世界最強だった魔王リュオンは今、魔王城のキッチンで赤ん坊の白猫獣人をおんぶ紐で背負いながら、モフモフの子らに飲ませるミルクのスープを煮込んでいる。同時に小さい子らに食べさせる離乳食も作っていた。煮た白身魚をすり潰している最中に暇を持て余した子らが集まってくる。
「魔王、遊ぼうよ!」
「待ってくれ、今ご飯作ってる……」
辺りがどんどん散らかってきた。
「リュオン様、何かお手伝いしますか?」と、魔王リュオンの執事は問う。
「何かとはなんだ?」
「い、いえ、何も……」
魔王リュオンが威圧的な声でそう言うと、執事は怯む。
料理が一段落した。魔王リュオンは部屋の散らかりが気になり、ゴミを片付けようとするも「魔王、それゴミじゃない。僕が作ったおもちゃだよ」とアルパカ獣人の子が泣きだす始末。
「どうして我はこんなに忙しくなったんだ――」
魔王リュオンはそう呟くと、頭を抱えた。
***
魔王リュオン率いる魔界と人間界の対立が始まると、一気に争いは激化した。かれこれ対立が始まってから、百年程経つだろうか。きっかけはひとりの人間が魔界に忍び込み、盗みを働いたことだった。ただ、その人間が魔界の物を盗む瞬間を実際に見た者はいなかった。魔界が人間界を攻撃して支配するための口実で嘘かもしれない。
真実は不明だったが、それからふたつの世界のバランスは崩れ、魔王が人間界を直接攻撃し、支配しようとした。これまで、何組ものパーティーが魔王討伐にチャレンジしたが、魔王の力は強大すぎて、どのパーティーも歯が立たず。王は諦めかけ、このパーティーで挑戦して駄目なら、魔王にこの世界を明け渡そうと考えていた。
そうして最後に選ばれたパーティーが、俺、勇者ラレス と戦士ゼロス 、魔法使いエウリュ 、そして僧侶ウェスタ の、二十代の四人である。
「では、頼むぞ。そなたたちが最後の望みだ」
王に希望を託された四人は、希望に応えるべく気合いを入れて、魔王リュオンの城に乗り込み、魔王に戦いを挑んだ。
そして――。
「まさか、我が負けるとは……」
魔王リュオンは俺が振りかざした剣で背中全体を切られ、倒れた。
「わたくしたち、勝ちましたの?」と僧侶ウェスタが疑問を呟くと、戦士ゼロスがしゃがみ魔王を指でつんつんした。魔王はビクともしない。
「魔王倒したあとって、どうすればいいんだろうか……誰か聞いたか?」
俺が皆に問うも、首を振る三人。
魔族がかけた特殊な魔法により連絡手段が遮断されていて、魔王城の中から外部へは連絡がとれない。
「ここからじゃ、国に確認とれないよな。とりあえず、連れてくか?」と、戦士ゼロスは魔王を抱きあげようとした。
「ちょっと待って! 万が一起きてしまっては、再び戦うことになるかも。その時は勝てるか保証もなく……」
僧侶ウェスタの言葉に三人は納得する。
「じゃあ、置いてくか?」と、戦士ゼロスは魔王を再び床に置いた。うつ伏せ状態で地面に置かれる魔王。
「その魔王のありふれた魔力が今後問題になる可能性を秘めているのなら、わたくしが掃除機のように吸いとります」
魔法使いエウリュは、うつ伏せ状態の魔王の背中の前に両手をかざす。そして紫色に輝く円を作り、魔力を吸収する魔法「ドレイン」を唱えた。
黒い魔王の魔力だと思われるものがどんどん魔法使いエウリュが作った円の中に吸い込まれていった。魔法使いエウリュは「この魔力の量、すごい、すごいわ」と言いながら魔力を吸い取る作業を続ける。
魔法使いエウリュ以外は、魔王の身体の中に魔力が残っているのか見えないが、若干魔王が痩せ細ったのを確認した。
そうして、戦士ゼロスが再び魔王を「重いな」と言いながら担ぐと、王に報告するために城へ向かうことにした。
