夜更けの森に響く音は風が鳴らす葉擦れの音と撓る幹の悲鳴だけだった。
其処へ追加される落ち葉や枝を踏み抜く音。しかしそれも最小限にとどめ、滑るように僕たちは森の中を駆け抜けた。
正面を走る銀虎は僅かな月の光を浴びてチラチラとその銀毛を光らせる。その大きく、小さな美しさに見とれながら、それでも警戒は緩めず、ついに僕たちは麓にあるという山賊が根城にしている洞窟の正面まで到着した。
「私が行ってもいいですけど、どうしますか?」
「此処は僕が」
正面にはぽっかりと口を広げた洞窟の入口が見えている。その洞窟の左右には無精ひげを生やした男が2人。暇そうに、眠そうに警戒を続けていた。
チリ、と指先が熱を持つ。普通はきっとそんなことはないと思うのだが、ジレッタの権能を行使し続けた所為か、元からそういう体質だったのか、僕は魔力を集めた部分が熱を持つことが多い。
全身に魔力を巡らせる身体強化をした時は一番わかりやすいだろう。
いや、そんなことは関係なくて。
「今回ばかりは……っ」
こればっかりはジレッタの所為だが、指を鳴らさずには魔法を使えない体になってしまっていた。
だけど今回はそれをやるとマジで全部無意味になる。発動を意識して、指は鳴らさずに……!
「おぉ、出来てるじゃないか」
ジレッタの声に、自然と集中する為に瞑っていた瞼を上げると、キラキラとした粒子が地面を滑るように走っていくのが見えた。
粒子は弧を描くように迂回し、山側から……つまり男たちの背中側から這い寄るように動かした粒子が男たちの首をぐるりと一周した。
「う、うぅ……駄目だ、無理」
どう意識しても鉄に変換出来なかった。もうこれだけやれば詰みだろうと確信した僕は指を鳴らし、魔力を鉄へと変換した。
「!?」
「ぐ、が……ッ!」
いきなり首を絞められ、声も出せず、しかも地面に固定された鉄の所為で身動きも出来ず、見張り達は数分後、呻き声も出さなくなった。
「やるじゃないか。今度はモーション無しで出来るといいね?」
「もうこればっかりはしょうがないよ。魔力の行使まではできるようになったけど」
実際、指パッチンでやる方が最速で魔力の行使と変換が可能だからやった方が早い。というか、それが術式の発動キーになっているまである。
「難しいんだよな……」
順序立てて考えれば魔力の行使の次に変換作業が入るので魔法使いは本当に凄い。
僕がしているのは【鉄魔法】ではなく【術式:鉄魔法】だ。先程やった魔力行使までは自身の技量だが変換は【術式】による力だ。
つまり、本来なら組み立てた術式に従って両方を同時に行っているが今回は魔力流動と鉄変換を別々に行ったということだ。
変幻自在の鉄魔法。それが最も恐ろしいのは流動する魔力がいつ鉄へと変化するか分からないところにあると思っている。
しかも魔力の流れは本人の意志次第だ。決められた道も、形もない。普通の人間ならまず勝てないだろう。
実際、ベルハイムの力は正に向かうところ敵なしだった。彼が亡くなった理由が寿命というのが答えだ。
魔力の流れも変換も全て魔術式として組み立てられている【術式:鉄魔法】じゃあいつまで経ってもベルハイムのようなことはできないだろう。
今は流れも形も術式頼りだけど、今日のような使い方を極めていけば……そして其処へ【鍛冶一如】も加えれば、きっともっと凄いことが出来るんじゃないかと、僕はそう思っている。
「おい、いつまで1人反省会してるんだ?」
「ご、ごめん。次はどうする?」
ジレッタの呼び掛けに我に返った僕は慌てて2人に次の作戦を尋ねる。
僕の問いにニャルが人差し指を洞窟へと向けた。
「これから中に入って眠っている賊を一人一人手分けして始末していきます。できれば首を。喉を切れば悲鳴も出ません」
「わ、分かった……」
今更ながら、相手が人間であることを思い出してきた。さっきまではバレないように慎重に、って方向へ気を遣っていたからその事実を頭の片隅に追いやれたけど……これからは違う。
一人ずつ、緋心で始末するのだ。そう思うと指先が冷たくなるのを感じた。
□ □ □ □
門番役をしていた男の間を通り抜け、入った洞窟はヒンヤリとした空気が籠っていた。
入口から中へ流れる空気も、奥から出口へ流れる空気もない。この先が行き止まりである証拠だった。
足元の状態は悪くない。何度も出入りがあったからか、天然のものか、それとも整備したのか、凹凸もなく歩きやすい。
何度か曲がり角はあったが極々短い距離を歩いたところで拓けた空間へと出た。
其処はいくつかの木組みの棚やベッドまで置かれて立派な居住空間になっていた。そして多くの山賊が寝転がっている。ベッドが足りない分は床にまで寝ている。
ざっと見て30はいそうだった。あの20本の剣は足りない分、ということだろうか。 それとも犯罪行為が成功した褒美?
