とりあえず様子を観察する。
観察していると、ひとつの疑問が浮かぶ。もしかして、あやしているのか? もしもそうだとしたら――。
トントンの仕方が、甘い。
横から口を出したくなってしまう程に。
「違う、そのトントンは、ただ撫でているだけ。赤ん坊からしたら、ただ緩い風が当たっているように感じるだけだ。しかも今は全力で泣いている。それでは……何も感じない!」
俺はさっと魔王の近くにより、両手を差し出した。魔王は荒れ狂う形相をしながら、だけど丁寧に、赤ん坊を俺の両手に乗せた。
トン、トン、トン……。
優しい気持ちで、でも軽すぎない力で赤ん坊をトントンし、ゆらゆらもした。
次第に泣き止んできた。そして――。
「……わ、笑っているのか。どうしてだ? あんなにも泣き止まなかったのに」
魔王は目を見開き、赤ん坊を凝視した。
「魔王、お前は一番大切なことを忘れている
……」
「た、大切なこと、だと?」
「そうだ」
「何を忘れているというのか――」
「笑顔だ! それも、心の中までのな!」
「心までの笑顔、だと?」
魔王の眉がぴくっと上がる。
「そうだ。この赤ん坊は繊細だから周りの者の感情を敏感にキャッチする。魔王の不安や苛立ちも敏感に察知し、それが赤ん坊の涙となっていたのだろう」
今、盛大に知識を語ってはいるが、学んで得た知識ではない。おそらくこれも、子育て能力のお陰だろう。
「やはり、我は勝てぬ運命なのか……今日も惨敗だ」
魔王は崩れ落ちた。
「落ち込むことはない。お前には泣き止まそうとする気持ちがあった」
俺は赤ん坊を抱っこしながら、魔王の肩をぽんと叩いた。モフモフの子らが魔王の周りに集まってきた。
「魔王、お腹空いた」
「魔王、ご飯!」
「だから、もうご飯できたって言ってるだろう! 手を洗ったら座れ!」
魔王は子らに飛びかかられながら、明かりのついているダイニングルームの中へと入っていった。
――魔王は、子らに好かれてもいるな。
モフモフの子と手を繋いでいる魔王の執事が俺の横に来た。抱っこをしたままの赤ん坊を眺めながら話しかけてくる。
「勇者様、赤ちゃんの扱い慣れすぎている……さすがです! はぁ、依頼して良かった……もう、リュオン様も寝不足だし。最近は特にイライラされており、自分も色々と精神的なダメージが。本当にもう、救世主です」
執事の言葉を聞いて、はっとする。
そうだった、今日は子育て仕事の件でここに来たんだった。そして、魔王が寝不足?
魔王を追ってダイニングルームの中に入った。ちなみにこの部屋には魔王討伐の時にも入った。だからよく覚えている。広すぎて煌びやかな壁の装飾。そして高そうなテーブルと椅子……全てが立派で、贅沢な生活をしていて羨ましくもあった。あの時と一切変わらない。いや、あの時は綺麗だった床の状態が違う。床には毛やゴミが沢山落ちている……。魔王の顔を眺めると、目の下のクマが濃い。このクマは元々あったものなのか、前回はそこまで気にしていなくて分からない。けれど、今の魔王は寝不足状態で良くないことは分かる。
じっと眺め続けていると『少しでも休ませろ! 幼い子を育てるのは本当に大変なんだ。子育ては、子を育てる者の精神状態の安定が大切。周りが進んで協力を!』と、頭の中で風のような声が聞こえてきた。子育てはしたことがないが、まるで経験者のように何故か大変さが分かる。能力の影響なのか?
