翌朝、当然のようにベッドで眠るニャルを床へ転がし、部屋の掃除を始めた。
ある程度の整理整頓をしてから本の中にあるジレッタの居城に荷物を預け、広くなった部屋を改めて眺める。
「短い間だったけれど、何だかとても長く住んだような気がするよ」
「日常があまりにも濃かったからね」
「本当にそう」
まったく休む暇もない生活だった。
でもそれは仕事に追われるような忙しい日々という訳ではなく、非常に充実した毎日だった。
日々知らないことを知り、出来ないことが出来るようになり、出来ていたことがより完成されていく。
これは僕にとってはかけがえのない大事な時間だった。
そしてその日常は町の外……世界へと拡散していく。
今はそれが楽しみで楽しみで、仕方ない。
「ニャル、起きな」
「んぅ」
ジレッタがそっとニャルを起こそうとするが全然起きない。
窓から差す日光で温められた床がとても心地良いらしい。
まるで猫だな……。
「しゃあない。時間も時間だし背負っていくか」
「先が思いやられるな」
「そう言うなよ」
旅装に着替えた俺はニャルの体をそっと起こして背負う。するとギュッと腕を回してきて密着される。
この落ちないように、みたいな防衛本能? 流石だよな……。
部屋の中に忘れ物がないか確認をして鍵を閉める。
「その鍵はどうするんだ?」
「郵便受けに入れとけってさ」
「なるほど」
ついぞ大家さんの姿は見なかったな。宗人が手続きを全部してくれたってのもあるけど、出来れば世話になったことだし挨拶したかったが……。
まぁ仕方ない。気持ちを切り替えていこう。
外階段を下りて鍵を郵便受けに入れ、さぁ行こうかとニホン通りに出てくると、何か人だかりができている。
珍しいこともあるもんだなと思いながら横目に通り過ぎようとして足を止めた。
「ヒルダさん?」
「来たか、侘助殿」
往来のど真ん中で腕を組んで目立っていたのはヒルダさんだった。
全身鎧に剣を下げ、足元に兜を置いて、これから戦争にでも行くんかってスタイルだ。
「侘助殿」
「はい」
「最後に手合わせしてくれないか?」
「はい!?」
そう言って彼女は足元の置いていた兜を装備し、腰に下げた剣を抜く。
いやいや真剣!? 木剣じゃなくて!?
「本気の貴方を見せてくれ!」
「ちょ、うわ!?」
剣のシリンダーを風魔石にし、目にも止まらぬ速さで突っ込んでくるヒルダさん。
袈裟懸けに振り下ろされた剣を体を反らすことで避ける。なんで見えるんだ、僕!?
「ふっ、やるな」
「やりたくないです!?」
「まだまだいくぞ!」
ヒルダさんは完全に訓練場の鬼教官になっていた。
迫りくるヒルダさんの猛攻を目だけを頼りに避けていく。しかしそれも厳しい。何故ならばどんどん剣速が上がっていくからだ。まるでマニュアル車だ。
しかも人だかりが僕の逃げ場を奪っていた。円を描くように後退しているが、もう限界だった。
その時、ヒルダさんの檄が飛ぶ。
「抜け! 侘助!」
「はい!!」
散々訓練をした相手だ。その圧に逆らえる訳もなく、僕は腰に下げた緋心を抜く。
振り下ろされる剣を斬り落とさないように峰で受け止めるが、あまりの重さに膝をつきそうになる。
「い、いつの間に土属性に……!」
「観察が足りないな。それにそんな子を背負ったままとは私を舐めてるのか?」
「ニャル!? まだぶら下がってたのか!」
必死過ぎて気付かなかったが僕の背中にはニャルがくっついたままだった。ていうか降りろ。
「この国最強の力を間近で見れるチャンスなので、離れませんよ」
「なんか体重いと思ったんだよ!」
「あ」
「あ」
「え……」
やったなお前、みたいな顔をするヒルダさんと背筋が凍る声を耳元で出すニャル。
「まぁそれくらいのハンデがあるくらいが貴方にはちょうどいいか」
「これ私、両方敵で良いと思うんですけど。殺しましょうか?」
「朝から物騒なのはやめてくれ!」
こんな話をしながらもヒルダさんは剣を振り下ろしてくるし、僕はそれを受け流しているし、ニャルは首を絞めてくる。
なんでこんなことになってんだ……僕が何かしたか?
