思っていた以上に退去手続きと出国手続きは簡単に終わった。宗人によるとこれまでにも多くの日本人が旅立っていったし、旅立っていくのは分かっていたことなので予め、そういう書類等は用意していたとのことだ。
「もう少し滞在すると思ってたんだけどなぁ~」
「悪い」
「良いよ。怒ってない。ただ一緒に飲みたかったなって」
城を出てからは目まぐるしい日々を送っていた。忘れていた訳じゃないが、後回しにしていたことは本当だ。だからこそ、心苦しい。
もっとああしておけば、こうしておけばという後悔だけは、生きている限り続いていく。そしてそれを学習できないのも、また人間だった。
「この後送別会があるから来たらいいじゃないか。どうせ酒も出るだろ」
「あぁ、そういえばそんなこと言ってたな……」
ジレッタの言葉で親方が言っていたことを思い出した。正直、退職じゃなくて休職だったことの驚きで殆ど覚えてなかった。
「親方なら許してくれるだろ。多分」
「侘助が世話になった親方さんにも会いたいしな。ついでにヒルダさんも呼ぶか?」
なんて話していると事務室内にコンコンという乾いた音が響く。サッと立ち上がった宗人が扉を開けに行った。
「すまない、宗人殿。侘助殿が来ていると聞いて……」
「中に居ますよ。どうぞ」
一瞬でビジネスモードに変わった宗人がたった今噂をしていたヒルダさんを中へと通す。久しぶりに見た彼女は変わりなく、凛々しさと華憐さを良い具合に混ぜ合わせた顔立ちだった。
きっと神様が作ってもこんな綺麗な顔にはならないだろうな。それを言うとジレッタも神がかった造形だ。まったく異世界の人間ってのは美人しか居ないのか?
しかも今日はいつもの鎧姿ではない。非番だったのか、タンクトップにショートパンツというあまりにもラフ過ぎる格好だった。鍛えられた白い肌にはいくつもの古傷があるが、それもまたアクセントとなって美しい。
「お久しぶりです、ヒルダさん」
「侘助殿!」
軽く手を上げて挨拶をすると、まるで久しぶりに飼い主にあった犬みたいに駆け寄ってきた。なんだこの可愛い生き物は……っ。
ハッハッ、とまるで犬のように息を切ら……すようなこともなく、駆け寄ってきたヒルダさんに僕の下ろしていた方の手を掴まれた。
ギュッと握って、緩めて、またギュッと握って、何だか強度チェックをされているような気分だ。
「怪我もなさそうで安心したよ」
「元気にやってますよ。ヒルダさんも元気そうで」
「あぁ、毎日元気だ!」
腕を上げ、肘を曲げて膨らませた上腕二頭筋はそれはそれは堅そうだった。あれだけの剣を振るう膂力は筋肉のお蔭である。
ヒルダさんが揃ったところで再び扉を叩く音。強めの音だ。コンコン、というよりはゴンッゴンッと、まるで鈍器で叩いているかのような圧。
席を立った宗人が扉を開くと、やはりというか、だろうねって感じに巨大なシルエットの男、ヴァンダーの親方が入ってきた。
「どうだ?」
開口一番、これだ。
「最近はずっとスキルを使わない鍛冶を習ってます」
「ほう、なるほどな。まずはスキルの可能性を伸ばすことを俺は考えたが、伸ばした後に強度をもたせたか。そうすることで広がった可能性に細やかな分岐を作れると……やるな、翡翠の爪工房」
つうと言えばかあと言うか、なんというか。どうだの一言からこの回答が出てくるのも我ながらどうなってんだって感じだ。
