私は絵を描くのが好き。私の中にあるたくさんの色を表現するのが好き。
夏の花火。夜空に咲く色とりどりの炎の花。その色たちは金属の炎色反応によるものだと最近知ったが、人類の叡智は素晴らしいと思う。科学と芸術のコラボレーション。
秋の山。澄んだ青空と白い雲、赤や黄色や緑が混ざった色鮮やかな木々を反射する湖面。自然が作り出す最高傑作。
春の花畑。綺麗に並べて植えられた花々が作り出すカラフルな絨毯。自然を守り、利用する人間の努力の結晶。
冬のクリスマス。赤と緑を見るだけで心が弾む。きらびやかなイルミネーションの光と白い雪の共演は息を呑むほど美しい。人類の歴史と文化に感謝。
物心ついた時から絵を描いていた。それなりに上手い自負はあるけれど、コンクールでは賞をもらったことは少ない。理由は分かっている。私は自分が好きな絵しか描きたくないから。そして色を使いすぎるから。
風景画は大好き。特に自然の風景。自然はあらゆる色を内包している。
静物画は物による。
人物画は色をたくさん使えることが少ないから嫌い。小学二年生の時、ペアで似顔絵を描く授業があり、相方の子の顔を赤とか黄色とかカラフルにしまくったらその子に泣かれてしまったし、先生にもやんわりと怒られた。
それ以来どうしても人の顔を描かなければならない時は無難につまらない絵を描いている。もっとも、望んで描くことはほとんどないけれど。
中学一年生の私が学校に持って行く筆箱にはいつもたくさんの色のボールペンが入っている。授業中に暇な時はノートの片隅に花火の絵を描くためだ。一応板書もしっかりとカラフルに写しているので、勉強に不要な物を持ってきてはいけないという中学校のルールには抵触はしていない。やるべきことはやっているのだから怒られる理由はない。
そのはずなのだが、数学のノート提出があった日の放課後に私は職員室に呼び出しを受けていた。どうやらノートに書いた花火の落書きがどうもお気に召さなかったらしい。私がこの件で呼び出されるのは中学生になってもう十度目で、数学の先生だけで六度目。
大抵の先生は一度注意して改善が無ければ諦めてくれるのに、頑固で厳しい初老のおじさん先生はそうはいかない。
「一色、ノートは落書きをするところじゃない。何度も言わせるな」
「板書はちゃんと写してますよ。別に先生のためにノートを書いているわけじゃないですし、ノート自体お母さんが私にくれたお金で買った私の所有物なんですから、注意される筋合いはありません」
この反論も六度目になる。椅子に座り私たちを見上げている数学の青島先生は眉間にしわを寄せ、鋭い目つきで私を睨みつける。また意味もなく長い説教が始まるのかと辟易していると、青島先生はふん、と鼻を鳴らして私から目線を外した。
私への指導を諦めたわけではなく、面倒くさい奴は後回しにして物分かりが良さそうな方への指導を先に終わらせようという魂胆のようだ。先生は私の隣に立つ男子生徒を見上げる。
「黒田。何故俺の言う通りに色を分けて書かない。白で書く説明や計算式は黒で、赤で書くところは特に重要な式や説明だから赤で、強調するために黄色で書いたところは青でノートに書けと四月の最初の授業で指示をしただろう。お前はいつもテストで高得点だから目をつむってきたが、もうすぐ二年生になるんだ、このままではいけない。俺の言う通りにノートを書くようにしろ」
私と一緒に職員室に呼び出されていた同じクラスの黒田君を青島先生が叱責する。黒田君はじっと青島先生を見つめながら話を聞いているようで、先生が言いたいことを言い終わるとすみません、と呟きながら同級生の中では高い位置にあって目立つ頭を下げた。疲れたサラリーマンみたいな顔をしていて、苗字の通り黒が似合いそう。確か書道部だったはずだし、なおさら黒が似合う。
私は黒があまり好きでない。どんな色も塗りつぶしてしまうから。だから、どんな人にでも話しかける私でも黒田君にはまだ話しかけたことはなかった。
「来週の月曜日のテストが終わったら誰かにノートを借りて写させてもらえ。火曜日に再提出しろ。そうすれば成績は下げないでやる。二学期の中間テストのあとから今日までの授業の分でいい。分かったな?」
「……はい」
「よし。黒田は帰っていいぞ」
「失礼します」
黒田君が私を一瞥してからもう一度青島先生に頭を下げて職員室を出て行くと、先生は再び私を睨みつけた。赤か、いや、寒色系も似合いそうだ。
「テストで高得点を取れているならノートなんてどう書いたって構わないじゃないですか」
私は思ったことをつい口に出してしまう。家族には悪い癖だから気をつけた方がいいと言われるけれど、我慢できないのだから仕方がない。彼氏と喧嘩をしたという同じクラスの女子の愚痴を聞いて皆で慰めていた時につい「どっちもどっちだよね」と言ってしまい空気をぶち壊したこともある。
あれは確か夏休み直前のこと。今となってはいい思い出だ、と思えたらどんなに良かったことか。
