巷で流れる怪盗【無貌(フェイスレス)】の噂。それは色んな所で発生していた。

 曰く、大きな貴族の屋敷に潜入してお宝をゴッソリ奪った。
 曰く、山奥を根城にしている盗賊団の武器や略奪品を洗い浚い奪った。
 曰く、商家の家にある秘密の帳簿を奪い、世間に闇取引きを公表した。

 話だけ聞けば義賊(・・)のようにも聞こえてくる。ということは盗賊団は別として、貴族や商家に黒い噂があったのかもしれない。
 しかしそれも今となっては確認ができない。何故ならば、どちらも没落してしまったからである。

「ブラトー、いるか?」

 【竜牙工房】に入った親方が挨拶も無しに工房内に呼び掛ける。気難しい職人相手とはいえ、この対応ができるのは同じ職人だからだろう。
 更に言えば向かい同士ということもあって関係値もある。良くも悪くも競い合う相手だし。
 しかし工房内はシンとして静まり返っていた。鉄を打つ音一つ聞こえない。思わず僕と親方とジレッタと、3人で顔を見合わせてしまったくらい、静かだった。

「……まさかもう傭兵団が来てて、キレて全員殺したとか?」
「だったら大騒ぎになってるはずだろ」
「それもそうか……親方、どうします?」
「どちらにしても、確認するしかないだろう。行こう」

 お手伝いに来た訳だし、武器はない。まぁ、僕には奥の手である『術式:鉄魔法』がある。
 鐵の墓から戻った後、ずっと練習してるからある程度は使えるようになってるし、いざとなればジレッタがどうにかしてくれるだろう。

 親方を先頭に、工房の奥へと進む。造りはうちの工房と似たようなものだ。職場があって、奥に母屋がある。特別な事情がなければ大体は工房主の家だ。
 工房と母屋を繋ぐ短い木製の廊下を渡り、扉を叩く。
 暫くして、ガチャリと閂の抜ける音がしてゆっくりと扉が開いた。顔を覗かせたのは酷い顔をした白髭の男だ。

「よう、ブラトー。飲んでたのか?」
「あぁ……これが最後の酒になるからな。入れよ」

 クイ、と頭を部屋の奥へ向けて迎え入れてくれるブラトーさん。お邪魔しますと一言添えて、僕とジレッタも親方の後に続いて入れてもらった。

 入った先は台所だ。大きなテーブルがあったが、その上には空の酒瓶が所狭しと並んでいた。
 ザッと20本は空いている。どんだけ飲んだんだこの人……普通ならぶっ倒れててもおかしくない。

「聞いたぞ。出たらしいな」
「あぁ……忌々しい怪盗様な。お蔭様で俺の命も今日で最後だ」
「今からじゃ間に合わんか」
「弟子達も帰らせた。居てもしゃーねぇし、俺の首一つであいつらが助かるかもしれないしな」

 改めてこの世界の命のやり取りの雑さを感じる。
 用意をお願いした物が間に合いませんでした。では殺します。
 こんな馬鹿な話があってたまるかと、憤りすら湧いてくる。日本なら殺されない。必死に頭を下げて、どうにかこうにか許してもらって、それでも駄目なら責任を取って職を失う。
 あぁ……だけどそうか。クビを切る、という言葉だけならどちらも一緒だ。

 ただ、此方側は物理的に、だが。

「まぁでも、そうだな。ただの暴飲で済んで良かった」
「ぁあ? 其奴はどういう意味だ?」
「此奴なら、依頼品を今すぐにでも用意できる」

 親方が僕の肩を叩き、其処で初めてブラトーさんと目が合った。
 だが興味がないと言わんばかりにフッと目を逸らされる。

「何だ、此奴は。お前んとこの弟子か?」
「まぁな。一番若い弟子だ」
「ハッ、腕もヒョロッヒョロで、しかも女連れで、こんな奴が何の役に立つってんだ」

 酷い言い様だ。しかし、正論だった。

「此奴は侘助。渡界者(エクステンダー)だ」
「エクステンダー!? ならスキル持ちか!?」

 僕の素性が分かった途端に弾かれたように立ち上がるブラトーさん。
 その反動で数本の酒瓶がテーブルから転げ落ちて床の上で割れるが、気にするものは誰も居ない。
 ただその中に一つだけ割れていない物があった。お湯割りでもしたのか、鉄製のケトルが転がっている。
 それを拾い上げ、手の平に乗せる。するとケトルは燃え盛る炭の中に入れられたかのように赤く、白く、熱を上げていった。

