「リーレニカ。次来たらこの店潰すって言ったよな」
城下町にある商業エリアの一角。恒常的に列を成すこの通りも、ある一帯だけ異様に人が少なかった。
花売り小屋の前で大声を撒き散らす大男を中心に、アーチ状に人が避けて歩いている。しかし好奇の目は花屋の少女二人に集中していた。
「レニカ先輩、埒あかないので〈閣下〉呼んじゃっていい?」
「やめて下さいフランジェリエッタ。お客様の視線が冷たいです」
「先輩、私のことは『フラちゃん』って呼んでって言ったよね」
フラちゃんは腰を突き出し、片目にピースをかざしながらウインクをしている。実にふざけた態度だった。
レニカ先輩――もといリーレニカは、自身のコウモリスカートを引っ張られる感覚には気にもとめず、クレーマーの対応に従事している。
だが彼女は無視されても構わず、「レニカ先輩聞いてます?」と小動物宜しく覗き込んで来るのだ。
気にしないようにし、花弁のように広がる紫髪を弄り、ため息を一つ。原因は目下、造花屋のミゲルおじさんから難癖をつけられているからである。
「お宅の売ってる花、『マシーナ濃度』が高すぎるってんで、王立騎士団様からここら一帯人払いされてんだよ。お陰でうちの店も客が寄り付かなくなっちまいやがった」
無論この無精髭を生やした店主がまくし立てていることは妄言に他ならない。リーレニカは淡々と妄言を正す。
「まず、マシーナ濃度が高い植物は品質が担保されている証拠です。それに、お客様が寄り付かないのは昨夜悪酔いしたミゲルさん。あなたが王立騎士団の方へ喧嘩を吹っかけたからでしょう?」
「なんで知って――」
「しかもお相手。銀十字のファナリス師団長殿ではありませんでしたか? 国家お抱えの騎士団――あまつさえ政権にも口を出せる師団長クラスの方に喧嘩を売るなど、寝惚けていてもできることではないですわ。しばらく禁酒しては?」
「この野郎」
ミゲルはスキンヘッドまで血管を浮かせ震えていた。
しかも後輩のフラちゃんが「レニカ先輩フルボッコにしてやんの、ウケる」などとワザと聞こえる程度の小声で言うのだ。リーレニカの後ろで。
自分の後輩ながら非常にムカつくだろう。実際、ミゲルはブチ切れた。
「俺は認めねえからな! ただでさえ機人症患者が増えて景気悪ぃのに、高濃度マシーナの生花売りなんざ誰が買うんだよ」
偉そうに講釈たれた後、道に唾を吐いてそのまま造花店へ帰って行った。
フランジェリエッタは「ばいばーい」と挑発するような笑顔で手を振っている。
基本リーレニカの後ろで偉そうにするのが彼女のファイティングスタイルらしい。
「フランジェリエッタ。あまり話をややこしくしないで下さい。マシーナ濃度の高い商品が規制対象であるのは事実なのですから」
「フ・ラ・ちゃ・ん!」
子供と変わらない矮躯の後輩は、桃色のツインテールを跳ねさせとうとう声を大きくした。
仕事中、人と一歩距離を置いて接するリーレニカにしてみれば、愛称呼びはあまり親しみがない。
「確か予約のお客様がいらっしゃる頃ですよね」
「リーレニカさーん!」
ちょうど良いタイミングで、明るい声音と共に女性客が来店した。
花を入れるためのバスケットを手にした、ブロンド髪の若い女性。この店の常連客だ。
「いらっしゃいませソフィアさん。お待ちしておりました。こちら、予約頂いた〈月ノ花〉です」
「ありがとうリーレニカさん。月の谷までは危なくて採りに行けないからとても助かるわ」
「夜の渓谷は大気中のマシーナ濃度が急激に上がります。『機人症患者』が出没しやすいですから、推奨しませんね。行くにしても、自分よりマシーナ濃度の高い鉱石や動植物と一定距離を保つことです。彼ら、マシーナウイルスの塊を認識するだけで視力は無いに等しいですから」
余計な知識を披露しすぎたか。リーレニカは話し終えて、伏し目がちにコウモリスカートを触る。