どちらにしても、回収する他ない。何方かと言えばそっちがメインだ。もう手を汚していて虫のいい話だが、できれば手は汚したくない。
だがふと考えが浮かぶ。昔、生意気な新入社員と話した内容だ。其奴は口が達者なだけですぐ辞めていったからあまり顔は覚えてないが、言われた言葉だけは覚えていた。
『三千院さん、価値観はアップデートしていかないと(笑)』
確かにこう言われた。年を取ることで自分の価値観や観念が固定化されていくことが時代に取り残される大きな原因になる、というのが彼の意見だった。
別にそんなに年が離れてる訳ではないしな、なんて適当に返事していたが、今になって思い出す。
世界が違えば、価値観も違うということ。
なるほど、アップデートも必要な訳だ。そしてその逆の価値観を下げるということも必要になってくる。
要は周りに合わせるというだけの話だ。でもその中に必ず自分の考えは必要な訳で……これがなかなか難しい。
人の命が重い世界。人の命が軽い世界。
ただこの違いだけでどれだけ頭を悩ませていることか……。
「沢山言い訳しても、きついよなぁ……」
「無理しなくていいよ」
「何だよ、僕が何を考えてるのか分かるのか?」
僕のぼやきを聞いた最後尾のジレッタに振り返る。また適当言ってんだろうなと思ったが、その目は真剣そのものだった。
「分かるよ。侘助はそういう世界で生まれてないから」
「……ありがとう。でもこれは僕がやらなきゃいけないことだから」
「侘助はあの工房を助けただけ。この事態は何があったも起きたことだよ。侘助が背負うことじゃない」
確かにそうかもしれない。僕がやらなくても誰かがやったことだと思う。
悪事を働いたのだ。いつかその報いがあるはずだ。
なら、人を手に掛けた僕にも、いつか……?
「私も背負う」
「え?」
「私は侘助と契約してるから、一緒に背負える。楽しいことも、悲しいことも、面白いことも辛いことも。全部半分ずつだよ」
まるで結婚式の神父みたいなことを言ってる。これじゃあ、け、結婚するみたいじゃないか……。
別に日本に婚約者や彼女が居た訳ではないが、こうも真正面から言われると流石に挙動不審にもなってしまう。
「おめでとうございます」
「いやニャル、違うぞ。違うからな」
「それはジレッタさんに失礼なのでは?」
「おい、結ばせようとするな」
「侘助、どうなんだ?」
先頭を歩くニャルを問い詰めようとすると背後からジレッタの追撃が僕を襲った。
「ど、どうとは?」
「背負わせてくれる?」
「う……あー……せ、背負ってくれると、有難い……かな」
「そう。じゃあ半分ずつね」
「やっぱりおめでとうございますじゃないですか」
「お前なぁ……!」
人の気持ちを何だと思ってんだこの銀トラは!
「シッ。あまり大きい声を出したら気付かれます」
「~~~~~ッ!!」
「それでは入口から奥へ順に手分けして始末していきましょう」
何なん此奴! 腹立つ!
