踵を返した僕は工房へ戻り、木椅子に座って暗い顔をする菖蒲さんの肩に手を添えた。

「侘助君?」
「参加させてください」

 僕の声に立ち上がった菖蒲さんが一瞬喜んだ顔をしたが、すぐにまた表情を曇らせてしまった。

「……此方から頼んでおいて何を言ってるんだという話だが、鍛冶師の君には厳しい場所だ。絶え間なく襲ってくるオリハルコンゴーレムに、エルダーリッチーが相手だだ。元々は折れたり欠けたりした剣の修繕が目的で君を尋ねた。戦闘もできるという噂にも後押しされたが、やはり頼むべきではなかったのではないかと今は思っている……」

 金属相手に剣を振り、その為に故障した剣を修繕する為に鍛冶師を連れて行く。理解出来る話だ。
 その上、戦闘も出来る。願ってもない話だ。仲間を助ける為のは時間との勝負なのだから、戦力は少しでも欲しいはずだ。

 しかし場所はS級ダンジョン。どちらに精通していても、渡界(エクステンド)したばかりのようなひよっ子を連れて行くような場所ではない。

 本来なら僕もそうだと思っただろう。だが場所が良すぎた。僕の都合に良すぎた。

「菖蒲さん、これを見てください」
「ん……一見は何の変哲もない鉄鎧に見えるが」
「はい。何の変哲もない鉄鎧です。菖蒲さん達を待つ間に手遊びで作った、ただの鎧です」

 上半身をすっぽり覆う形の鎧だ。【鍛冶一如】で形を作り替えながら暇を潰していたそれに手を触れる。
 鎧の首元を掴むと、其処から急速に鎧が茶色く変色していった。握った部分からボロボロと崩れていくそれは【腐食の権能】だった。

「これは……!」
「こういうことも出来ます」

 更に別の個所に指先で触れる。するとカッと赤白く灼熱し、ドロドロに溶けていく。【溶鉱の権能】だ。

 この二つの権能はスタンピード以降、扱えるようになったジレッタの力の一端だ。溶鉱の権能は元々使えていたが、より高温になるように出力操作が可能になった。
 腐食の方はジレッタの持つ権能の一つで、ジレッタと過ごし関係が深く繋がり、芽生えた力だ。

「この力は鉄だけでなく、全ての金属に対して使用出来ます」
「こんな、規格外の力を私達に見せて良かったのか?」
「同じ日本人である貴方を信用してますから。同じく貴方が信頼しているメンバーなら見せてもいいかな、って」
「そうか……有難い話だな。なぁ、デンゼル?」

 菖蒲さんが振り返って名を呼ぶ。デンゼルと呼ばれた金髪の男性は照れ臭そうに頬を掻いた。

「すまないな、無口な奴なんだ。表情は豊かなんだが」
「いえいえ。それじゃあ、行きますか」
「そうだな。出発は早い方がいい。すぐ起つぞ」

 こういう遠征時の僕の荷物は全てジレッタの城の倉庫に預けてある。つまり本から自由に取り出せる。緋心も其処に預けてある。

 壁のフックに掛けてある防寒着を取り、作業を続ける親方のところまで行く。

「親方、行ってきます」
「あぁ。気を付けてな。無事に救えると良いな」
「はい。お土産も持って帰るので、ご心配なく」
「ふむ?」

 首を傾げる親方に一礼し、上着に袖を通して僕とジレッタ工房を後にした。


  □   □   □   □


 目的地である【鐵の墓】は山間に存在するダンジョンでる。

 世にも奇妙な事に、このダンジョンは目視で全体像が確認できる。
 通常、ダンジョンというのは洞窟の奥だったり、建物の中だったりと人目に隠れた場所に出来上がる。
 それは主に屋内で淀んだ魔素がダンジョンを生み出すからである。

 にも関わらず、この屋外という開けた場所でダンジョンが発生してしまった原因は言わずもがな、ベノハイムの魔素だ。
 魔王の側近であるベノハイムは死後、埋葬されても尚、その強大な魔力を垂れ流しにし、墓地に淀みを生み出した。
 山と山に囲まれた其処はある意味、閉鎖的な空間だったのかもしれない。

