ジレッタに市中を引きずり回されている。

「次はあれだ」「これにしよう」「あとこれも」「それもいいな」「よし次だ」

 これの連続であっという間に太陽が頭の上を通過して現在は昼と夕方の間。薄絹のような雲の向こうの太陽は白くぼやけている。
 僕はそれをベンチの背もたれに体を預けた状態でぼんやりと眺めていた。

「朝の元気はどうしたんだ?」

 後ろから声を掛けられる。振り向くと食材が詰まった紙袋を抱えたジレッタが少しの呆れを表情に滲ませながら僕を見ていた。

「これだけあっちこっち行かされたら流石に疲れるわ……」
「駄目だぞ侘助。女とデートして行かされたとか疲れたとか言ったら」
「これデートなんだ……」

 旅の準備だったはずだがデートだったらしい。初耳である。

「そういうシミュレーションだ」
「お前と妄想デートしてもな」

 なんというか、僕の中でジレッタはそういう枠を飛び越えた存在だと思っている。相棒とか契約者とか、甘い関係ではないのだ。
 だからと言ってそれが殺伐としたものではなくて、酸いも甘いも通り越した強い絆のようなもので結ばれた関係という認識だ。
 それはジレッタも思ってくれているようで、僕のぼやきに関して何も文句は言わない。ただちょっと拗ねた顔で隣に座るだけだ。

「鐵の墓に行った頃は雪が積もっていたのに、もう暖かくなってきたね」
「早いもんだよな……」

 ボーっと2人して空を見上げ、何処からともなくやってきた雲を見送っていく。

「ちょっと休憩」
「ん」

 ジレッタの休憩宣言を受け、僕は安心してよりだらしないフォームで座るのだった。
 ふと足元に置いてあった紙袋の中身が気になった僕は背もたれから起き上がり、背を丸めて紙袋の中を覗いた。
 中には布類が多く見える。最初に寄った服屋さんの買い物袋だ。旅に出るということで旅装を見繕ってもらったんだよな。
 ジレッタの分も多少はあるが大半は僕の服だ。何せこっちに来てから支給された服と仕事着、それと肌着がいくつか買っただけだ。
 しかしこっちの世界の服は意外にも出来の良いのが多かった。多少なりとも日本の技術が入っているんだろうな。これだけ多くの……という程多くはないが、日本人が来てるんだし技術面での革新もかなりあっただろう。
 思えば城の大浴場は素晴らしかった。ああいった技術が文化を変えていくのは良い面もあるし悪い面もあるだろうけれど、できれば良い方向に広げたいもんだ。

 話が逸れたが僕が買ったのは何着かの衣服と肌着、それと靴なんかも買った。
 中でも気になっているのがマントだ。マントなんて子供の頃にバスタオルを巻いたくらいだが、こっちではこれが必需品というのだから何だか気恥ずかしい。良い年したおっさんのマント姿なんて出来の悪いコスプレもいいところだ。

 他にもベルトや細々としたポーチなんかも多い。一番の収穫は剣帯だ。普段から左手で直接持っていた緋心ではあるが、今後は腰に佩くことになる。
 今までずっと持っていたのはこの長い獲物を体にぶら下げながら行動するということに慣れなかったからだ。いざとなれば手放せばいいし、手にしているということにも安心感があった。
 最初に城で剣をぶら下げられた時はむずむずしたが、これからはそれに慣れなくてはいけない。いざ何かあった時に両手が塞がっているというのは危険極まりない。

「広げるなら帰ってからにしろ」
「気になっちゃってさ~。うわ、これ格好良いな」
「古臭いが中古で良いのがあったんだ」
「ヴィンテージって言うんだよ。分かってんねぇ」

 取り上げたポーチは擦れてはいるが縫い目等はしっかり補修されていて、それがまた味となっていて非常に良い。気に入りました!