「魔王、ご飯を食べたらあとは俺に任せて少し休め!」
そう言うと、魔王の表情が歪んでいった。
「不快だ……何故、敵であるお前から指図されなければいけないのだ?」
低い声で問う魔王。
「それは……」
言葉が詰まり、何も言い返せない。子育ての件で依頼されてここに来たが、俺と魔王は敵だった。今も互いに警戒し合っている。しかも魔王は俺らが倒し、そのせいで魔王の権威が失墜した。そんな関係なのに、命令されていい気分でいられるはずはないだろう。
「そ、それは、リュオン様には少しでも疲労を取り除いていただきたいと願い……わたくしが勇者様に、一緒に子育てをする仕事の依頼をしたからでございます」
震え声で説明する執事。
「勇者が、我と子育てをするだと?」
驚いている様子の魔王。
――俺もまさか、魔王と一緒に子育てする仕事を依頼されるとは思わなかったけどな。
スプーンですくったスープを、幼子に飲まそうとしていた魔王。幼子の口の中にスプーンを入れる直前に驚き、動きが止まる。
魔王は俺がここに来た事情をまだ知らなかったのか――。
「まんま、まんま」と幼子は魔王に催促する。
「あぁ、すまん」と、魔王はスープを幼子の口に入れた。
魔王は真剣な表情で幼子らにご飯を食べさせている。
俺は魔王から視線をそらし、子らをひとりひとり眺めた。
子供は、何人いるんだろう――。
「これで子供は全員か?」
「はい、さようでございます。全員席に着いております」
部屋は広く、今、子らが囲んでいる茶の色をした長テーブルも大きい。ぽつりぽつりと子らはそれぞれ好きな場所に座ってご飯を食べている。赤ん坊から十を超える歳と思われる子まで。数えると十人もいた。来る前は二、三人ぐらいだと思っていたが、想像していた数よりも多いな――。
全員白くてモフモフな容姿だ。赤ん坊は猫っぽい獣人。成長すると猫からアルパカっぽい姿に変化してくるようで、一番大きな子は完全にアルパカの獣人だった。
赤ん坊は俺が抱いている子だけ。そして幼児、初等部、中等部がそれぞれ3人ってとこか……。
「俺以外に雇われてる者はいないのか?」
「おりません。条件に合う人がいなくて……」
そういえば、依頼してきた仕事担当の者も執事と同じことを言っていたような。
「条件とは?」
「はい、条件はみっつございまして……ひとつめは子をあやすのに慣れていらっしゃる方。ふたつめは時間に余裕がある方。そしてみっつめは――」
言葉を止め、執事は魔王をちらりと見た。
「みっつめは?」
ふたつの条件は割と多くの人に当てはまりそうな条件だ。だとしたら最後の条件が問題なのだろう。
「リュオン様を恐れない方という条件でございます」
――魔王を恐れない。たしかに俺は魔王に対してずっと恐怖の心はなかったかもしれない。
「わたくしたちの独自の調査によりますと、今も人間界では『魔王は人間界を再び滅ぼそうとしている』『魔王の近くに寄るだけで殺られる』など、悪い噂が後を絶たないのだそうです」
「なるほどな、魔王は俺らと戦う前までは世界最強だと言われていた……そして今でも世間では恐れられている存在だ」
「はい、今のわたくしたちは監視をされながら、このように忙しくひっそりと生活しておりますから、警戒されなくてもよいのに」
「監視? 誰かがいる気配はしないが、もしかして今も監視されているのか?」
周りを見渡すが、気配すら感じない。
「わたくしたちを監視しているのは、人間界のトップといわれている洗練された暗殺集団です。気配を完全に消して息を潜めておりますので、この場では魔力があるわたくししか気配を感じないのかと」
「執事だけ……魔王は?」
「リュオン様の魔力は今、ほぼゼロの状態です。なので感じることはできないのです」
魔法使いエウリュが戦いの後に魔力を吸い込んだからか……いや、あれから結構時間が経ったのに、いまだに回復していないということは、国が魔力を封印したのか?
俺は、スープを子に飲ませている魔王を見る。
「……大変そうだな」と、自然と口から言葉が漏れた。
「勇者様、どうかお願いできないでしょうか?」
魔王を眺めていると、幼子はガシャンとスープのお皿を床に落とした。中に入っていたスープがすべて床に。
「あぁ、もう」と言いながら魔王が立ち上がった。そして魔王は、よろめき倒れた。
「リュオン様!」
「魔王!」
倒れた魔王は……小さないびきをかいていた。
――魔王は、寝た?