私の言葉を聞き終えた青島先生の眉間のしわが濃くなったような気がした。しまった、これは長くなる。そう思ったが、先生からの指導という名のお説教は案外簡単に終わった。
「それなら来週の期末テストの数学で九割以上の点数を取れ。そうしたらノートの落書きは不問にする。取れなければ冬休みの課題をお前だけ五倍の量にする」
いつも平均点前後の点数しか取れていない私には時間があってもそれは厳しい。さらに今日は金曜日なので月曜日のテストまでにあと二日と少ししかない。そんなの無理ですと言いかけたが、なんとか飲み込んで代わりに分かりました、と言ってその場をしのいだ。余計なことを言うとお説教がもっと長くなるし、もっと大変な課題やら条件が出されるかもしれない。
よく我慢したぞ私。やればできる。
心の中で家族にドヤ顔を見せながら青島先生から返されたノートを持って職員室を出ようとすると、担任の侑里ちゃん先生に声をかけられた。私と青島先生のやり取りを見ていたのだろう。
「一色さん、頑張って勉強するんだよぉ?」
侑里ちゃん先生の年齢は二十四歳。身長が百五十センチちょうどくらいしかなくて童顔なので皆から妹のように可愛がられている。英語の授業は分かりやすくて楽しいし、幼い容姿の割にしっかり者なのでお姉さんとして頼りにもされていた。
私を少しだけ見上げる形になっているその目にはしっかりと大人の優しい光が灯っているように見える。絵に描くとするならオレンジなどの暖色系だろうか。パステルグリーンあたりも捨てがたい。いっそ金ぴかにしても面白いかも。
「聞いてる?」
「ああ、聞いてます、聞いてます。大丈夫ですよ」
私のもう一つの癖は、人を見た時にどんな色を使って描くか想像すること。実際に見えはしないけれど、その人が内面で持っている色を心の中に思い浮かべるのが好きなのだ。過去の経験から、想像した色を使って人の顔を描くことはないけれど。
「本当? 九割なんて大丈夫なの? いつも六割くらいでしょう? ちゃんと謝って青島先生に教えてもらった方がいいんじゃない? 私も一緒に行こうかぁ?」
「問題ないです! それじゃ、さようなら!」
侑里ちゃん先生はいい先生だと思うけれど欠点が二つある。一つは心配症で過保護なところ。もう一つは授業で黒板を使う時に白と黄色のチョークしか使わないところだ。別に自分で勝手に色を増やして書くから構わないと言えば構わないのだけれど、なんとなくノートの書きがいがない。
理科の緑川先生は学校に常備されている白、黄色、赤、青の他にも自分で緑とかオレンジとかのチョークを用意してカラフルな図や絵を描いて説明してくれて楽しいのに。
そんなことを考えながら私は自分の教室に荷物を取りに大急ぎで戻る。急ぐ理由は帰って絵を描きたいから。美術部に入っているもののテストが間近に迫った今、部活は禁止になっているので家で描くしかない。十一月に遠足で行った紅葉が美しい山の風景画を仕上げなくてはならないのだ。
本当はきちんとした画材道具を持って行きたかったが、さすがにイーゼルや今描いているキャンバスは持っていけなかったのでスケッチブックに色鉛筆で描いていた。当然写真も撮ったので、写真と絵と記憶を頼りに少しずつキャンバスに描き進めている。年明けにあるコンクールに間に合うだろうか。
一年三組の教室に駆け込むと、自分の席で学校指定の通学鞄に教科書やノートを詰め込んでいる黒田君がいた。走る足音のせいか黒田君は私の存在に気がついたようで、振り返った彼とばっちりと目が合った。
覇気は少ないが真面目そうな顔立ちと清潔感のある短髪、身長は中学一年生の四月の時点ですでに百七十センチを優に超えていたと聞いたことがある。十二月の今、もっと伸びているだろうか。
黒縁眼鏡の奥でぼんやりと私を見つめている瞳はやはり黒が似合う。
特に会話を交わすつもりもなく鞄の方に再び目を向けようとしたので話しかけることにした。
絵はいつでも描けるが、黒田君と話すチャンスは今しかない。私は人と会話をしてその人の色を見つけることが好きなのだ。もしかしたら黒以外にも似合う色が見つかるかもしれない。お説教された仲間というこの瞬間限りの親近感もあった。
「ただいま」
「……おかえり? っていうのも変な気がするけど」
「お互い災難だったね」
「そうだね」
「こうやって話するの初めてじゃない? もう八ヶ月も同じ教室にいるのに。それに筆仲間なのに」
「筆? あ、一色さんって美術部だもんね。それより班活動とか掃除とかする時に何度か話したことあると思うよ」
「それは義務だから。雑談じゃないでしょ」
「まあ、それはそうか。それなら一色さんは俺と雑談がしたいの?」
「うん。私クラスの皆と友達になりたいし。そういえば黒田君とまともに話したことなかったと思って、ちょうどいいタイミングだから。迷惑?」
黒田君は仏頂面のまましばしの間考え込んだ。
