リーレニカはまるで盗人のようだと思いながらも、フランジェリエッタに見つからないよう、音を殺して生花店に入る。
ダウナにポーション代を支払うため、荷物をまとめるついでに自分の少ない収益袋を取りに戻っただけだ。
「……フランジェリエッタ?」
バックヤードの簡易ベッドに横たわるフランジェリエッタを見つける。なぜだか、様子がおかしいように感じた。
本当は声をかけるつもりはなかった。
辞めると言っておきながらバツが悪い。
声をかけるが返答はない。怒っているのか、背中越しには読み取れなかった。
「勝手に出て行って怒っているんですか? すこしミゲルさんと話が長引いてしまって……すみません」
「……う」
反応の鈍さから、寝ているだけだと思ったがそうではなかった。
うなされているようで、異様に汗をかいている。顔に張り付いた髪を退かしてやり、額に手を当てた。
「ひどい熱……ただの高熱じゃない」
逡巡し、すぐに一つの予感が脳裏をよぎる。
――機人化の症状と似ている?
「フランジェリエッタ、しっかりしてください!」
反応が鈍い。
見誤った。店が襲われているこの状況で、フランジェリエッタ一人残すこと自体愚かな行為だった。
過度なストレスで体内のマシーナ濃度が上昇したのだろう。
まだ薄いが、顔に規則的な痣が浮かぶ。機人化の症状が出始めている証拠だ。
「ちょっと。足、速すぎ……じゃない」
遅れて、ダウナが入って来た。
肩で息をしている。すぐに来いと言ったわけではないのに。
目立たない程度に力を抜いたとはいえ、自分の走力についてこられたのは驚きだ。
魔女は、二人の様子を見てすぐに状況を察する。
ベルトに固定していたフラスコを抜き取った。
「リーレニカ、ほら。善性マシーナの希釈ポーション……やーね、そんな目しないの。これはサービスよ。お金は要らないわ」
「そんな易々と差し出せるものでは――」
言いかけ、言葉を飲み込む。
ここで断ったところで、簡単に医者に診せることはできないと頭では理解していたからだ。
今この瞬間にも、マシーナウイルスは容赦なくフランジェリエッタの心を蝕むだろう。
「ほら」
ずい、と更にポーションを近づけられ、リーレニカは静かに息を吐く。
礼を言い、受け取った。
フランジェリエッタの口元へ運ぶと、フラスコから溢れる液体が気化し、光の粒子へ変化し流れていった。
飲むというより、吸う行為に近い。
やがて、店長の顔色が良くなると目を覚ました。
「あう……レニカ先輩?」
「フランジェリエッタ。気分はどうですか」
「平気だよ……えへへ。もう会えないかと思った」
「ずっとこの店に居たの?」
「うん。レニカ先輩、来てくれるかなと思って」
「フランジェリエッタ……」
今になって人間らしく後悔する。
フランジェリエッタを一人にしてはダメだった。分かりきっていたことだ。
気丈に振舞っているのは、彼女自身を騙すためにすぎなかったことも。
フランジェリエッタが弱い人間だということくらいわかっていたはずなのに、自分は都合よく彼女の強さを信用した。
「あのねレニカ先輩。フラちゃんね、前にもこうして抱き上げてくれてたような気がするの。昔の事なんて覚えて無いのにね」
「その頃は私は出会っていない。きっと大切な人がいたのでしょう。いつか思い出せるといいですね」
事が落ち着いたことを確認すると、ダウナが腰を上げた。
「何? 小さな店長さんは頭でもぶつけたの?」
息も絶え絶えでここまで静観していたダウナだったが、休めたおかげかいつもの調子を取り戻す。
今更隠す必要もないだろう。
「フランジェリエッタは記憶喪失なんです。去年、彼女と初めて会ったのは〈月の谷〉。その時から、この店と自分の名前以外何も覚えていないようでした」
「じゃあ貴女はこの子の『お姉ちゃん代わり』って所かしら?」
お姉ちゃん。
そう言われ、フランジェリエッタと過ごしていた思い出が過ぎる。
組織の任務で『古代の生体型デバイスを捜索する』指示を受けていた時、この国のエリアで生体型デバイス反応をキャッチしていた。
そこで機人の多い月の谷を捜索していたところ、月ノ花を扱うフランジェリエッタの店を手伝い、同居するようになっていた。
初めは彼女を通して国の情報を得ようとしていたはずなのに、不要な情を抱いていたことは否定できない。
感情を制御していたつもりだったが――諜報員失格だ。
「……そんな所です。もう私が居なくても立派にやっていけると思いますが」
「高熱出した子を抱きながら言う言葉では無いわね」
ダウナは呆れたように腰に手を当て胸を反らすと、大きく伸びをして背中を向けた。
「貴女と一緒にいると退屈しないわ。ソフィア嬢でのポーション代もツケにしてあげる。この店で働いて、そのお金を少しずつ返してくれたら良いわ」
「でも私は」
「利子も考えないで。たまにここのお店で花を貸してくれれば悪いようにはしないわ。マシーナ濃度の高い花は品質の裏付けでしょう? ポーションにはマシーナウイルスが必要不可欠だから、私たち良い商売仲間になれると思うの。どう?」
ダウナに、いいように状況をコントロールされた。
リーレニカが「店はすでに辞めた」という言葉も遮ったのは、「フランジェリエッタのそばに居てやれ」と口にしたも同義。
「レニカ先輩、いてくれるの?」
当の本人もそのつもりのようだった。
彼女をここまで追い込んだのはミゲルだけではない。
更にいえばフランジェリエッタを機人にしてしまっては元も子もないだろう。
「……いいでしょう。確かに彼女に退職金を出せるほど収益もありませんからね。後はミゲルさんとも関係を取り持っておかないと」
あんな事をした手前、バツが悪いが。
「そう言えばミゲル氏は、今日娘さんと中央区のサーカス場で家族サービスするって言ってなかったかしら? 離婚していたって聞いたけれど、やっぱり娘は大切なのかしらね」
ダウナがそんな話をしたせいなのか、激しい足音が扉の前から飛び込んで来る。
造花屋のミゲル店長だった。
「ミゲルさん?」
「待って……様子がおかしい」
暴力団達に制裁を加えてやったことに対する報復かと思ったが、それであればミゲル一人で店に来るなどありえない。
どころか、今にも死にそうな顔をしている。リーレニカを見つけると、倒れ込む物乞いのように腕を掴み、次の瞬間には悲痛に叫び始めた。
「おいお前、リタをどこにやったんだ! 確かに店ぶっ壊しちまったがよお……娘は関係ねえ。何もそこまでするこたあねえだろ?」
「落ち着いてください。何があったんですか」
「リタが、訳のわかんねえ、でけえ花に……」
リーレニカが何も知らない事を悟ると、一切の手掛かりをなくしたと思ったのか、力が抜け倒れてしまう。
「ミゲルさん。しっかりして下さい」
「ダメね。彼、すごい高熱だわ」
ここに来て立て続けに発熱者が出ている。
リーレニカはAmaryllisの視界ネットワークを立ち上げ、ミゲルの状態を確認する。
『こりゃ面白い。症状は一般的で軽度だの。ストレスは当然として、外的要因でマシーナ濃度が高くなっとるの』
「高熱……花……?」
嫌な予感がした。
ソフィアが危ない。
「ちょっとリーレニカ」
「ダウナ嬢、すみませんが近くの医師を呼んで下さいませんか。診察代なら後で取り持ちますので」
「段々……あなたが借金を踏み倒す気なんじゃ無いかと思えてきたわ」