日もとっぷり暮れて空には星が散りばめられた夜更け。
星の下に広がる大きなひし形のような形の中州の下半分を占めるフラジャイル王国軍の陣地に今回のスタンピード鎮圧に参加した全員が集められた。
大なり小なり怪我をした者も多いが、歩ける程度の怪我人もちゃんと集められている。
集められた兵達の顔を見るが、ぱっと見ではそれがキングゴブリンかどうかは分からない。
食後だったり、見張りの交代で兜を外している状態の者も多い。だがやはり大規模な戦闘の後だったからか、反撃も予想してフル装備の者も多く居た。
作戦本部に居た上官達も集められ、何事かと不安そうにしていた。話を通してなかったから何も分からないのだろう。
だがやはり、他の兵士よりは比較的落ち着ているように見えた。
そんな彼等の前に立つのはヒルダさん。と僕とジレッタの3人だ。だからこそ、余計に事態がややこしくなっているのだ。
それに関しては申し訳ない気持ちはあるが、しょうがない。
「全員整列」
静かなヒルダさんの声に全員が姿勢を正した。その統率の取れた視界には、やはり異物はまだ見えない。
「兜を装着している者は全員外せ」
理由は告げず、命令だけが出される。いくら露出部分を減らそうが、顔を隠そうが、兜が外されては隠しようがない。
兜を装着している兵の皆が手早く外していく。手慣れた様子で皆が外していく。その一人一人を僕達が順番に確認していく。
――が、最後尾の1人だけが兜を外そうとしなかった。隣に立つ兵が訝しんだ様子で其奴を見ていた。
「其奴を取り押さえろ!」
ヒルダさんが兜を外さない兵士を指差す。
弾かれたように振り向いた兜の前の兵士が不審な兵士の腰に向かって突進気味にしがみ付いた。
それに一瞬よろけた兜兵士はしかし踏ん張り、しがみ付いた兵士を引き剥がそうと背中の鎧を掴む。
メキィ! という金属が折れるような音がして兵士が悲鳴を上げる。肉を挟んだか、ひしゃげた鎧に圧迫されたか。命が危ない。
明確な攻撃を仕掛けたことで反応が遅れた左右の2人が兜兵士を取り押さえようとするが、掴んだままの兵士を無理矢理振り回してそれを妨害する。
「片手で人間を振り回すような奴が人間であるはずがない! あれが紛れ込んだキングゴブリンだ!」
ヒルダさんの声に剣を抜く兵士達。最初にしがみ付いた兵士を引き剥がしたキングゴブリンは、邪魔な兜を脱ぎ捨てた。
「ニンゲンドモメ……! ワガドウホウノカタキィィ!!」
人語を喋るが、顔はゴブリンだった。その辺のゴブリンやホブゴブリンよりは人間に近い顔つきなのが気持ち悪い。
体躯も人に近く、紛れるならやはり人の中しかありえないだろう。物陰に隠れるには少し大きすぎる。
「チィッ!」
予想以上の動きに兵士達が対応出来ず、舌打ちをしたヒルダさんが駆け出す。姿勢を低くし、並ぶ兵士達の間を潜り抜けて最短ルートでキングゴブリンへと接敵した。その姿はまるで疾風のようだった。
「ほう、やるね。あの女」
「どういうこと?」
「侘助の鍛えた剣のシリンダーが風にセットされてる。抜かずに魔力を流すことで刃だけでなく全身に循環させ、あの疾風のような動きをしているようだ」
くい、と顎でヒルダを指し示したジレッタが解説をしてくれた。
「もうそんな使い方を……やっぱ天才だな、あの人は」
「それを作り出した侘助もまた、天才の1人だよ」
そうは言うが、僕の知識や発想なんてものはこれまで生きてきた中で摂取した物の複合体であり、その劣化版でしかない。誰かが作ったものでしか僕は創れない。
しかしヒルダさんは誰にも教えられることなく、与えられた物の真価を自らの力で発揮している。
あれこそが本物の天才であり、僕は偽物なのだ。
「君が考えていることは手に取るように分かる」
「勝手に分かるな」
「分かってしまうのが相棒というものだよ。その上で言わせてもらうが、私自身も両親から受け継いだ力でイキッているだけの俗物さ。しかし、与えられたものを手足のように使い、その先の力を見出すのは本人の才能だ。侘助、君の力は君だけの才能んなんだよ」
ジレッタが語る最中もヒルダさんは剣を振るい、見事に使いこなし、キングゴブリンの首を刎ね飛ばした。
その姿を見て、その振るわれる剣を見て、やはり僕はどこまでいっても本物にはなれないのだろうと思った。
思えてしまったのだった。
□ □ □ □
キングゴブリンはヒルダさんの手によって始末された。この後はゴブリン砦を解体。残党狩りが始まるが大した作業にもならないだろう。
王を失ったゴブリンは知識を得ることもなく、王の庇護もなく、野生へと帰っていく。結局は原始的な生活に逆戻り、だ。
僕の仕事は終了した。もう大規模戦闘の予定はないし、多少装備が故障しても僕が出る幕ではない。其処は各々に対応してもらうしかない。
帰りの馬車に揺られながら、今日までの出来事を思い返していた。たった2、3日の出来事だったが、とても濃厚な出張だった。学ぶことも多かった。それに今後考えることも出来た。
無論、ジレッタの封印についてだ。
ニシムラが僕たちを日本から転移させていたことは歴史の授業で学んだ。しかしそれ以外は全くと言っていいほど、ニシムラについて何も知らない。
その中で得た『ジレッタを封印した』という情報。
これを果たして王都内で鍛治仕事をした状態で捜査することはできるのだろうか?
「到着しました」
御者の兵士の声に顔を上げる。対面に座るジレッタは物憂げな面持ちで窓の外を眺めていた。
「ジレッタ、着いたって」
「ん? あぁ……本当だ。気付かなかった」
窓の外は『翡翠の爪工房』に続く細い道の手前だ。馬車は中に入れないので此処に停めたのだろう。
「どうもありがとうございました」
「此方こそありがとうございました! また何かありましたらよろしくお願い致します!」
敬礼をした兵士は馬車を発進させ、通りの向こうへと消えていった。
また何かありましたら、か……。
また頼む気満々なのもどうかと思うが、頼られて悪い気は、正直しなくもない。あの程度の作業であればまたやってもいいと思えた。
戦闘はごめんだが……。
「終わった、ってことでいいんだよね?」
「そうだな。また鍛治の日々に戻れる」
「向こうでもやってることは一緒だったけれどね」
確かにそうだな……やったことはヒルダさんの剣を作って修理をして、追加で戦闘をしただけだ。
「また呼ばれたら行くの?」
「まぁ行くだろ。何言われるか分かんないし」
「ふぅん。私も行くしかないし、その時はまた頑張ろうね」
「そうだな。うん……悪くなかった」
外での鍛治というのも悪くなかった。もしニシムラを探しに行く時は旅の鍛治師というのも楽しいかもしれない。
そんな未来を妄想しつつ、僕は荷物を背負い直して店まで続く路地をジレッタと共に歩くのだった。
空模様はあの日を区切りに曇ることが多くなり、どんどん下がってくる気温からもしやとは思っていたが今日、ついに雪が降り出した。
窓の外でちらつく雪を横目に振るう金槌に風情を感じつつ、気付けばあのスタンピード鎮圧からもう2週間が経過していることを思い出した。
鎮圧から少しして訪れた数人の兵士から参加報酬と、プラスで現地で鍛えたヒルダさんの剣の料金を頂いた。
思っていたよりも多かったので少し返そうとしたのだが、その行動を予想されていたのか、捲し立てるようにお礼を言われて見事に感謝サンドバッグにされた。
気付けばさっさと兵士達は引き上げ、手元には多額の銭だけが残っていた。
それからしばらくは何事もなく仕事を続けていたのだが、つい先日のことだった。
「僕に鍛冶師として探索についてきてほしい?」
「そう言われたな」
親方から聞いたのは、とある冒険者パーティーが僕に鍛冶師として同行してほしいという話だった。
たまたま僕が休みの日だったらしく、直接話が出来ずに親方に伝えることになったらしいが、多分直接聞いても意味が分からなかったと思う。
ついこの間のスタンピード鎮圧ですら、あの大規模な戦闘がなければ暇してたくらいだ。
あれから色々と噂が流れているとナーシェさんから聞いたが、それを鵜呑みにして僕を指名したのだろう。とはいえ、大した実入りはなさそうだ。
「と言っても、何をするんです?」