***
四人は魔王城から出る。魔法使いエウリュがテレポートを唱えると、一瞬で王がいる城の前に着いた。俺は城の扉を両手で勢いよく開けた。いつもは座ったままでいる王が、抱えられた魔王の姿を確認すると駆け寄ってきた。
「な、なんと! そなたたち、そなたたちが魔王を!!」
「あなた、落ち着いて」
いつもクールでイケオジだと庶民の中で噂となっている王が珍しく取り乱し叫ぶと、王女は王を落ち着かせた。
「はい、魔王討伐の任務を遂行致しました」と、俺は王の前でひざまつく。
「とりあえず、倒れた魔王を連れて来たけど、どうする?」
「魔力は吸い取ってありますので、暴走することはないかと……」
戦士ゼロスは魔王を床に置きながら王に問うと、魔法使いエウリュは続けて言う。
「そっか、後は任せなさい」
そう言った王は側近に目配せをする。側近は近衛隊のひとりに指示を出し、魔王は抱えられるとどこかに連れていかれた。
「もう俺らは帰っていいのか?」
「あぁ、長旅ご苦労。ゆっくりと休むがよい。報酬は後に送るとしよう。あと、今、これをやろう」
王は小さな紙をパーティーのメンバーひとりひとりに1枚ずつ配る。
「これは……?」
「これはついこないだ完成したばかりの天然の湯につかれる高級宿のチケットだ。まだ位の高い者しか入ることは出来ん」
「早速行こうか?」と、戦士ゼロスは張り切り外に出ようとした。
「待て!」
王が強めに言うと四人は立ち止まる。
「何でしょうか?」と、俺は王に問う。
「そなた達のお陰で、この国に真の平和が訪れるだろう。そなた達は偉業を成し遂げたのだ。よし、追加でそなた達に最高の褒美をやろうではないか。欲しい能力を述べよ」
「能力?」
パーティーのメンバー達は顔を合わす。
「そうだ。こうなりたいとか、あれが出来たらいいのにとか……なんでも良い。この飴玉に願いを込めよ」
直接王からパーティーメンバーそれぞれに、透明な飴玉が手渡された。
しばらく四人は考え、結論を出した。
俺は裕福な生活を送りたいと盛大な富を願った。戦士ゼロスは岩も碎ける程の強い腕力、魔法使いエウリュは人の心を読める能力、そして僧侶ウェスタは子を上手くあやす力を願った。
それぞれが得たい能力を述べると、それぞれ飴玉に願いを込める。願いを込めた後は、最大限の魔力が込められたガラスケースの中に並べられた。一時間後、その飴玉を飲み込むと願った能力を得られるらしい。
待ち時間に準備された豪華な食事を堪能する。あれやこれや、あっという間に時間は経っていった。飴玉があるガラスのケース前に四人は立つ。
「では、飴玉を手にとり、口にするが良い」
遂に能力を得る時が来た。
期待に胸が高まる。
金が全てを解決する。これからは豪華な人生が待っていると俺は思っていたのに――。
魔王討伐してから一ヶ月が経った。
俺の生活は予想とは裏腹に、パーティーを組む前と比べると、何も変化はなかった。
他のメンバーたちはどうなのかと疑問を抱き、各メンバーが暮らしている街に訪れてみる。戦士ゼロスは、本当に岩も碎ける程の強い腕力を得たようだ。筋肉、特にタンクトップからはみ出た上腕二頭筋がモリモリになっていた。重たそうな木を片腕で軽々と担ぎ仕事をしている。魔法使いエウリュは人の心を読める能力を使い、話すと気持ちが楽になる有能占い師として街で大活躍していた。
そして最後に僧侶ウェスタが住んでいる街に訪れる。僧侶ウェスタはなんと豪邸に住み、家の外壁には豪華な宝石が沢山埋め込められていた。
僧侶ウェスタの家の中に入ると幼子が泣きながら俺の元に駆け寄ってきた。俺は抱き上げる。幼子を抱いたことはなかったのだが、すんなりと抱けた。子供は苦手だったはずなのに。摩訶不思議な言動をし、未知で苦手なジャンルだったから。そしてなんと、抱っこした瞬間に泣き止んだ。