しかし書類を書きに来ただけだったのに一気に人が集まったな……いや、挨拶回りはするつもりだったから別にいいんだが、こうも向こうから来てくれるとは思っていなかった。
僕は【渡界者】という存在に、定期的に排出されてくる厄介者というイメージしかなかった。なのに現地の方々はとても優しくて、色んなことを教えてくれて、助けてくれた。
大勢の中の個人である僕の来訪に、駆け付けてくれた。
「ジレッタ」
「ん?」
「嬉しいな。みんな来てくれた」
僕の隣に立つジレッタの顔を見る。
彼女は今まで見た中で、一番優しい表情を浮かべながら、僕を見つめ返していた。
□ □ □ □
突然の来訪にボローラさんは驚いていたが、喜んで受け入れてくれた。彼のこの懐の広さは尊敬したい。思えばライバル店である竜牙工房の店主を助けたのも彼だった。
僕が旅立つということで開かれた送別会だが、僕以上に盛り上がっている人が多かった。
まず、ボローラさんとヴァンダーさんが意気投合した。僕の話題から鍛冶の話題、最近の流行りとのべつ幕なしに話が進んでいく。酒も進んでいく。
「侘助は世界一の鍛冶師になるぞ!」
「あぁ、何せ俺たちが育てたんだから!」
あっちの世界でも見た『〇〇はワシが育てた』状態だった。しかし2人の師匠から学んだ技術は確かに僕の根底にあった。
ナーシェさんとヒルダさんも一瞬で仲良くなっていた。やはり同じ女性だからかと思ったが、内容が少しばかり職業的だった。
「侘助に打ってもらった剣だが、少々無骨でな」
「あー、まだ意匠細工を教えてなかった頃のですね。私がやりましょうか?」
「頼めるか? 最近流行りの鳥のやつを……」
学んだ技術はあっても、活かしきれなければ意味がない。今の僕なら金槌一つでどんな模様も打ち込める。が、此処でそれをやるのは無粋だろう。やれるからやればいいという訳でもないのが難しい世界だ。
「ふぅ……」
「飲まないのなら寄越せ」
「あっ」
空いたジョッキに酒が注がれるのでゆっくりと飲んでいたらジレッタに奪われた。
何処へ持っていくのかと見ていると、兄弟子達と乾杯をしていた。あれで結構皆からの評判は良かったしな。魔法も便利だったし、別れるのが惜しいのだろう。
楽しそうな声が響く中、僕は酒もなく、ただテーブルのお誕生日席に座らされたまま、ボーっとその光景を眺めていた。
良い眺めだった。本当に。皆が集まってくれて、盛り上がって、親交が増えて……僕起点にそれが発生しているのが誇らしかった。
「大事にしたいな……ん?」
この関係は離れても壊れることはない。大事にしよう。
そう1人決心していると誰かにズボンの裾を引っ張られる感覚があった。何だろうと思ってテーブルの下を覗き込むと、なんと其処にはニャルが隠れていた。
「ニャル!」
「あっ」
思わず大きな声を出してしまったことで会場の喧騒がピタリと止まってしまった。全員の視線が僕へと向けられている。その視線は僕の視線をなぞり、テーブルの下へと向かう。
全員がニャルを見つけてしまった。
「侘助、その子は誰なんだ?」
最初に宗人が僕の元へと戻ってきた。此奴、一瞬で女の子だと見破って声掛けてきたな……。
僕は何とか誤魔化そうとするが、その前にヒルダさんがニャルを見て台の上に置いていた剣へと手を伸ばしてしまった。
「貴様、フェイスレスだな?」
ヒルダさんの言葉にどよめきが起こる。それぞれが手元にあった食器や何かしらを手に取って応戦しようとしている。どうして皆そんなに血の気が多いんだ!