「どうやらダンジョンに潜るらしい。そうなると装備品には気を遣わなきゃならん。其処で、何時でも何処でも鍛冶が出来る上に戦闘もこなせると噂の【魔竜の鍛冶師】が居ると心強いって話だな」
「その変な二つ名みたいなのやめてくださいよー……。僕は僕で忙しいのに、噂だけが独り歩きしていい迷惑ですよ」
「じゃあ断っとくか?」
「……ちなみにこれって幾らぐらいの報酬になるんです?」
とりあえずお金の話は大事なのでしておきたい。
「パーティーの規模にもよるが、金貨20……とかが相場なんじゃないか?」
「20……20ですか……」
この間の出張鍛冶が、国からの招集で報酬が金貨60枚だった。その中でヒルダさんに作った剣の製作費が金貨40枚だった。合わせて金貨100枚があの日の報酬だ。
プラスして日々の仕事で稼ぐ月収入もある。それだけで十分に仕事出来る金額を頂いてるので、無理して参加する必要はまったくないのが現状だ。
「最初に大きな依頼をしてきたのが国だったからどうしても見劣りはしちゃいますね」
「まぁなぁ……だが店を構えるにしても構えないにしても、貯金は必要なんじゃないか?」
「お金はいくらあってもいいですからね」
金貨20枚あればかなりの期間を生活することはできる。それこそ、鎮圧戦終了後に考えていたニシムラを探す旅もお金が必要だ。できれば徒歩とかしたくないし。
「まぁ、考えといてくれ」
「分かりました。……ちなみにそのパーティーって有名なところとかなんですか?」
「あぁ、そういえば言ってなかったな」
素材小屋に向かう裏口から出ようとしていた親方が振り返る。
「A級パーティー、【三叉の覇刃】というパーティーだ。王都じゃ結構有名だぞ」
「トライ・エッジ、ですか。分かりました」
「おぅ」
親方の背中を見送り、1人になって考える。名前は正直、聞いたことがない。
ただそれは僕が世情に疎いからであって、親方の言う『王都じゃ結構有名』というのが正しい認識なのだろう。
その上でA級とも呼ばれるパーティーが渡界者を加えて安っぽいダンジョンに潜るとは思えない。
となると難関ダンジョンに潜るという選択肢しか考えられなくなる。
その上で同行し、まぁ戦闘もするであろう現場を生き抜いた後にチャリンチャリンと金貨20枚を貰って僕は正気でいられる気がしなかった。
「どう思う?」
たまらず僕は傍で暇そうにしているジレッタに声を掛けた。棚に背を預けながら爪を弄っていたジレッタは視線はそのままに返答を寄越した。
「好きにすればいい。侘助の人生だ。私は何処までも着いていくだけさ」
「うーん……確かにそうかもしれんが」
当てが外れた。と思うくらいには信頼しきっていたのかもしれない。
1000年と何年生きてるのかは知らないが、人生経験的なアドバイスを頂けたらと思ったのだが……しかし思い返してみれば、もらった返答もアドバイスと言えばアドバイスだ。
人間、やはり期待通りの回答を受け取ってばかりでは成長しないのかもしれない。
「……受けてみるかぁ、この仕事」
「ほう。侘助なら断ると思ったよ」
「実際だいぶ悩んだ。でも新たな出会いというのも人生には必要だし、報酬が本当に金貨20枚と決まった訳でもないしな。まずは会って話してみないことには始まらん!」
パン、と膝を叩いて立ち上がる。親方からの情報だけで判断してはいけない。信用しているし信頼しているが、やはり自分の目で見て耳で聞かねば判断は下せなかった。
僕は戻ってきた親方に自分で決めたことを伝え、場を設けてもらうことになった。
その次の次の日。鍛冶場に冒険者がやってきた。黒髪の女性と金髪の男性の、二人組だ。キョロキョロと工房内を見渡し、僕と視線がかち合うと中へと入ってきた。
「君が侘助君?」
「そうですけど……貴方は?」
「私は木下菖蒲。君と同じ日本人です」
その名前には聞き覚えがあった。僕がこの世界に来て借りた王城の宿舎、その柱に刻まれていた名前だった。
「木下菖蒲さん……1999年7月7日生まれの木下菖蒲さん?」
「……ひょっとして君も、あの部屋に?」
「はい、僕も柱に名を刻んだ一員です」
奇妙な縁だ。日本人に出会うことはあった。流石にニホン通りというだけあって、此処に住む日本人は多い。
僕は殆ど職場と家の行き来だけだから知人や友達と呼べる人は居なかったが。
しかしこうして正面から日本人と向き合うのは宗人以来だった。
目の前に立つ長身の女性の鍛えられた筋肉には細かい傷が目立つ。
長い黒髪を三つ編みにして、長い前髪の隙間から覗く目はゴブリン程度なら視線だけで殺せそうだ。
抜き身の剣といった雰囲気は凡そ日本人が持つようなものではなく、彼女が渡界してから長い期間を過ごして垢抜けていったのがよく分かる。
「そうか……その様子からして此処に渡界してそう長い期間を過ごしてはいないようだが、戦闘経験はあると聞いてる。鍛冶の腕も一級だと」
「買い被り過ぎです。出来たからやった、という程度のものですよ」
「火のないところに煙は立たない……これも何かの縁だ。よろしく頼む」
差し出された手を握り返すとギュッと強く握られる。ずっと剣を振るってきたのだろう。力強い手だった。
「まぁでも、やはり話を聞いてから決めないと」
「それもそうだ。出来れば受けてほしいが、こればっかりは合う合わないがあるから」
手を離し、菖蒲さんは少し口ごもる素振りを見せつつも、ジッと僕を見ながら依頼内容を伝えてくれた。それは予想内でもあり、しかし予想外の内容だった。
「私のパーティーメンバーの1人がダンジョンに取り残されてしまった。それを助ける為に君の力を借りたい」
菖蒲さんはギュッと自身の腕を掴む。まるで後悔に耐えられないというような、自分を責めるような、そんな悔し気な顔で。
「実は……」
と切り出した菖蒲さんの話は実に胸糞悪い話だった。
S級ダンジョン【鐵の墓】。
其処は山間に広がる巨大な墓地だ。しかしただの墓地ではない。墓守が存在する。そしてその墓守が厄介だった。何体もの魔鉄製のゴーレムが墓守を勤めているのだ。
これを剣や魔法で処理するのは非常に難しい。なにせ魔鉄の塊を断つには相当な腕か、もしくは特殊な金属を使ったレアよりもレア、ハイレアなアイテムが必要になってくる。
術式だって魔鉄の塊相手じゃ歯が立たない。魔法だとしても厳しい戦いになるだろう。
魔鉄の特性は魔素の高効率吸収と蓄積だ。空気中の魔素を溜め込み、自身の硬度を保つ。
例えばこれを利用した剣は魔素の濃い場所なら不壊の剣となるだろう。持ち主の魔力を吸収してこれを維持することも可能だ。
ヒルダさんの剣にはこの魔鉄がふんだんに使われている。彼女の剣は魔素を高効率で吸収し、高伝導率の魔銀の刃に魔石の魔力を流す仕組みになっている。
「その墓地に仲間が取り残された、と?」
「そうだ。攻略するという目的で合同パーティーを組もうと持ち掛けられた。相手は私達と同じくA級のパーティー【罪禍断命】。名前の通り、正義をこよなく愛するという変わった集団だ」
この【罪禍断命】というのが風変わりなパーティーは、世界に遍在する邪悪なダンジョンを撲滅するのが目的だそうだ。
何故彼等が【鐵の墓】に用事があったのかというと、この墓に埋葬されている者が邪悪な存在なのだそうだ。
【三叉の覇刃】はそれに興味はなかったが、困難なダンジョンは攻略すれば金になる。墓であれば埋葬品という副産物もあるかもしれないということで、この話に乗った。
途中までは問題なく攻略出来ていた。流石、A級パーティー同士ということで息も合い、順調に深部まで進むことができた。
何とか魔鉄のゴーレムを倒しながら進んだ最深部。其処に埋葬されていたモンスター。不死身のアンデッドであり、かつての魔王の側近、エルダーリッチー【ベノハイム】が目を覚ました。
「これを倒すのが連中の目的だった。しかしベノハイムはかつての魔王の側近。特殊な魔法を使うんだ。それはこれまで出会ってきた魔鉄のゴーレムを生み出した張本人だから使える魔法……【鉄魔法】の使い手だった男だ」
ヒルダさんの剣を作る際に使用した土属性魔石。あれは高純度なら流す魔力によって石よりも鉄よりも硬くなる物質だ。
それが魔法だったら?