ニャルのやりたい放題っぷりに憤慨していたが、2人が武器を取り出すのを見てスーッと頭の中に冷風が吹き込んできた。
そうだ。ふざけてはいるが、此処から先はふざけられない。
左手に握る緋心の鞘。その中の刃を突き立てなければならない。
しかし気持ちは先程よりは軽かった。かと言って覚悟が軽くなった訳ではない。
彼らも生きる為にしていること。そして僕たちも生きる為にするのだ。
右手で掴んだ柄は重く、その重圧が肩に伸し掛かる。
それでも僕はこれを選んだのだ。ジレッタと半分こすることを条件に。
「すぅ……はぁ……」
深呼吸し、集中する。さぁ、自分の責任を果たすとしよう。
其処へ追加される落ち葉や枝を踏み抜く音。しかしそれも最小限にとどめ、滑るように僕たちは森の中を駆け抜けた。
正面を走る銀虎は僅かな月の光を浴びてチラチラとその銀毛を光らせる。その大きく、小さな美しさに見とれながら、それでも警戒は緩めず、ついに僕たちは麓にあるという山賊が根城にしている洞窟の正面まで到着した。
「私が行ってもいいですけど、どうしますか?」
「此処は僕が」
正面にはぽっかりと口を広げた洞窟の入口が見えている。その洞窟の左右には無精ひげを生やした男が2人。暇そうに、眠そうに警戒を続けていた。
チリ、と指先が熱を持つ。普通はきっとそんなことはないと思うのだが、ジレッタの権能を行使し続けた所為か、元からそういう体質だったのか、僕は魔力を集めた部分が熱を持つことが多い。
全身に魔力を巡らせる身体強化をした時は一番わかりやすいだろう。
いや、そんなことは関係なくて。
「今回ばかりは……っ」
こればっかりはジレッタの所為だが、指を鳴らさずには魔法を使えない体になってしまっていた。
だけど今回はそれをやるとマジで全部無意味になる。発動を意識して、指は鳴らさずに……!
「おぉ、出来てるじゃないか」
ジレッタの声に、自然と集中する為に瞑っていた瞼を上げると、キラキラとした粒子が地面を滑るように走っていくのが見えた。
粒子は弧を描くように迂回し、山側から……つまり男たちの背中側から這い寄るように動かした粒子が男たちの首をぐるりと一周した。
「う、うぅ……駄目だ、無理」
どう意識しても鉄に変換出来なかった。もうこれだけやれば詰みだろうと確信した僕は指を鳴らし、魔力を鉄へと変換した。
「!?」
「ぐ、が……ッ!」
いきなり首を絞められ、声も出せず、しかも地面に固定された鉄の所為で身動きも出来ず、見張り達は数分後、呻き声も出さなくなった。
「やるじゃないか。今度はモーション無しで出来るといいね?」
「もうこればっかりはしょうがないよ。魔力の行使まではできるようになったけど」
実際、指パッチンでやる方が最速で魔力の行使と変換が可能だからやった方が早い。というか、それが術式の発動キーになっているまである。
「難しいんだよな……」
順序立てて考えれば魔力の行使の次に変換作業が入るので魔法使いは本当に凄い。
僕がしているのは【鉄魔法】ではなく【術式:鉄魔法】だ。先程やった魔力行使までは自身の技量だが変換は【術式】による力だ。
つまり、本来なら組み立てた術式に従って両方を同時に行っているが今回は魔力流動と鉄変換を別々に行ったということだ。
変幻自在の鉄魔法。それが最も恐ろしいのは流動する魔力がいつ鉄へと変化するか分からないところにあると思っている。
しかも魔力の流れは本人の意志次第だ。決められた道も、形もない。普通の人間ならまず勝てないだろう。
実際、ベルハイムの力は正に向かうところ敵なしだった。彼が亡くなった理由が寿命というのが答えだ。
魔力の流れも変換も全て魔術式として組み立てられている【術式:鉄魔法】じゃあいつまで経ってもベルハイムのようなことはできないだろう。
今は流れも形も術式頼りだけど、今日のような使い方を極めていけば……そして其処へ【鍛冶一如】も加えれば、きっともっと凄いことが出来るんじゃないかと、僕はそう思っている。
「おい、いつまで1人反省会してるんだ?」
「ご、ごめん。次はどうする?」
ジレッタの呼び掛けに我に返った僕は慌てて2人に次の作戦を尋ねる。
僕の問いにニャルが人差し指を洞窟へと向けた。
「これから中に入って眠っている賊を一人一人手分けして始末していきます。できれば首を。喉を切れば悲鳴も出ません」
「わ、分かった……」
今更ながら、相手が人間であることを思い出してきた。さっきまではバレないように慎重に、って方向へ気を遣っていたからその事実を頭の片隅に追いやれたけど……これからは違う。
一人ずつ、緋心で始末するのだ。そう思うと指先が冷たくなるのを感じた。
□ □ □ □
門番役をしていた男の間を通り抜け、入った洞窟はヒンヤリとした空気が籠っていた。
入口から中へ流れる空気も、奥から出口へ流れる空気もない。この先が行き止まりである証拠だった。
足元の状態は悪くない。何度も出入りがあったからか、天然のものか、それとも整備したのか、凹凸もなく歩きやすい。
何度か曲がり角はあったが極々短い距離を歩いたところで拓けた空間へと出た。
其処はいくつかの木組みの棚やベッドまで置かれて立派な居住空間になっていた。そして多くの山賊が寝転がっている。ベッドが足りない分は床にまで寝ている。
ざっと見て30はいそうだった。あの20本の剣は足りない分、ということだろうか。 それとも犯罪行為が成功した褒美?
