それから直樹の協力もあり、何とか一日を乗り切った涼佑の心は満身創痍で放課後になった途端、直樹に引っ張られて隣のクラスに来ていた。未だ訳が分かっていない涼佑に構わず、直樹は引き戸を開けて教室内を見回しながら「青谷達って、まだいる?」と声を張った。その声に何人か反応が返ってくる。その中には涼佑も知っている青谷真奈美本人もいた。丁度、二人の友人達も一緒にいる。

「なに? 私達、帰るんだけど」

 長い黒髪を下ろし、前髪を分けて片側を青い蝶々のピンで留めている女生徒。彼女が直樹が捜していた青谷真奈美だ。美人だが、滅多に笑った顔を見たことが無い、いつも無表情を貫き通しているクールなオカルト好き女子として、ちょっと話題になっていた女生徒だ。
 彼女に関しては実に様々な噂があって、その中にはあまり良くないものもある。悪魔と契約しただとか、黒魔術に手を出しているだとか。そんな荒唐無稽なものまである始末だ。だが、そんな噂をされるくらいには彼女のオカルト方面での実力は確かだとも取れる。
 直樹はずかずかと彼女に近付き、彼女の前まで来ると「青谷ってさ。お祓いとか、できたりする?」と単刀直入に訊いた。隣のクラスということもあってか、居心地の悪そうな表情を浮かべる涼佑。真奈美は相変わらずの無表情で無言。その代わりに彼女といつも一緒にいる少し派手な見た目の女生徒、白石絢が不快そうに眉を顰めて「なに?」と不審そうな口調で返す。真奈美を守るように一歩前に出てきて続けた。

「あんたらも冷やかしにきた感じ? 生憎と真奈美はそういうの、もう相手にしないって決めてるから。用が無いなら、さっさと――」
「冷やかしとかじゃない。こいつにヤバいの憑いてるっぽいから、何とかしてやって欲しい」

 ぐい、と絢の前に差し出されて涼佑は内心、直樹のあまりの率直さに心配になった。いきなりこんなことを言われたら誰でも冗談に思うだろう、と。勘弁してくれと彼が思っているうちに、真奈美は未だに顔色が悪い涼佑をじっと見ていたかと思うと、暫くしてから「分かった」とだけ言う。意外な二つ返事に涼佑も直樹も驚きでまじまじと彼女の顔を見た。

「『分かった』!?」
「ほ、ほんとかっ!?」
「ちょっと、真奈美。本気? お祓いって、真奈美だって危ないかもしれないんだよっ!?」

 生憎とオカルト方面には全く詳しくない涼佑達は「え、そうなの?」と一気に心配になるが、真奈美は変わらず読めない表情で「そこは、大丈夫」と実にシンプルな返答をする。隣にいたもう一人の友人、遠藤友香里も同じように心配そうな顔をしていた。

「丁度良い儀式があるから、夜、私の家に来て」
「あ、え? 真奈美、待ってよぉ」

 それだけ言い残して真奈美はさっさと帰ってしまった。彼女のすぐ後を追いかける友香里。絢も続こうとして涼佑達を振り返り、「ああ、もうっ」と自棄のように声を荒げ、ポケットから自分のスマートフォンを取り出した。

「連絡先、教えて。あの子、こういうところ抜けてるからあたしが色々やるっ。取り敢えず、儀式は今夜やるみたいだから、一旦家帰ったら、あの子の家に集合! 住所はこれ! じゃあ、後で絶対来なさいよ! ったく、珍しくやる気満々なんだから」
「お、おう」

 急いで絢と連絡先を交換し、彼女も慌ただしく真奈美達の後を追った。取り残された涼佑達は出来たばかりのトークアプリのグループ会話を見る。トークアプリ、メイムのグループ名は『依頼二十八件目』とだけある。自分達以外にもそこそこオカルト系の依頼があったことに、二人でちょっと戦慄した。

「俺らで二十八件目って、どんだけだよ……」
「で、でも、何か逆に安心する」

 涼佑達で二十八件目ということは、彼らの前に依頼した人達の願いは叶っているという訳で、それが真奈美の実力を示しているのだと涼佑は逆には安心感を覚えるのだった。



 真奈美の家は涼佑達のような橋向こうの住宅地ではなく、学校近くの山を貫通するようにして造られたトンネルを通ってすぐのところにあるのだという。スマートフォンの地図で見ると、彼女の家の目の前に敷いてある道路を挟んですぐに山があるので、「ほぼ山じゃん」と言った直樹を涼佑は注意する。