放つ石礫は金属の散弾となり、降らす巨岩は鉄の塊となり、生み出される土人形は鉄のゴーレムとなる。魔鉄を媒介に作り上げられたオリハルコンゴーレムはこのエルダーリッチーが生み出した墓守だった。
「オリハルコンゴーレムは関節部やコアを狙うことで何とか始末することが出来た。しかし流動する鉄魔法は対処のしようがなかったんだ。三人一組で戦う私達、トライエッジと、5人一組で戦うジャッジメント・ジャッジメントでもベノハイムには歯が立たなかった」
苦戦する相手に何とか死なないように立ち回る二組のパーティー。
トライ・エッジはエルダーリッチーの魔法の隙を掻い潜り、斬りつけようとするが液体のような鉄がそれらを阻む。
ジャッジメント・ジャッジメントが放つ魔法や矢も届かない。
全ての攻撃手段が通じないと先に判断したのはジャッジメント・ジャッジメントだった。
彼等が取った手段、それは転移の術式を書き記したスクロールを使ったダンジョンからの脱出だった。
「奴等は早々に諦めてスクロールで脱出した……。残された私達はエルダーリッチーから逃げる為に仲間の1人を置き去りにするしかなかった」
囮となった一番俊敏力のある仲間のお陰でダンジョンの外に脱出出来たトライ・エッジは命からがら、王都エフェメラルまで逃げ帰ってきたのだった。
「それで、今度は仲間を助ける為にもう一度【鐵の墓】へ行く、と」
「そういうことだ。それで侘助君の力を借りたい」
言われ、悩む。この場の誰もが口に出さない『今もその仲間は生きているのか』という疑問について、悩んだ。
すばしっこいからといって魔王の側近とやらから逃げられるだろうかという疑問。逃げたところで追い詰められ、死んでいるんじゃないかという疑問。
話を聞く限りだとどうしても耳障りの良い答えが浮かんでこなかった。
それに僕が参加する意味はあるのかという疑問。
確かに、僕であればその鉄魔法とやらを無効化することは出来るかもしれない。道中のオリハルコンゴーレムだってきっと苦も無く始末できるだろう。
「侘助、ちょっとおいで」
「ジレッタ?」
返答について考えているとジレッタに服の裾を引っ張られた。菖蒲さんに一礼してから席を外す。連れられてきたのは工房の裏、資材倉庫の前だった。
「なんだ、急に」
「これはチャンスだよ」
「チャンス?」
首を傾げる僕にジレッタはニヤリと笑い返した。
「オリハルコンという貴重な素材を回収出来る。そしてベノハイムを捉えることが出来ればニシムラの情報を得ることが出来る。ついでに彼女らのパーティーメンバーを見つけて助け出すことが出来れば、名も売れる。売れればお金が入ってくる。貯金が増えるよ!」
「お、おぉ……まぁ、そうだな……良いこと尽くしではあるか……」
ジレッタの意見はとても前向きだった。僕の後ろ向きな意見とは違って参加することでのメリットがとても多く、そして魅力的に感じられる。
むしろ、参加しないことのデメリットが多くなってきた気すらする。
素材は得られず、情報も得られず、お金も得られず、同じ日本人である菖蒲さんからの信用も失うことになる。
それは悪評となって僕の今後に暗雲をもたらす事にもつながるだろう。
となると、だ。参加しないという選択肢が急にアホの意見に見えてきた。
ここはひとつ、参加して格好良く彼女らを助けて、ついでに色々得られるものを得れば、全部プラスに繋げようじゃないか。
「参加、するか……いや、参加したくなってきた」
「そうだろう、そうだろう。これに参加しない手はないよ!」
「よし、行くか! むしろついて行かせてくださいって話だぞ、これは!」
盛り上がってきた。テンション上がってきた。別に渡るつもりもない川だったが今となっては渡りに船だ。
「しかしジレッタ、メインはトライ・エッジのメンバーの救出だぞ。それを忘れちゃいけない」
「そうだね。お金目当ては格好悪いもんね?」
口角を歪めた僕は腕を組み、そしてクイ、と顎を上げた。
「そうだ。がめついコソ泥鍛冶師より、窮地に陥ったS級パーティーを助ける鍛冶師の方が、格好良いだろう?」
踵を返した僕は工房へ戻り、木椅子に座って暗い顔をする菖蒲さんの肩に手を添えた。
「侘助君?」
「参加させてください」
僕の声に立ち上がった菖蒲さんが一瞬喜んだ顔をしたが、すぐにまた表情を曇らせてしまった。
「……此方から頼んでおいて何を言ってるんだという話だが、鍛冶師の君には厳しい場所だ。絶え間なく襲ってくるオリハルコンゴーレムに、エルダーリッチーが相手だだ。元々は折れたり欠けたりした剣の修繕が目的で君を尋ねた。戦闘もできるという噂にも後押しされたが、やはり頼むべきではなかったのではないかと今は思っている……」
金属相手に剣を振り、その為に故障した剣を修繕する為に鍛冶師を連れて行く。理解出来る話だ。
その上、戦闘も出来る。願ってもない話だ。仲間を助ける為のは時間との勝負なのだから、戦力は少しでも欲しいはずだ。
しかし場所はS級ダンジョン。どちらに精通していても、渡界したばかりのようなひよっ子を連れて行くような場所ではない。
本来なら僕もそうだと思っただろう。だが場所が良すぎた。僕の都合に良すぎた。
「菖蒲さん、これを見てください」
「ん……一見は何の変哲もない鉄鎧に見えるが」
「はい。何の変哲もない鉄鎧です。菖蒲さん達を待つ間に手遊びで作った、ただの鎧です」
上半身をすっぽり覆う形の鎧だ。【鍛冶一如】で形を作り替えながら暇を潰していたそれに手を触れる。
鎧の首元を掴むと、其処から急速に鎧が茶色く変色していった。握った部分からボロボロと崩れていくそれは【腐食の権能】だった。
「これは……!」
「こういうことも出来ます」
更に別の個所に指先で触れる。するとカッと赤白く灼熱し、ドロドロに溶けていく。【溶鉱の権能】だ。
この二つの権能はスタンピード以降、扱えるようになったジレッタの力の一端だ。溶鉱の権能は元々使えていたが、より高温になるように出力操作が可能になった。
腐食の方はジレッタの持つ権能の一つで、ジレッタと過ごし関係が深く繋がり、芽生えた力だ。
「この力は鉄だけでなく、全ての金属に対して使用出来ます」
「こんな、規格外の力を私達に見せて良かったのか?」
「同じ日本人である貴方を信用してますから。同じく貴方が信頼しているメンバーなら見せてもいいかな、って」
「そうか……有難い話だな。なぁ、デンゼル?」
菖蒲さんが振り返って名を呼ぶ。デンゼルと呼ばれた金髪の男性は照れ臭そうに頬を掻いた。
「すまないな、無口な奴なんだ。表情は豊かなんだが」
「いえいえ。それじゃあ、行きますか」
「そうだな。出発は早い方がいい。すぐ起つぞ」
こういう遠征時の僕の荷物は全てジレッタの城の倉庫に預けてある。つまり本から自由に取り出せる。緋心も其処に預けてある。
壁のフックに掛けてある防寒着を取り、作業を続ける親方のところまで行く。
「親方、行ってきます」
「あぁ。気を付けてな。無事に救えると良いな」
「はい。お土産も持って帰るので、ご心配なく」
「ふむ?」
首を傾げる親方に一礼し、上着に袖を通して僕とジレッタ工房を後にした。
□ □ □ □
目的地である【鐵の墓】は山間に存在するダンジョンでる。
世にも奇妙な事に、このダンジョンは目視で全体像が確認できる。
通常、ダンジョンというのは洞窟の奥だったり、建物の中だったりと人目に隠れた場所に出来上がる。
それは主に屋内で淀んだ魔素がダンジョンを生み出すからである。
にも関わらず、この屋外という開けた場所でダンジョンが発生してしまった原因は言わずもがな、ベノハイムの魔素だ。
