ニヌルタが新たな魔王として名乗りを上げてからの一ヶ月は、目まぐるしく過ぎた。
 六月十日にはガッリア王国の国王ルネ十五世と謁見し、創造神ユーゴとして俺の存在は公表されることになった。
 最愛王とも呼ばれるルネ十五世は六十一歳となった今でも享楽的な人物で、俺への関心は薄いように見えた。
 尊大なところも俺にとっては想定内だった。
 六月十二日には聖皇と謁見するために、俺を含めた五人は王都パリーズィを出立した。
 聖紀元暦一七七一年の異世界は俺が設定した通りに、魔法が実在している点や銃火器の開発が遅れている点などを除けば、地球の西暦一七七一年とほぼ同等の世界であり、主だった陸路の移動手段は馬車だった。
 ニナが手配した馬車に揺られ、聖皇のいる聖皇領の中心都市ヴァティカーノに俺たちが到着したのは、七月七日の日曜日だった。昼過ぎのヴァティカーノは多くの巡礼者が行き交い活気に満ちていた。

「いやあ……やっとで到着かあ……」

 俺は馬車から降りて背を伸ばした。
 長旅の疲れというやつを初めて味わった気がする。

「お疲れ様でした。荷物を宿に置いたら、ゆっくりするとしましょう」

 旅慣れている様子のニナが微笑んだ。さすがは商人といったところか。

「私は聖皇庁へ行き、諸々の手続きを済ませてきます。後ほど聖使徒大聖堂の近くにある酒場で落ち合いましょう」

 ギュスターヴは自分の荷物をルドヴィクに任せて、ヴァティカーノの中心地にあるという聖皇庁に一人で向った。
 世界中に広がっている全ての教会を統治する中央機関である聖皇庁。
 聖皇の最高顧問であり 重要な案件について聖皇を直接に補佐する枢機卿団を構成する七十人の枢機卿。
 その枢機卿の一人であるギュスターヴにとって、聖皇庁は勝手知ったる庭のようなものだろう。任せておけば問題ない。
 四人になった俺たちは、創世教会の総本山である聖使徒大聖堂からさほど離れていない宿に移動した。
 荷物を宿屋に置いてから浴場で汗を洗い落とした俺たちは、喫茶店に入り新聞を確認した。

「魔王国に目立った動きはないようね」

 クロエが新聞の記事を確認して顔を上げた。

「今度の魔王は慎重なようだ」

 ルドヴィクがコーヒーカップを置いて感想を口にする。

「四人目の勇者はアルビオン王国か……」

 ニナが新聞を畳みながら言った。それに反応したのもルドヴィクだった。

「アルビオンの騎士は英傑揃いと評判だからな。これでガッリア、ゲルマニア、ハープスブルグ、アルビオンと、四大国の勇者が出揃った訳だ」
「今回は七人とはいかないかもね」
「そうだな。まあ、伝説に合わせる必要もないだろう。教会がどう出るかは分からんが」
「伝説を重んじるからね、教会は」
「前回は結局、七人中五人が討ち死にしてる。今回は数合わせをしようなんざ考えなきゃいいがな」

 ニナとルドヴィクの会話を聞く俺の心境は複雑だった。その七人の勇者という設定を考えたのは俺だったからだ。
 新聞の確認を終えて、俺たちは酒場に向った。
 赤ワインで乾杯し、海から遠くないヴァティカーノならではの魚介料理に舌鼓を打った。
 メインの肉料理を注文した頃合いで、ギュスターヴが酒場に入ってきた。

「聖皇聖下への謁見は、明後日の午前十時に決まりました。場所は聖使徒大聖堂に隣接する宮殿です」

 ギュスターヴは椅子に腰掛けながら、決定事項を口にした。

「お疲れ様。まあ、飲みなよ」

 ニナがギュスターヴのために用意していたワイングラスに赤ワインを注いだ。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 七月九日の午前十時にヴァティカーノ宮殿へ赴いた俺たち五人が通されたのは、聖皇の執務室だった。
 聖皇クレメース十四世は、かくしゃくとした宿老だった。ギュスターヴから聞いた年齢は六十六歳。
 俺が『ミシェル戦記』で描いた聖皇は二年前に急死したらしく、俺が創作者として設定していない人物ということになる。
 それもあってか、俺は緊張していた。
 執務室には聖皇と二人の枢機卿がいた。
 俺たちが入室すると聖皇はソファから立ち上がり、自ら俺の前に進み出た。