「どうしましょう、どうしましょう! リュオン様が……リュオン様、大丈夫ですか?」
執事が魔王の名前を何度も呼んだが、目覚めない。
「勇者様、これからわたくしたちはどうしたらよいのでしょうか?」
「魔王は、眠っている。おそらく疲労が限界突破したのだろう。とりあえず様子をみよう。ベッドに運ぶから、寝室を案内してくれ」
「分かりました」
魔王は俺よりもでかくて、体型もがっしりとしている。抱えることはできなさそうだ。
「どのようにして運ぼうか?」
魔王を心配した子らが集まってきた。
「魔王、ネンネ?」
「魔王、生きてる?」
「あぁ、眠っているだけだ。生きてる」
幼児組の問いに答えていると、中等部のひとりが、子供を何人か乗せられそうな、赤い手押し車を持ってきた。
「このトロッコ、城内を散歩する時に小さい子たち乗せてるんだけど、魔王乗せられないかな?」
「乗せてみよう」
足が結構はみでたけど、なんとか魔王を乗せることができた。寝室まで運ぼうとすると幼子たちがついてきた。
「勇者も寝るの?」
「いや、俺は別の宿に泊まる予定だ」
「いやだ、一緒に寝たい!」
「いや、でも……」
だだをこねられ、俺は困惑する。
「あの、ここに泊まっていただけませんか? 宿の方にはわたくしがキャンセルとお詫びのご連絡をいたしますので」
不安そうな表情をしたままの執事は、穴があきそうな程、俺を見つめてきた。
――本当に不安そうだな。それに、食事の片付けや子らの世話も執事ひとりじゃ、大変そうだし。
「分かった!」
「勇者泊まるの? やったー!」
子らは跳んだり回ったりして、はしゃいでいた。
魔王の寝室前まで来ると、突然執事が「どうしましょう」とつぶやいた。
「執事、どうした?」
「あの、リュオン様が前日の夜に仕込み、毎朝それを並べてご飯を子供達に食べさせていたのですが……」
「朝食問題か……」
そういえば、泊まる予定の宿は朝食プラン付きだったな――。
「ここの城には大人は他にいないのか?」
「はい、もう誰もいません。生き残った部下たちは全員捕らえられました」
「そっか……おい、暗殺集団、聞こえるか?」
「勇者様、突然叫んでどうなされたのですか? リュオン様がお目覚めになってしまいます……」
俺が叫ぶと執事は慌てる。
だけど俺は叫び続けた。
「俺らの代わりに直接宿に行き、お詫びとキャンセルをお願いしたい! そして事情を宿に説明して、俺が食べる予定だった朝食を運んできてくれないか?」
叫んだ後は静まりが強調される。
返事は、ない。
国に雇われている暗殺集団は依頼主の命令しか聞かないと思うが。俺が今も勇者だったのなら、俺の命令も聞いてくれる可能性があったのかもしれない。でももう、国にとって俺は用無しだから、聞いてくれないよな……。
「とりあえず、朝食の材料はあるんだよな?」
「はい、あります」
「じゃあ、早起きして簡単なものを朝作ろうか……」
俺たちは魔王の寝室に入っていった。
魔王の部屋の中は、他の部屋とは違い、豪華な装飾が一切無く、質素で静かな空間だった。
手伝ってはもらったが、トロッコから魔王を下ろすのに少し手間取った。ダイニングルームから近くて、魔王の寝室には一瞬でついたから、トロッコに乗せないで引きずっていった方が効率はよかったのか? いや、せっかく準備してくれたんだし、この方法でよかったよな。
魔王をベッドの上に乗せると、仰向けに寝かせた。そして布団をそっとかける。
「魔王、大丈夫かな?」
初等部の子が小さな声で俺に質問する。
「大丈夫だ、きっと。疲れてるからたくさん寝かせてやろうな」
「そうだね、魔王、またね」
会話をしながら部屋を出ようとした。
「わたち、魔王と寝たくなってきた」と、幼児チームの中で一番小さい子が半べそをかきだした。大声で泣きだしたら魔王が起きる……。とりあえず抱えて部屋の外に出るか?
「だけど、トイレに行きたくなったらひとりでいけないだろ?」
中等部の一番大きな子が小声で言った。
「うん、怖くていけない」
「そしたら、魔王を起こさないといけなくなるから、魔王ゆっくり眠れないぞ? いっぱい魔王を寝かせて、魔王が元気になったらみんなで一緒に寝るか?」
「うん! みんなで寝たい! そうする!」
半べそをかいてた子はなだめられると笑顔になり、俺は安堵した。眠っている魔王以外、魔王の寝室から出た。
その後は子らの寝る準備をする。入浴は食事前に全員済ませてあったらしいから、後は歯磨きをして寝かしつけるだけだ。歯磨きが終わると、中等部チームの三人は二階にあるそれぞれの部屋へ行った。初等部チームもそれぞれの部屋があるらしいのだが、最近はいつも三人同じ部屋で寝ているらしく、初等部メンバーのうちの、ひとりの部屋へ。残ったのは赤ん坊と幼児三人。
「執事、幼児と赤ん坊はどこで眠るんだ?」
俺は、執事に抱かれて眠っている赤ん坊を見る。
「普段は幼児の子供たちはわたくしと共に、赤ん坊はリュオン様の部屋で一緒に眠っております」