魔王の側近であるベノハイムは死後、埋葬されても尚、その強大な魔力を垂れ流しにし、墓地に淀みを生み出した。
山と山に囲まれた其処はある意味、閉鎖的な空間だったのかもしれない。
その結果、彼が埋葬された出身地でもあるナカツミ村に隣接された墓地は、村をも飲み込む一大ダンジョンへと変貌した。
墓地はダンジョンと化し、村の中にまで浸食していった。
家の前や中にまで立つ墓標。それを守護するオリハルコンゴーレム。
入り組んだ構造や強敵のお陰で見事に難関ダンジョンと認定されてしまった。
其処へ向かう為には野を越え山を越えなければならない。
最寄りの町までは馬車移動だ。山の麓に広がる【山麓都市ソトツミ】という町まで来たら、食料やらを買い込んで山登りが始まった。
「この時期は標高の高い場所はもう雪が積もってるから、足元には気を付けて」
「分かりました」
先頭を行く菖蒲さん。真ん中には僕とジレッタ。殿はデンゼルさんだ。
コートのような厚手の防寒具に身を包みながら1列になって進む山道はまだ土だが、雪が積もれば移動も厳しくなるだろう。
幸いにもダンジョンまでは山道を進むことで到着出来る。元々ナカツミ村と山麓都市ソトツミは親交があったようで、移動経路は確立されている。
ただ、その経路を使うのは今は一部の冒険者だけなので道は消えつつあるようだ。
菖蒲さんは慣れた様子で進んでいく。それに置いて行かれないようにするのは大変だった。ジレッタの身体能力上昇の力がなかったらきっと迷惑をかけていたはずだ。
曲がりくねった山道を進んでいくと目の前に聳えていた斜面がフッと途切れる。
まるで野菜の芯を包丁で切り取ったかのようなV字の谷間の道に出た。道の両側には絶壁とも言える急斜面が圧巻の景色を生み出していた。
「見事な谷間ですね」
「あぁ、見る分には良いが……がけ崩れやモンスターの襲撃といった悩みは多い」
「確かに、逃げ道がないですね」
前か後ろか。崖なんて登れたもんじゃない。挟まれたら大変なことになりそうだ。
幸いにも今回はそういった事故はなく、警戒も肩透かしに谷間を抜けることが出来た。
谷を抜けた先はまたしばらく森が続くが、ほんの少しだ。すぐに木々は途切れ、眼下に場違いな墓地が広がっていた。
「あれがS級ダンジョン【鐵の墓】。ほら、ゴーレムが動いているのが見えるか?」
「見えます。まるで墓地を彷徨うアンデッドですね」
ゆらゆらと体を揺らしながら練り歩くたくさんのゴーレム。
それはまるでかつては村民だった者が死んでアンデッドモンスターにでもなったかのような、幽鬼めいた雰囲気があった。
「すぐに行きたいところだが、日がもうすぐ山の向こうに沈む。日暮れの時間はまだまだだが、此処はすぐに暗くなるだろう。日が昇ってから行くぞ」
「了解です。ジレッタ、天幕を出してくれ」
「うん、少し待ってて」
ジレッタは腰に巻いたベルトにぶら下げた本を手に取る。留め金を外して本を開き、書内に広がるジレッタの城の倉庫から天幕を引っ張り出した。
剣帯の要領で作ったこの本帯は僕の自信作だ。ジレッタの心臓とも言える本を常に持てるようにと作ったそれは、だいぶ気に入ってくれているようだった。
「凄いな……どんな術式を使ってるんだ?」
「僕もよく分かってないんですよね……ジレッタはあの本の中に封印されていたので、封印した人に聞かないと」
「それは誰なんだ?」
天幕を広げて組み立てながら菖蒲さんに答える。
「100年前に現れた渡界者のニシムラという人物です」
「【無限の魔力】のニシムラか……誰かを封印するなんて話は初めて聞いたな」
「でもジレッタはそう言ってます。1000年前にニシムラに封印された、と」
「1000年前……?」
菖蒲さんが訝しんだ顔で首を傾げた。正直、信じてもらえるとは思ってないのだが、ジレッタが言うのだから真実なのだろう。
「やっぱり変ですよね? 辻褄が合わないんですよ。こればっかりはどう考えても答えが見つからなくて……それを調べたいんですけど、手掛かりもなくて」
「ふむ……確かに、こうも突拍子がないと何から調べれば分からなくなるな。だが1000年前と聞いて少し気付いたことがある」
「! 何ですか!?」
僕の声に反応したジレッタが振り返る。会話は聞こえていたようで、トコトコと此方へやってきた。
周囲を警戒していたデンゼルさんは何事かとこっちを見てはいるが、警戒は続けるようだった。
ジレッタが来るのを待って口を開いた菖蒲さんの言葉は、実に面白い話だった。
「これから向かう【鐵の墓】に埋葬されたという魔王の側近、ベノハイム。彼が仕えていた魔王の名は知っているか?」
「いえ……存在は知っているんですが、王城には記録が残っていないとかで分かりませんでした」
「私も王城では習わなかった。魔王の名は旅の中で本当に偶然、知ったことだったからな。そして知った後もニシムラと魔王は完全に別物だと認識していたし、調べようとも思わなかった。考えもしなかった。だが今なら分かる。その魔王の名は【サイソン】。君と私なら、一見、無関係のように思えるこの名に心当たりがあるんじゃないか?」
聞いて、思わず笑ってしまった。まったく、馬鹿馬鹿しいにも程がある。
でも確かに、この世界の人には分からないだろうし、興味がなければ気付きもしない。そも、魔王とやらは入念に痕跡を消していたのだろう。
実績は消せずとも、名なら何とかなるかもしれない。今後、もし自分と同じような日本人が現れた時に気付かれない為に。
……いや、或いは気付かれる為に。
「音読み、ですか……」
「ふざけた話だ。これに気付かなかった私も大概だがな」
「サイソンと聞いて日本人だと思う方が難しいって話ですよ。意外と単純ながら、よく考えたもんだな……」
ニシムラ……つまり西村を音読みで西村と読めは盲点だった。なるほど、であれば色々と辻褄が合うのかもしれない。
「しかしベノハイムが魔王に仕えていたのは200年程前の話だ」
「ん? 1000年前の魔王に仕えていたんじゃないんですか?」
「違うぞ。だが100年前にニシムラという人間が存在していたとなれば1000年前にも200年前にも此奴が存在していてもおかしくないとは思わないか?」
「確かに……同一人物という確定的な証拠はないですけど、時間を越えて存在しているのならあり得ない話でもないですね。そうか、だから1000年前って聞いてピンときたんですね」
普通は気付かない。別に魔法の王なんて1人とも限らない話だしな。僕の話から其処まで考えるとは菖蒲さんも結構柔軟な人なのかもしれない。
「でも200年前なんて近々に魔王と呼ばれた人間が居たら名前も分かってそうですけどね」
「魔王の動きが観測されなくなるまで明かされなかったな。そもそも敵でもないし知りに行く必要もない。魔王は魔王でも魔法を極めた魔法の王であって魔物の王ではないし」
「あー、確かに……うーんややこしくなってきた……」
だいぶ頭が混乱してきた。1000年前に存在した魔王サイソンを名乗るニシムラがジレッタを封印し、200年前にも存在し、ベノハイムが仕えていた魔王が名前は不明だがサイソンかもしれなくて、100年前に現れた渡界者がニシムラで……理由はどうあれ時間を飛び越えて存在している、のか?
「どちらにしてもこれから向かう【鐵の墓】で仲間を助けた後に、ベノハイムから話を聞ければ良いな」
「殺さずに捉えるのがどれだけ難しいかは分かりませんが、まぁ相性問題では此方の勝ちですし殺されることはないでしょう。ゆっくり話を伺いましょう」
会話を終えた僕達は野営の準備を進める。
お互い慣れた様子で作業をこなしながら僕は、日が昇るまで動けないことがもどかしかったが、じっくり待つことにした。