ソフィアは、「自分では採りにいかないんだけどね」と苦笑いしつつも、しかし楽しそうにリーレニカの手を取った。
「やっぱりリーレニカさんマシーナに博識ね! 今度詳しく聞きたいわ。でも今日はそれだけじゃなくて、個人的にもう一輪買おうと思ってるの。何か私に合いそうなの、あるかしら?」
「ここの花は女性でしたら基本どれでも合いますよ」
「……え?」
予想だにしないリーレニカの発言に、ソフィアの笑顔が固まる。なんなら空気も凍りついた。当の本人は「何か変なこと言った?」と言わんばかりの顔をする。
リーレニカの甘え係となっていたフランジェリエッタも、さすがにフォローしに割って入った。
「あ、あの、ソフィアさんこれなんてどうですー? この子結構雨風に強いので、最近忙しくしてるソフィアさんも無理なく育てられると思いますよ!」
肩で息をするフランジェリエッタ。呆けるソフィアが、暫くして我に返ったように、
「え、ええ。せっかくだから頂こうかしら」と疑問も持たずに会計する。
「お買い上げどうも! ソフィアちゃん常連さんですし、今回フラちゃんセレクションなのでお安くしておきますねー!」
機敏な動作で月ノ花の花束と、『フラちゃんセレクション』をバケットに並べ入れてやる。
彼女も困惑しながらも、律儀にスカートを摘む動作で会釈をすると店を後にした。
「どうも、店長さん」
「もうレニカ先輩ッ。対応が一昔のマニュアル過ぎる。同じ女の子なんですからちゃんとお花選んであげないと!」
フランジェリエッタはリーレニカより背丈が低いので、小さい台の上に乗って「教育」をする。
お子様に見えてこの店の店長なので、威厳も気にするのかもしれない。
「彼女、この店ではこれ以上欲しいモノはなかったですよ」
「モノじゃないんですー! っていうかなんで断言できるんですかー!」
困ったように一生懸命アピールしているが、当のリーレニカは要点を得ない様子。
「だってソフィアちゃん、レニカ先輩のファン――」
小さな店長が言い切る前に、店外の方から悲鳴が上がったため言葉を呑み込んだ。
「〈機人症〉だ! 憲兵呼んでこい!」
店を出ると、人集りの中に倒れている青年と、それを介抱する少年を目撃する。
「兄ちゃん……どうしたんだよ」
荒い呼吸をする青年を激しく揺する少年。その声に応えようとする男の力はか細い。
「迂闊に体を揺らすな」と、白衣の男が少年を制止する。
「私はデバイス技師だ。医者ではないが機人の症状程度なら診れる」
技師は簡易的な検査キットを鞄から取り出すと、手際よくアルコールを布に含ませ、ゴムチューブを男の腕に巻き付け駆血する。浮き出た血管に針を沈め採血した。
水で薄めたケチャップのように、半透明の赤い血液がシリンダーを満たす。機人の初期症状――血液の「脱色化」が始まっていた。
検体を青いシートの入ったカプセルへ数滴垂らし、軽く折り曲げる。
パキッと軽快な音と共に、検査薬が染みだした。
まもなく反応が現れる。
滴下位置から二つ、波紋上に線が浮き上がった。
「『レイヤー弐』だな。それに意識の混濁――レイヤー参も近い。残念だが……言葉をかけるなら今のうちだぞ」
マシーナウイルスと共存する道を選んだ人類は、ウイルスに侵された者に対して「殺処分する基準」を「機人症」として定めた。
――曰く、人が人である為の意識レベルの指標。
異常人格を重ねていく様相から、五段階の『階層』によって分けられる。
壱は正常値。誰もが最低限持つウイルス濃度で宿主に害はない。
ただし、レイヤー弐から『宿主の意識、次いで体』へ〝攻撃〟を始める。
初期は軽微な意識の混濁。そして参は――
「あが――ッ」
男の悲鳴と共に、ばこん、と胸部が膨張。体内で炭が破裂するような音が鈍く飛び出す。
人体構造の強制変形――機人化の始まりだ。