「そんなに考えること? 用事があったり私のことが嫌いだったら断ればいいし、そうでないなら雑談に乗ってくれればいい、それだけじゃない?」
言ってから気がつく。またやった。黒田君にだって色々と事情があるかもしれないのに、私の価値観のまま責めるようなことを言ってしまった。後悔が私の心にのしかかる。
「あ、ごめん。なんか勝手なこと言って」
黒田君はほんの少しだけ口角を上げて答えた。
「いや、別に謝るようなことじゃないよ。一色さんの言う通りだと思うし、話をすること自体は嫌じゃない」
「え? じゃあなんで悩んでたの?」
「一色さんがクラスの皆と友達になりたいって言ったからさ。じゃあ俺とも友達になるのかと思って、友達なら数学のノートを借りるのもありだよなって考えたんだ。でもいきなりそんなことお願いしてもいいのかなっていうのを悩んでた」
ノートくらい言われたら貸すのに、黒田君の価値観は私とは違うようだ。
「そんなに真剣に考えるなんて、黒田君って真面目なんだね」
「よく言われるよ」
「まあいいよ、はい」
私は手に持っていた自分の数学のノートを黒田君に手渡す。黒田君は「ありがとう」と言いながら受け取り机上にあった通学鞄を机の脇にかけ、代わりに私のノートを広げる。彼が椅子に座るのとほぼ同時に私も隣の席の椅子に座った。
黒田君が私のノートの隣に自分のノートを広げる。なんとなく覗いてみると、それは黒、赤、青の他にも緑やオレンジ、黄色、紫などなどカラフルな私のノートと比べてとてもシンプルで殺風景に見えた。なんと黒と青しか使われていないのだ。失礼な言い方だが男子にしてはとても綺麗な字で書かれていることも、無機質さを演出するのに一役買っている。
「字、綺麗だね」
「ありがとう」
赤いボールペンを持って私のノートを写し始める黒田君。真剣な眼差しに、これが成績上位者の勉強の姿勢なのかとつい見入ってしまう。
「雑談、何の話をするの?」
ノートを書き進めながら黒田君が私に尋ねる。
「んー? 雑談ってテーマを決めてするものじゃないでしょ。自然に発生するようなもので、だから今思ってることを素直に話せばいいと思う」
「そういうものかな……」
「そうだよ。だから黒田君が特にないなら私が思ってることを言うね。黒田君の下の名前って確かこうたろう、だよね? 虹の太郎って書いて虹太郎」
「うん」
「いい名前だなとは思ってたんだ。カラフルでさ、綺麗だよね」
「一色さんの名前も似たようなものでしょ? はなび、だよね?」
「うん。平仮名三文字ではなび」
「だから花火を描くのが好きなの?」
黒田君は私のノートに書かれた花火の落書きを人差し指で撫でながら言う。やっぱり黒なのに、どうしてか明るい。なんだか私自身を撫でられているようでくすぐったい感覚になる。
「うん。私が生まれる時、病院の近くでちょうど花火大会をしてたんだって。なかなか生まれてこなくて大変だったらしいんだけど、ラストの一番大きな花火が打ち上がって夜空に咲いた瞬間に私がポンってお母さんのお腹から出てきたから、それにあやかってこの名前になったんだ。お母さんとお父さんにとって花火は大切な存在で、物心ついた時からいっぱい見る機会があったし、自分と同じ名前だから自然と好きになったんだ」
「なるほど、名前が今の一色さんの原点なんだ」
納得したように黒田君は頷く。さっきよりも口角は上がっているようで、微笑んでいるようにも見える。「苗字も一色じゃなくて千色くらいが良かったんだけどね」と冗談を言うと声を上げて笑ってくれた。堅物に見えて意外と感情は豊かのようだ。
「本当に、カラフルなのが好きなんだね。綺麗だ」
黒田君が私のノートを見ながらしみじみと言う。描いた絵に対して評価なんていらないと思っている私だが、さすがに面と向かって言われると少し照れくさい。
胸の中で得体の知れない熱が動き回り始めるような感覚を覚える。胸から全身に伝わって指先から脳まで全部に行き渡った。
どうせならもっときちんと描いた絵を見てもらいたい。そう思った瞬間、私の脳内で作戦が組み上げられていく。しばらく考えて、一石二鳥の作戦を完成させることができた。
「ねえ、黒田君。ノートを見せてもらったらお礼がしたくならない?」
「俺にできることならいいよ」
私が考えている間に真剣モードに戻った黒田君は、ノートに目を向けたまま赤ボールペンで書き写しながら表情を変えずに答える。
「黒田君って勉強得意でしょ? 前のテストは何番だったの?」
「学年三位。まあ、一応人並み以上にはできると思うよ」
「すご、やば。ああ、いやそれで、青島先生にノートに落書きした罰で今度の数学のテストで九割以上取れなかったら冬休みの課題を私だけ五倍にするって言われちゃってさ」
「俺に教えて欲しいってこと?」
「うん、駄目?」
黒田君は最後のページに差し掛かる。そのページは赤で書いてある部分が少なく、もうすぐ写し終わりそうだ。
「まあ、いいよ」
「ほんと? ありがとう! 恩に着るよぉ。冬休みがなくなっちゃうところだった」