「お待ちしておりました」

 聖皇がやわらかく微笑む。
 想定外の反応だった。ガッリア王国の国王とはまるで違って、高圧的なところが全く無い。
 俺は驚きを顔に出さないよう努めた。

「お目にかかれ光栄です。聖下」
「形式的な挨拶は抜きにしましょう。さて、創造神ユーゴ様。早速ですが実質的な話を。創世教会は貴殿を創造神と認め、協力を惜しみません。しかしながら、問題が一点だけ」
「……魔王、ですか」
「左様、魔王です。創造神たるユーゴ様に対し、名指しで叛逆を宣言した魔王ニヌルタを野放しにはできません。聖皇庁は一名の勇者を選出します。その者に武勲を与えていただきたく存じます」
「その勇者を補佐して、魔王を討伐せよということですか?」
「決して強制などではありません。この場では胸襟を開きましょう。残念ながら聖皇庁と四大国の関係は良好ではありません。主な理由が聖七使徒騎士団にあることは御承知の通りです。四大国は聖七使徒騎士団の力を()ぐため奸計を巡らせております。創世教会は聖七使徒騎士団を失うわけにはまいりません」

 聖七使徒騎士団は「聖皇の軍隊」とも呼ばれる組織で、聖皇領の防衛や教会の自治に欠かせない軍事力の象徴的でもある。
 聖皇が俺に向ける言葉は、正直なものだと感じた。

「そこで、聖七使徒騎士団から選出された勇者による魔王討伐という分かりやすい武勲が必要ということですか?」
「失礼ながら、創造神ユーゴ様には強力な後ろ盾が必要でありましょう。その役目は創世教会が受け持ちます。最愛王などよりは、お役に立てるかと」

 したたかな御仁だと思った。
 ギブアンドテイクってやつだ。
 俺としても一国の後ろ盾よりも創世教会の後ろ盾を得られるほうが、何かと都合がいいのは事実だ。
 何せ今は一七七一年。
 この異世界が地球と同様の歴史を刻むとしたら、そう遠くない未来に市民革命が起こる可能性がある。
 そして、その可能性は高い。
 俺が設定した四大国を初めとする国家の状況は、同年代の地球の状況を参考にしているからだ。
 市民革命が起これば、特定の王家の後ろ盾など邪魔にしかならない。もっと言えば命取りにすらなり得る。
 しかし、だ……ここで聖皇の話に乗れば、俺の戦場行きが決定するだけじゃなく、魔王を討伐するという危険極まる任務に就くことになる。
 いいのか、俺。本当にいいのか。
 いや……ここは話に乗っておくべきか。ギュスターヴも承諾した内容だろう。
 なにより引き籠もって刺客に怯え続ける生活なんか送りたくもない。
 俺は後ろに視線を移した。
 俺と視線が合ったギュスターヴは無言で首肯した。他の三人も異論を挟もうとはしなかった。
 仲間から無言の了承を得た俺は、聖皇に返答することにした。

「分かりました。勇者との協力はこちらも考えていたことです。聖皇庁が選出なさる勇者を補佐し、武勲を立てるべく行動を共にしましょう」
「感謝します。創世神の御加護があらんことを」

 聖皇の話に乗ってしまった。
 もう後には引けない。
 ただ、何故かスッキリした感じもあった。俺の腹も決まったように感じる。
 俺は巻き込まれるのではなく、能動的に魔王と戦う。
 実際の戦闘はルドヴィクたちに任せることになってしまうが、加護というユニークスキルの持ち主として、俺は仲間と一緒に戦場に立つことになる。
 俺が描いた物語は異世界戦記だ。異世界でスローライフな物語を描いていれば……なんて後悔しても始まらない。
 俺は自分が描いた物語の世界に責任を持つんだ。