「一瞬で泣き止んだわ、珍しい……ラレスは子供に慣れているの?」
「いや、全く触れたこともない」
「そうなのね。でも泣き止んだし、ラレスに抱かれた息子はなんだか、心地よさそうだわ。良かった、ずっと泣き止まなかったから……」
僧侶ウェスタの息子を抱きながら、俺は家の中全体を見渡した。家の中にも高そうな絵や宝石が沢山ある。
それらを見て、ある疑問が噴水のように湧く。
「ウェスタの家って、金持ちだったのか?」
「いいえ、そうなったのは最近よ」
「最近?」
「そうなの、大儲けしたの」
詳しく聞くと、どうやら売りたいけど金にもならないし、どうしようか?と悩んでいた土地の価値が急に跳ね上がり、かなりの高値で売れたらしい。他にも旦那が株で大儲けしたり。
「間違えたのかもしれない……」と、俺は呟く。
「何が?」
「あの時の、能力の飴玉をもしかしたら――」
僧侶ウェスタははっとする。
「もしかして、願った飴玉、わたくしとラレスの、逆に手に取ってしまった?」
「そうかもしれない」
驚き、岩のように動かなくなった俺と僧侶ウェスタ。幼き子供は俺の胸の中で機嫌良く、キャッキャと笑っていた。
窓から差し込む月明かりに照らされた寝室のベッドで、横になり色々考える。
俺が食べた飴玉は、金持ちになりたいと願った飴玉ではなかったのは事実だろう。子をあやす能力を願った僧侶ウェスタは別の飴玉でも満足している様子だったが、俺が子をあやす能力を得ても意味は無い。国に問い合わせたが、本当に貴重な飴玉らしく、もう一度飴玉を授けるのは難しいと回答が来た。
もう金持ちになる願いは叶わない。さて、どうしたものか――。
魔王討伐してから感謝の気持ちだと、あちこちから食べ物やら生活用品が色々送られてきた。それに国からの報酬もあった。しばらくは生活に困ることはないだろう。ただ、一生を考えると新たな仕事を探さないとならないし、想像していた贅沢な暮らしは出来ないだろう。一生働かないで楽をして、一生豪華な暮らしをしたかった。
俺は勇者という職業に憧れていた。周りから注目を浴び、とにかく恰好いいからという理由でだ。鍛錬を積み試験を受け、夢が叶い勇者に選ばれた。だが魔王を倒し平和になると、討伐直後までは注目を浴びていたが、俺に向けられていた視線は、今はもう、それぞれの大切な者や事に向けられていた。
今、やりたいことは特にない。
注目されていた時期が俺の黄金期だったなと、その頃を思い返していると、倒した魔王の姿が頭の中に浮かんできた。
そういえば、魔王は今どこにいるのか? まだ生きているのだろうか? 城で捕らえられたままなのだろうか?
考えていると、左腕につけていた銀のブレスレットが震えた。外部から連絡が来た合図だ。右手人差し指でブレスレットをタッチすると、目の前に大きな画面が現れる。飴玉について問い合わせた時に対応してくれた女が画面の中にいた。
「ラレス様、先日お問い合わせいただいた飴玉の件なのですが~」
もしかして、もう一度飴玉を貰えたりするのか?なんて淡い期待を寄せ、勢いよくベッドから降り、立ち上がった。
「なんでしょう?」
「あの、子育てが得意な能力を手に入れられたということでしたので、お仕事を紹介したかったのですが……」
予想とは違う話か……。
ベッドに座った。
「どんな仕事ですか?」
「あの、依頼主と一緒に子育てをするお仕事で……報酬はなかなか良いかと。如何でしょうか?」
「あぁ、どうしたらよいか……」
正直まだ休みたい気がするし、子育てする仕事とか、未知で上手くできるか分からない。いや、でも手に入れた能力で上手くこなせるのか?