「此方で得ている僅かな情報と照らし合わせた結果の判断だ。必ず黒いローブを身に着け、小柄で銀の髪と耳。だが、違うならそう言ってくれ」
「はぁ……そうですよ。私が【無貌】です」
ニャルはテーブル下から現れて、身に着けている『虚影のマント』の内側から無貌の黒面『無影の仮面』を取り出し、顔に当てた。独りでに動いた革ベルトがガッチリとニャルの頭を抱え込んで面が固定される。
ヒルダさんがナーシェさんを庇いながら身を低くする。
宗人が手の中に木の芽を浮かべる。
親方達が金槌を手に持つ。
ニャルが太い尾を持ち上げて爪を伸ばした。
「全員止まれ! 頼むから!」
そして僕の声に、全員がピタリと動きを止めた。
全員が僕の次の声を待った。
鋭い視線が一気に集まり、思わず僕は喉が鳴り、上擦った声で、言った。
言ってしまった。
「この子は、僕の子です!!!!!」
沈黙が続く。
誰か、助けてくれ……。
「もう少し滞在すると思ってたんだけどなぁ~」
「悪い」
「良いよ。怒ってない。ただ一緒に飲みたかったなって」
城を出てからは目まぐるしい日々を送っていた。忘れていた訳じゃないが、後回しにしていたことは本当だ。だからこそ、心苦しい。
もっとああしておけば、こうしておけばという後悔だけは、生きている限り続いていく。そしてそれを学習できないのも、また人間だった。
「この後送別会があるから来たらいいじゃないか。どうせ酒も出るだろ」
「あぁ、そういえばそんなこと言ってたな……」
ジレッタの言葉で親方が言っていたことを思い出した。正直、退職じゃなくて休職だったことの驚きで殆ど覚えてなかった。
「親方なら許してくれるだろ。多分」
「侘助が世話になった親方さんにも会いたいしな。ついでにヒルダさんも呼ぶか?」
なんて話していると事務室内にコンコンという乾いた音が響く。サッと立ち上がった宗人が扉を開けに行った。
「すまない、宗人殿。侘助殿が来ていると聞いて……」
「中に居ますよ。どうぞ」
一瞬でビジネスモードに変わった宗人がたった今噂をしていたヒルダさんを中へと通す。久しぶりに見た彼女は変わりなく、凛々しさと華憐さを良い具合に混ぜ合わせた顔立ちだった。
きっと神様が作ってもこんな綺麗な顔にはならないだろうな。それを言うとジレッタも神がかった造形だ。まったく異世界の人間ってのは美人しか居ないのか?
しかも今日はいつもの鎧姿ではない。非番だったのか、タンクトップにショートパンツというあまりにもラフ過ぎる格好だった。鍛えられた白い肌にはいくつもの古傷があるが、それもまたアクセントとなって美しい。
「お久しぶりです、ヒルダさん」
「侘助殿!」
軽く手を上げて挨拶をすると、まるで久しぶりに飼い主にあった犬みたいに駆け寄ってきた。なんだこの可愛い生き物は……っ。
ハッハッ、とまるで犬のように息を切ら……すようなこともなく、駆け寄ってきたヒルダさんに僕の下ろしていた方の手を掴まれた。
ギュッと握って、緩めて、またギュッと握って、何だか強度チェックをされているような気分だ。
「怪我もなさそうで安心したよ」
「元気にやってますよ。ヒルダさんも元気そうで」
「あぁ、毎日元気だ!」
腕を上げ、肘を曲げて膨らませた上腕二頭筋はそれはそれは堅そうだった。あれだけの剣を振るう膂力は筋肉のお蔭である。
ヒルダさんが揃ったところで再び扉を叩く音。強めの音だ。コンコン、というよりはゴンッゴンッと、まるで鈍器で叩いているかのような圧。
席を立った宗人が扉を開くと、やはりというか、だろうねって感じに巨大なシルエットの男、ヴァンダーの親方が入ってきた。
「どうだ?」
開口一番、これだ。
「最近はずっとスキルを使わない鍛冶を習ってます」
「ほう、なるほどな。まずはスキルの可能性を伸ばすことを俺は考えたが、伸ばした後に強度をもたせたか。そうすることで広がった可能性に細やかな分岐を作れると……やるな、翡翠の爪工房」
つうと言えばかあと言うか、なんというか。どうだの一言からこの回答が出てくるのも我ながらどうなってんだって感じだ。
しかし書類を書きに来ただけだったのに一気に人が集まったな……いや、挨拶回りはするつもりだったから別にいいんだが、こうも向こうから来てくれるとは思っていなかった。