「他は何買ったんだ?」
「服ばっかりだよ。着替えは必要だし、そも侘助は服がない」
「それはそうだ。でもこんなに買ってどうするんだ? 持って歩けってか?」
「其処は心配ない」

 ポンポン、と革ベルトに緊縛された本の表紙を叩くジレッタ。なるほど、本の中にあるというジレッタの城の倉庫に入れて持ち運ぶ訳か。

「理解した。けどそんないちいち本開いてるのも変だし、怪しまれて奪われかねない。手荷物用の鞄くらい買おうぜ」
「盲点だったな。買い足すとしよう」

 夜行バスとか飛行機に乗る時はそういうの必要だしね。僕が出来る文化改革はこの程度だ。


             □   □   □   □


 追加の鞄とかを買って太陽がオレンジ色に変わってもうすぐ沈むという頃、僕たちは食事を薄い鉄製の箱に詰めて家へと帰ってきた。
 言わずもがな【術式:鉄魔法】製の箱だ。中身は朝寄ったカフェのメニューをいくつか入れてもらっている。僕とジレッタの夕食と、ニャルへのお土産だ。
 ドアを開くと玄関から中が見える。ニャルはベッドに腰を掛けて窓の外を眺めていた。

「ただいまー」
「おかえりなさい」

 返事をするも、視線は窓の外。何がそんなに気になるのか。その窓から見えるのはこのアパートの裏手を流れる川くらいだ。
 靴を脱いで中へと入り、テーブルの上にお土産のお弁当を置く。聞き慣れない金属音にニャルの耳がピクリと反応する。常在戦場、なんて言葉が頭の中に浮かんだ。
 いつだって危険に身を曝していた彼女は何があっても対応できるような状態でい続けたのだろうなと思う。
 そんなニャルにこの提案をするのが正解なのか不正解なのか、分からなかった。

「なぁニャル」
「どうしました?」
「僕ら、もう少ししたら旅に出ようと思う」
「そうですか。無料の宿がなくなるのは厳しいですね」

 人んちを何だと思ってるんだ。いやそうじゃなくて。
 振り返ってジレッタに最終確認をする。目と目が合い、彼女は静かに頷き、僕も頷き返した。

「良かったら一緒に行かないか?」
「えっ?」

 窓の外を見ていた顔がパッと振り返った。いつも無表情だったニャルの顔が驚き一色になっていて、何だかちゃんと人間なんだなって思ってしまった。

「旅の目的は何なんですか?」
「ん? まぁ、世界を見てみたいなってのと……」
「と?」
「私の復讐と、侘助を異世界に返す方法を探す旅だ」

 後ろのジレッタが僕の代わりに答えた。そう。これは行楽じゃない。でも言葉の重みに、逃げるように別の付加価値的な内容を口にしてしまった。
 復讐……復讐か。そうだな。復讐なのだ。ジレッタにとっては。そして僕は途方もない旅に出ようとしている。
 その旅にニャルを巻き込もうとしているのだ。簡単に誘っているつもりはないけれど、それでも頼りたくなる程にニャルのことは信頼していた。

「まずは詳しく教えてください」
「そうだな。食べながら話そう」

 テーブルの上のお弁当の蓋を開くとふわりと良い香りが解き放たれる。顔だけ此方に向けていたニャルも流石に体ごと向き直った。

 その後、旨い料理にコロコロと表情を変えるニャルへこれまでの出来事を話した。
 僕のこと。ジレッタのこと。封印のこと。知ったこと。知らないこと。全部話した。
 静かに聞いていたニャルだが、全部聞き終えてから、ポツリと話してくれたそれは、この旅に多大な影響を与える一言だった。

「魔王サイソンの話なら少し心当たりがあります」
「なんだって!? 何でもいい、教えてくれ!」

 思わず大きい声も出てしまう。菖蒲さんですら殆ど情報を得られなかった魔王の話だ。これが冷静でいられるか。
 静かに口を拭いたニャルがジレッタを見て、僕を見て、真剣な顔で言った。

「魔王の遺産という物をご存じですか?」