり言ってしまえば向こうの世界だって、そういう厳しい地域は確かにあった。平和ボケした日本人に渇を入れるのなら、これほど効果抜群の訓練もないだろう。
「死にそうになったら助けるから、それまでは頑張るように」
「は、はい!」
「よし。放て!」
木の棒を握っていた兵士が、棒を雑巾のように捻じると何かの機構が作動したのか、首輪の顎下の部分がぱっくりと開いた。
首輪という制約がなくなり、自由になったゴブリンは、まず自分の首をさする。次に、忌々し気な表情で周囲を見渡した。ヒルダを見て、兵士を見て、僕を見て、ニヤリと笑った。
「この野郎……!」
僕なら殺れるって、笑いやがった。
別に僕はゴブリンを下に見てはいなかった。惰弱極まりない現代人である僕が木剣片手に野を歩けば日暮れまでに餌になっているだろう。
だからこそ恐れているし、警戒している。言い換えれば尊敬の念すらあった。弱肉強食を生きる為に頑張っているのだから、凄いことだ。
しかしそれは今、失われた。僕を嘲笑い、踏み躙れると高を括った此奴を僕は心置きなく滅多打ちに出来るだろう。
その自信が、気概が体の内を螺旋を描いて暴れ狂った。
「ギシャアア!!!」
「うるせぇ!!」
爪と牙で襲い掛かるゴブリンの脳天に木剣を叩き込む。先程まで恐れに支配されていた僕に攻撃されるとは思いもしなかったのだろう。大いなる油断が自身の頭蓋を陥没させた。
紫色の血を口や鼻、目から噴き出しながら定まらない視点で僕を見る。その目に映っていたのは恐れの色と、殺戮の色に塗り潰された僕だった。
不意に踵を返し、練兵場から逃げようとするゴブリン。その背中目掛けて木剣をぶん投げる。回転しながらまっすぐに飛んだ木剣はゴブリンを転げさせた。
間髪入れずに駆け出し、転がったその小さな体に蹴りを入れようとして……僕の視界が一回転した。
「それまで」
「ってぇ……」
ゴブリンと同じように地面に転がった僕が見上げた先に、木剣を振り抜いたであろうヒルダさんの姿が見えた。あれで僕の足を絡めて転ばせたのだろう。ちくしょう、そういう使い方もあったのか。
と、気付いたところで慌ててゴブリンを見る。しかし既にゴブリンは兵士の剣によって頭を落とされ、死亡していた。逃げ出すようなことがなくなり、安堵の息を漏らす。
「獲物を取られて悔しい……の溜息かな?」
「いえ、逃げ出さなくて良かった、の一息です」
「ならば良し。君はちゃんと分別のできる人間だ」
差し出された手を握るとグイっと引っ張られて起き上がる。凄い力だな……服に覆われて分からないが、きっと引き締まった良い体なんだろうな……とか思ってみたがセクハラもいいところだった。
日々の鍛錬の賜物だ。邪な考えは一切なかったが、出来るだけ考えないようにしよう。
その後はヒルダさんと先程の戦闘の反省会をした。
相手の突進に合わせて剣を叩き込むのは〇だったが、剣を投げたところは△だった。
曰く、拾える状況や予備の武器があるなら投げても良い。だそうだ。自動車の筆記試験みたい。
反省会が終わる頃には時刻は15時過ぎ。軽く汗を拭き、休憩してから次の授業だ。
流石に疲れが出てきたが、この授業が終われば夕飯食って風呂入って寝れる。最後まで気合いを入れて頑張ろう。
幸いにも次の職場はこの練兵場に併設されてるので、歩いて5分もしなかった。
「こんにちはー」
「おう、来たか」
振り返り、立ち上がったガタイの良すぎるナイスガイ。王国軍練兵場に併設された王立鍛冶場を取り仕切る親方、ヴァンダーさんが金槌を手に僕を見下ろした。