「じゃあ、俺が今日、赤ん坊と眠ればいいか?」
「でも、この子は数時間おきに起きるから勇者様のご負担になると思われます」
「いや、大丈夫だろ」
執事と話していると「勇者と寝たい!」と幼児たちがざわめいた。
「一緒に寝るか?」
「うん、寝たい!」
子らは、目を輝かせている。
「じゃあ俺が寝る部屋で、みんな一緒に寝るか? 執事、部屋まで案内を頼む」
「かしこまりました。では、勇者様に泊まっていただくご予定のお部屋をご案内いたします」
そうして俺が寝る二階の部屋には、幼児三人と赤ん坊、そして執事も一緒に寝ることになった。魔王城の部屋はひとつひとつ広い。準備してくれた部屋は、その中で特に広かった。そしてベッドも全員並んで横になれるくらい大きい。テンションが高く、部屋内を走り回ったりしてなかなか眠らない幼児たち。だが絵本を読んでいたら、これも能力のお陰なのか、無事に寝てくれた。
「ちょっと、食器を片付けたり荷物持ってきたり……色々してくる」
小声で執事に伝えるとダイニングルームへ行き、そのまま置いてあった食器をキッチンへ運ぶ。
洗い物が終わると、大きな鍋が視界に入った。
――そういえば、途中で寄った町で昼食を食べて以来、何も食べてないな。
食べ物について考えたからなのか、ちょうどタイミングよく腹がなる。まだ残っているかなと淡い期待を寄せながら鍋の蓋を開けてみると、食欲をそそる香りがするミルクのスープがまだ残っていた。皿に盛るとひとくち味見した。
――な、なんだこの味は!? 美味しすぎる。その味は、今まで食べてきた食べ物の中で一番美味しいかもしれない。
魔王が作ったんだよな……魔王は料理上手なのか。美味しすぎて鍋の中のスープ、約皿三杯分を完食してしまった。
その時「あっ……」と背後から声がした。
振り向くと執事が呆然とした表情で立っていた。
「執事、どうかしたのか?」
「いや、あの、勇者様、もしかしてスープを全てお飲みになってしまいました?」
執事に問われると俺は静かに頷いた。
「駄目だったのか?」
「いえ、あの、わたくしも飲みたかったなと……」
「そっか、執事も食事はまだだったか。何か代わりに食べるものを……」
「いえ、お気になさらずに。わたくしは魔族ですので、食事を取らなくても平気ですので……ただ、リュオン様の作る料理を食するのが毎日の楽しみなのです。とても美味でして――」
「なっ、美味しいよな」
会話をしながら俺は、スープが入っていた鍋を洗う。
「勇者様、本当にこちらで働いてはもらえないでしょうか? 本当に大変な毎日で……」
執事の声を背中で受けている状況だけど、執事の真剣さが伝わってくる。洗い終わると鍋を拭き、執事の方を向いた。
「仕事な、受けてもいいんだけど。魔王的には俺と共に過ごすの、嫌なんじゃないのかなって思って」
「そ、それは……」
魔王がどう思っているのかは、さっきの魔王の言動、そして今の執事の表情をみれば分かる。さっと斜め下に視線がいき、気まずそうな表情をしていたからだ。
「……今、少しわたくしとお話してくださいませんか?」と上目遣いで言う執事。視線を一瞬ダイニングルームに向けたから、俺は頷く。執事は紅茶を淹れた。
ダイニングルームのテーブルの、一番入口に近い場所に執事が紅茶のカップを置くと、そこの席に並んで座った。
「というか、執事も俺を憎んでいるだろ?」
「……正直に申し上げますと、その感情はゼロではありません」
だよな、俺が魔王を倒したから魔王や執事、魔王の手下たちも……俺が魔界の全てを滅ぼしたようなものだから。
「しかし、わたくしのそのような感情などはどうでもよく。それよりもリュオン様のことが気になりすぎて……」
「俺も気になることあるんだけど、どうして魔王城で子供を育てるなんて状況になったんだ?」
「はい、話せば長くなるのですが……」
執事は俺の眠る時間と赤ん坊の目覚める時間も配慮しますのでと宣言をしてから、早口で話しはじめた。
まず、俺たちのパーティーが魔王を倒すと、魔界の者たちの中で魔王だけが捕らえられた。俺らの対決をあらゆるパターンで魔王は想定していて、魔王自らが倒され捕らえられたパターンも考えていたそうだ。
「リュオン様は『万が一、我が倒されたら、とにかく全員逃げ切れ』と、わたくしや他の魔族にも仰っておりました。本当にリュオン様はひとりで何でも抱え込んで解決しようとなさる。今も……」
目尻が濡れてきた執事は、ポケットから白いハンカチを取り出し、自分の涙を拭いた。
「リュオン様がいなくなると、わたくしはリュオン様の指示通り、魔王城にいた魔族全員を逃がし、外にいた者たちにも、はるか遠くへ行くように指示をいたしました」
「……執事は逃げなかったのか?」
「はい、人間界の者がわたくしたちを捕らえに魔王城に来ると予想していましたから、ここでじっとしておりました」
「何で逃げなかったんだよ」