「鍛冶系のスキル持ちなんだ」
「三千院侘助と申します。ブラトーさん、良かったら手伝わせてください」


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 其処からは早かった。何せいつ傭兵団がやってくるかも分からない。時間との勝負だった。
 まず、材料の調達からだ。傭兵団が希望していたのは魔銀(ミスリル)の刃を使用した剣を20本とのことだ。
 ブラトーさんはきっちり20本分のミスリルを用意した所為で予備がないと話していたので、これはジレッタの在庫から出させてもらうことになった。
 その分の補填は後日、何らかの形で行うことにして、早速僕たちは作業に取り掛かった。

「火は入れないのか?」
「最短最速の手順でやります。なので火はいりません」
「鍛冶師が火をいらないって……あ! さっきの能力か!」

 ブラトーさんの言葉に頷きで返し、金床の上にある鉄を持ち上げ、熱して柔らかくして必要分ずつ千切って小分けにしていく。
 同様にミスリルも熱して細かく分けていく。まるでパン生地を扱うようにしているが、これは数千度以上もする金属である。よいこは真似しないでください。
 そうして各20個ずつ分け終わったら芯となる鉄と刃となるミスリル1つずつを金床に乗せ、ハンマーで叩く。

「なんと……!」

 すると白銀の刃を持つ剣が完成する。効率良く進める為に研ぎの肯定も省略させてもらった。

「ジレッタ、次をくれ」
「あぁ」

 柄の中に埋まるタングの部分を掴み、新しい金属をポンポン、と置いてくれる。
 それを再びハンマーで叩く。すると先程と同じ剣がもう一振り出来上がった。出来上がった剣はジレッタがどんどん壁に立て掛けていく。
 数分間の作業だったが、あっという間に切り分けた金属たちは立派な剣へと変化していた。

「す、凄すぎる……」
「凄いだろう。うちの侘助は」

 親方たちの会話が歯痒いというか、気拙いというか。良い意味で居心地が悪い。良い意味でね!
 その後は用意できた剣に全員で柄を取り付けていった。柄は僕が練習で作っていた物だ。全部同じデザインだが、よく見るとそれぞれに上手い下手の差があって味がある出来になっている。

 こうして作業開始から大体30分程で全ての工程が完了。傭兵団へと納品する剣が全て完成した。

「ありがとう、ありがとう侘助さん! お蔭でこれからも鍛冶師としてやっていける!」
「あはは、そんな大袈裟な……」
「大袈裟なもんか! 殺されたっておかしくなかったんだから! くそっ、そう思うとあの【無貌(フェイスレス)】は敵討ちしてやりたいな……」

 怪盗フェイスレス。彼だか彼女だか知らないが、其奴の所為で困っている人が居る。実際に命の危機にまで瀕している者も多い。
 このまま野放しにしていい存在ではないが……残念ながら僕は衛兵ではなく鍛冶師だ。
 その辺りは担当職業の方に任せて、今日は帰るとしよう。



 暫くして向かいの工房に荷車を引いた3人の大柄な男が入っていくのが見えた。大丈夫かなとヒヤヒヤしながら見ていたが、無事に20本の剣を乗せて帰っていった。

「とりあえずは、大丈夫っぽいな」
「傭兵団の報復は逃れたね」
「”は“って何だよ」

 並んで窓から覗いていたジレッタに顔を向ける。
 此方を見返したジレッタが返した言葉は、僕の予想外の言葉だった。
 だが、それは予想しなければならない言葉だった。

「無貌と呼ばれた怪盗がどう動くか……暫くは警戒しておいた方がいいだろうね」