 その結果、彼が埋葬された出身地でもあるナカツミ村に隣接された墓地は、村をも飲み込む一大ダンジョンへと変貌した。

 墓地はダンジョンと化し、村の中にまで浸食していった。
 家の前や中にまで立つ墓標。それを守護するオリハルコンゴーレム。
 入り組んだ構造や強敵のお陰で見事に難関ダンジョンと認定されてしまった。

 其処へ向かう為には野を越え山を越えなければならない。
 最寄りの町までは馬車移動だ。山の麓に広がる【山麓都市ソトツミ】という町まで来たら、食料やらを買い込んで山登りが始まった。

「この時期は標高の高い場所はもう雪が積もってるから、足元には気を付けて」
「分かりました」

 先頭を行く菖蒲さん。真ん中には僕とジレッタ。殿はデンゼルさんだ。
 コートのような厚手の防寒具に身を包みながら1列になって進む山道はまだ土だが、雪が積もれば移動も厳しくなるだろう。

 幸いにもダンジョンまでは山道を進むことで到着出来る。元々ナカツミ村と山麓都市ソトツミは親交があったようで、移動経路は確立されている。
 ただ、その経路を使うのは今は一部の冒険者だけなので道は消えつつあるようだ。

 菖蒲さんは慣れた様子で進んでいく。それに置いて行かれないようにするのは大変だった。ジレッタの身体能力上昇の力がなかったらきっと迷惑をかけていたはずだ。

 曲がりくねった山道を進んでいくと目の前に聳えていた斜面がフッと途切れる。
 まるで野菜の芯を包丁で切り取ったかのようなV字の谷間の道に出た。道の両側には絶壁とも言える急斜面が圧巻の景色を生み出していた。

「見事な谷間ですね」
「あぁ、見る分には良いが……がけ崩れやモンスターの襲撃といった悩みは多い」
「確かに、逃げ道がないですね」

 前か後ろか。崖なんて登れたもんじゃない。挟まれたら大変なことになりそうだ。

 幸いにも今回はそういった事故はなく、警戒も肩透かしに谷間を抜けることが出来た。
 谷を抜けた先はまたしばらく森が続くが、ほんの少しだ。すぐに木々は途切れ、眼下に場違いな墓地が広がっていた。

「あれがS級ダンジョン【鐵の墓】。ほら、ゴーレムが動いているのが見えるか?」
「見えます。まるで墓地を彷徨うアンデッドですね」

 ゆらゆらと体を揺らしながら練り歩くたくさんのゴーレム。
 それはまるでかつては村民だった者が死んでアンデッドモンスターにでもなったかのような、幽鬼めいた雰囲気があった。

「すぐに行きたいところだが、日がもうすぐ山の向こうに沈む。日暮れの時間はまだまだだが、此処はすぐに暗くなるだろう。日が昇ってから行くぞ」
「了解です。ジレッタ、天幕を出してくれ」
「うん、少し待ってて」

 ジレッタは腰に巻いたベルトにぶら下げた本を手に取る。留め金を外して本を開き、書内に広がるジレッタの城の倉庫から天幕を引っ張り出した。
 剣帯の要領で作ったこの本帯は僕の自信作だ。ジレッタの心臓とも言える本を常に持てるようにと作ったそれは、だいぶ気に入ってくれているようだった。

「凄いな……どんな術式を使ってるんだ?」
「僕もよく分かってないんですよね……ジレッタはあの本の中に封印されていたので、封印した人に聞かないと」
「それは誰なんだ?」

 天幕を広げて組み立てながら菖蒲さんに答える。

「100年前に現れた渡界者(エクステンダー)のニシムラという人物です」
「【無限の魔力】のニシムラか……誰かを封印するなんて話は初めて聞いたな」
「でもジレッタはそう言ってます。1000年前にニシムラに封印された、と」
「1000年前……?」