「リュオン様がいなくては、わたくしが存在している意味はないからでございます。わたくしは予想通りに捕らえられ、リュオン様と再会いたしました。わたくしもリュオン様も、処刑という名の完全なる封印をされるのは確実でしたから、リュオン様と再会するまでは、リュオン様と共にこの世から消える覚悟でいました……ですが……」
執事の言葉が、ヴッと詰まる。
「執事、大丈夫か?」
「はい、話を続けます……。再会してリュオン様の無事なお姿を確認すると、リュオン様がお生まれになった時からトップに上り詰めた時までの、リュオン様の孤独や努力、共に過ごした日々を思い出し、わたくしは気がつけばリュオン様の命乞いを人間にしておりました。そして人間側が出した条件が『身寄りのない獣人の子供たちを一人前に育て全員無事に世へ送り出せば、リュオン様とわたくしを処刑せずに、魔力を全て封印した状態でわたくしたちを解放する』だったのです」
「そして今に至ると……」
なんか、魔王たちも色々大変なんだな。
全員を一人前にとなると、おそらく最低で成人までということだろうか。赤ん坊が十八の歳になるまで……人間と違い、魔族は何百年、中には千年以上も生きる者もいるらしい。子らが一人前になるまでの年月は魔族にとっては、一瞬なのか? 俺ら人間が生きている時間も魔族にとっては一瞬かも知れなくて。そんな人間なんかに、しかもただ命令を受けたから、ただ羨望の眼差しを向けられたいから勇者になった俺なんかに全てを一瞬で壊されて――。
モヤモヤとした考えが次々頭の中に湧き、罪悪感に苛まれる。
「そんな事情があったのか。国から命令されたからとはいえ、俺が原因を作ったわけだから、仕事の件は前向きに検討する」
「よろしくお願いいたします」
執事は丁寧にお辞儀をしてきた。
それから少し話をし、廊下に置きっぱなしだった荷物を持つと、執事と眠る部屋に戻った。
まだ外が暗い時間に目が覚めた。俺以外は全員ぐっすりと眠っていた。朝食を作るために、俺は静かにキッチンへ向かう。廊下を歩いていると、ダイニングルームから焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂ってきた。部屋を覗くと明かりがついている。そして驚く光景が――。
クロワッサン、蒸した白身魚、チーズ。そして色とりどりの野菜と果物も……。
なんと、色鮮やかで栄養バランスのよさそうな朝食がテーブルの上に並んでいたのだ。
魔王が作ったのか?
でも魔王がいる気配はどこにもない。
上座から席は詰められ、ひとりひとりの席に並べられている料理。近くで料理を眺めていると全ての席にカードが置かれていることに気がついた。
――なんだ、これ?
魔王、勇者、執事、そして一から九までの数字が書かれていた。これってもしかして、座る席か? 子らの名前が数字なのが気になるけど……。
テーブルを眺めていると執事が赤ん坊を抱え、幼児三人を連れて部屋に入ってきた。
「勇者様、おはようございます。こちらは勇者様がご準備なされたのですか?」
「いや、違う。ここに来た時にはもう、準備されていた。魔王が準備したのかと」
「リュオン様が?……いや、この見た目や香りは、違いますね。一体誰が?」
怪訝そうな表情をして料理を眺める執事。
ふたりで首をかしげていると他の子らも入ってきた。中等部のひとりが「ラレスって、誰?」と、執事に訊ねた。
そして、その子は白い封筒を執事に渡した。
「勇者様のお名前がラレス様ですが。これは、どうしたのですか?」
「この封筒、そこの入口に落ちてた」
執事が問うと、子はこの部屋の入口を指さした。さっき通った時には何もなかったような気もするが……。
とりあえず俺はその封筒を執事から受け取る。『ラレス様へ』と封筒に書いてあった。すぐに封を開け、中身を確認してみた。執事も横から覗き込む。
『勇者ラレス様 キャンセルの件、承りました。勇者様の護衛の方々から直接お話をお伺いし、こちらでご朝食の準備をさせていただくこととなりました。どうぞ皆様でお召し上がりください。用意させていただいた料理は、できあがり直後の香りと味を堪能していただくために、特殊な魔法で加工いたしております。少しでも勇者様のお力になれれば幸いです。またいつか、勇者様がゆっくりお泊まりにいらしてくださる日を、心よりお待ちしております。 ホテル ローズプリンス』
俺の護衛って誰だよ――。
「執事、俺の泊まる予定だったホテル、どんな感じでキャンセルしたんだ?」
「昨夜、お詫びの言葉を添えて、勇者様が宿泊をキャンセルされることをお伝えいたしましたが……」
「朝食の話はしたのか? キャンセルは直接ホテルに行ってではないよな?」
「朝食のお話は一切しておりません。キャンセルはここからご連絡をして、お伝えいたしました」
この朝食は、もしかして魔王たちを監視している暗殺集団がホテルにお願いをして……だからホテルが準備をしてくれたのか……そして暗殺集団がここまで運んでテーブルの上に並べてくれたりもした?