嬉しさのあまり勢いよく立ち上がると椅子がガタンと音を立てて倒れた。感謝の握手をしようと両手を差し出したが、真剣モードの黒田君は音にも手にも反応を示さない。
しばらくそのまま固まっていると、ノートを写し終えた黒田君が私のノートを丁寧に閉じ、こちらに目を向けた。そのまま「助かったよ、ありがとう」と言いながら私の差し出していた手の上にノートを乗せる。
「ちょ、そうじゃなくて」
「え? ノート返さないと勉強できないでしょ?」
「うー、もういいよ」
言葉に対しては察しがいいのに行動に対しては察しが悪い。ノリが悪いなぁ、という言葉をどうにか我慢した。黒田君はもういいと言われたからかこの件に関しては特に触れず、自分の鞄の中を漁り始めている。
まさか今からやるつもりか。
「何やってるの? 教科書なんて出して」
「何って、一色さんが言ったんでしょ? 数学を教えて欲しいって」
「いやいや、もう四時過ぎてるんだよ? 今から始めたら終わるのが夜遅くになっちゃうよ。一応私もか弱い乙女なんだからそんな夜遅くに帰るのはちょっと怖いかなって。そもそも遅くまで学校に残ってたら先生に怒られちゃう」
「え、そんなに時間かかるの? すぐ終わると思ってたよ」
眼鏡の奥で黒田君の目がまん丸くなる。どうやら分からない問題を少し教えてあげるくらいのつもりだったようだ。
残念ながらいつも六割程度の私が九割とるためには少しでは足りない。それなりに時間をかけてがっつり教えてもらいたい。だから明日、近所にある市民図書館の自習室で一緒に勉強しよう。そう告げると黒田君はまたもや考え込んだのちに、何かに納得したように頷いてから了承してくれた。
「乗り気じゃない?」
「そういうわけじゃないよ。図書館には俺もたまに行くし、結構好きな場所だから。ただ、ちょうど今……いや、なんでもない。明日の十時に現地集合ね。それじゃあ今日はこれで」
「うん、ばいばーい」
荷物を詰めた通学鞄を背負い教室から出て行く黒田君を見送り、一人ぼっちになった私は誰のかも分からない椅子に座り直してため息をつきながら天井を見上げる。
クラスの皆と友達になりたい。そう思って入学当初からクラスメイトに積極的に話しかけた。友達っぽくなるのは簡単だった。相手の子だって友達を欲しているわけだし、私は明るい性格で容姿も悪くないという自信もあった。
でも、いつも友達一歩手前くらいで関係が停滞していた。クラスで誰と仲が良いの? と問われたら答えることはできない。
夏休みが明けて二学期になると私の扱いはほぼ決まっていた。朝と帰りの挨拶はする。授業や掃除、委員会などで必要な会話はする。休み時間に雑談をすることはない。一緒に帰ることはない。休日に遊びに行くこともない。無視はされていない。嫌がらせもされない。一応クラスの一員として認識はされている。自他ともにいじめという認識からは程遠い。
でも、周りに人がいるのに、存在を認められているのに、私は孤独だった。
友達一歩手前まで行った人たちは皆少しずつ私から距離を置いたのだ。理由は自覚している。
一つは思ったことをすぐに言ってしまうこと。きっと余計なことを言ってやばい奴とでも思われているのだ。自分なりに反省して最近は抑えようと努力しているが、さっきの青島先生相手でも、黒田君相手でも抑えきれないことがあった。まあ、これは私が悪いから仕方がない部分はある。座右の銘は口は災いのもと。
もう一つは絵だ。私は目だけでなく心でも色を見ている。だから自分が感じ取った色を使って絵を描きたい。リアルにモデルのいる人物画だけは過去に泣かれたことがあったので我慢しているが、他の絵は譲れない。好きな色を使って、好きなように描きたい。その衝動は止められない。
五月頃、絵が上手いことを見込まれてアニメキャラを描いて欲しいとお願いされたことがあった。優しい性格が最大の特徴のキャラだったから私が感じたままに本来はなかったはずの薄緑色を目元に混ぜて描いて見せると、そんなのはおかしい、と言われた。「私はこのキャラはこの色が似合うって思った。あなたをモデルにしたわけではないし、あなたのオリジナルキャラでもないんだから、文句を言われる筋合いはない」と言い返すと、それ以来絵を描いて欲しいと言われることはなくなった。
私が休み時間にスケッチブックに絵を描いていると、また変な色で描いてる、という陰口が聞こえる。それ以上に何かを言われたりされたりすることはないし、もう慣れた。
私の絵は自己満足に過ぎなかった。
だから私が数学のノートに落書きした、黄、赤、青、緑、茶色、オレンジ、紫などが混ざり合った花火を見た黒田君が「綺麗だ」と言ってくれたことがたまらなく嬉しかった。いつもは黒一色しか似合わないと思って興味を抱かなかった黒田君が、あの瞬間虹色に輝いて見えた。
黒田君なら私の絵を、私の世界に存在する色を認めてくれるのではないか、そんな風に考えたから、市民図書館に誘うことにしたのだ。