なんかだんだん腹が立ってきた。こんなに天気が良いのに。旅立ち日和なのに。
沸々と湧いてくる苛立ち。僕は気付けばそれをそのまま放出していた。
「2人とも……」
【術式:鉄魔法】として。
「いい加減にしろーーーーーっ!!!」
僕の足元から湧いた魔力の渦は拡散し、いくつもの鉄紐となって周囲に伸びていく。
その勢いに2人は大きく距離を取った。取ってくれた。
術式の発動は一瞬だったが、酷く疲弊した僕はその場に膝をついてしまった。
「はぁ、はぁ」
「やるじゃないか、侘助」
「え……?」
「モーション無しでの術式発動。2回目だな。しかも前よりスムーズだったよ。魔力量も素晴らしかった」
僕のもとに来たジレッタが褒めてくれるが、怒りのままにやったことだから微塵も実感がなかった。
「しかしこの観衆の前でやるのは拙かったな」
「……」
ハッとして周囲を見ると、視線は僕から外さずに隣同士で話し合う皆の姿が見えた。
隠そう隠そうと努力していた術式を知られてしまった。
「ここまで見られたらもう一緒でしょう。どうせならもっと印象に残してあげましょうか」
「ニャル? お前まさか……!」
そう言ったニャルの髪が逆立ち、一瞬で巨大な銀虎の姿へと変身した。
止めようと動こうとしたが体がまだ動かなくて間に合わなかった……。
もう周りは騒然としていた。ただ、その銀虎は人語を話して理性を持ち合わせた目をしていたから逃げ惑いはしなかった。
「ジレッタさん、それ乗せてください」
「それって言うな、それって」
「ニャル殿、ついでに私も乗せてくれ」
「……まぁいいでしょう」
3人が乗ってもびくともしないニャルは一気に飛び上がり、屋根伝いに走り出す。その巨体とは裏腹に速く、そして軽いようだ。
一気に町と外を隔てる門までやってきた。門番は慌てて槍を手に集まってくるが、ニャルが人の姿に戻り、その傍に近衛騎士団所属のヒルダさんがいることで慌てて穂先を天へと向けた。
ヒルダさんは門番と二三、話すと此方へ向き直って手招きをした。
「通って大丈夫だ。それと侘助殿、これを」
「何ですか?」
ヒルダさんが僕に渡してくれたのはドッグタグだった。
「それは冒険者証だ。一応、舐められない程度の階級はあるはずだ。手合わせの後に渡そうと思っていた。それを見せれば大抵の町には入れるはずだ」
「あ、ありがとうございます」
タグには僕の名前が書かれていた。プレートの色は銀。何か意味があるのだろうか。というかドッグタグて。誰の趣味や。
「へぇ、銀等級ですか。気前良いですね」
「良いもんなのか?」
「大抵の凄腕と呼ばれる冒険者は銀等級以上ですからね。私も以前は銀等級でした。ほぼ金寄りでしたが」
「ふーん」
「あんまり興味なさそうですね」
まぁ、ぶっちゃけない。
僕は冒険者じゃなくて鍛冶師だから。
「ありがとうございます」
「元気でな」
「えぇ。ヒルダさんも」
最後にギュッと握手を交わし、僕たちは門の外へと歩み出す。
これからどんな世界が待っているのか、考えるだけでワクワクしてくる。
色んな世界が広がってるはずだ。その中で僕は僕のままで在り続けらえるよう、努力しよう。
そして旅の仲間となってくれたジレッタとニャルのことを守れるくらいに強くなる。
ジレッタが与えてくれた力と、僕が持つ力。これは戦いの為の力ではないけれど、戦うのであれば、絶対に負けない。
僕はそれを心に強く強く、刻み込む。
門の向こうに広がる平原は、そのまま世界の広さに思えた。
ある程度の整理整頓をしてから本の中にあるジレッタの居城に荷物を預け、広くなった部屋を改めて眺める。
「短い間だったけれど、何だかとても長く住んだような気がするよ」
「日常があまりにも濃かったからね」
「本当にそう」