待つ間はダンジョンの構造や仲間の話を聞かせてもらうことにした。
「これから助ける仲間の名は【イングリッタ】。女性だ」
「へぇ~、デンゼルさんのハーレムパーティーでしたか」
焚き火を囲いながらデンゼルさんにちょっかいを掛けるが、照れ臭そうに後ろ頭を掻いていた。
「リーダーは私だから実際はデンゼルではなく私のパーティーだな。ちなみに2人は恋仲だ。まったく、肩身が狭いったらありゃしない」
菖蒲さん、デンゼルさん、イングリッタさんの3人で【三叉の覇刃】。
3人とも剣を使うからこの名がついたそうだ。全員前衛とはなかなか攻撃的なパーティーだ。僕が加われば【四叉の覇刃】になりそうだ。加わらないが。
「こうしてる間にもイングリッタさんが危ない目に遭ってるかもしれないと思うと不安ですね」
「それなんだがな」
と、菖蒲さんが切り出しながら焚き火を突いた。
「実を言うとそれ程深刻には思ってないんだ」
「そうなんですか?」
「あぁ。彼女はとても素早い。身のこなしだけじゃなく、頭の回転も速い。彼女1人ならまずやられることはないと思っている」
となると、救助に僕が増員された理由も何となく見えてきた。
「此方から出迎えに行く、ってのが今回の遠征ですか」
「そうなる。やられはしないだろうが、それと同じく倒すことも難しい。私達2人だと相手が悪い。厳しい。だから君の力を借りたかったんだ」
「納得しました。じゃあさっさと夕飯食べて明日に備えましょう」
2人が頷くのを見て、安心した。気が急いてるのは僕だけだったようだ。
2人がイングリッタさんを信頼しているのが見て取れるから、僕も安心して夕飯の準備に取り掛かることが出来た。
と言ってもジレッタ城の倉庫に仕舞っておいた野菜や肉を刻んで煮込んだだけの簡単なものだ。コンソメとかあればなぁなんて思うが、そうもいかないのが異世界である。
作れと言われて作れるようなものでもないので、こればっかりは転移してきた料理人にお願いするしかない。
皆でスープをすすり、交代でやる見張りの順番を決めてさっさと天幕の中に入った。
うとうとし始めた頃に起こされ、見張りをやる。僕の次はジレッタなので安心して叩き起こせる。
交代で入る布を敷いただけの簡単な寝床はジレッタの体温で温まってて有難かった。
□ □ □ □
翌朝。太陽がダンジョンを囲う山を越えて日差しが出てきたら侵入という手筈だったが、生憎の曇り空で、なかなか明るくならなかった。
昨日の夕飯の残りを焚火で温め直しながら吐いた溜息は白く、スープの湯気に混ざって消えていった。
「今日はずっとこれかもしれないね」
「魔竜パワーで雲吹き飛ばしてくれよ」
「あんまり出力上げ過ぎると調整できなくて一帯全部なくなっちゃうけれど、大丈夫?」
「大丈夫じゃないです」
本気のジレッタも見てみたいが、地図が書き換わるような事態にはなりたくない。後が大変だ。
「しかしまぁ、行くしかないだろう。ずっと待ってても埒が明かない」
「曇りでも多少は明るくなるでしょうし、それから行きますか」
何はともあれまずは朝食だ。せっかく温めたスープ、食べずに冷やすのはもったいない。
食事を終え、天幕を片付けて痕跡を消し終わった頃には曇りながらも食事前よりもだいぶ明るくなってきた。
体を動かしたことで良い感じにほぐれてきたことだし、良いパフォーマンスを発揮できそうだ。
「前衛は……というか、侘助君に頼りっぱなしになるが、大丈夫かな」
「問題ないですよ。その為に来たんですから」
手を組んで腕を伸ばす。普段なら背中がゴキゴキ鳴るところだが、ほぐれきった体は非常に柔軟だ。左手に持つ緋心も、いつもより軽く感じる。
「此処をまっすぐ下って行けばダンジョンの入口……ナカツミ村に出る。其処からはもうオリハルコンゴーレムの庭だから注意してくれ」
「了解です」
野営地から木々の間を通り、山道を下る。菖蒲さんが言う通り、しばらく進むと道が広がり、開けた空間に出た。
目の前には木で出来た2m程の柵と簡素な扉が付いた門がある。これがナカツミ村の入口か。
此処からでももう、オリハルコンゴーレムの姿は視認できる。まだ村に入ってないからか、襲ってくる様子はなかった。
「じゃあ、行きますよ」
「あぁ、頼んだぞ!」
菖蒲さんとデンゼルさんが剣を抜く。どちらもよく手入れされた素晴らしい剣だ。っとと、今は見惚れている場合ではない。
先頭に立ち、村の門を一歩進むとゆらゆらと歩いていたオリハルコンゴーレムが一斉に顔を此方へぐりんと回した。ホラー過ぎる。
「ちょっと離れててください」
「大丈夫か?」
「問題ないです。むしろ危ないです」
「そうなのか!?」
僕のすぐ傍で援護しようとしていた2人が慌てて離れる。権能を使えるように放ったが、まだまだ欠陥が多いのだ。
僕が使う権能は、手で触れた箇所に対して権能の力は発揮される。だがこれは本来なら触れる必要はない。『自分が意識した箇所』に対して権能の力は発揮されるのが、本当の力だ。
僕はまだ其処まで上手く扱えないので、手で触れることで意識した箇所を指定し、権能を発揮させている。
だがこの条件を無視し、ジレッタ由来の力を扱う方法はある。
「ジレッタ」
「うん、いいよ」
箇所を指定せず、範囲指定での権能解放。これなら僕でも扱うことが出来る。自分を中心としてドーム状に権能を発揮することで、ありとあらゆる金属製の攻撃は無効化出来るようになる。
だから菖蒲さん達には離れてもらわないといけなかった。彼女らの装備まで酷いことになってしまうから。
「まだジレッタに補助してもらわないと自分の装備まで腐らせちゃうからな。1人でも使えるようになればいいんだが……」
「まぁもうすぐ使えるようになると思うよ。それまでは補助させてよ」
そうだな。2人で一緒に使えるのは今の内と思えばこれも悪くないかもしれない。
ずんずんと近寄ってくるオリハルコンゴーレムは僕の指定する範囲内に踏み込んだ足から腐食していく。
酷い有様だ。踏ん張れなくなって体ごと転がってきて全身がボロボロに崩れていく。巨体は僕に触れる前に完全に塵となって消えていった。
これ吸ったら体に悪いだろうな……なんて思わず口を手で覆っていたら、突然路地裏から現れたゴーレムが両腕を広げて襲ってきた。
「奇襲もするのか……とんでもないな、此処は」
「まぁ、意味ないんだけれどね」
広げた全身で【腐食の権能】を浴びたゴーレムは真正面から抉り取られるように崩れていく。これを皮切りに入口周辺に溜まっていたゴーレムがどんどん僕達へ押し寄せてきたが、そのどれもが塵となって消えていった。計13体のゴーレムが雲散霧消していくのを見ていた菖蒲さんの声が聞こえた。
「チートもチートだな……」
「金物が相手の時だけですよ。これがゴブリンなら大変でした」
「よく言うよ。先日のゴブリン砦の話は詳しく聞いてる。君、生物相手でも強いだろう」
「あれは盛ってるんですよ、皆が」
話しながら権能を解いて合流する。しかしあれだな。噂ってのは何処までも尾鰭がつくものだ。厄介なものだ。
それはそうと権能を利用した戦闘はやはり僕だけの戦場になってしまう。
ゴーレムが全員僕のところに来てくれれば問題ないのだが、菖蒲さん達の方に割れてしまうと権能のオンオフが面倒だ。
量が多い時は今みたいに権能で一気に殲滅してもいいが、乱戦になるようであれば緋心で戦った方が良いだろうな。
「じゃあ奥に行きましょうか」
「あぁ、道案内は任せてくれ」
いよいよ探索が始まる。菖蒲さんの仲間を助け、ニシムラの情報を引き出す。ついでに何かしらのお宝も得られれば、言うことなしだな!