夏の花火。夜空に咲く色とりどりの炎の花。その色たちは金属の炎色反応によるものだと最近知ったが、人類の叡智は素晴らしいと思う。科学と芸術のコラボレーション。
秋の山。澄んだ青空と白い雲、赤や黄色や緑が混ざった色鮮やかな木々を反射する湖面。自然が作り出す最高傑作。
春の花畑。綺麗に並べて植えられた花々が作り出すカラフルな絨毯。自然を守り、利用する人間の努力の結晶。
冬のクリスマス。赤と緑を見るだけで心が弾む。きらびやかなイルミネーションの光と白い雪の共演は息を呑むほど美しい。人類の歴史と文化に感謝。
物心ついた時から絵を描いていた。それなりに上手い自負はあるけれど、コンクールでは賞をもらったことは少ない。理由は分かっている。私は自分が好きな絵しか描きたくないから。そして色を使いすぎるから。
風景画は大好き。特に自然の風景。自然はあらゆる色を内包している。
静物画は物による。
人物画は色をたくさん使えることが少ないから嫌い。小学二年生の時、ペアで似顔絵を描く授業があり、相方の子の顔を赤とか黄色とかカラフルにしまくったらその子に泣かれてしまったし、先生にもやんわりと怒られた。
それ以来どうしても人の顔を描かなければならない時は無難につまらない絵を描いている。もっとも、望んで描くことはほとんどないけれど。
中学一年生の私が学校に持って行く筆箱にはいつもたくさんの色のボールペンが入っている。授業中に暇な時はノートの片隅に花火の絵を描くためだ。一応板書もしっかりとカラフルに写しているので、勉強に不要な物を持ってきてはいけないという中学校のルールには抵触はしていない。やるべきことはやっているのだから怒られる理由はない。
そのはずなのだが、数学のノート提出があった日の放課後に私は職員室に呼び出しを受けていた。どうやらノートに書いた花火の落書きがどうもお気に召さなかったらしい。私がこの件で呼び出されるのは中学生になってもう十度目で、数学の先生だけで六度目。
大抵の先生は一度注意して改善が無ければ諦めてくれるのに、頑固で厳しい初老のおじさん先生はそうはいかない。
「一色、ノートは落書きをするところじゃない。何度も言わせるな」
「板書はちゃんと写してますよ。別に先生のためにノートを書いているわけじゃないですし、ノート自体お母さんが私にくれたお金で買った私の所有物なんですから、注意される筋合いはありません」
この反論も六度目になる。椅子に座り私たちを見上げている数学の青島先生は眉間にしわを寄せ、鋭い目つきで私を睨みつける。また意味もなく長い説教が始まるのかと辟易していると、青島先生はふん、と鼻を鳴らして私から目線を外した。
私への指導を諦めたわけではなく、面倒くさい奴は後回しにして物分かりが良さそうな方への指導を先に終わらせようという魂胆のようだ。先生は私の隣に立つ男子生徒を見上げる。
「黒田。何故俺の言う通りに色を分けて書かない。白で書く説明や計算式は黒で、赤で書くところは特に重要な式や説明だから赤で、強調するために黄色で書いたところは青でノートに書けと四月の最初の授業で指示をしただろう。お前はいつもテストで高得点だから目をつむってきたが、もうすぐ二年生になるんだ、このままではいけない。俺の言う通りにノートを書くようにしろ」
私と一緒に職員室に呼び出されていた同じクラスの黒田君を青島先生が叱責する。黒田君はじっと青島先生を見つめながら話を聞いているようで、先生が言いたいことを言い終わるとすみません、と呟きながら同級生の中では高い位置にあって目立つ頭を下げた。疲れたサラリーマンみたいな顔をしていて、苗字の通り黒が似合いそう。確か書道部だったはずだし、なおさら黒が似合う。
私は黒があまり好きでない。どんな色も塗りつぶしてしまうから。だから、どんな人にでも話しかける私でも黒田君にはまだ話しかけたことはなかった。
「来週の月曜日のテストが終わったら誰かにノートを借りて写させてもらえ。火曜日に再提出しろ。そうすれば成績は下げないでやる。二学期の中間テストのあとから今日までの授業の分でいい。分かったな?」
「……はい」
「よし。黒田は帰っていいぞ」
「失礼します」
黒田君が私を一瞥してからもう一度青島先生に頭を下げて職員室を出て行くと、先生は再び私を睨みつけた。赤か、いや、寒色系も似合いそうだ。
「テストで高得点を取れているならノートなんてどう書いたって構わないじゃないですか」
私は思ったことをつい口に出してしまう。家族には悪い癖だから気をつけた方がいいと言われるけれど、我慢できないのだから仕方がない。彼氏と喧嘩をしたという同じクラスの女子の愚痴を聞いて皆で慰めていた時につい「どっちもどっちだよね」と言ってしまい空気をぶち壊したこともある。
あれは確か夏休み直前のこと。今となってはいい思い出だ、と思えたらどんなに良かったことか。
