「私はアレルギー持ちだが、花型機人の出す花粉は平気なようだ」
世間話をするような気軽さで、アルニスタはリーレニカから視線を外す。
――隙だらけだ。
アルニスタ自体は間違いなくこちらを警戒していない。不自然過ぎるほど自然体。意識がこちらに一切向いていないことも、彼を取り巻くマシーナウイルス反応で確認できている。
だが、手を出そうと思えない。
別の何かに見張られている気がした。
「見学していくかね?」
おかしな発言だった。
アルニスタの周りには、群衆以外誰もいない。
だがリーレニカには見えている。
――〝とぐろを巻いた何者か〟が背景に溶け込んでいるのを。
あの中に居るのはスタクなのだろう。
リーレニカは諦めた。
きっとアルニスタは気づいている。
自分が生体型デバイスを使えることに。
だから「分かっている前提」で話をする。
「その前に医者に診せた方が良いと思いますが」
「詐欺師に縋るなど愚か者のする事だよ。奴らはマシーナウイルス促進剤をばら撒き、路上で診察し治療費を搾取するんだ。やりすぎて憲兵に泣きつくケースもあるがね」
彼はスタクを憐れむように続ける。
「だが、今更医者へ引き渡したところで、それは彼のタメにならないだろう。殺処分か――実験動物にされ、散々擦られた挙句殺されるのがオチだ」
「アルニスタさんの成されていることは実験では無いと?」
「私を低俗な連中と一緒にするな」
アルニスタは少し残念そうに笑う。
「リーレニカ、『機人はこの世から消えた方が良い』。そう思わないか? 私はそう思う」
「それとコレに関係が?」
「あるとも。一番の近道は生体型デバイスの上位クラス――〈古代獣〉を媒介としたエネルギー転用だ」
古代獣。
マシーナウイルスの始祖。
人類を苦しめ、同時に文明の進化をもたらした高位生命体。
「冗談でしょう? 彼は人間よ。古代獣なんかじゃないわ」
「存在ではない。性質だよ」
こちらの考えていることなどとうに分かっているように、アルニスタは遮る。
「彼は〈レイヤー参〉を発症しておきながら、同時に人の原型を失うであろう〈レイヤー伍〉を誘発している特異体質だ。分かるかね? 『人の心を宿したまま異形に成る』素質が彼にはあるのだよ」
まるで珍しい昆虫を見つけた子供のように、声音が高ぶっている。
アルニスタのしようとしていることは分からない。だが、このまま見過ごすと取り返しのつかない事になる予感がした。
それを知覚したAmaryllisが、リーレニカの指示を待たずに「白銀の世界」へ招き入れる。
感情を色として認識できるAmaryllis。それと同期したリーレニカは、全身が粟立つ感覚を止められなかった。
漆黒。
目の前でどす黒い悪意が立ち込めていた。
「分からないか? つまり、彼のマシーナウイルスは」
リーレニカは聞き終える前に、スペツナズナイフを握る。
「正常なマシーナ濃度である〈レイヤー壱〉の人間を、機人モドキ――〈レイヤー参〉へ引き上げることができるのだよ」
言下。
周りの人達が歩みを止め、苦しみ始めた。
全員の顔に痣が出る――反応したマシーナウイルスが皮膚まで浮き上がっているようだ。
「何をした!」
「花粉を散布しただけだ。レイヤー参を体に覚えさせれば、機人化の耐性が出来るだろう? 理性は吹き飛ぶだろうがな。ところで……何故君は平気なのかね?」
会話の中で攻撃されているのを感じる。
大気中の〈花粉〉に紛れ、スタクの悪性マシーナがリーレニカに侵入しようとしていた。
だが蝶の耳飾りはそれを許さない。
既にリーレニカを取り囲むように展開していた不可視の〈蝶〉が、その尽くを無力化している。
「あまりレディにしつこくすると嫌われますよ」
「構わんよ。私は欲しいものは何をしてでも手にしてきた」
蛇の頭蓋骨を模した杖から歪なマシーナ反応を感じる。
ただの兵器型デバイスではなさそうだ。
「多少手荒だが、許してくれたまえ」
苦しんでいた民衆が、糸の切れた傀儡のように脱力する。すぐに立ち上がった。
全員無表情で、慌てる様子は無い。
光を失った瞳が、次々とリーレニカに向く。
この能力には既視感があった。
〈マネキン〉を同意なしに使役する。機人の上位種――〈司令塔〉だ。
「下衆が」
悪態をつくと、スペツナズナイフから手を離す。
意識を失い傀儡と化した民衆は、無表情のまま荒々しくリーレニカへ殺到した。
「Amaryllis――」
『なんじゃ。何か言えい』
迷う。
研ぎ澄まされた白銀の世界で、暴走した民衆の足は止まらない。
――時間切れだ。
逡巡し、近接格闘に切り替える。
飛び込んできた目の前の男をいなし、後ろから羽交い締めを狙う女に、回し蹴りの要領で転倒させる。
左右から次々と飛び込んでくる男を駆け上がるように、体を捻りながら飛び越えた。
――ここでデバイスを使えば奴の思う壷だ。
Amaryllisは脳内で『「呼んだだけ」というヤツか?』とうるさい。
市民が凶暴化しているのはスタクのマシーナ能力――〈花粉〉のせいだろう。あまり長く暴れさせると彼らの体がもたない。
ここら一帯のマシーナ反応が乱れている原因も同じく、花粉による事は明白。しかも、アルニスタが欲しがっているモノ――〈生体型デバイス〉も自分の耳飾りに納めている。手の内を晒すと面倒だ。
――ならば。
「座標」
『優柔不断め』
デバイスが、リーレニカの眼球に巣食うマシーナウイルスへ干渉する。
瞳が金色に染まった。
スペツナズナイフを射出する。
「〈杭打ち〉――五本」
やはりアルニスタを無力化するしかない。
群衆の中、ナイフは推進力を殺すことなく直線上に飛翔する。
「ほう。人を殺すか」
操られた人々は意識がない故に、死ぬ恐怖もない。たとえ眼前にナイフが飛来していようと、避ける動作はプログラムされていない。
だが、ナイフにはプログラムされている。
「――?」
ある一点でワイヤーが直角に折れ曲がり、市民を避けるようにナイフの軌道が変化した。直後更に推進力を得る。
物理法則を無視したナイフの軌道変化。それを五回繰り返し、やがてアルニスタの眼前まで迫ろうとしていた。
「面白い玩具だ」
今まさに死の際に立っているであろうアルニスタは、この瞬間も他人事のように嗤っている。
「他と大差ないがね」
最後に直線の軌道を描いていたナイフが、虚空で停止した。
『尻尾を出しおったな』
比喩ではなく、見たままの結果をAmaryllisが述べる。
蛇だ。人を丸呑みできるほど、とても大きな。
マシーナ粒子の塊が大蛇を形成しているように見える。高々ともたげた尻尾がナイフを受け止めていた。
ナイフの毒は僅かに作用しているが、表面を蒸発させるだけで有効打になっていない。
そして直感する。
あの大蛇――生体型デバイスだ。
「時間切れだな」
民衆の波がリーレニカを組み伏せようと容赦なく飛びかかる。
『なあ小娘。こっちも挨拶してやらんとな』
そんなつもりはなかったリーレニカにしてみれば、このカードを切らされる状況は、情報を開示する点において大きな損失になる。
しかし、手段を限定された時点で負けだと諦める。
ため息をつき、〝起動〟の命令句を零した。
「――蝶庭園」