「これは、暗殺集団が?」
「そのようですね」
俺はなんとなく天井を向く。
「おい、朝食ありがとな!!」
「ありがとうございます」
俺が叫び執事は小さな声でお礼を言う。すると、どこからか場所は分からなかったが、まるで返事をしてくれたように、コツンと大きな音がした。
「魔王、いないね?」「いつもとなんか違う? いつも通り座っても大丈夫なのかな?」と、子らがざわめいている。
今は、俺が魔王の代わりに、きちんと子らに朝食を食べさせないといけない――。
「執事、料理の前にあるカードはいつもあるのか?」
「いいえ、ございません」
「そうなのか……みんな、自分の番号が書いてあるカードの席に座ってくれ。これは生まれた順番の数字だ」
一番年上が〝1〟、そして赤ん坊を除く一番年下が〝9〟であることを全員に伝えた。
ゲームをしている感覚のように、楽しみながら自分の番号を探し、座る子供たち。
「なぁ、執事……もしかして、ここにいる子供たちって、全員、名前がないのか?」
俺は子らに聞こえないように、小声で執事に尋ねる。
「はい、ございません」
「いつもは数字で呼んでいるのか?」
「いいえ、いつもリュオン様は『おい』『お前』、わたくしは、何でしょうか……用事のある子と目を合わせて、自分に用事があると気がついてもらう感じでしょうか」
全員同じ白いワンピースを身にまとっていて、違いが分かりづらい。だからといって、全員無個性なわけではない。年齢によって姿は違うし、よく見ると微妙に毛の流れや顔つきも違う。それに、まだ共に過ごして日は浅すぎるが、性格もそれぞれ違うことを知った。
――全員に、名前をつけてあげたい。
全員が席に着くと、何か良い案はないかと考えながら俺も座る。
入口から一番遠くにあり、現在空いている席は魔王の席。その横が7番の子。続けて俺、9番、執事、8番と並んでいた。向かい側には、ひとりで食べられる子たちが1番から6番まで順に並んでいた。
ちなみにテーブルの近くに、赤ん坊が過ごす柵があるベビーベッドが置いてある。
子らを眺めていると「朝食、何も準備していなくて、申し訳ない」と、慌てながら魔王が部屋の中に入ってきた。
「リュオン様、ご覧の通り、朝食はきちんと準備されておりますよ」
「な、なんだと?」
執事は微笑み、魔王は驚いた表情をしていた。
「実は、暗殺集団の方々が……」
執事が事情を伝えると魔王も席に着き、クロワッサンをひとくち口に入れた。
「リュオン様、体調はどうですか?」
「あぁ、眠ったら良くなってきた」
「それは、良かったです」
全回復した雰囲気ではないが、昨日よりも魔王の顔色が良くなった気がして、俺も少し安堵した。両隣の子にご飯を食べさせながら、自分も食べる。色とりどりな果物を子に食べさせていると、良いアイディアを思いついた。
「魔王、ひとつ提案があるんだが、いいか?」
「なんだ?」
魔王は俺に対して相変わらずぶっきらぼうだが、今は敵ではないと知ったからか、俺の話を聞いてくれる雰囲気だ。
「子供たちに、名前をつけてあげたい」
「名前だと?」
俺は紫色の皮に包まれているブドウをひとつぶ摘んで魔王に見せる。
「あぁ、ひとりひとりのイメージに合った、果物や色……それを名前にするってどうだろう?」
魔王は顎に手をやり考え込んだ。
「名前、いいな! 実はずっと、憧れていたんだ……」と、期待に胸を膨らましていると明らかに分かる笑顔で、一番年上の子がそう言った。
「……分かった。全員で会議をするか」
魔王のひと言で朝食中に会議が始まり、盛り上がる。本来なら早く食べてと注意したいところだが、こんなに楽しみながら食べる時はないのかもしれないから、このままで良いだろう。
それに、幸せそうな、本当の家族のようにみえた――。
そして話はまとまった。結局俺が最初に出したアイディア、『色』に決まったのだ。本人たちの希望の色を聞き、意見も出し合って名前は決まった。
まずは、中等部の子。上からグリーン、バイオレット、ブラック。
初等部は上からブルー、オレンジ、レッド。
