「おはようございまーす!」
「おはよう。なんだ、今日は元気だな?」

 なんて兄弟子に言われながら始まった徹夜明けの仕事。
 高いテンションとバッキバキの目。何かの分泌物が脳の奥からドバドバ出ている状態で鉄を打つ。

「お疲れ様です……」
「お、お疲れ……大丈夫か?」

 そんなものは長続きするはずもなく……。
 高いテンションが続いたのはせいぜい1時間ほどで、バッキバキだった目も今は瞼が落ちてくるのを必死で耐えている状態だ。脳の奥からドバドバ出てきていた何某かの汁も、今は水滴も落ちない。カラッカラの砂漠状態だ。
 耐えられたのは今日頑張ったら休みという事実があったからだ。これがなかったら僕は途中で舌を噛み切って目を覚ますしかなかった。

 心配する兄弟子たちの声を背に職場を後にした僕は這う這うの体で何とか我が家であるリバーサイド芦原208号室へと帰還したのだ。

「あ、おかえりなさい」
「……ただいま」

 そして其処には当然のようにニャルが床に腰を下ろし、ベッドに背を預けて本か何かを読んでいた。
 久しぶりに発した「いってきます」と「ただいま」の感慨深さにも気付けず、意識が朦朧としていた僕はニャルの頭を掴んでガシガシと撫で、そのままベッドに倒れ込んで遥か彼方、次元すら越えた先にある夢の世界へと旅立った。


             □   □   □   □


 最高の朝だ!!!!
 まるで8年は寝たかのような爽快感!!!
 なんで隣にニャルまで寝てるのかは分からないけれど、気にならないくらいに清々しい!!!
 やはり睡眠は大事。何よりも必要。人間、寝ないと壊れちゃうんだなって改めて気付いた。
 皆、寝よう。誰よりも早く、誰よりも多く。早寝早起き最高! 三文の徳!

「元気そうだな、侘助」
「おはようジレッタ! めちゃくちゃ元気!」
「元気なのはいいことだが、隣のそれ、早くどうにかした方がいいぞ」

 隣のそれとは言わずもがな、ニャルのことだ。何で隣に寝てるのか全然分からない。別に【無貌】としての面が割れている訳でも【千変】として追われている訳でもなかろうに。宿に泊まればいいじゃないか。

「お金ないのかな。あ、義賊だからお金は全部スラムにばら撒くとかやってるのかな?」
「いや、侘助が頭を撫でたから懐いたんだよ」
「は?」

 確かに寝落ちする前に撫でた……ような記憶がある。しかしそんなことで? いや、そういうものなのかもしれない。
 僕はこの世界に疎い。歴史を学び、法律を学び、暮らしてはいるが知らないことがあまりにも多い。
 だからもしかしたら、そういう行為自体が獣人種の、ワーキャットの心を射止めるような行いだった可能性は大いにある。

「まぁ、あんな山場を一緒に乗り越えた訳だし、終わったらはいさようならってのは情がないよな」
「私もそう思ってたところだ。侘助、前に旅に出るかもしれないなんて話をしていたが、ニャルも一緒にというのはどうだ?」

 日本に帰る手段と、菖蒲さんが言っていた海外旅行。これをやるにはこの王都から出る必要がある。
 外の世界は危険だ。昨日みたいな山賊はたくさんいるだろうし、傭兵だって危険がない訳でもない。しかも僕みたいな奴は素性が知れたら引く手数多だろう。自分で言うのもおかしな話だが。

「怪盗としての知恵。ワーキャットとしての力。そして私たちにはない王都外の知識。これを逃すのは痛手だよ」
「そうだな。うん、旅に出るとするか」

 こういうのは腰が軽い方がいい。そして決めたらさっさと準備をする。今日は定休日なのだ。存分に使わせてもらおう。
 早速お出掛けする為に服を着替えているとベッドの中で丸くなっていたニャルが目を覚ましたのか、のっそりと上体を起こした。変な憶測をされると困るので言っておくが、ちゃんと上下ともに服は着用している。ニャルがね。

 僕? 僕は今パン一である。

「おはようございます……」
「おはよう、ニャル」
「何でパン一……」

 半分閉じたような目で僕を見て、パタンと枕に頭が落ちる。一瞬、ショックで気絶したのかと思ったが目はジッと僕を見たままだ。朝が弱いだけかな?

「いや、旅の準備をする為のお出掛けの準備をしてるんだよ。ジレッタは本の中で準備してる」
「本……そういえば昨夜少し聞きました……」

 まだポヤポヤした顔のニャルは何かを考えているような顔をしながら、やがて寝息を立て始めた。
 怪盗として大変な日々を過ごしてるから、久しぶりにゆっくり眠れてるとか、そんなんかな……なんて中二心を擽られるような妄想をしていると、サイドテーブルで広げっぱなしの本からジレッタが飛び出してきた。

「ん? ニャルと話してなかったか?」
「さっきまでね。また寝ちゃった」

 腕を組んでニャルを見下ろしながらふむ、と何かを納得するジレッタ。
 今日のジレッタは三つ編みにロングスカートという町娘風だ。しかし隠し切れない貴賓さが滲み出ている。

「なら留守番だな」
「残念だな。その赤いロングスカート、自慢したかった」
「何でお前が私の服を自慢するんだ……」

 そりゃ相方としての責務だからだ。相方が素敵な格好をしてたら、見せびらかしたくなるというものである。

「まぁいい。此処でごちゃごちゃ話して起こすのも悪いし、書き置きだけして出掛けるとしよう」
「だな」

 僕は机の上のノートに、夕方頃には帰る。夕飯は一緒に食べようと書き置いて部屋を後にした。