永遠にも感じた一瞬の沈黙から僕を救ってくれたのは我が子であるニャルだった。

「違いますよ。そんな訳ないじゃないですか」

 当たり前のような否定。当たり前ができるって素晴らしい。
 お蔭様で拍子抜けしたヒルダさんが溜息を吐いて剣を鞘に納めてくれた。
 それに習って各々も手にした鈍器を下ろしてくれる。最後にジレッタが呆れの溜息を吐いて緊張は解けました。ありがとうございました。

「それで?」
「傭兵に擬態した山賊が奪ったお金でとある工房に剣の依頼をしました。その剣で更に人が死ぬ可能性があると考えた私は完成された20本の剣を奪ったのですが、其処の渡界者(エクステンダー)が数時間で20本の剣を用意したことで目論見は失敗しました」
「あの盗難にそんな裏があったのか……」

 ボローラさんが驚いたように呟く。そう。僕はそれを知らずに強盗殺人に加担しかけていた。

「あの山賊の正体は【黒熊】でした」
「なんだと!?」

 その名を聞いたヒルダさんが思わず立ち上がる。有名な傭兵なのか、山賊なのか、僕には分からないが……確かに熊のように大きな男だった。

「それは別にどうでもいいのですが、私はその渡界者の剣を奪って単独で山賊を殲滅を考えました。理由は私が獣人種であること。私の力に耐えられる武器がないといけなかったので」
「奪った剣があるじゃないか。それで戦えばよかったのでは? 侘助殿に危害を加える必要はなかったはずだ」

 ヒルダさんの言う通りでもある。が、そうする訳にはいかなかった。何故ならばニャルは、無貌(フェイスレス)は盗賊ではなく義賊だから。

「奪った剣は片が付いたら工房に返却するつもりでした。なので使えませんでした。そして事情を知らないとはいえ、人の命を奪う手助けをした渡界者を懲らしめる意味でも剣を奪う必要があったのですが、これも失敗。まさか伝説の鉄魔法を使う鍛冶師とは思わなかったので」
「ごめん、それ内緒なんだけど……」
「あ」

 無表情みたいな面をしていてもやらかせばやべぇって顔はするらしい。振り返ったニャルが気拙そうに口元だけをへら、と歪めた。

「ごめんなさい」
「いいよ……言いふらすような人はいないだろうし。まぁ、何だかんだあって僕はニャルを現行犯で捕まえて事情を聞いた。僕がやったことで多くの人が傷付く可能性が出てきた訳だ」

 勿論、剣を打つというのはそういうことだって2人の師匠から学んではいたけれど、それとこれとは別だ。
 剣は人を傷付ける道具だが、守る為にも使うべき物だ。それを最初から人を傷付ける為だけに使おうとする奴に剣を打つことなんてできない。

「それで、怪盗を捕まえた侘助殿と怪盗本人がどうして親子の関係に?」
「いや、ですからそれは違います。この人のでまかせです」
「とは言え庇うくらいには仲良いってこったろ? 言え、侘助」

 ヴァンダーさんの命令に逆らえるはずもなく、僕はこの間の出来事を包み隠さず全て話した。
 怪盗として侵入してきたニャルを捉え、事情を聞いてその日の内に山賊を始末しに行ったことを。
 そして何故、ニャルがそうなってしまった(・・・・・・・・・)かを。

 話を聞き終えた面々は揃って沈痛な面持ちだった。

「人間の境遇とは、分からんものだな……片や異世界から異世界に拉致され帰れず、片や奴隷商人に捕まり義賊へ、片や傭兵として名を馳せながら賊へと身を堕とす。人の生とは、本当に何があるか分からん」

 ヴァンダーさんの言葉に頷く面々。本当にそうだ。まさか僕が人を斬ることになるとは思いもしなかった。
 今もまだ、この手に首を刎ねた感触が……ない。緋心は一切の抵抗なく人の肉を、骨を断った。
 だからこそ、僕は怖かった。金属を小分けにできるなんて便利な使い方をしていたが、それを人に向けた途端、こんなにも恐ろしい気持ちになるとは。