どうやらオリハルコンゴーレムは入口付近に溜まっていたらしく、入った途端に受けたラッシュ以外に出てくる様子がなかった。
これ幸いとどんどん奥へと入っていくと、ダンジョン特有の奇妙な光景が増えてきた。
「家の目の前に墓地が広がってる……」
「何度見ても気持ち悪い光景だ。侘助君はダンジョンは初めてか?」
「はい、初めてです。王都を出るのは2回目ですね」
「まだそんなもんか。外は良いぞ。機会があったら出てみるといい」
話の流れで菖蒲さんの旅話を幾つか聞かせてもらった。
勿論だが世界は広い。僕が転移してきたフラジャイル以外にも国はあるし、国とまではいかないまでも大きな都市も幾つかあるようだ。
中にはモンスターの国もあるというのだから驚きだ。
「私も結構色んな所へ行ったが、まだまだ見飽きないぞ」
「楽しそうですねー……いやぁ、海外旅行とは縁のない人生だったから憧れちゃうな」
「此処は良いぞ。なにせパスポートも税関もない。冒険者登録していれば入国し放題だ」
そんなザルでもないとは思うが、A級とまで呼ばれる程の実力と名声があればほぼ顔パスだろう。
しかしそれだけの実力があっても相性によってはこうして厳しい状況にもなるのだからモンスターとの戦いは恐ろしい。
僕も此処だけならS級以上の力を発揮できるのだが。
「機会があったら君も外に出てみると良い。ジレッタさんがいれば何とかなるだろう?」
「まぁ契約上、離れられないですからね」
ジレッタとの関係は昨夜の内に話しておいた。
勿論、他言無用ということでだが、2人とも結構驚いた顔をしていたな。なんでも、『ドラゴン』と『竜』は一緒のようでまったく違う生き物らしい。
ドラゴンはそれこそモンスターだが、竜は一次元上の存在として扱われているらしい。
だから王城はてんやわんやになったのかもしれない。
事態がそれ程大きなことではないと思っていた僕からしてみれば慌てすぎとも思ったが、どうやら僕が異端だったらしい。
というかその状況でジレッタにヒヒイロカネの配合方法を聞き出そうとした貴族のなんと豪胆なことか。数ヶ月間、同じ敷地で暮らしたことで麻痺していたのだろうか?
「フラジャイルはいい位置にあるんだ。東の山の向こうは砂丘地帯。南には森林地帯。西はカルデラ湖。北には丘陵地帯が広がっている。何処を見ても景色は抜群だ」
「うわぁ、聞いてるだけで行きたくなる……」
その分、危険は多いだろう。それは海外も一緒なのだが、此方は些か直接的過ぎる。しかしそれでもまだ見た事のない景色を見たいというのはどの世界に居ても同じだった。
仕事ばかりしていた頃を思い出す。ブラック企業ではなかったが、縦とも横とも斜めとも繋がりの多い職場だった。
お陰様で人疲れをしていたっけ……休日は出掛ける日もあったが、大体はパソコンのマップ機能で『長期休暇がとれたら行きたいなぁ~』なんて思いながら海外の風景や写真なんかを見ていた。
思わぬ形でそれが叶うかもしれないとなると、気がそっちへ傾いてしまうのはしょうがなかった。
しかし今の仕事を放棄することもできない。以前の職場よりかは融通が利くとは思うが、こればっかりは要相談だ。
そんな浮かれた頭ではあったがピタリと足が止まってしまった。別に進みたくない訳ではなく、進めなくて足が止まってしまったのだ。
これまでは普通の……まぁ其処ら中に墓標が乱立していること以外は普通の街並みの、メインストリートとも呼べそうな通りを歩いていたのだが、その通りを塞ぐように家が生えていた。
それも、通りの並びにある家から真横に、だ。
「トリックアートでも見てるみたいですね……」
「此処から先は違法建築のオンパレードだ。しかしその先に墓地がある。墓地を囲うように無理矢理塞がれているんだ」
「そういうことですか。何処から入るのが安全なんです?」
「そうだな……君が居るなら、彼処から入るのも良いかもしれないな」
そんな菖蒲さんの言葉で案内されたのはナカツミ村の鍛冶工房【雲雀屋】だ。
かろうじてぶら下がっている看板から名前は把握できたのだが、此処が鍛冶屋と言われてもなかなか分からなかっただろう。
「まるで鉄の要塞ですね」
そう。此処はどういう訳か、出入口から壁まで全部が鉄で覆われていたのだ。
菖蒲さんの推測ではダンジョンに取り込まれた時に在庫になっていた鉄が変異してこうなったのではないか、という話だ。
埋葬されているのが鉄魔法を使うベルハイムだからあり得ない話ではない、のかもしれない。
「君なら通れるだろう?」
「えぇ、余裕です。ちょっと離れててくださいね」
鉄だから頑丈だとは思うが腐食の権能は解いた後も浸食は進んでいく。なので此処はこれまで多用してきた溶鉱の権能を使わせてもらうとしよう。
恐らく入口であろう部分に手を触れると一気に灼熱していく。普段であればこれで鍛冶が出来るところだが、更に温度を上げていくとドロドロと鉄が溶け始めた。
そういえば鉄が溶ける温度というのは1500度以上らしい。この温度の物に素手で触れている僕は本当に人間なのか怪しいところだ。実際、熱くも冷たくもない。
権能に守られてるから手袋も服も燃えないのだが、これが菖蒲さんやデンゼルさんに跳ねたりしたら一気に燃え上がるだろう。
「凄まじいな……熱くないのか?」
「常温、って感じですね。熱くも冷たくもないです。あぁ、でも確実に熱い物質なので触っちゃ駄目ですよ。足元にも気を付けてください」
「頼まれても嫌だな……っとと、流れ出たのがこっち側で良かったな」
ドン引きの眼差しを受けながら鉄を溶かし、開いた場所はやはり入口だった。溶けた鉄が中に広がってたら火事になってたかもしれないと思うと少し考えが浅かったか。
入った工房内もところどころ鉄に浸食されているが、言う程被害は大きくない。
木造の建物が鉄の重さで潰れていないのはダンジョンだからか、或いは鉄で覆われて蓋になっているだけだからか。
どちらにしても中は安全そうだったので、溶けた鉄の熱が冷めるのを待って2人にも入ってきてもらう。
「場所によっては家の中を突き進んでいくルートもあるが、此処は誰も入ったことがないだろうな」
「探索してていいですよ。墓地側の壁も開けてきますから」
「そうか? ではよろしく頼む。行くぞデンゼル」
工房は母屋とも繋がっているようで、探索する場所はあるだろう。その間に穴を開け、冷やしておけば時短である。
早速工房内を突っ切り、溶けた鉄で塞がれた裏口を開く。
出来るだけ家屋に引火しないように細く、人が1人通れるくらいの幅を意識しないといけないのが少し大変だったが、それもすぐに終わる。
今度は溶けた鉄が逃げ出さないように金槌で叩いて適当に固める。【鍛冶一如】、便利過ぎる。
がっちり固まった鉄を踏み、工房の外に出て……ゾッとした。
これまでは山間の村に奇妙な墓標が並び立つ、という感覚だったが、この光景を見た瞬間は此処が山間であることを忘れてしまった。
視界いっぱいに広がる墓地。工房を挟んだ町側はまだ明るいのに、こっちは夜みたいに暗い。その異質さが恐怖に拍車を掛けた。
それはそれで怖いのだが、それよりも怖いのが墓地の規模だ。
村の中にあるというのなら、それぞれの家族墓地が幾つかある程度だとは思うのだが、此処にあるのはまるで一都市の個人分の墓でもあるかのような量の墓標が並んでいた。
というか、規模と敷地の計算が合わない。
「ダンジョンってのは空間が歪むものなんだよ。見た目と間取りは殆ど一致しないね」
「な、るほどな……合点がいったよ。ていうかいきなり耳元で囁かないでくれ。怖い」
「狭いんだからしょうがないでしょ?」
肩に顎を乗せたジレッタを追い払い、覗かせた顔を引っ込めた。
そういえば……2階に上がった菖蒲さん達が降りてこない。
不審に思った僕は左手の中の緋心の感触を確かめながら、工房へ戻った。
窓の殆どを鉄で覆われている工房内は非常に暗い。足元には工具も散らかりっぱなしだし気を付けないと転びそうになる。
「おっとっと!」
何かを蹴飛ばしてしまってカランカランと甲高い金属音が転がっていく。やっぱり危ないな、暗い場所は。
……と、どうしようかと考えた僕の背後でパチンと指の鳴る音がした。振り返るまでもなくジレッタだ。
僕の影が前に伸びていくのをみて火を付けてくれたのだと理解出来る。
「これくらいは出来るようになってもらわないとね」
溜息交じりに言うが、実際出来たらめちゃくちゃ便利だ。
「仕組み的には発火、燃焼、維持って感じ?」
「そうだね。それ程難しいことじゃないよ。周囲の魔素を取り込み続ければ、それだけ維持出来るし。今度教えてあげる」
「助かるよ」
術式というのは巷に溢れてはいるが、極々平凡なものばかりだ。
有用なものは秘匿されているか、或いは個々人が研究して生み出さないといけない。ヒルダさんの【術式:火矢五連】なんかがそうだ。
できればそういった攻撃的な術式も学べたらいいのだが、なかなか難しい。
研究もしたいところだが、今は鍛冶も楽しくてしょうがない時期なので、どちらにしても後回しだ。
「さて、と。菖蒲さん達は何処かな」
「母屋の方に行ったけれど、帰ってこないね」
「探しに行くか」
ということで僕達も揃って母屋の方へとやってきた。しかしまぁ、厳重に囲ったものだ。
工房と母屋の間には中庭のような空間があるのだが、その上空も鉄でしっかり囲まれていた。敷地内をまるごときっちり囲っている。
この工房がどういうものかは分からないが、それ程までに覆う必要があるのだろうか。
庭から見える母屋は二階建てだ。石材と木材を組み合わせて作られた建物はとても頑丈そうだ。何事もなく庭を抜け、母屋へと入る。中もやはり暗い。
「菖蒲さん? デンゼルさーん」
「……返事がないね」
「外に出た訳ではないとは思うんだが……」
首を傾げつつ、1階を捜索するが見当たらない。しかし造りは別に特別性も何もない、普通の家屋だ。
残された家財道具からしてもその辺の一般家庭と大差はない。特段、気になることもないし、誰も居ない。なら2階か。
探索中に見つけた階段をギシ、ギシ、と鳴る木にこっそりビビりながら上る。上り切った先は窓だ。
折り返した廊下の並びに部屋が幾つかある。まずは手前の部屋から開けることにした。
ドアノブを掴み、ガチャリと開く。すると其処には何もない……と思っていたら普通に菖蒲さんとデンゼルさんが居て思いっきり肩が跳ねた。
「びっ……ビックリしたぁ……! 居るなら居るって言ってくださいよ! 声掛けたじゃないですか!」
照れ隠しからか、普段以上に声が大きくなってしまうのを抑えきれず、バックンバックンと跳ねる心臓を胸の上から抑えた。
「すまない。聞こえてはいたんだが返事をする余裕がなかった」
対照的に酷く静かに返事をする菖蒲さんの手には1冊のノートがあった。見ればデンゼルさんの手にも似たようなノートがある。
「それは?」
「ベノハイムの日記だ」
「!?」
予想外の物に声が出なかった。何でそんな代物が、こんな鍛冶屋に……いや、これだけ厳重に鉄で覆われた場所……異常なまでに鉄を使用していることと、このナカツミ村がベノハイムの出身地であることを考えると、どうして気付かなかったんだろうと思うくらい単純で明快な答えが浮かぶ。
「此処がベノハイムの生家、ってことですか?」
「そうらしいな。強大な魔力と才能に恵まれて鍛冶師の息子として生まれ、幼い頃から鉄に触れて生きてきたベノハイムが鉄魔法を操るというのはなるほど、当然とも言えるな」
合点がいった。そりゃ日記もあるだろう。こんな情報の宝庫、返事に意識を割けなくなるわ。
僕も日記を見たくて周囲を見ると、机の上に乱雑に積まれた日記があった。
「そっちはもう目を通したから好きにしていい」
「了解です」
僕も手に取って中を読み始める。人の日記を読むというのもなかなか無い体験だ。だが罪悪感よりも興味の方が大きかった。
人の秘密というのはこうもワクワクするものだとは。いかんな、悪い方向に育ちそうだ。
日記の内容は普通の少年の人生、という感じだった。しかしある時を境に、魔法の才能に目覚めていた。
それはモンスターに襲われたところだった。窮地で覚醒という何とも主人公な流れだったが、力及ばず殺されそうになったところを助けた人物が居た。
「サイソン……この時にもう出会ってたんですね」
「あぁ、つまり200年前に存在した魔王も、やはりサイソン……ニシムラであることが確定した」
確定した。確定してしまった。これで奴が時間を飛び越えていることが確定してしまった。
1000年前にも存在していたし、200年前にも存在していたし、100年前にも存在していたのだ。
日記を読み進めていくとサイソンとの旅の様子が書かれていた。特に目を惹く内容はなかったが、流石に鉄魔法の使い手と【無限の魔力】というチートスキル保持者の旅だ。
向かうところ敵なしというか、危険そうな場所でも危なげのない旅をしているうようだった。
「なんか、勝手に読んでしまってあれですけど、ベノハイムに聞くことなくなっちゃいましたね」
「知りたいことは最初の1冊で知れてしまったしな」
後は何だ、成仏させてやれば良いだけか?
