人がいた、という事実だけを残したままの畦道を通り、やがて何軒かの民家が連なる村らしい村に着いた。だが、どういう訳か、今まで歩いて来た畦道と同じように人の気配というものがまるで無い。気配は無いが、念の為、他に人がいないか、一部の開け放されたままの玄関や障子に遮られていない窓から中を窺ってみるも、やはり誰もいなかった。
 ひっそりとしている村はそこにいればいる程、生き物の気配が無く、底冷えした恐怖が足元から這い上がってくるようだ。これ以上、ここにいたくないと思った一同は、誰も何も言わずに早々と立ち去ろうとした。が、皆がその場を立ち去っても巫女さんだけは、何故か家々が並ぶ中で立ち止まり、訝しげに周囲を見回している。彼女一人だけが遅れていることに気が付いた涼佑が先を行く直樹達に声を掛け、立ち止まらせると彼女のほうへ振り向いた。

「どうした? 巫女さん」
「――いや、何でもない」

 何か言いたげな空気を纏っていたが、特にそれが口にされることは無く、何事も無かったかのように巫女さんは涼佑達と合流した。



 人っ子一人いない村を通り過ぎ、やがて山の入り口に一基の鳥居が見えた。霧の中からぬう、と大きな影を伴って現れたそれにどこか怪物めいたものを感じて、一同は思わず足を止める。鳥居にある筈の神額はやはり無く、神社の名前すら分からない。それを今更気にしていても仕方ないと思い、鳥居を潜ろうと皆一歩踏み出した時だった。

「あっ!?」
「みくちゃん!?」

 唐突に絢の手を放したみくが先に鳥居を潜り、一人で駆け出して行ってしまう。少し様子がおかしかったのか、絢達も慌ててその後を追った。涼佑達もつられるようにして後を追う。みくは一人でどんどんと奥へ奥へ行ってしまい、子供の足の速さに一同は振り切られそうだ。道は神社へ続く石畳の道一本だというのに、このままではみくと離れ離れになってしまう予感を皆覚えていた。運動があまり得意ではない涼佑と真奈美、友香里が早くも脱落し、直樹と絢が何とか追い縋り、巫女さんが二人の先へ躍り出る。やっとみくに追いついた時には皆、境内へ足を踏み入れていた。

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……。………い、いきなり、どうしたの? みくちゃ――」

 巫女さんと直樹と共にみくに追いついた絢は、社殿の前で立ち尽くしているみくを見て、言葉を失い、息を飲む。社殿の前まで来たみくは何かに怯えながらも、社殿から目を離せないでいるようだった。その小さな口からは何事か呟きが漏れているが、ここからではよく聞こえない。もっと近付こうと膝に手を付いて呼吸を整えていた絢が踏み出そうとした時、出し抜けにみくは甲高い悲鳴を上げた。頭を抱え、痛みに耐えているように苦しげに呻きながら、譫言のように「わ、わたし、わたし、ここで……!」と繰り返している。全く訳が分からないまま、絢はとにかく彼女を落ち着かせようと走り出そうとしたが、それを巫女さんに止められる。そこで漸く遅れていた涼佑達も追いつき、境内に入ってきた。

「放してよ! 巫女さん! なんで――」
「もう遅い」

 その言葉が何を意味するのかも絢には分からなかったが、答えは唐突に表れた。絹を裂くようなみくの悲鳴がもう一度上がり、絢が振り返った先にいたのは――

「――え?」

 白髪を振り乱した白装束の老婆が地に膝を付いている光景だった。ついさっきまでみくがいた場所で息を乱している老婆は、落ち着いたのか最後に大きく息を吐くと、ゆっくりと立ち上がった。長い白髪の隙間から覗くその目は暗く淀み、皺が刻まれた顔には幼いみくの面影は無い。どうして幼かった彼女が老婆になってしまったのか、現状すらよく分からない絢は言い知れぬ恐怖に震えていることしかできなかった。
 しかし、この場においてただ一人だけこの状況を理解している者がいた。

