ルドヴィクが聖母大聖堂を訪れたのは、さらに十日が経過した五月二十九日だった。
 聖母大聖堂に戻っていたギュスターヴがルドヴィクを出迎え、俺とクロエとニナが待つ執務室に入ってきた。

「遅くなりました。ルドヴィク・ラゴンであります」

 地黒の肌に黒髪を短く刈り上げたルドヴィクは、百九十センチを越える巨躯と分厚い胸板、丸太のような二の腕という筋骨隆々ぶりで、四十七歳とは思えない若々しい迫力を有していた。

「ユーゴです。よろしくお願いします」

 ルドヴィクは俺の前まで進み出ると右手を差し出した。大きく分厚い手。俺が握手に応じるとルドヴィクは笑みを浮かべた。

「創造神様は、お若いですな」
「二十五歳です」
「そうですか。ギュスターヴから聞きましたが、凄まじいバフを付与なされるとか」
「魔法や身体的な能力を、ほぼ倍増させるようです」
「そりゃあ凄い。ぜひ味わってみたいものです」
「後で試してみますか? どうやら意識するだけで発動できるようなので」

 俺はクロエとニナに頼んで、加護と名付けたユニークスキルについて試していた。
 加護は意識するだけで発動した。
 魔法と身体の能力を倍加するバフを付与できて、有効範囲は約三百メートル。この世界の単位で言えば約一千フット。
 アサシンに襲われたときは無意識に発動したが、今は意識することで発動をコントロールできた。

「おお、それは願ってもない。愉しみが増えました」
「どうぞ、お掛けください」
「おっと、そうですな」

 ルドヴィクは剛毅さを感じさせる笑みを浮かべるとソファに腰掛けた。
 俺も腰掛けると、クロエたちも座った。

「遠路、お疲れ様です」
「いやいや。久々に王都で愉しめると思えば、なんてことはありません」
「仕事は? 大丈夫ですか?」
(いとま)を頂戴しました。いやあ、いい機会をいただきました。なんせブルティガラの街は愉しみが少ないですからな」
「そう言ってもらえると、俺も気が楽です」
「創造神様は腰が低いですな」
「年下ですから」
「いやいや。年齢は関係ないでしょう。なんせ創造神様なんですから。もっとこう王族のように振る舞われるがよろしいかと」
「努力してみます」

 俺の返答にルドヴィクが豪快に笑った。

「ミシェルの姿が見えませんな。アクィタニア公爵領よりブレイス公爵領は近いというのに」
「ブレイス公として職務に追われているようです」
「うーむ……それはいただけませんな。創造神様の応現より大事な職務などあろうはずもない」
「ブレイス公爵位を継いでから間もないそうですし、しょうがないかと」
「創造神様がそう仰るなら。しかし、ミシェルは変わってしまったようだ」

 ルドヴィクの表情に微かな影が差す。
 俺とルドヴィクの会話を黙って聞いていたニナが口を開いた。

「ルドヴィクも変わったじゃないか。随分と発するオーラがやわらかくなった」
「そうか? 自分じゃ分からんな。牙は抜かれちゃいないつもりだが。ニナとクロエは相変わらずのようで安心した」
「あたしも今じゃ商人だけどね。クロエは教師だし」
「職はどうあれ、修練を怠っていないのは俺にも分かる。ギュスターヴが研鑽を積んでいることもな」
「魔族は滅んだ訳じゃないからね」
「ああ、十年もの間、大人しくしているのが逆に不気味だ」
「力を蓄えているつもりなんでしょ」
「そうだな。魔王と四元帥を失った後に行動を起こさなかったのは、魔族なりに先を見通してのことだろう」
「でも、そろそろ……」
「ああ、俺の直感が当たってりゃ、近いうちに動くぞ」

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 ルドヴィクの直感は当たった。
 それはわずか四日後、六月二日のことだった。
 ミシェルが討ち取ったエンリルの子であるニヌルタが、新たな魔王として名乗りを上げた。
 俺がその報に触れたのは、さらに四日が経った六月六日だった。