「この日記、どうします?」
「目だけ通して元に戻しておこう。他人の物、それもプライバシーの塊だ。必要だから読みはしたが広めるのもあまり気分の良い話ではない」
「ですね」
ふと疑問に思ったのだが、ベノハイムを成仏させたらダンジョンはどうなるのだろう? 消えてしまうのかな。
そうなるとこの彼の生家も、故郷も消えてしまうのだろうか。
それは……少し、淋しい。日記を読んで彼の人と為りは多少理解したつもりだ。だからこそ、殺してしまうのは少し気が引けた。
だが死して尚、現世に留まり続ける彼を成仏させないというも自然の摂理から外れてると言える。死後の世界に導いてやるのも生者の義務だとは思うが……うーん、悩ましい。
「……さて、全部頭に入った。君はどうする? まだ読むか?」
「いえ、僕は大丈夫です。それより今後の事なんですが」
僕は自分の中に芽生えた苦悩を菖蒲さんとデンゼルさんに打ち明けた。生き死にの世界ではとても甘い話かもしれないが、2人は黙って聞いてくれた。
全部話し終えて、菖蒲さんがゆっくりと口を開いた。その最初の一声は、
「甘い」
だった。まぁ、当然です。自分でもよく分かっています……。
「だが、その気持ちは分からなくもない。というか、私の中にも同じ感情はある。彼は悪い奴ではなかった。だが、今は侵入する冒険者を手に掛ける悪い奴だ。現世に留まり続けるのも良い話ではない」
「ですよね……」
「君ならどうする?」
逆に聞かれてしまって、言葉に詰まった。それをどうしたら良いかという質問だったのだが……だが菖蒲さんの気持ちを聞いて思ったことがあった。
「殺さずに話し合うことは出来ませんかね?」
元々、僕は戦いが好きではない。転職し、天職だと思える鍛冶師になれた。侘助という名もそれっぽいし、大好きだった祖父と同じ仕事に就けて嬉しく思っている。
金槌を振るって【鍛冶一如】で創意工夫を凝らした作品を作ることに喜びを覚えてしまった今は、以前、城で訓練していた頃よりも戦いから離れたいと思うようになった。
金属を自由自在に操る権能を手に入れ、魔竜の加護で上がった身体能力で無類の強さを得て、しかしそれでも戦わずに済むなら、戦わない方が良いと思った。
「君が思う理想は、君にしか叶えられない」
「はい」
「それは相手が鉄魔法の使い手で、君が金属を支配する者だからじゃない。この場に限らず、だ。何かを叶える為には、必ず君が叶えなくてはならない。そうでなければならない」
菖蒲さんの言葉は、それだけの重みがあった。
本来なら、此処に居るはずのない人間が、剣も矢も弾も飛び交わない国で生まれ育った人間が、傷付き、戦いながら今日まで生きてきた。
それだけの人生を歩んできた重みがあった。
「菖蒲さんは……」
「うん?」
「自分の理想を叶えられたんですか?」
だからこそ、聞きたかった。彼女の望む理想は、一体どんなものなのか。
菖蒲さんは真面目な表情を崩し、くすりと笑う。そして左手に付けていた皮手袋を外し、手の甲を此方へ向けた。傷しかない戦う女性の綺麗な手を僕に見せた。
「私もまだ努力中であり、そして募集中だよ」
鍛冶工房、ベルハイムの家から墓地へと入る。先程チラっと覗いた時と同様、おどろおどろしい雰囲気が漂う墓地を進む僕達は緊張感に包まれていた。
大小様々な墓標は、一見統一感の無いように見えるが、綺麗に整列していて奇妙な印象を与えた。
「此処は200年前、私達が通ってきた山麓都市の元となった村なんだ」
菖蒲さんが語る内容はこうだった。
元々はヒトツミ村という名称だった此処は自給自足の慎ましい生活を営んでいた。
平和そのものだった村だが山に囲まれた環境の所為で悪い噂が広まった。
それは『此処は元々王族だった者が隠れ住み、金品を隠している』という根も葉もない話だった。
実際は全くそんなことはなく、ただ此処を囲う山脈から良質な金属が採れるということで人が住み着いただけだった。
だが良い金属は金になる。時々、宝石なんかも産出されてしまうから、其処を良くない連中に目をつけられてしまった。
「山賊に見つかってしまったんだ」
山に囲まれた防衛力もない村なんてのは賊からしてみれば楽して稼げる猟場だ。
結局対抗出来ないまま蹂躙されることになった。それでもやはり普段から坑道で採掘している者が多いから多少の抵抗はあった。
そうしてギリギリ生き残った者の中で村に残る者と残らない者が現れた。
採掘で生きたい者と、こりごりだとつるはしを捨てた者。そうしてヒトツミ村は山を隔てて外と中に分裂した。
「ナカツミ村は産出した鉄を武力に使うことになり、山賊と拮抗するようになった。そうして抵抗し続けた何年か後に、ソトツミが蓄えた物資と兵力をナカツミに派遣し、合わさった戦力で山賊を見事に撃退したんだ」
こうして村に平和が訪れた。だがこの平和に至るまでには多くの人が亡くなっていった。
そうした者達を弔う為に、山間の村には不似合いは大きな墓地が併設された。
それが此処、ナカツミ墓地だった。
何年かして、とある鍛冶工房に1人の息子が生まれた。
その少年は生まれながらに村の誰よりも多くの魔力を持ち、その力を使って鍛冶をした。
そうして生きた先に鉄魔法を生み出し、魔王の側近となり、そして死んだ。
強大な魔力は死後も消えることなく、墓から漏れ出し、墓地へ広がり、村を蝕んだ。
山に囲まれた村に広まった魔力は変質し、墓地を起点とし、ナカツミ村全域を吸収したダンジョン【鐵の墓】へと生まれ変わったのだった。
「ベルハイムの日記にはこう記されていた。『死後も魔法の研究が出来れば良いのだが、その方法はまだ見つかっていない』、と。その執念が彼をアンデッドへと生まれ変わらせたのかもしれないな」
「じゃあ彼はこの墓地の中心で魔法の研究をしているのかもしれないですね」
そうだと良い。それならまだお話が出来るかもしれない。
鐵の墓の村エリアにはあれ程湧いていたオリハルコンゴーレムだが、此方ではまばらである。
何となく、これが本来の光景のような気がした。墓地内を見回る墓守。鉄魔法で作られたのだとしたら、それは亡くなった村民を守る為だろう。
と、端から見ればそんな印象だが、此処はダンジョンだ。実際の意味合いなんてのは分からない。要素と要素が噛み合っただけだろう。
と、そんなゴーレムの1体が僕達の方へと視線を向けた。罅割れのようなスリットから覗く赤い一つ目がしっかりと僕達を捉えていた。
「来るぞ」
「菖蒲さん、オリハルコンって売れます?」
「え? あぁ、まぁ、需要は高いな」
「了解です」
僕だけが独占しては儲けが薄い。せっかくダンジョンに来たのなら懐も温かくなるべきである。
左手に握る鞘から緋心を抜き、腕を振り上げたゴーレムのその腕を根元から断つ。地響きと土煙を立てて転がる腕を横目に右足、左足とぶつ切りにしていく。
立つ為の足を失ったゴーレムは地面に転がりながら残った左腕で起き上がろうとするが、それを手首、前腕、肘、上腕、肩と順に処理していくと、最終的に身動きの出来ない金属の塊が完成した。
「そういえばどうやって持ち帰ります?」
「……君は意外と常識破りなんだな」
「?」
そんなことはないと思うのだが……。なんて首を傾げている僕の横でジレッタがさっさと切り分けたオリハルコンを本の中の倉庫に仕舞っていった。
此奴、結構貯蓄癖があるからな……竜が財宝を集めるみたいな習性だろうか。
後でちゃんと菖蒲さん達と分ける話はしておかないとな。
両手両足を素材にされてしまったゴーレムは単眼を明滅させながらゆらゆらと動いていた。ゴーレムにはコアというものがあるらしいが、何処にあるのだろうか。
「ゴーレムのコアは胸に置くのが主流だな。その刀なら貫けるんじゃないか?」
「そうですね……ちょっと調べてみますか」
貫いて終わらせてもいいが、コアというのがどんなものなのか見てみたかった僕は緋心を使ってまずは胸の部分を薄くスライスしていく。
柳刃包丁の要領だ。後ろでドン引く菖蒲さんの声が聞こえる。
何度か胸肉を薄切りにしていると赤い部位が見えてきた。これがコアかな?
「菖蒲さん」
「何かな……」
「そんな引かないでくださいよ……コアってこれですか?」
「あぁ、うん……そうだね。それがゴーレムを動かすコアだよ」
「おー……これが……」
コアの周りを四角く切り取る。するとコアからの何某かの供給が途絶えたために単眼は消え、動かなくなった。そっちはジレッタがささっと仕舞う。
僕はコアを傷つけないように周りのオリハルコンを削いでいく。丁寧に丁寧に剥がしていくと、綺麗な赤い真球だけが残った。
「これがコア……!」
「凄いな。作業中は変態か何かかと思ってしまったが、此処まで綺麗なゴーレムコアは初めて見た気がする。変態に感謝だな」
「……」
この一件で菖蒲さんに僕がどういう人間か、ある程度のレッテルは貼られてしまったようだが、このコアの収穫は大きい。
自分用にアレンジして使えば絶対に何かの役に立つだろう。出来ればもっともっと数が欲しいところだが、人命も懸かっている大事な任務だった。
そうだ。菖蒲さんが心配ないと言ったからすっかり安心してしまっていた。信じ切っていたから、鍛冶師になってからついた研究癖が出てしまった。
悪癖も悪癖だ。実りのある結果が出たとは言え、変態も変態である。本当に自重しよう。
「時間使ってしまってすみません。此処からは全滅させるつもりで頑張ります」
「あぁ、この場において最強は君だ。期待している。ではイングリッタの元へ向かおう」
「! 居場所が分かるんですか?」
僕の問いに菖蒲さんは親指を立てて答える。
「あぁ。前回、探索した時に隠し部屋を見つけている。彼処なら安全だし、彼女が居るならきっと其処だ」
なんとまぁ、ベテランというのは凄いな。隠し部屋なんてものがあることすら知らなかったし、当たり前のように見つけているとは。しかも早速有効活用している。恐れ入るね。
「じゃあ案内してください。途中、ベルハイムと遭遇したら奴も引き摺って行きましょう」
「私もその意気だ。よし、ついてきてくれ」
菖蒲さんが先頭に立ち、案内してくれる。淀みない足取りで到着したのは一つの墓標だった。
先程までは遠い近いは無いにしても視界の中に必ず1体はゴーレムが見えていたのに、この墓標の周辺だけはゴーレムは見当たらない。
足音も届かず、此処だけが閑散としていた。
「ゴーレムが居ないだろう? 私もそれを不思議に思って捜索したんだ。そしたらこの墓標があった。よく見てみろ」