どちらにしても、回収する他ない。何方かと言えばそっちがメインだ。もう手を汚していて虫のいい話だが、できれば手は汚したくない。
だがふと考えが浮かぶ。昔、生意気な新入社員と話した内容だ。其奴は口が達者なだけですぐ辞めていったからあまり顔は覚えてないが、言われた言葉だけは覚えていた。
『三千院さん、価値観はアップデートしていかないと(笑)』
確かにこう言われた。年を取ることで自分の価値観や観念が固定化されていくことが時代に取り残される大きな原因になる、というのが彼の意見だった。
別にそんなに年が離れてる訳ではないしな、なんて適当に返事していたが、今になって思い出す。
世界が違えば、価値観も違うということ。
なるほど、アップデートも必要な訳だ。そしてその逆の価値観を下げるということも必要になってくる。
要は周りに合わせるというだけの話だ。でもその中に必ず自分の考えは必要な訳で……これがなかなか難しい。
人の命が重い世界。人の命が軽い世界。
ただこの違いだけでどれだけ頭を悩ませていることか……。
「沢山言い訳しても、きついよなぁ……」
「無理しなくていいよ」
「何だよ、僕が何を考えてるのか分かるのか?」
僕のぼやきを聞いた最後尾のジレッタに振り返る。また適当言ってんだろうなと思ったが、その目は真剣そのものだった。
「分かるよ。侘助はそういう世界で生まれてないから」
「……ありがとう。でもこれは僕がやらなきゃいけないことだから」
「侘助はあの工房を助けただけ。この事態は何があったも起きたことだよ。侘助が背負うことじゃない」
確かにそうかもしれない。僕がやらなくても誰かがやったことだと思う。
悪事を働いたのだ。いつかその報いがあるはずだ。
なら、人を手に掛けた僕にも、いつか……?
「私も背負う」
「え?」
「私は侘助と契約してるから、一緒に背負える。楽しいことも、悲しいことも、面白いことも辛いことも。全部半分ずつだよ」
まるで結婚式の神父みたいなことを言ってる。これじゃあ、け、結婚するみたいじゃないか……。
別に日本に婚約者や彼女が居た訳ではないが、こうも真正面から言われると流石に挙動不審にもなってしまう。
「おめでとうございます」
「いやニャル、違うぞ。違うからな」
「それはジレッタさんに失礼なのでは?」
「おい、結ばせようとするな」
「侘助、どうなんだ?」
先頭を歩くニャルを問い詰めようとすると背後からジレッタの追撃が僕を襲った。
「ど、どうとは?」
「背負わせてくれる?」
「う……あー……せ、背負ってくれると、有難い……かな」
「そう。じゃあ半分ずつね」
「やっぱりおめでとうございますじゃないですか」
「お前なぁ……!」
人の気持ちを何だと思ってんだこの銀トラは!
「シッ。あまり大きい声を出したら気付かれます」
「~~~~~ッ!!」
「それでは入口から奥へ順に手分けして始末していきましょう」
何なん此奴! 腹立つ!
ニャルのやりたい放題っぷりに憤慨していたが、2人が武器を取り出すのを見てスーッと頭の中に冷風が吹き込んできた。
そうだ。ふざけてはいるが、此処から先はふざけられない。
左手に握る緋心の鞘。その中の刃を突き立てなければならない。
しかし気持ちは先程よりは軽かった。かと言って覚悟が軽くなった訳ではない。
彼らも生きる為にしていること。そして僕たちも生きる為にするのだ。
右手で掴んだ柄は重く、その重圧が肩に伸し掛かる。
それでも僕はこれを選んだのだ。ジレッタと半分こすることを条件に。
「すぅ……はぁ……」
深呼吸し、集中する。さぁ、自分の責任を果たすとしよう。