私の言葉を聞き終えた青島先生の眉間のしわが濃くなったような気がした。しまった、これは長くなる。そう思ったが、先生からの指導という名のお説教は案外簡単に終わった。
「それなら来週の期末テストの数学で九割以上の点数を取れ。そうしたらノートの落書きは不問にする。取れなければ冬休みの課題をお前だけ五倍の量にする」
いつも平均点前後の点数しか取れていない私には時間があってもそれは厳しい。さらに今日は金曜日なので月曜日のテストまでにあと二日と少ししかない。そんなの無理ですと言いかけたが、なんとか飲み込んで代わりに分かりました、と言ってその場をしのいだ。余計なことを言うとお説教がもっと長くなるし、もっと大変な課題やら条件が出されるかもしれない。
よく我慢したぞ私。やればできる。
心の中で家族にドヤ顔を見せながら青島先生から返されたノートを持って職員室を出ようとすると、担任の侑里ちゃん先生に声をかけられた。私と青島先生のやり取りを見ていたのだろう。
「一色さん、頑張って勉強するんだよぉ?」
侑里ちゃん先生の年齢は二十四歳。身長が百五十センチちょうどくらいしかなくて童顔なので皆から妹のように可愛がられている。英語の授業は分かりやすくて楽しいし、幼い容姿の割にしっかり者なのでお姉さんとして頼りにもされていた。
私を少しだけ見上げる形になっているその目にはしっかりと大人の優しい光が灯っているように見える。絵に描くとするならオレンジなどの暖色系だろうか。パステルグリーンあたりも捨てがたい。いっそ金ぴかにしても面白いかも。
「聞いてる?」
「ああ、聞いてます、聞いてます。大丈夫ですよ」
私のもう一つの癖は、人を見た時にどんな色を使って描くか想像すること。実際に見えはしないけれど、その人が内面で持っている色を心の中に思い浮かべるのが好きなのだ。過去の経験から、想像した色を使って人の顔を描くことはないけれど。
「本当? 九割なんて大丈夫なの? いつも六割くらいでしょう? ちゃんと謝って青島先生に教えてもらった方がいいんじゃない? 私も一緒に行こうかぁ?」
「問題ないです! それじゃ、さようなら!」
侑里ちゃん先生はいい先生だと思うけれど欠点が二つある。一つは心配症で過保護なところ。もう一つは授業で黒板を使う時に白と黄色のチョークしか使わないところだ。別に自分で勝手に色を増やして書くから構わないと言えば構わないのだけれど、なんとなくノートの書きがいがない。
理科の緑川先生は学校に常備されている白、黄色、赤、青の他にも自分で緑とかオレンジとかのチョークを用意してカラフルな図や絵を描いて説明してくれて楽しいのに。
そんなことを考えながら私は自分の教室に荷物を取りに大急ぎで戻る。急ぐ理由は帰って絵を描きたいから。美術部に入っているもののテストが間近に迫った今、部活は禁止になっているので家で描くしかない。十一月に遠足で行った紅葉が美しい山の風景画を仕上げなくてはならないのだ。
本当はきちんとした画材道具を持って行きたかったが、さすがにイーゼルや今描いているキャンバスは持っていけなかったのでスケッチブックに色鉛筆で描いていた。当然写真も撮ったので、写真と絵と記憶を頼りに少しずつキャンバスに描き進めている。年明けにあるコンクールに間に合うだろうか。
一年三組の教室に駆け込むと、自分の席で学校指定の通学鞄に教科書やノートを詰め込んでいる黒田君がいた。走る足音のせいか黒田君は私の存在に気がついたようで、振り返った彼とばっちりと目が合った。
覇気は少ないが真面目そうな顔立ちと清潔感のある短髪、身長は中学一年生の四月の時点ですでに百七十センチを優に超えていたと聞いたことがある。十二月の今、もっと伸びているだろうか。
黒縁眼鏡の奥でぼんやりと私を見つめている瞳はやはり黒が似合う。
特に会話を交わすつもりもなく鞄の方に再び目を向けようとしたので話しかけることにした。
絵はいつでも描けるが、黒田君と話すチャンスは今しかない。私は人と会話をしてその人の色を見つけることが好きなのだ。もしかしたら黒以外にも似合う色が見つかるかもしれない。お説教された仲間というこの瞬間限りの親近感もあった。
「ただいま」
「……おかえり? っていうのも変な気がするけど」
「お互い災難だったね」
「そうだね」
「こうやって話するの初めてじゃない? もう八ヶ月も同じ教室にいるのに。それに筆仲間なのに」
「筆? あ、一色さんって美術部だもんね。それより班活動とか掃除とかする時に何度か話したことあると思うよ」
「それは義務だから。雑談じゃないでしょ」
「まあ、それはそうか。それなら一色さんは俺と雑談がしたいの?」
「うん。私クラスの皆と友達になりたいし。そういえば黒田君とまともに話したことなかったと思って、ちょうどいいタイミングだから。迷惑?」
黒田君は仏頂面のまましばしの間考え込んだ。
「そんなに考えること? 用事があったり私のことが嫌いだったら断ればいいし、そうでないなら雑談に乗ってくれればいい、それだけじゃない?」