幼児は上から、スカイ、イエロー、ピンク。
そして赤ん坊はホワイトとなった。
「お洋服に、お名前の色のブローチなどを付けるのはいかがでしょうか?」と、執事のアイディアを元に、幸運を運んでくるといわれている四葉のブローチも全員色違いで付けることになった。
名を持った子らは、本当に大喜びで。
その姿を眺めながら魔王と執事も微笑みをみせ。
俺も、うれしさで笑顔が込み上げてきた――。
子たちは名をもらって、うれしかったのだろうか。はしゃぎながら食事をし、食べ終えるのに時間はかかったが、なんとか全員完食した。
席を離れて自由に動き回る子やまだ座ったままの子、それぞれが自由に過ごしている。
大人たちも食べ終わり、席を立つ。
テーブルの上を眺めると、空の食器が無造作に置かれているままだ。
「いつも、片付けはどんな感じなんだ?」
俺は魔王に問いかける。
「どんな感じとは?」
「魔王と執事で、子供と遊ぶ担当とか片付け担当とか、あるのかな?と思って」
「片付けはひとりでやっている。子供をかまいながらだ」
執事と分担してやっているのかと思ったが……。
そういえば「リュオン様はひとりでなんでも抱え込む」と、執事が言っていたな。席から離れ、中等部組と話をしていた執事はこっちをチラチラ気にしていた。視線がなんとなく落ち着かなそうで、まるで何か言いたげだった。
執事はいつも魔王からの命令を待ち構えているような雰囲気だな。
「執事に、家事と育児の仕事分担を命令しないのか?」
「……しない。執事は執事なりの考えがあると思うから、命令は必要最低限だ」
執事への命令は必要最低限……つまり、どうしてもやってほしいことがある時に魔王は執事に命令をするのか。
執事が真夜中に話していたことを思い出す。
魔王に、『万が一、我が倒されたら、とにかく全員逃げ切れ』と命令を受けたと執事は言っていたな。その必要最低限の命令をされた時に執事は、逃げない選択をし、逆らったのか……なかなかやるな。
「そうなのか……魔王は子供と遊ぶのと、片付けするの、どっちが好きだ?」
「好き、というか……ひとりの時間が、ほしい」
「そっか、本当は片付けも全部したいんだけど、さすがに難しいから、魔王は片付けを頼む。俺と執事は子供と遊んでいるから!」
「……あぁ」
でも、せめてテーブルの上の食器だけでも、俺も片付けよう。
さて、やるか……子供の人数が多いと、もう本当に色々大変だな。とりあえず――。
「全員、自分が使った食器をさげてくれ」と、子らに指示を出した。
上の子らは自分たちでキッチンの洗い場まで持っていった。下の子らは、話を聞いてない子と、自分で運べない子がいた。まだテーブルには食器が結構残っている。魔王はそれを持ってキッチンへ。魔王だけでは持ちきれなさそうだったから、残りを全て持つと魔王のあとについて行った。
食器を洗い場に置いた魔王は食器を洗う前に、鍋に水を入れ、それを火にかけた。
「昼食の分か?」
「そうだ」
魔王は続けて冷蔵庫から卵や野菜を取り出し、テーブルの上に並べていく。
――無駄な動きがなくて、手際が良い動きだ。
子育ては得意じゃなさそうだけど、魔王はかつて世界最強と言われていた。そう言われていただけあって、仕事も出来る男だな。容姿も端麗だし……もしも魔王が世間に全てをさらけだしたらスパダリと言われ、もてはやされるだろうな。
魔王から視線を外せない。その無駄のない動きや、どこか孤独そうな横顔を見ていると、俺は魔王に興味が湧いてきて、もっと知りたくなっていた。
「魔王は料理が得意なのか? いつから、誰に教わったんだ?」
「……」
魔王は何も答えない。
質問攻めしすぎたか?
「別に答えたくなかったら、答えなくてもいい……魔王のスープ、美味しかったぞ」
そうだよな……敵である俺に、自身の情報を易々とさらすなんてことは、自滅への道を意味している。頭の良い魔王はしないだろう。
「……誰にも教わらず、料理をせざるを得ない環境だった」
魔王はそう言って目を伏せた。
――教えてくれるのか?