まったく休む暇もない生活だった。
でもそれは仕事に追われるような忙しい日々という訳ではなく、非常に充実した毎日だった。
日々知らないことを知り、出来ないことが出来るようになり、出来ていたことがより完成されていく。
これは僕にとってはかけがえのない大事な時間だった。
そしてその日常は町の外……世界へと拡散していく。
今はそれが楽しみで楽しみで、仕方ない。
「ニャル、起きな」
「んぅ」
ジレッタがそっとニャルを起こそうとするが全然起きない。
窓から差す日光で温められた床がとても心地良いらしい。
まるで猫だな……。
「しゃあない。時間も時間だし背負っていくか」
「先が思いやられるな」
「そう言うなよ」
旅装に着替えた俺はニャルの体をそっと起こして背負う。するとギュッと腕を回してきて密着される。
この落ちないように、みたいな防衛本能? 流石だよな……。
部屋の中に忘れ物がないか確認をして鍵を閉める。
「その鍵はどうするんだ?」
「郵便受けに入れとけってさ」
「なるほど」
ついぞ大家さんの姿は見なかったな。宗人が手続きを全部してくれたってのもあるけど、出来れば世話になったことだし挨拶したかったが……。
まぁ仕方ない。気持ちを切り替えていこう。
外階段を下りて鍵を郵便受けに入れ、さぁ行こうかとニホン通りに出てくると、何か人だかりができている。
珍しいこともあるもんだなと思いながら横目に通り過ぎようとして足を止めた。
「ヒルダさん?」
「来たか、侘助殿」
往来のど真ん中で腕を組んで目立っていたのはヒルダさんだった。
全身鎧に剣を下げ、足元に兜を置いて、これから戦争にでも行くんかってスタイルだ。
「侘助殿」
「はい」
「最後に手合わせしてくれないか?」
「はい!?」
そう言って彼女は足元の置いていた兜を装備し、腰に下げた剣を抜く。
いやいや真剣!? 木剣じゃなくて!?
「本気の貴方を見せてくれ!」
「ちょ、うわ!?」
剣のシリンダーを風魔石にし、目にも止まらぬ速さで突っ込んでくるヒルダさん。
袈裟懸けに振り下ろされた剣を体を反らすことで避ける。なんで見えるんだ、僕!?
「ふっ、やるな」
「やりたくないです!?」
「まだまだいくぞ!」
ヒルダさんは完全に訓練場の鬼教官になっていた。
迫りくるヒルダさんの猛攻を目だけを頼りに避けていく。しかしそれも厳しい。何故ならばどんどん剣速が上がっていくからだ。まるでマニュアル車だ。
しかも人だかりが僕の逃げ場を奪っていた。円を描くように後退しているが、もう限界だった。
その時、ヒルダさんの檄が飛ぶ。
「抜け! 侘助!」
「はい!!」
散々訓練をした相手だ。その圧に逆らえる訳もなく、僕は腰に下げた緋心を抜く。
振り下ろされる剣を斬り落とさないように峰で受け止めるが、あまりの重さに膝をつきそうになる。
「い、いつの間に土属性に……!」
「観察が足りないな。それにそんな子を背負ったままとは私を舐めてるのか?」
「ニャル!? まだぶら下がってたのか!」
必死過ぎて気付かなかったが僕の背中にはニャルがくっついたままだった。ていうか降りろ。
「この国最強の力を間近で見れるチャンスなので、離れませんよ」
「なんか体重いと思ったんだよ!」
「あ」
「あ」
「え……」
やったなお前、みたいな顔をするヒルダさんと背筋が凍る声を耳元で出すニャル。
「まぁそれくらいのハンデがあるくらいが貴方にはちょうどいいか」
「これ私、両方敵で良いと思うんですけど。殺しましょうか?」
「朝から物騒なのはやめてくれ!」
こんな話をしながらもヒルダさんは剣を振り下ろしてくるし、僕はそれを受け流しているし、ニャルは首を絞めてくる。
なんでこんなことになってんだ……僕が何かしたか?
