リーレニカも、まさか王立騎士団の人間に目をつけられるとは思っていなかった。
「こんにちは。ファナリス騎士団の〈青札〉シンです。連れは〈白札〉のスクァード。フランジェリエッタさんの生花店で何者かが暴れているとポーション屋から通報がありまして」
――ダウナ嬢か。あの魔女め。
あの魔女は何かと勘が鋭いと言うか。
通報があと一歩早ければ、ミゲルへの「相談」も邪魔が入っていたかもしれない。
「まあ。誰がそんなこと……空き巣ですか? 買い出しに出た時、鍵を閉め忘れたのかしら」
「申し訳ありませんが、犯人は鋭意捜索中です。あなたはこの店のスタッフと聞いていますが、お話だけお伺い出来ますか」
シンがその情報を得ているのは、恐らくダウナがそう言ったからだろう。もっとも、つい先刻退職宣言をしたばかりなのだが。
少し、思考する。
組織までボロを出すつもりは無いが、憲兵の職務質問は相手によっては三日以上拘束してくる人間もいる。
――下手に断ると怪しまれるか。
リーレニカは観念して、シンとスクァードの事情聴取に従う事にした。
なんのことは無い。犯人は既に分かっている。
ただ今ミゲルを引き渡すと、黒服達のついでに自分の名前も出かねない。
今は穏便に済ませる事にしよう。
「構いませんよ。近くに喫茶店がありますので、そちらでも良いですか?」
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喫茶店は自分たちしか客が居ない。恐らくミゲル達の店内荒らしが近所にも影響しているのだろう。
ひとまず。
当たり障りのない質疑応答を繰り返した。そうして、なんとかシンはリーレニカの言葉が腹に落ちたようだ。
と言うより、同情で泣いている。
「大変でしたね、リーレニカさん。実家のご両親のために王都へ出稼ぎなんて……フランジェリエッタさんも若いのに店を構えて。それに比べて我々ときたら……」
シンはまんまとリーレニカの嘘八百なバックグラウンドを信じてくれていた。彼は割と熱血漢なのかもしれない。
シンの目にはリーレニカが、病で倒れた田舎の母親のため、野を越え山を越え、えっちらおっちら王都へ辿り着き、花屋を経営するフランジェリエッタに弟子入りする新米生花店の女の子として映っていた。
ちょっと話を盛りすぎた気もするが、同情を買えたのなら上出来だろう。
「今回は災難でしたね。商業区もエリア管理人のミゲル氏から定期報告は頂いていましたが……。今後は警備兵を増員するよう、国主様へ申告する手筈となっていますので、ご安心を。とはいえ、犯人をそれまで野放しにするつもりはありません。捕まるのは時間の問題でしょう」
――あの男エリアマネージャーだったのか。
それなら他店の人達がミゲルに協力的なのも頷ける。
シンの犯人逮捕に向けた意気込みを横で大きく頷くスクァードが、大仰に自身の胸を叩いた。
「ま、俺が居たらバッチリとっ捕まえてやったんすけどね」
「お前は調子に乗らない事だ」
「いてえ」
青札階級のシンに頭を小突かれ、白札のスクァードは唸った。
ファナリス騎士団は団員の序列を首に提げた色札で整理すると聞いた事がある。たしか白は新米――下級兵だ。
青札は中級あたりだろう。ポピュラーな機人を相手取ったことがある程度に見える。
少なくとも、彼らと戦闘になった時は十秒で殺せるだろう。
首に銀札を提げていたファナリスという男は、相当の手練だった。できれば二度と会いたくないとさえ感じていた。
「ところでリーレニカさん、王都へいらしたとのことですが、いつからこちらへ? ここへはもう長いんですか」
当たり障りのない質問だ。この感じだともう解放してくれるだろう。
終わりが見え始め、リーレニカも柔らかい笑顔で紅茶を置く。
「ええ、確か――」
言葉が詰まる。
いや、胸がつかえるような感覚。
――私はいつからここに来た?
――いや、何故この国にいる?
何故今まで当然かのようにフランジェリエッタの店に居た。
そもそも嘘八百で語りはしたが、彼女の店を手伝った本当のきっかけは何だ。
――なにか大事なことを忘れている?
「リーレニカさん?」
シンが訝しげに呼びかける。
考え込み過ぎたか。リーレニカは己の迂闊さに内心舌打ちし、直ぐに平静を装った。
「失礼。色々と思い出に耽ってしまいました。そうですね……もう二年は経ちました。この国も第二の故郷みたいなものですよ」
「そうですか。手癖の悪い人も居ますが、親切な人も大勢居ますからね。私も国の騎士として、あなた方の安全は必ず守ります。なのでどうか、この国を嫌いにならないでくださいね」
「ありがとうございます。シンさんもスクァードさんも、大変でしょうけれど無理はなさらないように。過労もマシーナ濃度を引き上げてしまいますから」
そうして。
何とかその場を収め、喫茶店から立ち去った。
自分から喫茶店を提案したものの、シンが「経費だから」とご馳走になってしまった。
ひと暴れして少し渇いていた所だし、甘えることにしたが。
「酷いものね。花に罪はないのに」
成り行きで生花店へ立ち寄ることにした。
勢いで店を辞めた手前、顔を出すつもりは無かったのだが……気が変わった。
せめて、散乱した店内は綺麗にしてあげよう、と。
店の現場検証は済ませてくれているらしく、思ったより早く生花店に入らせてくれた。腕はともかく、割と早い仕事ぶりだと感心する。
「フランジェリエッタは――」
いないか。
大方、騎士団から立ち退かされたのだろう。現場検証は済んでいるから、また戻ってくるまでには片付けてあげよう。
店内の清掃を始めようとした矢先、外から慌ただしい足音が駆け込んできた。
次いで、女性の声が張り裂けそうな声音で呼びかけてくる。
「リーレニカさん」
生花店のお得意様であるソフィアだった。
肩で息をしながら、スカートの裾を泥で汚している姿は普通では無い。
「ソフィアさん。ご来店頂いておきながら大変申し上げにくいのですが、私もうフランジェリエッタの従業員では」
「違うの。私の彼が……スタクがマシーナウイルスで高熱を出してしまって。私じゃ何も出来なくて、でも医者は……」
イマイチ要領を得ない説明だ。だが緊迫した状況である事は伝わった。
とはいえ、マシーナウイルス案件なら生花店はとんだお門違いだ。幾ら自分がマシーナに精通している素振りを見せたからと言って、医者のように扱われる理由にはならない。
だが、ソフィアは「医者はダメ」だと言った。
「落ち着いてください。医者はダメなんですね? せめてポーション屋のダウナ嬢を呼びましょう。症状によっては、彼女の薬が必要になる」
――そうして、ソフィアにボーイフレンドの元へ案内させている時、疑問だった。
何故自分は、彼女に他を当たるよう言わなかったのか。
縋るようなソフィアを、何故か放っておけなかった。
明らかに普通では無いのに。
普通ではない自分が、異常な状況に足を突っ込めばロクな事にならないなど、分かっていたはずなのに。
当初は感情を食い荒らすマシーナウイルスに嫌悪していたが――この食べ残しに悩まされるとは思ってもいなかった。