「新魔王ニヌルタは、応現した創造神に叛逆すると宣言したようです」

 俺を含めて五人が揃った聖母大聖堂内にあるギュスターヴの執務室で、ギュスターヴが重々しい口調で報告した。
 俺は驚きを隠せなかった。

「俺の存在が既に魔王国に伝わっていたということですか」
「そうなります。ニヌルタはユーゴ様の名を名指しして宣言しております」
「……人族の近隣諸国よりも魔王国の情報網のほうが優れていたということですね」
「はい。国王ルネ十五世陛下と聖皇クレメース十四世聖下への報告と謁見の手配から漏れたものと思われます」
「俺の存在は公表されるより前に、新たな魔王の宣言で世界に知られてしまった訳ですか……」
「申し訳ございません。私の落ち度です」
「いえ、相手の動きが想定より早かった結果ですから、しょうがないでしょう。今は今後のことを考えましょう」

 腕組みして俺とギュスターヴの会話を聞いていたルドヴィクが口を開いた。

「順序がちぐはぐになってしまったが、国王陛下と聖皇聖下への謁見は済ます必要があるだろうな……魔王国の動きに加えて、人族の刺客を送り込んだ者も不明。常在戦場、いや、もはや臨戦態勢ってやつだ。全員でユーゴ様を護衛すべきだ。ミシェルは何をやっとるんだ」
「公爵、しかも四大公爵ともなれば、俺たちと行動を共にするのは難しいでしょう」
「ユーゴ様はお優しいですな。まあ、この四人にユーゴ様の加護が加われば、何があっても対処はできるでしょう。ユーゴ様には大船に乗った気持ちでいていただければ」
「はい。心強いです」

 俺とルドヴィクのやり取りを聞いたギュスターヴは表情をやわらげた。

「今後のことですが、ユーゴ様の護衛は私ども四人が中心となるのは決定事項として、新たな魔王の出現に際し、各国は勇者の選定に入るでしょう。特に魔王国と国境を接するゲルマニア帝国とハープスブルグ帝国、魔王を打ち倒した実績のある我が国は早急に選定を終えると思われます。十五年前のように七人が揃うかは不明ですが、共闘の可能性を探る必要はあるかと存じます」

 ギュスターヴの発言に反応したのはルドヴィクだった。

「共闘? ユーゴ様を戦場に引き出すと言うのか?」
「今はまだ可能性の話だ。しかし、魔王の軍勢が本気でユーゴ様を狙ってくるならば、この王都とて安全とは言い切れない。一カ所に留まっている方が危険な可能性もある。ならば優秀な勇者のパーティーとの共闘という形で移動していた方が安全やもしれない。それにより魔王の軍勢の勢力を分散、あるいは各個撃破できるなら、それに越したことはないだろう。今は全ての可能性を考慮すべき段階だ」
「ふむ……」

 ルドヴィクは腕組みして考え込む様子を見せた。

「ユーゴ様は、どうお考えですか?」

 クロエが俺に問いかけた。

「……新たな魔王が俺を名指しで消そうとしているならギュスターヴさんの言うとおり、ここに留まっているのは危険かもしれません。それにもしここが敵の標的になれば王都に甚大な被害を出ることになる。俺は移動していた方がいいのかもしれないというのは理解できます。俺はバフを付与することしかできない存在ですが、ここにいる四人と一緒なら戦えるような気もしています」

 自分がこうもスラスラと考えを述べられるのかと、俺は内心で驚いていた。異世界に来て口ベタが治ったのか……?

「パーティーの頭脳だったギュスターヴと、ユーゴ様が納得しているなら、あたしに異存はないよ」

 ニナが言うと、クロエとルドヴィクがうなずいた。

「しかし、ユーゴ様は勇壮ですな」

 ルドヴィクが微笑を浮かべる。

「いえ、強がっているだけです。内心では震え上がってます」
「強がりは、なにも悪いことではありませんぞ。時には必要なものです」
「そう言ってもらえると、強がった甲斐もあります。俺が強がれるのは四人がいてくれるおかげです。これからも俺が強がれるように……よろしくお願いします」

 俺が頭を下がると、ルドヴィクが豪快に笑った。

「承知しました。我ら四人で、ユーゴ様の強がりを支えましょうぞ」