 いや、考えていなかった訳ではない。僕が怪我することもあるだろうし。

 だが考えがあまりにも足りていなかった。

「僕は人を斬りました。それが思っていた以上に重く……そして軽い考えで鍛冶をしていたことを分からされました」

 僕の言葉に皆が耳を傾けてくれる。思えばこうして自分の考えを大勢の人に話すということはあまりしてこなかったな、なんて余計なことが頭の中に浮かんで、沈めた。

「その浅い考えを鍛える為の旅でもあります。でも真の目的は、異世界に……日本に帰る手段を探す為の旅です」

 ガタッ、と椅子が鳴る。立ち上がった宗人が僕を見ていた。その表情は泣きそうで、でも諦めも混じっていて、それと怒りのようなものも見えた。

「帰る手段は……ないよ。俺がこのフラジャイルを離れず、日本人のサポートをしているのは、魔塔での研究に行き詰ったからだ……帰る手段は、ないんだ」
「僕は魔法だけが帰る手段だと思ってる。それで連れてこられたからね……でも魔法だけが帰る手段だとは思ってない。別のやり方で帰る方法を探す」

 僕はジレッタを、ニャルを見る。二人ともこくりと頷いてくれた。言っていいだろう。彼らなら餡審して伝えられる。

「1000年前、ジレッタはニシムラという渡界者に居城ごと本の中へ封印された。200年前に存在した魔王サイソンの本名はニシムラだ。これはかつての側近……旦那さんから直接聞いた。そして100年前に現れた災厄の渡界者ニシムラは、かつて存在したニシムラという人物と、サイソンと、同一人物だ」
「ちょ、ちょっと待て! 情報量が多すぎる! 大体、何でニシムラとサイソンが同じなんだ? というか魔王の名前ってサイソンと言うのか!?」
「城から出ないと分からないこともあるってことだよ、宗人。ニシムラを音読みしてみろ」

 音読み? と周りの現地人は首を傾げるが、頭の中で変換し終えた宗人は頭を抱えていた。

「ふ、ふざけてる……」
「そう、ふざけた奴だ。【無限の魔力】というスキルは超々々々複雑な魔法でも理論が正しければ発動できてしまう。彼女は不老不死の魔法を体得している」
「まさか1000年前から生きていると……? 俄かには信じがたいが、侘助殿が言うのなら、そうなのだろうな」
「その魔王が残した遺産を探す旅だ。そして足跡を見つけたら魔王自身も……。1000年経っても返還魔法陣を作ろうとしていたんだ。きっと今も何かしらやってるはずだからね」

 そう信じるしかないのが希望的観測過ぎるが、何から何まで確定していては旅にならない。
 分からないくらいがちょうどいいのだ。だからこそ旅は面白い。きっとね。

 さて、僕たちの事情は全て話し終えたということで送別会もお開きとなった。
 別れの言葉を交わす中、最後に残ったヒルダさんがニャルに向かってこう言った。

「王国の法に則ればお前を連行しなければならない。が、事情も事情だ。内容からも鑑みれば情状酌量の余地もあると私個人は思う。どうするかは君次第だ」
「考えておきます」
「うむ。では侘助殿、ご武運を。もし帰る方法を見つけたら、一報をくれると嬉しい」
「えぇ、勿論」

 こうして招待した全員がそれぞれの家へと帰っていった。送別会会場であるボローラさんの母屋を出た僕達も、帰路へとついた。

「退去はいつまでなんだ?」
「明後日の朝。明日準備して、大家さんに鍵を返すんだ」
「片付けると言っても備え付けの家具以外だろう。私の城にぶち込んどけ」

 やり方が雑過ぎる。絶対此奴の寝室は汚い。

 いつか掃除してやることを企みながら見上げた夜の空には明るい月が浮かんでいた。どんちゃん騒ぎの宵の口はとうに過ぎ去って、これからは月が流れていくだけの静かな空気が町に満ちていく。
 その何処か厳かな雰囲気が、嫌いじゃなかった。これから行き着くであろう場所はどんな所なのだろう。
 そう考えるだけでワクワクしている自分がいた。

「さぁ、張り切って寝るぞ。旅立ちは目前だ!」
「これから寝る人間のテンションじゃないですね」
「ま、どうにかなるさ。何せ私達は世界最強と言っても過言じゃないんだからね」

 プロ隠密ワーキャットに最強の魔竜に金属特効鍛治師。

 向かう所敵なしと思いたいが、できれば戦いのない旅がいいなと、懲りずに僕は思うのだった。