促され、墓標を見る。其処には何も刻まれていなかった。埋葬されている人の名前や生年月日も没日も、何もない。真っ新な墓標だ。
まるでこれから誰かが此処で埋葬されるかのような……。
「此処には誰も埋葬されていない。だから墓守が居ないんだ」
「なるほど……」
「その墓標を動かすと……」
菖蒲さんが視線を交わすとデンゼルさんが墓標の前に立ち、奥へと押すように踏ん張った。
最初はピクリとも動かなかった墓標だが、それがゆっくりと後方へスライドしていく。すると墓標ごと地面が切り取られたように動いていく。
墓標から後ろの地面はカモフラージュになっていたようだ。
「ありがとう、デンゼル」
謝辞に頷き返したデンゼルさんがぐるりと肩を回した。結構重かったんだろう。確かに地面ごと動かすなんてのは相当力がないと出来ない芸当だ。だから今まで見つからなかったんだろうな。
「此処が、隠し部屋だよ」
その墓標の下にあったのは大理石のような綺麗な石で作られた階段だった。
「イングリッタ! 居るか!?」
菖蒲さんの声が反響して返ってくる。暫く様子を見ていると”ジャリ”という靴が小石を踏む音が聞こえた。
その音はゆっくりと連続する。段々と大きくなる音と共に赤い頭が見えた。血塗れかと思って一瞬、息を飲んだがよく見ればそれは髪が赤いだけだった。
「やぁ、遅かったじゃ……」
「イングリッダ!!」
聞いたこともない声がイングリッダさんの声に被さった。何事かと思ったが、それはこれまで一度も口を開かなかったデンゼルさんだった。
墓穴から這い出てきたイングリッダさんを抱き締める姿は、まるで一枚の絵画のようだった。
「私達はイングリッダの事を信用している。だから心配していなかった。が、まぁ、再会は喜ばしいものだ。君にはそういう人は居るのかい?」
「ん……ジレッタがそうですかね。この世界に来て、こんなに一緒に居る人も居ないですし」
人ではないが。
「契約の関係で一定以上の距離を離れたらジレッタは死にます。だから信頼し、寄り添って生きて……最終的にその契約を破棄したいと思っています」
「契約を破棄した後は……どうするんだい?」
言われて考える。そうだな……ニシムラを探して旅をするかもしれないのだし、全部終わった後は当てのない旅も良いかもしれない。鍛冶をしながら2人で。
「やりたいことはいっぱいありますよ。何でも出来る世界ですし、やれることは全部やろうかなって」
「それは良い。とても良いことだよ」
イングリッダさんとデンゼルさんが落ち着くまで少し待った後に、自己紹介をした。僕が鍛冶師であることに大層驚いていたが、巷に流れる噂を思い出したようで納得した顔をしていた。
「私はイングリッダ。【三叉の覇刃】の便利屋担当ってところかな。斥候、鍵開け、罠外し、その他諸々何でもござれって感じ」
「貴重な役職だ。何か力になれることがあったら言ってください」
「あぁ、勿論。稀代の凄腕鍛冶師のお世話をさせてもらえるなんて光栄だよ」
「そんな大層なもんじゃないですよ」
とは言うがそれを鵜呑みにしてくれる人は此処には居なかった。
「じゃあ後は帰るだけ?」
「いや、それがまだ用事あるんだ」
菖蒲さんが僕を見る。イングリッダさんが首を傾げるので、僕は僕で此処に用事あることを話した。
この墓地に埋葬された魔王の側近と呼ばれたベルハイムからニシムラの情報を引き出すのが第二の目的だ。
「此処まで来た感じだと1人でも行って帰ってこれそうではあるんですけど、何があるか不安なので付いてきてほしいんですけど、駄目ですかね?」
「私はついていくぞ。ベルハイムにこっぴどくやられたし、奴が一泡吹かされてるところを見ないと帰るに帰れない」
「それは私もだけど、ぶっちゃけだいぶ疲れてるし……デンゼルと離れたところで見てるよ。ね、デンゼル」
イングリッダさんを支えるデンゼルさんが頷く。
「ジレッタ、頼むぞ。お前の権能で皆を守りながらベルハイムを行動不能にしなきゃいけないんだから」
「問題ないよ。私と侘助の力が合わされば鉄魔法なんて完封出来るから」
なんて容易く言うが、実際それが出来るだけの力を持っているのが溶鉱の魔竜様だ。
魔竜の鍛冶師と勝手に呼ばれているが、それに見合うだけの働きはしないと僕を尋ねてきてくれた菖蒲さん達に申し訳が立たない。
戦うのは嫌いだが、時には戦わないといけない。それがジレッタを助ける情報の為なら持てる全力で挑み、打ち勝つしかない。
「やるなら全力だ、ジレッタ。その方が格好良いからな」
「勿論だとも。中途半端なのは気持ち良くないからね」
組んだ腕を時、3人に振り返る。
「よし、案内しよう。墓地の中心、ベルハイムの墓はこっちだ」
□ □ □ □
隠し部屋から離れるにつれてオリハルコンゴーレムの姿が多くなってきた。それも鍛冶工房から入ってきた時よりも、もっと多くの姿が見えている。
それは確実にベルハイムの墓に近付いている証拠でもあった。
僕達の姿を見つけるなり近寄ってくる墓守達。しかしそれは何の障害にもならなかった。
今の僕はジレッタの加護を割と全力に近いレベルで注入されている。ドーピング鍛冶師の前に金属の塊がやってきたところで、素材でしかなかった。
小分けにされたオリハルコンはジレッタが手早く回収していく。何なら切り飛ばした物をジレッタの方に飛ばすように工夫すら出来るようになってきた。
全自動オリハルコン裁断回収システムが構築されていた。全部手動だが。
そうしてやってきた墓地の中心。円形に成形された石畳の中心にあるのは大きな墓標だった。
この村一番の魔法使いである彼に、一切の不安なく永眠を……なんて思いが込められていたのかもしれない。
だがそんな墓標も、今の彼にとっては椅子でしかなかった。
「……うん? 誰?」
墓標の上に腰を下ろし、足を組んで本を読んでいた黒い長髪に片眼鏡を付けた痩身の男が顔を上げた。白い顔は病的で、一目で生者でないことが分かる。ゆったりとした、髪色とは対称的な白いローブを揺らしながらふわりと地面に降り立ったベルハイムは、ぱたんと本を閉じた。
その隙だらけの様子は、しかし強者の余裕でしかなかった。
何度も言うがこの世界における魔王とは魔法の王であって魔物の王ではない。
本人の人間性によるが、偏に悪の存在ではないのだ。
だが一切の戦闘行為がなかったかと言えば、それはあり得ない。
この世界で生きていれば形はどうあれ戦いからは逃れられない。
ニシムラと共にいたベルハイムが、どんな生き方をしてきたか知らないが、それなりの戦闘経験はあって当然だと思いながら、僕はこの場に立っていた。
「こんにちは、ベルハイム。僕は三千院侘助。渡界者です」
「やぁ。僕はベルハイム・ベルブライバー。渡界者……あぁ、ニシムラと同じなんだね」
「えぇ。そして今は鍛冶師をしています。貴方と同じ、金属を扱う者です」
「へぇ~……いいね。楽しい?」
柔和な笑みを浮かべるベルハイム。質問とその笑みが、彼が歴戦の猛者であることや、死後もこの世に留まるアンデッドであることも忘れさせてしまった。
僕は満面の笑みで、心からの回答をした。
「めちゃくちゃ楽しいです! 毎日が楽し過ぎて、正直、1日がもっと長ければいいのにっていつも思ってます!」
「そうか……そうか、それはとても良いね。素晴らしいよ。もっと君と話したいな」
かくして話し合いという路線は成功した。
確信があった訳ではないが、彼と彼の仲間との共通点を持つ僕は成功するんじゃないかという期待があった。
雑談が始まり、菖蒲さん達は安心したのか離れた場所に腰を下ろした。どういう訳かオリハルコンゴーレム達は周りをウロウロするだけで僕達を襲う気はないようだ。多分、ベルハイムが気を遣ってくれたんだと思う。
ベルハイムと色んなことを話した。
幼少期の頃のことや、それこそ魔王と一緒に旅したことも。世界に隠された様々な物を探して旅する話は、とても興味をそそられた。
つい先程も菖蒲さんの話を聞いて心が揺さぶられていたから尚更だった。
どれくらい時間が経ったか、気付けば視界の端で菖蒲さん達が野営の準備を始めていた。
もうゴーレムが襲ってこないと分かり、僕達が話し込んでいるのも分かってるから勝手に色々進めちゃっていた。
組んだ薪にも火が付き、いよいよ料理まで始めるんじゃないかと思うと、途端に自分の空腹具合を思い出してしまった。そういえば今日は何も食べていなかった。
「おーい、一旦食事にしよう!」
菖蒲さんの提案はとても素晴らしかった。渡りに船だ。
「ベルハイム、良かったら一緒に食事はどう?」
「うーん……リッチーになってから食事なんて考えもしなかったな。アンデッドモンスターも食事するのかな。気になるね。行こう」
アンデッドになると食欲というものが無くなってしまうようだが、研究意欲が彼を墓標から降ろした。
焚火に向かうとデンゼルさんがリュックから食材を取り出しているところだった。それを見たベルハイムがおもむろに手を伸ばす。
何かを掴むような手の形をすると、何処からか粒子が流れ込み、やがて鉄へと変化した。流動するそれは形を変え、なんとフライパンへと成形された。
「これを使うと良い」
受け取ったデンゼルさんは驚いた表情でペコリと会釈をする。
ダンジョンの支配者であり魔王の側近からフライパンを貰うなんて経験はもう一生なさそうだ。
しかしこれが鉄魔法か……凄いな。世界で唯一、ベルハイムだけが使える魔法。できればもっと見たい。
「興味津々、って顔だね」
「鍛冶師だから……って訳でもないけれど、単純に凄いなって」
「君の【鍛冶一如】だっけ? そのスキルも凄いと思うけどな。僕と君が戦っても、勝てる未来が見えないよ」
金槌で叩けば望む形に変化させられる鍛冶一如は鉄魔法唯一の弱点と言ってもいいだろう。
其処に魔竜の権能も合わされば、どう足掻いても負けるヴィジョンは浮かばない。
「元々、そういう理由で来たからね……でも本当は戦うのは好きじゃないんだ」
「それは話してて思ったよ。そしてそれは僕も一緒だ。僕達はそういう人間だ。だから、渡せる物もある。こっちへ来て」
ベルハイムが少し離れた場所へ行く。下ろした腰を再び上げてそれについていく。
草を踏む音と、フライパンに乗せられた肉の焼ける音が聞こえる。僕の前で立ち止まったベルハイムが懐から取り出したのは一冊の本だった。
差し出されたそれを受け取る。何だろうと思い、表紙に目を落として、僕は思わず本を取り落とすところだった。
その手作りの本の表紙に書かれたタイトルは【術式:鉄魔法】。
「君になら、死後まで続いた僕の研究の成果を託せるんじゃないかなって思ったんだけど、どうかな?」