僕は【渡界者】という存在に、定期的に排出されてくる厄介者というイメージしかなかった。なのに現地の方々はとても優しくて、色んなことを教えてくれて、助けてくれた。
大勢の中の個人である僕の来訪に、駆け付けてくれた。
「ジレッタ」
「ん?」
「嬉しいな。みんな来てくれた」
僕の隣に立つジレッタの顔を見る。
彼女は今まで見た中で、一番優しい表情を浮かべながら、僕を見つめ返していた。
□ □ □ □
突然の来訪にボローラさんは驚いていたが、喜んで受け入れてくれた。彼のこの懐の広さは尊敬したい。思えばライバル店である竜牙工房の店主を助けたのも彼だった。
僕が旅立つということで開かれた送別会だが、僕以上に盛り上がっている人が多かった。
まず、ボローラさんとヴァンダーさんが意気投合した。僕の話題から鍛冶の話題、最近の流行りとのべつ幕なしに話が進んでいく。酒も進んでいく。
「侘助は世界一の鍛冶師になるぞ!」
「あぁ、何せ俺たちが育てたんだから!」
あっちの世界でも見た『〇〇はワシが育てた』状態だった。しかし2人の師匠から学んだ技術は確かに僕の根底にあった。
ナーシェさんとヒルダさんも一瞬で仲良くなっていた。やはり同じ女性だからかと思ったが、内容が少しばかり職業的だった。
「侘助に打ってもらった剣だが、少々無骨でな」
「あー、まだ意匠細工を教えてなかった頃のですね。私がやりましょうか?」
「頼めるか? 最近流行りの鳥のやつを……」
学んだ技術はあっても、活かしきれなければ意味がない。今の僕なら金槌一つでどんな模様も打ち込める。が、此処でそれをやるのは無粋だろう。やれるからやればいいという訳でもないのが難しい世界だ。
「ふぅ……」
「飲まないのなら寄越せ」
「あっ」
空いたジョッキに酒が注がれるのでゆっくりと飲んでいたらジレッタに奪われた。
何処へ持っていくのかと見ていると、兄弟子達と乾杯をしていた。あれで結構皆からの評判は良かったしな。魔法も便利だったし、別れるのが惜しいのだろう。
楽しそうな声が響く中、僕は酒もなく、ただテーブルのお誕生日席に座らされたまま、ボーっとその光景を眺めていた。
良い眺めだった。本当に。皆が集まってくれて、盛り上がって、親交が増えて……僕起点にそれが発生しているのが誇らしかった。
「大事にしたいな……ん?」
この関係は離れても壊れることはない。大事にしよう。
そう1人決心していると誰かにズボンの裾を引っ張られる感覚があった。何だろうと思ってテーブルの下を覗き込むと、なんと其処にはニャルが隠れていた。
「ニャル!」
「あっ」
思わず大きな声を出してしまったことで会場の喧騒がピタリと止まってしまった。全員の視線が僕へと向けられている。その視線は僕の視線をなぞり、テーブルの下へと向かう。
全員がニャルを見つけてしまった。
「侘助、その子は誰なんだ?」
最初に宗人が僕の元へと戻ってきた。此奴、一瞬で女の子だと見破って声掛けてきたな……。
僕は何とか誤魔化そうとするが、その前にヒルダさんがニャルを見て台の上に置いていた剣へと手を伸ばしてしまった。
「貴様、フェイスレスだな?」
ヒルダさんの言葉にどよめきが起こる。それぞれが手元にあった食器や何かしらを手に取って応戦しようとしている。どうして皆そんなに血の気が多いんだ!
「此方で得ている僅かな情報と照らし合わせた結果の判断だ。必ず黒いローブを身に着け、小柄で銀の髪と耳。だが、違うならそう言ってくれ」
「はぁ……そうですよ。私が【無貌】です」
ニャルはテーブル下から現れて、身に着けている『虚影のマント』の内側から無貌の黒面『無影の仮面』を取り出し、顔に当てた。独りでに動いた革ベルトがガッチリとニャルの頭を抱え込んで面が固定される。
ヒルダさんがナーシェさんを庇いながら身を低くする。
宗人が手の中に木の芽を浮かべる。
親方達が金槌を手に持つ。
ニャルが太い尾を持ち上げて爪を伸ばした。
「全員止まれ! 頼むから!」
そして僕の声に、全員がピタリと動きを止めた。
全員が僕の次の声を待った。
鋭い視線が一気に集まり、思わず僕は喉が鳴り、上擦った声で、言った。
言ってしまった。
「この子は、僕の子です!!!!!」
沈黙が続く。
誰か、助けてくれ……。