言ってから気がつく。またやった。黒田君にだって色々と事情があるかもしれないのに、私の価値観のまま責めるようなことを言ってしまった。後悔が私の心にのしかかる。
「あ、ごめん。なんか勝手なこと言って」
黒田君はほんの少しだけ口角を上げて答えた。
「いや、別に謝るようなことじゃないよ。一色さんの言う通りだと思うし、話をすること自体は嫌じゃない」
「え? じゃあなんで悩んでたの?」
「一色さんがクラスの皆と友達になりたいって言ったからさ。じゃあ俺とも友達になるのかと思って、友達なら数学のノートを借りるのもありだよなって考えたんだ。でもいきなりそんなことお願いしてもいいのかなっていうのを悩んでた」
ノートくらい言われたら貸すのに、黒田君の価値観は私とは違うようだ。
「そんなに真剣に考えるなんて、黒田君って真面目なんだね」
「よく言われるよ」
「まあいいよ、はい」
私は手に持っていた自分の数学のノートを黒田君に手渡す。黒田君は「ありがとう」と言いながら受け取り机上にあった通学鞄を机の脇にかけ、代わりに私のノートを広げる。彼が椅子に座るのとほぼ同時に私も隣の席の椅子に座った。
黒田君が私のノートの隣に自分のノートを広げる。なんとなく覗いてみると、それは黒、赤、青の他にも緑やオレンジ、黄色、紫などなどカラフルな私のノートと比べてとてもシンプルで殺風景に見えた。なんと黒と青しか使われていないのだ。失礼な言い方だが男子にしてはとても綺麗な字で書かれていることも、無機質さを演出するのに一役買っている。
「字、綺麗だね」
「ありがとう」
赤いボールペンを持って私のノートを写し始める黒田君。真剣な眼差しに、これが成績上位者の勉強の姿勢なのかとつい見入ってしまう。
「雑談、何の話をするの?」
ノートを書き進めながら黒田君が私に尋ねる。
「んー? 雑談ってテーマを決めてするものじゃないでしょ。自然に発生するようなもので、だから今思ってることを素直に話せばいいと思う」
「そういうものかな……」
「そうだよ。だから黒田君が特にないなら私が思ってることを言うね。黒田君の下の名前って確かこうたろう、だよね? 虹の太郎って書いて虹太郎」
「うん」
「いい名前だなとは思ってたんだ。カラフルでさ、綺麗だよね」
「一色さんの名前も似たようなものでしょ? はなび、だよね?」
「うん。平仮名三文字ではなび」
「だから花火を描くのが好きなの?」
黒田君は私のノートに書かれた花火の落書きを人差し指で撫でながら言う。やっぱり黒なのに、どうしてか明るい。なんだか私自身を撫でられているようでくすぐったい感覚になる。
「うん。私が生まれる時、病院の近くでちょうど花火大会をしてたんだって。なかなか生まれてこなくて大変だったらしいんだけど、ラストの一番大きな花火が打ち上がって夜空に咲いた瞬間に私がポンってお母さんのお腹から出てきたから、それにあやかってこの名前になったんだ。お母さんとお父さんにとって花火は大切な存在で、物心ついた時からいっぱい見る機会があったし、自分と同じ名前だから自然と好きになったんだ」
「なるほど、名前が今の一色さんの原点なんだ」
納得したように黒田君は頷く。さっきよりも口角は上がっているようで、微笑んでいるようにも見える。「苗字も一色じゃなくて千色くらいが良かったんだけどね」と冗談を言うと声を上げて笑ってくれた。堅物に見えて意外と感情は豊かのようだ。
「本当に、カラフルなのが好きなんだね。綺麗だ」
黒田君が私のノートを見ながらしみじみと言う。描いた絵に対して評価なんていらないと思っている私だが、さすがに面と向かって言われると少し照れくさい。
胸の中で得体の知れない熱が動き回り始めるような感覚を覚える。胸から全身に伝わって指先から脳まで全部に行き渡った。
どうせならもっときちんと描いた絵を見てもらいたい。そう思った瞬間、私の脳内で作戦が組み上げられていく。しばらく考えて、一石二鳥の作戦を完成させることができた。
「ねえ、黒田君。ノートを見せてもらったらお礼がしたくならない?」
「俺にできることならいいよ」
私が考えている間に真剣モードに戻った黒田君は、ノートに目を向けたまま赤ボールペンで書き写しながら表情を変えずに答える。
「黒田君って勉強得意でしょ? 前のテストは何番だったの?」
「学年三位。まあ、一応人並み以上にはできると思うよ」
「すご、やば。ああ、いやそれで、青島先生にノートに落書きした罰で今度の数学のテストで九割以上取れなかったら冬休みの課題を私だけ五倍にするって言われちゃってさ」
「俺に教えて欲しいってこと?」
「うん、駄目?」
黒田君は最後のページに差し掛かる。そのページは赤で書いてある部分が少なく、もうすぐ写し終わりそうだ。
「まあ、いいよ」
「ほんと? ありがとう! 恩に着るよぉ。冬休みがなくなっちゃうところだった」