 菖蒲さんが訝しんだ顔で首を傾げた。正直、信じてもらえるとは思ってないのだが、ジレッタが言うのだから真実なのだろう。

「やっぱり変ですよね? 辻褄が合わないんですよ。こればっかりはどう考えても答えが見つからなくて……それを調べたいんですけど、手掛かりもなくて」
「ふむ……確かに、こうも突拍子がないと何から調べれば分からなくなるな。だが1000年前と聞いて少し気付いたことがある」
「! 何ですか!?」

 僕の声に反応したジレッタが振り返る。会話は聞こえていたようで、トコトコと此方へやってきた。
 周囲を警戒していたデンゼルさんは何事かとこっちを見てはいるが、警戒は続けるようだった。

 ジレッタが来るのを待って口を開いた菖蒲さんの言葉は、実に面白い話だった。

「これから向かう【鐵の墓】に埋葬されたという魔王の側近、ベノハイム。彼が仕えていた魔王の名は知っているか?」
「いえ……存在は知っているんですが、王城には記録が残っていないとかで分かりませんでした」
「私も王城では習わなかった。魔王の名は旅の中で本当に偶然、知ったことだったからな。そして知った後もニシムラと魔王は完全に別物だと認識していたし、調べようとも思わなかった。考えもしなかった。だが今なら分かる。その魔王の名は【サイソン】。君と私なら、一見、無関係のように思えるこの名に心当たりがあるんじゃないか?」

 聞いて、思わず笑ってしまった。まったく、馬鹿馬鹿しいにも程がある。
 でも確かに、この世界の人には分からないだろうし、興味がなければ気付きもしない。そも、魔王とやらは入念に痕跡を消していたのだろう。
 実績は消せずとも、名なら何とかなるかもしれない。今後、もし自分と同じような日本人が現れた時に気付かれない為に。

 ……いや、或いは気付かれる為に。

「音読み、ですか……」
「ふざけた話だ。これに気付かなかった私も大概だがな」
「サイソンと聞いて日本人だと思う方が難しいって話ですよ。意外と単純ながら、よく考えたもんだな……」

 ニシムラ……つまり西村(ニシムラ)を音読みで西村(サイソン)と読めは盲点だった。なるほど、であれば色々と辻褄が合うのかもしれない。

「しかしベノハイムが魔王に仕えていたのは200年程前の話だ」
「ん? 1000年前の魔王に仕えていたんじゃないんですか?」
「違うぞ。だが100年前にニシムラという人間が存在していたとなれば1000年前にも200年前にも此奴が存在していてもおかしくないとは思わないか?」
「確かに……同一人物という確定的な証拠はないですけど、時間を越えて存在しているのならあり得ない話でもないですね。そうか、だから1000年前って聞いてピンときたんですね」

 普通は気付かない。別に魔法の王なんて1人とも限らない話だしな。僕の話から其処まで考えるとは菖蒲さんも結構柔軟な人なのかもしれない。

「でも200年前なんて近々に魔王と呼ばれた人間が居たら名前も分かってそうですけどね」
「魔王の動きが観測されなくなるまで明かされなかったな。そもそも敵でもないし知りに行く必要もない。魔王は魔王でも魔法を極めた魔法の王であって魔物の王ではないし」
「あー、確かに……うーんややこしくなってきた……」

 だいぶ頭が混乱してきた。1000年前に存在した魔王サイソンを名乗るニシムラがジレッタを封印し、200年前にも存在し、ベノハイムが仕えていた魔王が名前は不明だがサイソンかもしれなくて、100年前に現れた渡界者(エクステンダー)がニシムラで……理由はどうあれ時間を飛び越えて存在している、のか?

「どちらにしてもこれから向かう【鐵の墓】で仲間を助けた後に、ベノハイムから話を聞ければ良いな」
「殺さずに捉えるのがどれだけ難しいかは分かりませんが、まぁ相性問題では此方の勝ちですし殺されることはないでしょう。ゆっくり話を伺いましょう」