「失礼だろ、ギリ山じゃない」
「いや、だって、お前も見ただろ? それに俺は『ほぼ』って言いましたぁ」
「そういうのいいから」

 絢の言った通りに一旦、それぞれの家に鞄を置いて私服に着替えてから、涼佑と直樹は真奈美の家へ向かっていた。帰りは真っ暗になっているだろうからと、直樹が自分の家から懐中電灯を持って来ていた。涼佑はついうっかりして忘れて来てしまい、それに気付いたのは、真奈美の家へ続くトンネルの前に来た時だったので、尚更後悔した。くそ、やらかしたと苦い顔をする。

「うわ、そっか。懐中電灯持って来んの忘れた」
「マジで? じゃあ、俺に感謝しろよ。涼佑」
「その顔、シンプルにムカつくからやだ」

 懐中電灯を手にドヤ顔を見せてくる直樹に、涼佑は負け惜しみでちょっと毒を吐いておいた。今から取りに戻ったら、日が沈んでしまう。日が出ている今でさえ、薄暗いトンネルの中を日が沈んでから通ることになったら、心臓が何個あっても足りなくなる。絶対に嫌だと多分に後悔しつつも、もう進むしか無い涼佑は諦めて直樹と一緒にトンネルの中へ入った。
 中は涼佑が思っていたより乾燥していて、少し冷えた風が前方の出口から吹いてくる。まだ夕方だからか、不気味な気配は無く、至って静かなものだ。傾き掛けた日の光が掛かり、懐中電灯を点ける程でもない薄暗さは逆に安心を覚えた。

「でも、青谷のやつ、何するつもりなんかな?」
「さぁ、考えてもしょうがないよ。オレら、そういうの詳しくないし」
「特に何か持って来いとか言われてないし、変なおまじないとかで誤魔化されないかな」
「……そん時はそん時だよ」

 元よりあまり期待はしていない涼佑だった。せめて、あの影が見えなくなるだけでも充分良い。そんなことを考えているうちに、トンネルの出口が見えてきた。案外、トンネル自体は短いものだったようだ。出口の光に気付いた直樹が少しだけ嬉しそうな顔をする。

「お、出口だ」

 その声が合図になって、二人はどちらからともなく走ってトンネルを抜けた。
 トンネルを抜けると、深緑が降り注ぐ道路に出た。少し冷気を帯びて湿った空気が降りてきて、肌を濡らす。真奈美の家は本当にトンネルを出てすぐのところにあった。森を背景にどことなく洒落た雰囲気のある小さな家。あれに似てるな、と涼佑は幼い頃のことを回想する。まだ彼が小学生高学年でみきが低学年だった頃、彼女が誕生日に欲しがっていたドールハウスに少し似ているなと思った。そんな家だからか、異性の家だからか、直樹も少し戸惑っているようだった。

「マジでここ?」
「……マジだわ」

 再三スマートフォンの地図で位置を確認した涼佑達。地図上の位置も住所も間違いない。一応、表札も見てみると、表札自体は年季の入った木の板に「青谷」と書いてある。洋風の洒落た家に渋い滑らかな木札が下がっていることに、涼佑は少々アンバランスさを感じたが、気にしないようにした。表札の隣にはカメラ付きのインターホンが付いている。住所も位置も確認した涼佑は迷い無く押した。
 ピンポーン、と景気のいい音に余所見をしていた直樹が「ちょっ!?」と慌て出す。

「お前、押すの早いって!」
「え。だって、住所は確認できたし……」
「あのなぁ、仮にも女子の家に入るんだから、少しは心の準備ってもんを――」
「あ、やっと来た。あんた達、何してんの! 早く入って!」

 ブツッ、と向こうのマイクのスイッチが入った音に表情が強張る直樹の心配とは裏腹に、絢の叱咤する声がインターホンから聞こえたと思ったら、すぐに切れてしまった。家主ではないが、入れと許可が下りたので、涼佑はそのまま直樹を無視して黒い門扉を開けて入る。

「あー! もう、お前……だから言ってんじゃん!? 入る前にちょっと心の準備させろって――」
「何をそんなに緊張することあるんだよ。あっちはただ依頼こなすだけで、こっちは待たせてるんだから」

 他人を待たせてはいけないと思っている涼佑が何の気なしに思ったことことをそのまま言うと、直樹は渋々「いや、そうだけどさ……」と何事かぶつぶつ言っている。涼佑の全く意識してない様子から、意識しているのは自分だけなのかと思うと、途端に思春期特有の複雑な感情は萎んでしまう。真っ直ぐ玄関に向かう涼佑を慌てて追いかけ、隣に立つ。
 そこから見える青谷家の小さな庭にはいくつかの鉢植えが置かれていて、秋桜やハルシャ菊が咲いている。その中で何故か目に留まったのは、花が咲いていない小さなサボテンで、何となくその小さく収まっている感じがいつも無表情な真奈美本人を思い出させた。そんなことを思いながら玄関のドアに手を掛けて引っ張ると、鍵は既に開けられていたようで、あっさりと開いた。