なんかだんだん腹が立ってきた。こんなに天気が良いのに。旅立ち日和なのに。
沸々と湧いてくる苛立ち。僕は気付けばそれをそのまま放出していた。
「2人とも……」
【術式:鉄魔法】として。
「いい加減にしろーーーーーっ!!!」
僕の足元から湧いた魔力の渦は拡散し、いくつもの鉄紐となって周囲に伸びていく。
その勢いに2人は大きく距離を取った。取ってくれた。
術式の発動は一瞬だったが、酷く疲弊した僕はその場に膝をついてしまった。
「はぁ、はぁ」
「やるじゃないか、侘助」
「え……?」
「モーション無しでの術式発動。2回目だな。しかも前よりスムーズだったよ。魔力量も素晴らしかった」
僕のもとに来たジレッタが褒めてくれるが、怒りのままにやったことだから微塵も実感がなかった。
「しかしこの観衆の前でやるのは拙かったな」
「……」
ハッとして周囲を見ると、視線は僕から外さずに隣同士で話し合う皆の姿が見えた。
隠そう隠そうと努力していた術式を知られてしまった。
「ここまで見られたらもう一緒でしょう。どうせならもっと印象に残してあげましょうか」
「ニャル? お前まさか……!」
そう言ったニャルの髪が逆立ち、一瞬で巨大な銀虎の姿へと変身した。
止めようと動こうとしたが体がまだ動かなくて間に合わなかった……。
もう周りは騒然としていた。ただ、その銀虎は人語を話して理性を持ち合わせた目をしていたから逃げ惑いはしなかった。
「ジレッタさん、それ乗せてください」
「それって言うな、それって」
「ニャル殿、ついでに私も乗せてくれ」
「……まぁいいでしょう」
3人が乗ってもびくともしないニャルは一気に飛び上がり、屋根伝いに走り出す。その巨体とは裏腹に速く、そして軽いようだ。
一気に町と外を隔てる門までやってきた。門番は慌てて槍を手に集まってくるが、ニャルが人の姿に戻り、その傍に近衛騎士団所属のヒルダさんがいることで慌てて穂先を天へと向けた。
ヒルダさんは門番と二三、話すと此方へ向き直って手招きをした。
「通って大丈夫だ。それと侘助殿、これを」
「何ですか?」
ヒルダさんが僕に渡してくれたのはドッグタグだった。
「それは冒険者証だ。一応、舐められない程度の階級はあるはずだ。手合わせの後に渡そうと思っていた。それを見せれば大抵の町には入れるはずだ」
「あ、ありがとうございます」
タグには僕の名前が書かれていた。プレートの色は銀。何か意味があるのだろうか。というかドッグタグて。誰の趣味や。
「へぇ、銀等級ですか。気前良いですね」
「良いもんなのか?」
「大抵の凄腕と呼ばれる冒険者は銀等級以上ですからね。私も以前は銀等級でした。ほぼ金寄りでしたが」
「ふーん」
「あんまり興味なさそうですね」
まぁ、ぶっちゃけない。
僕は冒険者じゃなくて鍛冶師だから。
「ありがとうございます」
「元気でな」
「えぇ。ヒルダさんも」
最後にギュッと握手を交わし、僕たちは門の外へと歩み出す。
これからどんな世界が待っているのか、考えるだけでワクワクしてくる。
色んな世界が広がってるはずだ。その中で僕は僕のままで在り続けらえるよう、努力しよう。
そして旅の仲間となってくれたジレッタとニャルのことを守れるくらいに強くなる。
ジレッタが与えてくれた力と、僕が持つ力。これは戦いの為の力ではないけれど、戦うのであれば、絶対に負けない。
僕はそれを心に強く強く、刻み込む。
門の向こうに広がる平原は、そのまま世界の広さに思えた。