俺は敵ではないのだと考えてくれたのか?
それとも、疲れすぎて誰でもいいから寄り添いたい気持ちになったとか?
魔王の心をこじ開けたくなる。
「どんな環境だったんだ?」
「誰にも愛されずに、ずっと孤独な環境だった……」
魔王は目を細めると、表情を曇らせる。その表情を見て、胸が締め付けられるような気がした。
「孤独って、身内とか友達とかは?」
「母親は幼き頃に消され、身内は全員敵だった。我はずっと冷たい視線の中で生きてきた」
俺の話ではないのに、なぜか喉が詰まるような感覚に襲われた。冷たい視線という言葉が、俺の頭から離れなかった。
気になるけれど、これ以上詮索しても良いのだろうか、聞かない方がいいのかもしれない。沈黙がおとずれると気まずい空気が漂ってくる。
「魔王、遊ぼうよ」
その時、幼児組の三人が魔王の脚にまとわりついてきた。空気の色が明るくなる。
――そういえば、魔王はひとりの時間が欲しく、俺は子供と遊ぶのだったな。
「よし、勇者とかくれんぼしよう! 俺が皆を探す!」
俺は魔王のことが気になりながらも、キッチンから出た。幼児組は俺についてくる。ダイニングルームへ戻ると、ちょうどベビーベッドで赤ん坊が小さな声で泣きはじめていた。そっと抱き上げるとなだめながら、子供全員を集めた。
魔王城はたしか、五階まであったはずだ。
ふと、あの時を思い出す。
あの戦いの時は、最上階の一番奥の部屋で魔王と対峙した。重たい扉を開けると魔王が窓から外の景色を眺めていた。そして俺らの気配に気がつくと振り向き……初対面の魔王と戦いがはじまった。初対面で、恨んでいる訳でもなく、実際どんな者なのかも全く知らなかった魔王と――。
「勇者、難しそうな顔してどうしたんだ?」
「いや、なんでもない」
初等部のオレンジに問われると俺は答えた。
「じゃあ、隠れるのは二階までにしようか」と俺が提案すると、「五階までがいい!」と子らが俺の意見を跳ね除けた。
「そっか、分かった。俺と執事が魔王……」
俺は言葉を飲み込んだ。人間たちは遊びで逃げる者を追いかけたり、嫌われている役の者を〝魔王〟と呼んでいる。魔王を慕っている者たちがいるこの場では、場違いな言葉だろう。言い直して言葉を続ける。
「俺と執事が皆を探してみつける。三十分ひとりでも隠れたままでいられたら、皆の勝ちだ。じゃあ今から、二百数えたら探し始めるぞ」
全員が一斉に散らばり、走り出した。
魔王城はとにかく広いし、探す人数も多い。探しきれるのか分からない。二百数えると、執事が二階までを、俺が三階から五階までを探すことになった。小さい子は下の階辺り、いや、大きい子と一緒に上の階へ上がる可能性もあるな。
――とりあえず、誰かが五階にいそうだな。
俺はらせん階段を駆け上がり、五階にたどり着いた。一階ほどではないが、十分に広い空間が広がっていた。五階だけでこんなに広い。
ここは全て魔王が過ごす目的で造られた部屋らしい。魔王の本来の寝室、浴室……キッチンまである。ひとつひとつ、鍵の空いた部屋の中を隅々確認していく。隠れている子は、誰も見つからない。続けて書斎に入る。本当に五階だけで生活出来そうだな……この階だけですでに、俺が住んでる家よりも豪華だ。
書斎の中も膨大な数の本があり、千冊以上あるだろうか。一冊一冊が分厚くて、チラリと中を覗くと解読できない文字で文章が書いてあった。
今はかくれんぼの最中だ。本を読んでいる場合ではない。小さい子が隠れているかもしれないから机の下も椅子をどけて探してみる。
誰も、いないな……。
視線を机の上に向けると、書き途中の日記のようなものを見つけた。
それは人間の言葉で書いてある。ここにあるってことは、魔王が書いたものだよな?
『我にできることは何か。母は幼き日に命を奪われ、唯一の愛は消えた。愛の形跡があった母の形見も人間に奪われた。愛とは何か。知る術もなく、与える術も知らず。ただ、衣食住を子供たちに差し出すだけだ』
魔王の日記は、俺の心臓に重くのしかかる。息苦しさまで感じてきた。
――人間に、盗まれた?
その言葉が特に引っかかった。
ぱらぱらと日記を捲っていると、部屋の外から子供の叫ぶ声が響いてきた。切羽詰まったようなその声に、俺はハッとして手を止めた。