「ひとまず、現場に行ってみませんか?」
少し迷ったが、今、他にやることないし。
「とりあえず、現場に行ってみるかな。それから仕事の話を受けるか、考えます」
「よろしくお願いいたします。なかなか条件の合う人が見つからなくて……それでは、地図や詳細は後程お送りいたしますので」
そうして、とりあえず現場に行くことになった俺。
送られてきた地図を見るとなんとそこは――。
翌朝、最近共に過ごしている美しい毛並みのユニコーンに乗り、地図に描かれた目的地に向かった。目的地は遠く、辺りが暗くなってきた頃に着く。
着くとユニコーンから降り、目の前にある建物を眺める。今、俺の目の前にある大きな城は、はっきりと見覚えのある場所だった。
魔王リュオンが、かつて住んでいた城だったから。つまり、俺が魔王を倒した場所。
今は誰か、別の者が住んでいたりするのだろうか?
警戒しながら扉を叩くが、反応は一切ない。
誰もいないのか? そっと少しだけ扉を開き、隙間から中を覗いてみた。
薄暗く誰の姿も見えないが、どんどんと大きな音を立てて走るような音や、騒がしい子らの声が聞こえてきた。
新しい住人がいるのか――?
静かに中へ入り、長い廊下を進んでいくと「助けてください……」と背後から掠れた声がした。驚き振り向くと、黒いタキシードを身に纏う、気配が完全に消えている魔族がいた。見覚えあるその姿を目にし、警戒心は一気に高まる。勇者の時代に常に所持していた強力な剣は、国に返した。だから手元には今、護身用の小さなナイフしかない。手強い魔族を相手にするには役立つのか分からないが、何も手にしないよりはマシかと、ナイフを握りしめた。
「お前、魔王の手下だな?」と、威圧的な声で尋ねると「そ、そうです。リュオン様の執事でございます……」と、か細く、怯えるような声でそいつは答えた。攻撃してくる様子はみられないが、その弱々しい言動も俺を油断させてから攻撃を仕掛け、俺を陥れるための罠かもしれない。気を緩めず、ナイフの刃を執事に向けたままにし、構えていると「こんにちは!」と、幼きモフモフ獣人の子供達が駆け寄ってきた。
一瞬でそれらに囲まれた俺。
抱っこ抱っこと、次々に襲いかかってくる。
これは、魔族による幻影魔法か?
自然と警戒心が解かれていく。
「これこれ皆様、離れてください!」
執事がそう言うも、誰も言うことを聞かない。すると「ご飯だ!」と奥の方から強く苛立つ様子の声がした。そして声の主が目の前に現れた。
「何故そこにいるんだ?」
続けて声の主は、はっとしながら俺を見てそう言った。
俺はナイフを強く握り、攻撃態勢になる。
目の前に現れたのは、純白色のモフモフな赤ん坊を抱いている、暗黒色の衣を身に纏う魔王だったからだ――。
――戦闘開始か?
だけど、魔王は赤ん坊を抱いている。
今攻撃すれば、赤ん坊にナイフの刃が当たってしまう。赤ん坊を盾がわりにしているのか。なんて卑劣な。
一体どうすれば?