嬉しさのあまり勢いよく立ち上がると椅子がガタンと音を立てて倒れた。感謝の握手をしようと両手を差し出したが、真剣モードの黒田君は音にも手にも反応を示さない。
しばらくそのまま固まっていると、ノートを写し終えた黒田君が私のノートを丁寧に閉じ、こちらに目を向けた。そのまま「助かったよ、ありがとう」と言いながら私の差し出していた手の上にノートを乗せる。
「ちょ、そうじゃなくて」
「え? ノート返さないと勉強できないでしょ?」
「うー、もういいよ」
言葉に対しては察しがいいのに行動に対しては察しが悪い。ノリが悪いなぁ、という言葉をどうにか我慢した。黒田君はもういいと言われたからかこの件に関しては特に触れず、自分の鞄の中を漁り始めている。
まさか今からやるつもりか。
「何やってるの? 教科書なんて出して」
「何って、一色さんが言ったんでしょ? 数学を教えて欲しいって」
「いやいや、もう四時過ぎてるんだよ? 今から始めたら終わるのが夜遅くになっちゃうよ。一応私もか弱い乙女なんだからそんな夜遅くに帰るのはちょっと怖いかなって。そもそも遅くまで学校に残ってたら先生に怒られちゃう」
「え、そんなに時間かかるの? すぐ終わると思ってたよ」
眼鏡の奥で黒田君の目がまん丸くなる。どうやら分からない問題を少し教えてあげるくらいのつもりだったようだ。
残念ながらいつも六割程度の私が九割とるためには少しでは足りない。それなりに時間をかけてがっつり教えてもらいたい。だから明日、近所にある市民図書館の自習室で一緒に勉強しよう。そう告げると黒田君はまたもや考え込んだのちに、何かに納得したように頷いてから了承してくれた。
「乗り気じゃない?」
「そういうわけじゃないよ。図書館には俺もたまに行くし、結構好きな場所だから。ただ、ちょうど今……いや、なんでもない。明日の十時に現地集合ね。それじゃあ今日はこれで」
「うん、ばいばーい」
荷物を詰めた通学鞄を背負い教室から出て行く黒田君を見送り、一人ぼっちになった私は誰のかも分からない椅子に座り直してため息をつきながら天井を見上げる。
クラスの皆と友達になりたい。そう思って入学当初からクラスメイトに積極的に話しかけた。友達っぽくなるのは簡単だった。相手の子だって友達を欲しているわけだし、私は明るい性格で容姿も悪くないという自信もあった。
でも、いつも友達一歩手前くらいで関係が停滞していた。クラスで誰と仲が良いの? と問われたら答えることはできない。
夏休みが明けて二学期になると私の扱いはほぼ決まっていた。朝と帰りの挨拶はする。授業や掃除、委員会などで必要な会話はする。休み時間に雑談をすることはない。一緒に帰ることはない。休日に遊びに行くこともない。無視はされていない。嫌がらせもされない。一応クラスの一員として認識はされている。自他ともにいじめという認識からは程遠い。
でも、周りに人がいるのに、存在を認められているのに、私は孤独だった。
友達一歩手前まで行った人たちは皆少しずつ私から距離を置いたのだ。理由は自覚している。
一つは思ったことをすぐに言ってしまうこと。きっと余計なことを言ってやばい奴とでも思われているのだ。自分なりに反省して最近は抑えようと努力しているが、さっきの青島先生相手でも、黒田君相手でも抑えきれないことがあった。まあ、これは私が悪いから仕方がない部分はある。座右の銘は口は災いのもと。
もう一つは絵だ。私は目だけでなく心でも色を見ている。だから自分が感じ取った色を使って絵を描きたい。リアルにモデルのいる人物画だけは過去に泣かれたことがあったので我慢しているが、他の絵は譲れない。好きな色を使って、好きなように描きたい。その衝動は止められない。
五月頃、絵が上手いことを見込まれてアニメキャラを描いて欲しいとお願いされたことがあった。優しい性格が最大の特徴のキャラだったから私が感じたままに本来はなかったはずの薄緑色を目元に混ぜて描いて見せると、そんなのはおかしい、と言われた。「私はこのキャラはこの色が似合うって思った。あなたをモデルにしたわけではないし、あなたのオリジナルキャラでもないんだから、文句を言われる筋合いはない」と言い返すと、それ以来絵を描いて欲しいと言われることはなくなった。
私が休み時間にスケッチブックに絵を描いていると、また変な色で描いてる、という陰口が聞こえる。それ以上に何かを言われたりされたりすることはないし、もう慣れた。
私の絵は自己満足に過ぎなかった。
だから私が数学のノートに落書きした、黄、赤、青、緑、茶色、オレンジ、紫などが混ざり合った花火を見た黒田君が「綺麗だ」と言ってくれたことがたまらなく嬉しかった。いつもは黒一色しか似合わないと思って興味を抱かなかった黒田君が、あの瞬間虹色に輝いて見えた。
黒田君なら私の絵を、私の世界に存在する色を認めてくれるのではないか、そんな風に考えたから、市民図書館に誘うことにしたのだ。