「やはり、こいつが中心だったか」

 すらりと刀を抜いた巫女さんだ。ふらふらと立ち尽くしている老婆へ向けて、彼女は白刃の切っ先と顔を向けたまま、背後にいる絢達へ声を張った。

「ここは私が押さえる。お前達は逃げろ」
「逃げるってどこへ!? っていうか、なんで!?」

 戸惑いしかない様子の直樹も逃げろと言われても、どうして逃げなければならないのか、本当に逃げるべき局面なのか、得心がいかなくてその場から動けないでいる。説明している暇が無い巫女さんは老婆から目を離さずにぶっきらぼうに言った。

「今は説明している時間が無い! とにかく走って逃げろ!」
「待って、巫女さん! 何か言ってる!」

 少しでも絢達を老婆から離そうとした巫女さんだったが、守ろうとした絢の言葉によって遮られる。彼女の言葉通り、よく見ると老婆は何事かぶつぶつと呟いていた。口の中でもごもごとしか言わないせいで、具体的な内容はよく聞こえない。かと思うと、突如老婆はよく通る声で朗々と告げる。その言葉は警戒を解かずにいる巫女さんだけでなく、この場にいる全員によく聞こえた。

「誰も、この村から出ることはできない。出ることは許されない」

 その言葉が言い終わるか、終わらないかのうちに涼佑達は微かに体が浮くような感覚を覚える。けれど、自分の足元を見てもしっかりと地に足を付けていた。意識だけが浮遊感と共にまるで動画の逆再生をするように涼佑達は神社の外へ押し戻された。境内から押し出される直前、確かに涼佑の耳にはか細いみくの声でこう聞こえた。

「私は、ここでそれを願った」



 はっと気が付くと、涼佑達は村の門の前に立ち尽くしていた。一瞬何が起こったのか理解できず、周囲を見回していると、背後に門があるのに気が付いた。村の名前が削り取られていた、あの門だ。門は最初に潜った時と同じように片方開きっ放しの状態で、変わった様子は無い。訳が分かっていないなりに脱出のチャンスだと思ったようで、直樹が「こっから出られんじゃん!」と門を潜ろうと駆け出した。その姿を見て、何故か巫女さんが焦ったように「待て!」と制止しようとするも、間に合わない。
 直樹が敷居に足を掛けたその時、外れていた筈の扉が独りでに動いて丁番で繋がれ、勢い良くばたんっと閉じられる。危うく扉に挟まれそうになった直樹は、反射神経でそれを避けたは良いものの、足を縺れさせてしまい、そのまま背後へ倒れそうになる。転んだら死ぬ。ここに来て散々、見てきた光景が今親しい友人で再現されそうになると直感した一同は、何としても支えねばならないと手を伸ばした。
 だが、間に合わない。真っ先に走り出していた巫女さんの手すら届かずに、直樹はいとも容易く地面に背中を付けるようにして倒れてしまった。見る見るうちに瞳孔が開き、全身に青紫の痣が広がる。それが意味するところを理解しきっている皆の内、真っ先に悲鳴を上げたのは絢だった。倒れた直樹に縋り付き、慟哭する絢。皆をここに連れて来てしまったという罪悪感をずっと抱えていたのだろう。いくら謝っても謝り切れないという思いを「ごめんなさい」と溢れる涙に乗せていた。いつもならすぐ起き上がって彼女をからかう直樹は、もうそこにはいなかった。真奈美も友香里も涙を流し、涼佑も親友を失った絶望で言葉を失っている。皆、どうすることもできずに直樹の周囲に立ち尽くしていた。しかし、村は彼らが悲しむ暇すら与えてくれない。地面が蠢き、直樹の体が転がされ、押し出されていく。せめて体だけでもと涼佑達は押さえ付けようとするが、無情にも直樹は取り上げられ、最初の少女達と同じように近くの川へ転がり落ちて行った。