思考を巡らせていると「ふぎゃー」と、魔王が抱いていた赤ん坊が泣き出した。
「よしよしよしよし……」
魔王は赤ん坊のお尻をトントンしながら身体を揺らしている。
「魔王、何をしているんだ!」
「叫ぶな、黙れ! 余計に泣く」
魔王は一切こっちを見ずに、赤ん坊を凝視していた。最終決戦の時のような俺への警戒心が、微塵もない。意識は全て赤ん坊にあるようだ。
――どうする? これも油断させるための罠かもしれない。赤ん坊を傷つけずに魔王を倒す方法は何かないのか。
とりあえず様子を観察する。
観察していると、ひとつの疑問が浮かぶ。もしかして、あやしているのか? もしもそうだとしたら――。
トントンの仕方が、甘い。
横から口を出したくなってしまう程に。
「違う、そのトントンは、ただ撫でているだけ。赤ん坊からしたら、ただ緩い風が当たっているように感じるだけだ。しかも今は全力で泣いている。それでは……何も感じない!」
俺はさっと魔王の近くにより、両手を差し出した。魔王は荒れ狂う形相をしながら、だけど丁寧に、赤ん坊を俺の両手に乗せた。
トン、トン、トン……。
優しい気持ちで、でも軽すぎない力で赤ん坊をトントンし、ゆらゆらもした。
次第に泣き止んできた。そして――。
「……わ、笑っているのか。どうしてだ? あんなにも泣き止まなかったのに」
魔王は目を見開き、赤ん坊を凝視した。
「魔王、お前は一番大切なことを忘れている
……」
「た、大切なこと、だと?」
「そうだ」
「何を忘れているというのか――」
「笑顔だ! それも、心の中までのな!」
「心までの笑顔、だと?」
魔王の眉がぴくっと上がる。
「そうだ。この赤ん坊は繊細だから周りの者の感情を敏感にキャッチする。魔王の不安や苛立ちも敏感に察知し、それが赤ん坊の涙となっていたのだろう」
今、盛大に知識を語ってはいるが、学んで得た知識ではない。おそらくこれも、子育て能力のお陰だろう。
「やはり、我は勝てぬ運命なのか……今日も惨敗だ」
魔王は崩れ落ちた。
「落ち込むことはない。お前には泣き止まそうとする気持ちがあった」
俺は赤ん坊を抱っこしながら、魔王の肩をぽんと叩いた。モフモフの子らが魔王の周りに集まってきた。
「魔王、お腹空いた」
「魔王、ご飯!」
「だから、もうご飯できたって言ってるだろう! 手を洗ったら座れ!」
魔王は子らに飛びかかられながら、明かりのついているダイニングルームの中へと入っていった。
――魔王は、子らに好かれてもいるな。
モフモフの子と手を繋いでいる魔王の執事が俺の横に来た。抱っこをしたままの赤ん坊を眺めながら話しかけてくる。
「勇者様、赤ちゃんの扱い慣れすぎている……さすがです! はぁ、依頼して良かった……もう、リュオン様も寝不足だし。最近は特にイライラされており、自分も色々と精神的なダメージが。本当にもう、救世主です」
執事の言葉を聞いて、はっとする。
そうだった、今日は子育て仕事の件でここに来たんだった。そして、魔王が寝不足?
魔王を追ってダイニングルームの中に入った。ちなみにこの部屋には魔王討伐の時にも入った。だからよく覚えている。広すぎて煌びやかな壁の装飾。そして高そうなテーブルと椅子……全てが立派で、贅沢な生活をしていて羨ましくもあった。あの時と一切変わらない。いや、あの時は綺麗だった床の状態が違う。床には毛やゴミが沢山落ちている……。魔王の顔を眺めると、目の下のクマが濃い。このクマは元々あったものなのか、前回はそこまで気にしていなくて分からない。けれど、今の魔王は寝不足状態で良くないことは分かる。
じっと眺め続けていると『少しでも休ませろ! 幼い子を育てるのは本当に大変なんだ。子育ては、子を育てる者の精神状態の安定が大切。周りが進んで協力を!』と、頭の中で風のような声が聞こえてきた。子育てはしたことがないが、まるで経験者のように何故か大変さが分かる。能力の影響なのか?
「魔王、ご飯を食べたらあとは俺に任せて少し休め!」
そう言うと、魔王の表情が歪んでいった。
「不快だ……何故、敵であるお前から指図されなければいけないのだ?」
低い声で問う魔王。
「それは……」
言葉が詰まり、何も言い返せない。子育ての件で依頼されてここに来たが、俺と魔王は敵だった。今も互いに警戒し合っている。しかも魔王は俺らが倒し、そのせいで魔王の権威が失墜した。そんな関係なのに、命令されていい気分でいられるはずはないだろう。
「そ、それは、リュオン様には少しでも疲労を取り除いていただきたいと願い……わたくしが勇者様に、一緒に子育てをする仕事の依頼をしたからでございます」
震え声で説明する執事。
「勇者が、我と子育てをするだと?」
驚いている様子の魔王。
――俺もまさか、魔王と一緒に子育てする仕事を依頼されるとは思わなかったけどな。
スプーンですくったスープを、幼子に飲まそうとしていた魔王。幼子の口の中にスプーンを入れる直前に驚き、動きが止まる。
魔王は俺がここに来た事情をまだ知らなかったのか――。
「まんま、まんま」と幼子は魔王に催促する。
「あぁ、すまん」と、魔王はスープを幼子の口に入れた。
魔王は真剣な表情で幼子らにご飯を食べさせている。
俺は魔王から視線をそらし、子らをひとりひとり眺めた。
子供は、何人いるんだろう――。
「これで子供は全員か?」
「はい、さようでございます。全員席に着いております」
部屋は広く、今、子らが囲んでいる茶の色をした長テーブルも大きい。ぽつりぽつりと子らはそれぞれ好きな場所に座ってご飯を食べている。赤ん坊から十を超える歳と思われる子まで。数えると十人もいた。来る前は二、三人ぐらいだと思っていたが、想像していた数よりも多いな――。
全員白くてモフモフな容姿だ。赤ん坊は猫っぽい獣人。成長すると猫からアルパカっぽい姿に変化してくるようで、一番大きな子は完全にアルパカの獣人だった。
赤ん坊は俺が抱いている子だけ。そして幼児、初等部、中等部がそれぞれ3人ってとこか……。
「俺以外に雇われてる者はいないのか?」
「おりません。条件に合う人がいなくて……」
そういえば、依頼してきた仕事担当の者も執事と同じことを言っていたような。
「条件とは?」
「はい、条件はみっつございまして……ひとつめは子をあやすのに慣れていらっしゃる方。ふたつめは時間に余裕がある方。そしてみっつめは――」
言葉を止め、執事は魔王をちらりと見た。
「みっつめは?」
ふたつの条件は割と多くの人に当てはまりそうな条件だ。だとしたら最後の条件が問題なのだろう。
「リュオン様を恐れない方という条件でございます」
――魔王を恐れない。たしかに俺は魔王に対してずっと恐怖の心はなかったかもしれない。
「わたくしたちの独自の調査によりますと、今も人間界では『魔王は人間界を再び滅ぼそうとしている』『魔王の近くに寄るだけで殺られる』など、悪い噂が後を絶たないのだそうです」
「なるほどな、魔王は俺らと戦う前までは世界最強だと言われていた……そして今でも世間では恐れられている存在だ」
「はい、今のわたくしたちは監視をされながら、このように忙しくひっそりと生活しておりますから、警戒されなくてもよいのに」
「監視? 誰かがいる気配はしないが、もしかして今も監視されているのか?」
周りを見渡すが、気配すら感じない。
「わたくしたちを監視しているのは、人間界のトップといわれている洗練された暗殺集団です。気配を完全に消して息を潜めておりますので、この場では魔力があるわたくししか気配を感じないのかと」
「執事だけ……魔王は?」
「リュオン様の魔力は今、ほぼゼロの状態です。なので感じることはできないのです」
魔法使いエウリュが戦いの後に魔力を吸い込んだからか……いや、あれから結構時間が経ったのに、いまだに回復していないということは、国が魔力を封印したのか?
俺は、スープを子に飲ませている魔王を見る。
「……大変そうだな」と、自然と口から言葉が漏れた。
「勇者様、どうかお願いできないでしょうか?」
魔王を眺めていると、幼子はガシャンとスープのお皿を床に落とした。中に入っていたスープがすべて床に。
「あぁ、もう」と言いながら魔王が立ち上がった。そして魔王は、よろめき倒れた。
「リュオン様!」
「魔王!」